不破雷蔵夢
五話『望まない自覚』後編





「……あ」

 わけの分からない思考は、突然に雷蔵が上げた声で破られた。も顔を上げて雷蔵の視線の先を辿り、「あ」と続けて声を上げる。雷蔵との視線の先に、ぱたりと一人の忍たまが倒れている。おそらくくのたまとの戦いに敗れたのだろう、なんというかこう、放置された雑巾のような、とにかくぼろっとした酷い有様だ。
 二人して慌てて駆け寄ると、倒れていた忍たまは八左ヱ門だった。目立った出血はないようだが、疲労した様子でぐったりとしていて、おまけに最後に踏み台にでもされたのか、背中と頭にくっきりと足跡が残っているのが痛々しい。
「うわ……八左ヱ門、大分酷いね……」
「う、……ら、雷蔵か?」
「八左ヱ門、大丈夫?」
 介抱しようとする雷蔵の隣で、は恐る恐る声をかける。すると突然びくっと八左ヱ門が身を震わせ、勢い良く顔を上げた。
「女子の声!」
「……え?」
 起き上がった八左ヱ門は、の姿を見て即座に雷蔵の後ろに身を隠した。ぽかんとしている二人を置いて、八左ヱ門はを警戒するように低く唸る。まるで犬かなにかのようだ。
「……どうしたの、八左ヱ門」
「俺は、くのたまは絶対信用しないことに決めたんだよ! いつ火矢投げられるか毒仕込まれるか分からないからな!」
 どうやら本気で酷くやられたらしい。恨むー恨むーと呪詛の込められた視線を向けられて、は軽く引く。誰だろう、ここまで追い詰めたくのたまは。
「や、やめなよ八左ヱ門。は八左ヱ門の相手じゃないだろう」
「そんなん関係ねー! こいつら全員で結託するくらい朝飯前だ絶対!」
 どれほど怖い目に遭ったのか、八左ヱ門は雷蔵にしがみついて離れない。は一応「してないよ……?」と言っておいたが、やはり八左ヱ門の耳には届かなかった。
「てか、なんでお前らここに二人でいるんだよ。雷蔵の相手、か?」
「うん、そうだよ。もう終わったけどね」
 ほら、と雷蔵が背中に隠れたままの八左ヱ門を少し強引に離す。さすがに八左ヱ門もそれ以上は続けようとせず、渋々と身を引いた。もちろん、から十分な距離を取ることは忘れなかったが。
「で、勝ったのか雷蔵。……勝ったよな? くのたまに負けてないよな?」
「や、負けちゃったよ」
 あははと苦笑する雷蔵に、八左ヱ門は頬をひきつらせる。次に、じとーっとした視線をに向け、また雷蔵に戻す。
「あーあー、そうだろうとも! なんせ相手はだもんな! そりゃ勝てないよなお前は!」
「ち、違うよ、ていうかなに言ってんの! そもそも僕がに敵うわけないだろ!」
「まったく、みんなしてくのたまに負けるなんて情けないにも程があるー! 男の沽券はどこいったー!」
「こ、こら八左ヱ門、いい加減にしなってば。仕方ないじゃないか、お互い実習だったんだから」
 どこか慌てた様子で、雷蔵が八左ヱ門を宥めている。口を挟まないほうがいいだろうとが一歩引いて様子を見ていると、次第に八左ヱ門は雷蔵の言葉に落ち着きを取り戻し、ふうっと大きくため息を吐いた。
「あーあーもう、情けねー……」
 どうやら打撲にでもなっているらしい足を痛そうにさすりながら、八左ヱ門は疲れたように肩を落とす。雷蔵は苦笑して、軽く励ますように八左ヱ門の背を柔く叩いた。
「八左ヱ門、立てる?」
「分かんねー……。ああもう、あの女明らかに実習目的じゃねーよ、恨みを晴らすためにボコるのが目的だよ!」
「……そういえば」
 八左ヱ門の言葉に思い出して、は声を上げた。八左ヱ門の『なんだよ女子が俺になんの用だ』とでも言わんばかりの視線をそのまま受け流し、
「同級の子が言ってたよ、『男なんかみんな死ね』って。なんか特定の男子に恨みがあるみたいだったけど」
「うっ」
 さーーっと音を立てて、八左ヱ門の顔色が青くなっていく。その表情に、隣にいる雷蔵は八左ヱ門を覗き込む。
「八左ヱ門、女子になにかしたの? そういえば、『あいつに当たりませんように』とか言ってたよね」
 雷蔵の言葉に、ううう、と八左ヱ門は顔をひきつらせて身を引く。と雷蔵は一度顔を見合わせ、そして八左ヱ門に視線を戻す。
「……なにしたの?」
 雷蔵の問いに、八左ヱ門は顔をひきつらせたまま、言いにくそうに答えた。
「い、いや……ただ、廊下を歩く音で体重が分かったから、大声で聞いて確かめたら怒った」
『そりゃ八左ヱ門が悪いよ』
 と雷蔵の声が重なる。八左ヱ門も多少は自分が悪いと分かっているのか、ばつの悪そうな顔で僅かに視線をそらす。
「そ、そーだよ、悪いのは俺だよ! でもな、いくらなんでも穴に蹴り落として焙烙火矢投げ入れるか!? 下手しなくても死んでるだろ!」
 しかしそれをまともに受けた跡が見えないということは、八左ヱ門もぎりぎりで逃げるかなにかしたのだろう。その恐怖だけはしっかりと残っているようだが。
「大体それ十日くらい前の話だぞ、いくらなんでももういいだろ! えげつないだろ!」
 雷蔵は軽くため息を吐き、はようやく同級生の様子に納得する。そりゃどの女子だって怒るだろう。
「それで八左ヱ門、謝ったの?」
 少し困った顔で雷蔵が尋ねる言葉に、八左ヱ門はげんなりとした様子になる。
「そりゃ最初はな。でもあいつ聞きゃしねーんだよ。おかげで実習にかこつけてボコられるし」
「そっか。ならもうすっきりしてるだろうから、あと一回謝ったらきっと許してくれるよ」
「俺完全に割に合わなくないか……!?」
 どこまで贅沢なんだ女はー! と喚く八左ヱ門を「八左ヱ門も悪いんだから」と宥める雷蔵に、ちくり、と唐突にの胸に小さな痛みが走る。なんだろう。また、あの不可解な痛み。それに戸惑っていると、そろそろ気が済んだのか諦めたのか、八左ヱ門が立ち上がろうとしている。
「痛っ、……くそー、手加減なしに殴りやがって」
「肩貸すよ八左ヱ門、ほら」
「うう、雷蔵は優しいよなぁ。乱暴なくのたまとは大違いだ」
「もうやめなよ八左ヱ門。そもそも実習だったんだし、仕方ないよ」
「いーや、明らかにあいつは俺を殺そうとしてた。くのたまなんか女じゃねーよ」
「こら、もうやめなってば」
 多分すぐ傍にいるを気遣ってだろう、雷蔵がそう窘める。はその様子をぼうっと見つめながら、自分もつられるように立ち上がった。
 雷蔵が肩を貸そうとしても、足を痛めてるせいか八左ヱ門はぐらりとよろける。雷蔵は苦笑して、「仕方ないね」と八左ヱ門を背負おうとする。
「うう、ありがとうな雷蔵……俺雷蔵を嫁にするからな」
「……そんなこと言ってると落とすよ、八左ヱ門」
 言いつつも、雷蔵は傷を気にかけた手つきで、八左ヱ門を背負う。痛まないように、傷口に触れないようにと他人を労る、雷蔵のその手の仕草が。

 以前が怪我をした時に差し伸べられた雷蔵の手と、全く同じもので。



 ──ぎゅう、と。心臓を掴まれたような強い痛みが走った。





 今まで幾度も感じたその痛み。
 雷蔵が優しいのだと気づく度に響く痛み。
 なぜだか分からなくて、悩んでいた痛み。


「……? どうしたの?」
 雷蔵に声をかけられて、は自分が固まっていたことに気づく。なんでもないと言おうとして、けれどそれが出来ない。声が出ない。胸に響く痛みが、消えてくれない。
「ごめん。俺、言い過ぎた」
 が先程言った言葉に傷ついたと思ったのか、八左ヱ門が焦ったように言う。先程までくのたまなんてと散々文句を言っていた八左ヱ門がそう言うくらいだ、私は今酷い顔をしているんだろうと、はそう理解する。
「……ううん、気にしてない。大丈夫」
 それだけは、口に出来た。けれど声は掠れていて、小さく震えていた。胸がざわつく。近づいてくる感情の渦が、──抑えきれない。
「や、でも──」
、どうしたの」
 さすがに怪訝に思ったのか、雷蔵が八左ヱ門を背負ったままに近づこうとする。その顔がいつものように他人を気遣う優しいもので、の胸がまた痛む。
「大丈夫だから!」
 思わず叫ぶと、雷蔵はぴたりと動きを止める。
「ほんとに大丈夫だから……気にしないで」
 はそれだけをようやく口にして、逃げるように二人に背を向け、走り出す。
!?」
「え、!? ちょ、雷蔵、落ちる!」
「あ、ごめん……、待って! !」
 焦った雷蔵の声を背中に聞きながら、はひたすらに山の中を駆けた。八左ヱ門を背負っている雷蔵が追いつけないほどの、全力の早さで。

 ──どうしよう。

 別に八左ヱ門の言葉に傷ついたわけじゃない。くのたまなんてと八左ヱ門が言うのも分かるのだ。仕方ないと思う。
 そうじゃない、そうじゃなくて、そんなことじゃなくて。

 胸が痛い。
 ずっと前から不思議に思っていた、雷蔵を前にするとたまに走るあの胸の痛み。その正体が理解出来た。自分以外に親切にしている雷蔵を見て、理解してしまった。

 雷蔵は優しい。それはずっと前から知っている。他人を気遣って、見返りがなくても助けて、自分のことはほとんど顧みなくて、他人がなにをしてもいつだって許してくれて──。
 それが、その雷蔵の優しさが。


 私には、とても嫌だ。


 違う──!
 唖然とする。そんな考えが自分の中にあることを必死で否定する。雷蔵が優しいのがどうして悪いのか。今まで幾度も優しい雷蔵に救われてきたのに、雷蔵の優しさは確かに忍者としてはふさわしくないかもしれない、けれど人として尊敬すべき長所だ、本当にそうだと心から思う、それなのに!
 ──足を止め、拳を作って強く握りしめる。他人の優しさが気に食わないなんて、そんなことを考える自分に、酷く腹が立つ。
 雷蔵のあの優しさは本当に昔から尊敬してきたし、事実何度も助けられてきた。山にまで助けに来てくれて! 穴に落ちるのを庇ってくれて! それなのに!

 突然悟った自分の気持ちに動揺して、は視線を地面に向ける。雷蔵。雷蔵。雷蔵。ごめんね。
 伝わらないと理解していて尚、は雷蔵に謝り続ける。自分の心境が酷く厭わしくて、それを取り払うように謝り続ける。
 けれど確かに湧き上がる、暗い感情。憎しみにも似た怒りの想い。独占欲。

 雷蔵に優しくされることは嬉しいのに。雷蔵が優しい人だということは尊敬しているのに、なのに、
 誰にでも優しい雷蔵を見るのが、嫌だ。
 とても嫌だ。


 そしてそれは、




 ──私が、雷蔵を好きだからだ!






























「……
 去って行ったの姿は、すぐに見えなくなった。呆然と雷蔵が呟くその背中で、八左ヱ門が慌てた様子で口を開く。
「ごめんな雷蔵、俺のせいだな」
「……違うと思う。はそんなことで怒らないから」
 今まで付き合ってきて、それだけは言える。は少なくとも、怒るならあんな怒り方はしない。
 それに、先程のの表情は怒りではなかった。あえていうなら困惑、そして、痛み。
 傷ついた? そうだ、それなら分かる。……傷ついた? 八左ヱ門が『くのたまなんか女じゃない』と言ったから?
「…………そうなのか?」
「雷蔵? なぁ、俺後で謝っとくよ。ごめんな、お前が好きなのに」
「…………」
 八左ヱ門の言葉に、返事をすることは出来なかった。
 けれどいくら考えても、が八左ヱ門の言った言葉にそれほどに反応するとは思えない。少なくとも、あれは怒りじゃない。……じゃあ、どうして。
「……帰ろうか、八左ヱ門」
「いいのか? なんなら置いてっていいから追いかけてくれよ」
「いいよ。……多分にはもう追いつけない」
 八左ヱ門を背負い直して、雷蔵は歩き出す。重い胸中に、顔が歪む。
 もし知らずにを傷つけたのだとしても、その理由が分からない。分からないままにを追っても、きっとなにも言えないまま終わる。それに──

 まるで、近づかないでと言うように叫ばれた、の震えた声音が胸を突く。

 胸が軋むように痛む。もし嫌われていたらと、そう思うだけで耐えられなくなる。
 自分がを追いかけないのは、きっと、


 それを確かめるのが怖いからだ。




















 終

 →六話『拒絶』