田村三木ヱ門夢
二話『火器について思うこと』前編
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が会計委員室に着いた時、他にはまだ誰も来ていなかった。 部屋に入ると、まず大きな文机だけが視界に飛び込んでくる。文机の上には算盤・硯・墨・筆・帳簿が委員の数だけ几帳面に並べてあり、部屋の中はとても綺麗だ。余計なものが一切ない。 静かな部屋の中、は自分の席に座る。今日はくの一教室の授業が随分早く終わったから、多分他の委員はもっと遅く来るだろう。さてなにをして待ってようかなと思いつつ、机の上に頬杖をついて。 ……そのまま、あっという間に眠りについた。 「先輩、どうしたんです?」 「先輩、体調悪いんですか?」 ぽんぽんと肩を叩かれる感触に、目を覚ます。すぐ傍で見慣れた一年生二人に顔を覗き込まれていて、おや、とは視線を上げる。そういえば寝てしまったんだと思いながら、軽く自分の頬を叩く。ほんの少しだけの睡眠だったから寝起きは良く、頭はむしろ寝る前よりスッキリしていた。 「ごめん、起きた。ちょっと寝ちゃってた」 程々に時間は経ったのだろう。ざっと部屋を見回すと、委員長以外の委員はもう集まっていた。三木ヱ門と左門の二人はなにか言い合いをしているが、それはいつものことなので気にしない。 「先輩、お疲れなんですか?」 左吉が心配そうに聞いてくれるのを、「眠かっただけよ」と苦笑する。同じく左吉の隣で「無理しちゃ駄目ですよ、先輩」と団蔵が言ってくれる。 「うん、ありがと。ほんとに大丈夫だから」 軽く二人の頭を撫でる。「子ども扱いしないでくださいよー!」と団蔵と左吉は顔を真っ赤にさせて訴えるので、今度はがしがしと乱暴に撫でてみた。「うわあああ」と目をぐるぐるさせる二人に満足して、手を戻して伸びをする。 「うーん……潮江先輩はまだなんだ。ならもう一眠りしようかなー……」 「せ、先輩、あの」 「ん? なに?」 くいくい、と団蔵が腕を引くので顔を向けると、左吉が「あの、あれ……」との後ろを指差している。視線を向けると、その先には先ほど見た、騒いでいる三木ヱ門と左門がいる。 「いい加減にしてくださいよ田村先輩! 潮江先輩が来たら知りませんからね!」 「もうすぐ火器の大会なんだぞ! チームメイトと心を通わせるのが一番大事なんだ!」 よく分からないが、いつも通りくだらないことで喧嘩してるんだろう。が「あれがどうかしたの」と一年生に視線を戻すと、「もっとよく見てください!」と団蔵が言う。 ふむ、それならもう少しよく見てみよう……と再び騒いでいる二人に視線を向ける。そして、微かな違和感。いや、しっくりくる。いや、違和感。しかししっくりくる。それでも違和感。あれ、おかしいな。どうしてだろう。二人が喧嘩している風景はいつもと全く変わらないのに、なぜかどこか引っかかる。それが分からなくて唸っていると、今度は左吉が声を上げた。 「ユリコです、ユリコ! 田村先輩、ユリコを持ち込んでるんです!」 「へ? ……あ、ほんとだ」 今までの不可解な違和感の正体に気づいて、おおっとは納得する。この狭い部屋の中、なぜか三木ヱ門の隣にはユリコがちょこんと鎮座しているのだ。あまりにいつも見ている風景すぎて気づかなかった。 「……どしたの、ユリコ」 「田村先輩が、火器の大会が近いからいつも一緒にいないと! とか言って……」 「ああ、まぁいつものことと言えばいつものことだね……」 「でも、潮江先輩が見たらきっと怒ります。先輩、なんとかしてくださいませんか?」 「そうだね……。うん、分かった」 よいしょっ、とは立ち上がり、三木ヱ門に向かって歩き出した。 「田村先輩、頑固だからなー、納得するかな」 を見送りながら左吉が首を傾げる隣で、団蔵は軽く肩をすくめる。 「大丈夫だろ、先輩なら。潮江先輩ほど横暴じゃないけど、先輩も怒ったらかなり怖いから」 「そうだよな、怒るときは手が出るもんな、先輩」 うんうんと頷く二人の視線の先、が三木ヱ門と左門の前に辿り着く。の存在に気づいて、左門がほっとした顔になり、三木ヱ門が「あれ、先輩」と声を上げる。 「どうしたんですか、先輩は寝てらっしゃったんじゃ……あ、こら一年坊主、先輩を起こしたな!?」 うわ矛先がこっちに! と左吉と団蔵はびくっと身を引く。三木ヱ門はを寝かせておこうと気遣っていたらしいが、なら喧嘩なんかするなユリコなんか持ち込むな、と一年生二人は思う。 「まったく、先輩は昨日実習で疲れてらっしゃるんだ。委員会が始まるまでは寝て頂こうと──」 「ねぇ三木」 が名を呼んだ途端、三木ヱ門は「はいっ」とに顔を向ける。その横をぱたぱたと左門が駆けてきて、団蔵と左吉の隣に並ぶ。 「心配してくれたんだ、ありがとう。それにしてもよく実習だって知ってたね」 「いいえ先輩、後輩として当然です! 実習のことは、同級生に聞いたんです。お体大丈夫ですか!?」 これから怒られることに気づいていないのだろう、三木ヱ門は妙に嬉しそうにしている。なんか子犬みたいだ……と見ている下級生はそう思う。 「うん、大丈夫だよ。……それでね、三木」 「はいっ!」 なにを期待しているのか、気合いの入った答えと共に、三木ヱ門は嬉しそうにの言葉を待つ。はそのまますたすたと三木ヱ門の隣を通り過ぎて、ぽん、とユリコに手を置いた。 「なんでユリコ連れてきちゃったの?」 「へ?」 「駄目でしょ、ユリコをこんなとこまで連れて来ちゃ」 「……は、……す、すみません! つい!」 「ついじゃないでしょ、言い訳しない!」 「はい、すみません!」 の勢いに、三木ヱ門はたじたじになって身を引く。おおさすが先輩、と下級生達は心の中で拍手を送る。 「田村先輩の悪いところだよな、石火矢への愛が尋常じゃない」 「石火矢に名前付けるのはともかく、連れて歩くんだもん。しかもこうと決めたら人の話なんて聞かないし」 「そもそもユリコ、どうやって庭から長屋に上がったんだ」 「そりゃ田村先輩が抱えて上がったんだろ」 口々に言う下級生の前で、三木ヱ門はまだに叱られ続けている。 「いくら一緒に居たくても、規則は守らなきゃ駄目よ。三木だけじゃなくてユリコも怒られるんだから」 「すみません……」 「ほら三木、ユリコは庭に戻してあげなさい。ユリコも委員会が終わるまで待っててくれるわよ」 「分かりました。……ユリコ、ごめんな」 少し気落ちした様子で、三木ヱ門は素直にユリコを引っ張る。 「三木、手伝ってあげる。ユリコ重いでしょ」 「あ、……ありがとうございます」 がその後に続き、二人はユリコを連れて部屋を出て行った。 すぐに解決してしまった事態に、下級生はぽかんとした後、おおお、と感嘆のため息を吐く。 「すごいなー、あの田村先輩がすごく素直だ」 「先輩、ユリコをちゃんと認めてるよな。ユリコを立てて説得すれば、田村先輩も分かってくれるのかな」 「無理だろ、僕たちがなにを言っても『お前達にユリコのなにが分かるんだー!』って返されるのがオチだよ」 「容易に想像出来るな、それ」 互いに頷き合った後、三人はようやく去った危機にほっと胸を撫で下ろす。そして、安心してそのまま雑談へと移っていった。 と三木ヱ門はユリコを近くの庭に下ろし、木陰へと連れて行った。もう放課後だからあまり気にしなくてもいいかもしれないが、鉄製のユリコは日光に当たると熱が凄い。 「ユリコはやっぱり重いねー。三木はいつも連れて歩いてるけど、大変じゃないの?」 「いえ、ユリコは軽い方ですよ。鹿子なんて私一人じゃ持ち歩けませんから」 三木ヱ門はポンポンとユリコの筒を撫でて、「ユリコ、委員会が終わるまでちょっと待っててくれよな」と声をかける。 「確かにそうね。一緒にいれば筋力も鍛えられるってことか」 「はいっ。ユリコは私の良い相棒ですから!」 本当に嬉しそうに、よしよしと三木ヱ門はユリコを優しく撫でる。先ほどまで叱られて落ち込んでいたのに、今はもうすっかり上機嫌だった。まるで自分の子どもを可愛がる過保護の親みたいに見える。本当に好きなんだなぁ、とはその様子を微笑ましく見ながら、ふと気づく。 「そういえば三木って、ユリコとかさち子とか春子とか、火器に女の子の名前つけるよね。なんで?」 「ああ、それはですね」 三木ヱ門はユリコを撫でていた手でぐっと握り拳を作り、強い口調で言い切った。 「野郎の名前なんか絶対つけたくないからです!」 「……ぶっ」 分かりやすい理由に、は思わず噴き出す。健全な男子なら、そう思うのが当然だろう。 「あはははは、そりゃそうよね。『滝夜叉丸』とかつけたら萎えるわよね」 「ちょ……! 気持ち悪いこと言わないでくださいよ、先輩! あいつの名前なんて絶対嫌ですよ!」 「そうだよね、気に入ってる武具には好きな名前をつけたいよね」 言いながら、は腰元から手裏剣を取り出す。がいつも持ち歩いているものだ。 「私も、名前をつけるとしたら好みの男の子の名前がいいな。それか、美青年とか。あ、でも可愛い女の子の名前も悪くないけどね」 「こ、好みですか」 「まぁ、美青年とか可愛い女の子らしい名前がどんなのかはイマイチ分かんないけどね」 そういえば滝夜叉丸も『輪子』ってつけてたねー、と笑いながら、は手裏剣を元に戻す。 「さ、三木、戻ろう。そろそろ潮江先輩が来てると思うし」 「…………」 声をかけたのに、三木ヱ門はじっと何かを考え込んでいる。どうしたんだろう、とはその顔を覗き込む。 「三木?」 「あ、す、すみません先輩」 「別にいいけど、やっぱりユリコが心配?」 三木ヱ門は本当に火器が好きだし、気持ちは分からないでもないが、それでも規則は規則だ。こればっかりは諦めてもらうしかない。 「あ、いえ……ユリコのことはいいんです。なんでもないです」 「そう? じゃあ戻ろっか」 「はい」 なにか微妙に考え込んでいる三木ヱ門を連れて、は会計委員室へと戻る。 中の雰囲気がざわざわしているので、もう文次郎も来ているのだろう。そう思いながら引き戸を開けた瞬間、 「遅刻とはなんだ、たるんどるぞ三木ヱ門、ーーーー!」 大声と共に算盤が飛んできた。 「うわっ!」 三木ヱ門が慌てて算盤を受け止めるが、無論それは会計委員の十キロ算盤だ。重さに体勢を崩しそうになっている三木ヱ門を片手で支えてから、は勢いよく部屋の中に叫び返す。 「なんですか潮江先輩、私達遅刻なんてしてませんよ!」 「言い訳無用! どんな理由があろうとも、集合時間に着席してない者は遅刻だ! 算盤持って廊下に立ってろ!」 「お断りします、罰を受ける謂れはありませんから! つーか納得出来るわけないでしょうが!」 「なんだと、委員長の俺に向かっていい度胸だ、表に出ろコラーー!」 「望むところですーーー!」 うああああ先輩と潮江先輩なにしてんですかー! と下級生達が止めに入る。その大乱闘の予感に、部屋の外で算盤を抱えていた三木ヱ門も慌てて部屋の中に飛び込んだ。 と文次郎の取っ組み合いはすんでのところで後輩達によって止められ、何事もなかったかのように委員会活動は始まった。帳簿の整理に、学級費の試算、次期予算会議の予算枠の基礎案。それぞれが真面目に作業に取り組んでいるところだけを見れば、まともな委員会のそれなのだが。 「潮江先輩、僕たちの分は終わりましたー」 「僕も終わりました、先輩」 「ああ、ご苦労」 下級生達が帳簿を文次郎に渡して、仕上がりの確認を受けている。「お前はもう少し読める字を書け」と団蔵が幾度目かの注意を受け、「最近はこれを個性だと主張しようと思ってるんです」と真顔で答えて軽く頭をはたかれている。 「ん、まあいいだろ」 「では、次はなにをしたらいいですか?」 「お前達の仕事はもうない。先に帰っていいぞ」 「えぇ!?」 「ほんとですか!?」 「いいんですかーー!?」 真夜中まで続くこともある委員会活動だが、今日はまだかなり早い。嬉しそうな顔の下級生達に、「ああ」と文次郎は頷く。 「校庭十周してからな」 『なーーーーーーー!』 付け足された言葉に一度は声を上げたものの、そのくらいで済むならマシだと思ったのか、下級生はそそくさと帰り支度をする。 「じゃあ、お先に失礼しますね、先輩方」 「うん、みんなお疲れ様ー」 「次は明後日だ、忘れるなよ」 『はーい!』 早く帰れるのが嬉しいのだろう、下級生達は軽やかな足取りで部屋を出て行く。「さっさと走って帰るぞお前達、僕についてこい!」「ああ神崎先輩、そっちは校庭じゃないですよー!」「なにか言ったかー? 早くしないと帰れなくなるぞー」「ですからそっちは校庭じゃないんですってばーー!」「神崎先輩に先導されると余計帰るのが遅くなるー!」といつもの喧噪がバタバタと去って行く。 良くも悪くも騒がしい下級生がいなくなり、上級生だけが残された部屋はしんと静まり返る。 「おい」 「なんですか、潮江先輩」 「以前頼んでおいた備品の管理表なんだが、出来たか?」 「ええ、今お見せします。実は少し問題が……」 顔を付き合わせれば喧嘩をしているように見えるが、仕事をしている時はも文次郎も至って真面目だ。先輩二人の声を聞きながら、三木ヱ門は帳簿の整理を続ける。 「ここなんですけど、用具委員から作法委員に管理が変わった品が幾つかあるので、それを修正する必要があるんです」 「そうだな、作り直した方が良いか」 「はい、これからも管理が変更になることがあるかもしれませんし。これを機に枠組を作っておいたほうが、後々楽になると思います」 もう日はすでに落ちている。燃やした油が照らす部屋の中は、作業に支障はないが決して明るくはない。薄暗さと静けさと自分以外の二人が真面目に話し合っているので、なんとなく三木ヱ門は孤独を感じる。 ユリコ、待っててくれてるかな。と連れていた石火矢のことを考える。木陰に置いてきたし、今日は月明かりがここからでも分かるくらいに空は晴れている。雨の心配も無いし、大丈夫だろう。ユリコはきっと元気だ。 そこまで考えてから、ふと三木ヱ門はと一緒にユリコを庭に連れて行った時のことを思い出す。に、火器に女の子の名前を付けるのはどうしてか、と聞かれたことだ。 『私も、名前をつけるとしたら好みの男の子の名前がいいな』 ……好みの男の子。 その言葉を気にするなという方が無理だろう。先輩が言う好みの男の子って、一体どんな奴なんだろうか。三木ヱ門は憂鬱に考える。それとも、もう特定の想う相手がいるんだろうか。その相手の名を、もしが先ほど見せたような手裏剣につけたとしたら。 ──正直なところ嫉妬というよりも、純粋にただただ羨ましい。 三木ヱ門にとって、は本当に一方的な片恋相手だ。から見て三木ヱ門はただの後輩で、恐らく眼中にないに等しい。だから、が少しでも興味を惹かれるものは無条件で気になるし、羨ましい。 たった一つだけの年の差が、とてももどかしい。同学年だったら好きになってもらえたのかと言うと、そんなことはないだろうが、それでもが三木ヱ門を子ども扱いすることはないだろう。少なくとも、そういう対象の異性として見てくれるはずだ。 (……駄目だ、先輩のせいにしてる) 本当は分かってる。年下だからじゃない。が振り向いてくれないのは、自分に魅力がないからだ。それこそ、にとって自分が『好みの男の子』じゃないというだけの話だ。 ……なんだか物凄く落ち込んできた。 駄目だ駄目だ、と思いながらも気分は晴れない。最後の帳簿を棚に戻して、三木ヱ門は軽くため息を吐き、立ち上がる。 「潮江先輩、帳簿の整理は終わりました。過去のものも調べましたけど、特に抜けはありませんでした」 「ああ、ご苦労。お前ももう帰っていいぞ」 「え、でも……先輩方はまだ残られるんでしょう、お手伝いします」 「構わん、がいればすぐ終わる。休めるときに休むのも忍者として大切だぞ」 「私達のことは気にしなくていいよ、三木。こんなに早く終わるの珍しいし」 文次郎の隣で、も頷く。正直に言えばむしろ二人きりにさせたくないというかつまり私は役に立たないというか頼りないというかやっぱり子ども扱いなんですね……と三木ヱ門はずーんと落ち込む。けれどこれも(とついでに文次郎)の優しさなのは間違いない。ユリコを倉庫に戻してやらねばならないし、今日のところはもう帰ろう、と三木ヱ門は重い心中のままそう決める。 「……はい。ではお先に失礼します、先輩、潮江先輩」 「うん、またね三木」 「次は明後日だからな、三木ヱ門。今度は遅れるなよ」 「ですから、今日は遅れたんじゃないですってば……!」 が文次郎を睨み付けるが、文次郎は素知らぬ顔をしている。三木ヱ門は二人に向けて軽く頭を下げた。 「では、お二人とも失礼します」 「お疲れ、三木」 「ああ、またな」 三木ヱ門が戸を開けた時には、二人ともすでに作業に戻っていた。手元の帳簿に取り組んでいる二人を見ながら、戸を閉める。 これからどれだけ続けるのかは分からないが、その間ずっと二人きりなんだと思うと、気が重くなる。以前文次郎に俺に嫉妬するのは筋違いだみたいなことを言われたが、それが本当かどうかなんて三木ヱ門に判断する術はないし、そもそもそういう意味でなくたって、と二人きりというのは無条件で羨ましい。 いいな、潮江先輩。本気でそう思う。同じ委員会でに定期的に会えるというだけでも、多分とても幸せなのに、それだけでは満足出来ない。 今日はなんだか、のことで落ち込むばかりだ。それを自覚して憂鬱になりながら、三木ヱ門は庭へと降りて、ユリコを迎えに行った。 「ユリコってあれか、三木ヱ門の石火矢か」 「はい。大会が近いとかで、いつも以上に一緒にいるみたいですよ」 文次郎の言葉に、は算盤を弾く指を止めずに答える。文次郎も同じく帳簿になにかを書き込みながら、「なるほど」と頷く。 「お前らが遅刻した理由はユリコか」 「ですから遅刻してませんってば。……ま、そうです、ユリコです。三木がユリコを部屋の中に連れてきていたので」 「……あいつも重症だな」 「潮江先輩だって人のこと言えないでしょう、学園一ギンギンに忍者してる人が」 「忍者のたまごが忍者らしくするのは当然だ」 そりゃそうか。と一瞬納得しかけて、いやいやそんなわけあるか、とは軽く首を横に振る。普通じゃない。潮江先輩の場合は絶対普通じゃない。しかしが反論するより前に、文次郎が口を開く。 「つまり、三木ヱ門が沈んでいる原因は石火矢と離れたからか。よくよく重症だな、あの火器馬鹿は」 確かに三木は少し落ち込み気味だった、とも思い出す。なんだかんだで文次郎はよく見ている。 「大会の練習で疲れてるんじゃないですか? あ、違うか。来たときはすごく元気良さそうだったし」 やっぱりユリコだろうか。引き離したのは可哀想だったかな、いやでもこればっかりは仕方ないし、とが思っていると、文次郎が筆を置いてじろりとを睨む。 「お前、なにか三木ヱ門に言ったんじゃないだろうな」 「は? ちょっと、人のせいにしないでくださいよ。潮江先輩にならともかく、三木は私にとって可愛い可愛い後輩なんですから、いじめたりしません」 「お前のその言葉だけで、三木ヱ門はたぶんさらに落ち込むぞ」 「意味が全然分からないんですけど、それどういう趣向の嫌がらせですか」 「その言葉もだ」 「……潮江先輩、言動の意味が分かりかねるんですけど」 そんなに三木が沈んでいた理由を私にしたいのか、とはむっとする。先ほど言ったとおり、三木ヱ門はにとって大切な可愛い後輩の一人だ。意識して落ち込ませようと思ったことなど一度もない。 「怒りますよ潮江先輩。私だって三木が落ち込んでるのは心配なんですからね」 「ふむ。それを三木ヱ門に言えば多少回復するんじゃないのか」 「どーしてさっきから私の言動が主体なんですか」 「さぁな。少しは自分で考えてみたらどうだ」 「なんですかその『馬鹿には説明しても分からん』とでも言いたげな顔は!」 「その通りだ」 「……潮江先輩……後でお話があるんですけど、厠の裏に来て頂けませんか……?」 「その仕事が終わったらな」 「約束ですよ、逃げな…………、ん?」 は急に近づいてくる気配に気づいて、顔を上げる。文次郎も気づいたのか引き戸に目を向けたその瞬間、ばしん、とすごい勢いで戸が開いた。顔を出したのは、先ほどまで会話の中心だった三木ヱ門。なにかあったのか真っ青な顔で、と文次郎に向かって大声で叫んだ。 「先輩、ユリコが……ユリコがどこにもいないんです!!!」 間。 「……は? ユリコ?」 「ユリコ? え、いないの!?」 数秒後、ようやく意味が理解出来た文次郎とが聞き返すと、もはや涙目に近い三木ヱ門は、ぶんぶんと凄い勢いで首を縦に振る。 「そうなんです! 先輩と連れて行った木陰に、いなかったんです! 近くの草の影とか探してみたけどどこにも全然見あたらなくて……どどどどうすれば、私はどうすればーー!」 「ちょ、三木、落ち着いて!」 「あああユリコがいないなんて! ユリコーーー!」 パニック寸前になっている三木ヱ門に、は慌てて駆け寄る。ほとんど泣きそうな三木ヱ門の背中を撫でて落ち着かせようとしながら、も内心少し焦っていた。いないってどういうことだ、火器が勝手に歩くはずがないし、木陰の下に置いたからそんなに目立つはずもないのに。まさか三木に嫌がらせするために誰かがどうにかしたとは思えないし、きっと見かけた人が倉庫に戻そうとして連れて行ったんだろう。 「落ち着いて三木、大丈夫よ。学園の中なんだしきっと見つかるよ」 「うう……でも、それならユリコはどこに……」 心細そうな泣き声で、三木ヱ門はを見上げる。そんな目で見ないで欲しい、とは困り果てて文次郎に視線を向ける。『潮江先輩、私三木を手伝って探しに行きたいんですけど』と目で訴えると、文次郎は面倒くさそうにと三木ヱ門に視線を向けた後、やれやれとため息を吐いた。 「、もう仕事はいい。そいつを手伝ってユリコを探してやれ」 「いいんですか!?」 が思わず聞き返すと、文次郎は「二度言わんぞ、さっさと行け」と顎で外を指す。は手早く自分が広げた机の上を片付けると、呆然としている三木ヱ門の腕を勢いよく引っ張った。 「ほら三木、私も一緒に探すから、行こう!」 「で、でも、先輩」 「心配なんでしょ、早く見つけてあげようよ!」 「は……はいっ!! ありがとうございます!」 三木ヱ門は立ち上がり、に引かれるままに部屋を飛び出す。下級生達が去った時と同じどたばたという喧噪が去って行き、一人残された文次郎はまたため息を吐く。 「戸ぐらい閉めていけ、まったく……」 →二話『火器について思うこと』後編 |