七松小平太夢
『猛犬取り扱い方法』前編
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「先輩、お願いします! 七松先輩をなんとかしてください!!」 開口一番叫ばれた言葉には、血の滲むような切実さが込められていた。 休日の昼下がり。 ぽかぽか陽気に誘われて、私があてもなくぶらぶらと学園内を歩いていたときだ。 後ろからばたばたと走ってくる音がしたと思ったら、突然にがしっと腕を掴まれた。慌てて振り向くと、そこに居たのは四年生の滝夜叉丸。どうしたの、と聞こうとした私よりも早く、滝夜叉丸が言ったのが冒頭の台詞だ。 性格はカス、自分が一番好きな自惚れ屋、成績は良いけど人間的にいただけない、など数々の悪評を持つ滝夜叉丸が、今は自尊心などに構っていられるかという勢いで必死に私に助けを求めている。 その表情は『せっぱ詰まっている』とありありと分かるもので、いつもは綺麗な顔立ちなのに、今は憔悴しきってまるで文次郎みたいに隈と疲労感が濃く滲み出ている。サラストランキング二位にも選ばれた自慢の髪には艶がないし、なによりも手や足や首に軽く包帯が巻かれているのが痛々しい。 ……うん。 「だいたい言いたいことは分かるんだけど、どうしたの?」 とりあえずと滝夜叉丸を通り道の端に連れて行って訊ねると、滝夜叉丸はさっきの必死さを恥じるように、私から少し視線を逸らす。 「……見苦しいところをお見せしてすみません、先輩。ですがこれは、我々体育委員の生死がかかった問題なのです」 「うん。つまりこへがすごく無茶なことしてるんだよね?」 「その通りです!!」 簡潔に言うと、滝夜叉丸は大きく首を縦に振って、私に一歩身を乗り出してきた。近づいて分かったけど、隈が出来ているどころか顔色も唇の色もかなり悪い。こへが無茶するのはいつものことだけど、こうして疲れてる身体を押してまで私を探しに来ているのだから、それはもう我慢の限界なのだろう。 「えと、具体的にはなにしたの?」 聞いてみると、待ってましたと言わんばかりに滝夜叉丸は拳を強く握って語り出す。呪詛のこもったような低い声で、 「昨日の夜中に体育委員全員集合だと叩き起こされて、遠くの山まで塹壕掘りながら突き進み、川を渡り谷を越えてときには崖から滑り落ちときには意味もなく木登りをさせられて、疲労しきって気絶した下級生を背負ってすぐ迷子になるアホな後輩を引きずって」 「…………」 ああ、目にありありと情景が浮かぶ。 「道なき道を突き進んだおかげで委員は皆傷だらけに疲労困憊、帰り道は掘ってきた塹壕を埋め戻し、川の近くの泥沼で匍匐前進、あまつさえよーし学園まで競争だ、負けた奴は全員学園の周りを十週な、と朗らかな笑顔でお一人だけ元気満々な委員長に殺意を抱きつつもなにもしなかった私は良い後輩だと自画自賛したのですが、先輩はどう思われますか?」 「滝夜叉丸、顔が近いよ、顔が」 気合いが入りすぎてどんどん近づいてくる滝夜叉丸に、その気迫にちょっと引きつつも軽く肩を押し戻す。滝夜叉丸は素直に「失礼しました」と身を離して、それからじっと私を見つめた。 「私と三之助はともかく、金吾と四郎兵衛は未だに気絶したまま目も覚ましません。しかも満身創痍の身の上で委員全員を引っ張って医務室に連れて行ったこの私が、なぜか保健委員長の善法寺先輩に無茶するなと叱られる始末!」 「こ、こへはなんでいないの」 「学園に着いたと同時に、私は自主トレの続きするからこいつらよろしくな滝夜叉丸、と鍛錬場に向かって行かれたからです……!」 ああ、それは酷い。こへが悪い。 「今まで耐えてきましたが、さすがにもう限界です。こんなことがこれからも頻繁にあったら、トレーニングどころか完全に身体を壊してしまいます!」 うん、言いたいことは分かるんだけど。 「ですから、先輩!!」 ぐっと気合いを込めてまた私に身を乗り出す滝夜叉丸に、その言葉を遮って先に言った。 「でもね滝夜叉丸。私がなにか言ったところで、あのこへがどうにかなると思う?」 ぴたりと、滝夜叉丸は一瞬身体の動きを止めて、それから身を引いて息を吐いた。やれやれと、 「では先輩は、私が七松先輩に進言すれば聞き届けてくださると、そうお思いなのですか?」 「いやそりゃ無理だろうけどね」 「そうでしょう? 私がどれだけ言ったところで、七松先輩が耳を貸すなんて有り得ないんです」 やさぐれとでも表現出来そうな、怒ったような呆れたようなちょっと拗ねたような顔。滝夜叉丸は「大体」と私を少しだけ睨むように視線を向ける。 「七松先輩は先生方が注意してもほとんどお聞きにならないんです。もう先輩にお願いする以外に、私達体育委員に残された道はありません」 きっぱり言われて、どう返そうかと少し困った。そりゃ委員達があまりにも可哀想だと思うし、出来ることならなんとかしてあげたいけど、 「でもね……やっぱり私がなにか言ったところで、こへがどうにかなると思えないんだけど」 「七松先輩は、先輩が頼むことならなんでもお聞きになるじゃないですか」 「私が休日に部屋にいたら、無理矢理自主トレに連れ出されて嫌がってるの、知ってるよね?」 「それでも私達よりずっとマシです! 私達は寝ていようが風呂に入っていようが食堂にいようが自習していようが厠にいようが、お構いなしに連れ出されるんですから!」 ああ、これは相当に頭に来てる。普段目上には相応の礼儀を欠かさない滝夜叉丸が、軽く激高してる。 滝夜叉丸は業を煮やしたようにぐっと私の手を掴んで、縋るような瞳を向ける。 「お願いします、先輩!! このままでは七松先輩が卒業される前に、…………私達が死にます」 ぽつりと言われた言葉のあまりの真剣さに、私はその勢いにほとんど呑まれるようにして頷いてしまった。 ありがとうございますと顔を輝かせて何度も私に礼を言った後、滝夜叉丸は力尽きたようにぱったりとその場に倒れてしまった。驚いて抱え上げようとしたけど、さすがに四年男子は私の手に余る。偶然近くを通りがかった長次に頼むと無言で担いで医務室に連れて行ってくれたので、有り難く長次に滝夜叉丸を任せて、私はこへの姿を探し始めた。 私とこへは恋仲だ。だから滝夜叉丸が私になんとかしてくれと言う気持ちも分からないではないけど、期待されても私にはほとんど自信がない。 こへは、確かに私に甘い。こう言うと惚気になってしまうかもしれないけど、たとえば今度の休日にどこに行きたいとかなにを食べたいとかならこへは絶対に私の意見を尊重してくれるし、逆に私が嫌だと主張することは(自主トレに無理矢理連れ出すこと以外には)絶対にしない。記念日でもなんでもないのに「似合うと思ったから」という理由だけで簪や小物をくれたりするし、言葉にしていつも「好きだ」とか「は可愛いな」とか言ってくれる。 とはいえ、だ。 今回のことはこへの大好きな『体を動かすこと』だし、そもそも私には直接関係のないことだ。 お願いするのは簡単だけど、こへが聞いてくれるかどうかと言うと、 ……自信ないなぁ。 体育委員達がいつも大変なのは知っているし、こへの人間離れした体力と持久力も今まで付き合ってきた年数分、よく理解している。その分委員達が可哀想だと本当に思うし、なんとかしてあげたいけれど。 ……やっぱり自信ないなぁ。 どう頼んだものかと悩みながら学園内を歩いていると、ふと前方から「よし、来い!」と明るい声が聞こえてきた。間違いなくこへの声。駆け足でその場に向かうと、後輩相手に稽古をつけているらしいこへの姿が見えた。接近戦の練習なのか互いに苦無を持ち合って切り結んでるけど、真剣な顔の後輩と比べてこへは余裕の顔で楽々とさばいている。周りにはまだ二人くらいそれを真面目に見学している男子達がいて、どうも今回は体育委員達のように強制させたのではなく、後輩が頼んだのかそうでなくても積極的に教えを請おうとしているらしい。 だとすると邪魔かなーとこっそり見ていると、数呼吸もしないうちに勝負がついて、こへと手合わせしていた後輩は地面に転がった。 「……参りました、七松先輩」 「おー。でも前より動きはよくなってるぞ。それと肘を固定する癖を直したほうがいいな。突かれたら今みたいに一発だ」 「はい、ありがとうございました!」 こへの助言に、後輩は素早く立ち上がって一礼する。やっぱり邪魔だから帰ろうかな、でもこへが先輩っぽいことしてるの珍しいしもう少し見ていようかな、と思っていたら、突然に「あ」と周りにいた後輩から声が上がった。 「先輩」 「ん、?」 あ、見つかった。後輩の声に、こへがくるっとこっちを見た。私の姿を見て、よー、と微笑む。 こいこいと手招かれてそっちに向かうと、こへが嬉しそうな顔でぎゅうっと私を抱き締めた。 ……一気に頭に血がのぼる。 「なななななにしてんのこへ、ちょっと、離して!」 「んー? なんだよ、いーじゃん別に」 「いいいいわけないでしょ! どこだと思ってんのー!」 というか人目があるのにやめてー! こへを本気で引き剥がそうとすると、「なんだよー、見るとべたべたしたくなるのに」とまったく悪気のない顔ながらこへは一応引いてくれる。慌ててすぐ傍の後輩達を窺うと、後輩三人は特に驚いた様子もなく淡々と、 「先輩だ」 「七松先輩と恋仲の先輩だ」 「馬鹿ップルで有名なお二人だ」 と、なにかを読み上げるように言う。ちちちちがーう! 馬鹿ップルじゃない! 少なくとも私には恥があるよ! 「それで、なんだ? 私に用事か?」 一人脳天気なこへがぽんぽん頭を叩くのを慌ててその腕を押し戻して、私はぶんぶん首を横に振る。 「よ、用事って程じゃないの。今稽古中なんでしょ? 後でいいし、もう帰るから。邪魔してごめん!」 むしろ逃げたくてそう切り上げようとしたのに、こへは「まてまて」と私の腕を掴む。 「こいつらの稽古に私が勝手に入ってただけだから、気にするな。……よし、行くか!」 最後の言葉と共に、一気に肩に担ぎ上げられた。 はい? 「じゃーなお前ら、悪いけど私抜けるぞー」 「はい、七松先輩。ありがとうございました」 「また稽古見てくださいね」 「今度は手裏剣術も教えてください、七松先輩」 「おう、いつでも言えー」 次々頭を下げる後輩達に、こへが笑って頷く。恥ずかしくてじたばたしている私をものともせず、さっさとこへは歩き出す。わーー! 揺れるー! 「七松先輩と先輩、今からどこに行かれるんだろうな」 「まず間違いなくお二人どちらかの部屋だと俺は思う」 「馬鹿ップルで有名なお二人だからな」 いやーー! なにあの認識!! また淡々と当たり前のように言う後輩達に見送られて、私は本当にこへの部屋にぽいっと放り込まれた。 →後編 |