川西左近夢
『左近と包帯』成長五年生ver






 瞼を上げた途端、ゆらりと視界が揺れた。一度、二度、瞬きをして改めてゆっくり目を開くと、薄暗い部屋が見える。
「…………ん」
「起きましたか、先輩」
 傍らで名を呼ばれて、ぼうっと頷く。のろのろした動きで身体を起こすと、衣擦れの音と共に私の肩から少し大きめの上衣が滑り落ちた。
「私、寝ちゃってたんだ……」
「ええ、すごく早かったです。気づいたら転がって寝てましたから」
 少し呆れたように言う左近が、手を伸ばして私の寝乱れた髪を直してくれる。
 まだ頭がはっきりしなくて、目をこすりながら思い出す。明日が休みだから部屋に来ませんかと左近に誘われて、私はこの部屋に来た。……でも、それからが思い出せない。お部屋に入って、確か左近がお茶を淹れてくるから少し待っててくださいって出て行って、それから……
「あ、ほんとだ。すぐ寝てる」
 記憶がないということは、つまりそこで寝てしまったということだ。数日前から今日まで突発の実習が何度かあって、少し疲労が溜まっていたせいだ。
「……ごめんね、左近」
「別に怒ってるわけじゃないですよ」
 軽く私の頭を撫でて、左近が手を離す。そこでふと左近が中着姿なのに気づいて、私はさっきまで自分の上に掛けられていた上衣が左近のものだと知った。慌てて返そうと左近に目を向けると、左近は私が起きるまで読んでいたのだろう本を抱えて、行李に直そうとしているところだった。その背には、黒い中着の下に白色が見える。右肩を中心にぐるりと覆うように巻かれた包帯。少し前に、左近が実技の授業中に負った傷だ。
「……なんですか?」
 じっと視線を向ける私に、左近が怪訝そうな顔で戻ってくる。
「ううん。……これありがとう」
 左近に上衣を返して、私はうーんと伸びをした。少し時間が経って、ようやくに頭がまともに動くようになってきた。
先輩、冷めちゃいましたけどお茶飲みますか」
「あ、うん。ありがとう」
 左近が盆から差し出してくれる湯飲みを、両手で受け取る。私が寝てしまったせいで冷えてしまっていたけど、お茶は美味しかった。左近はお茶を淹れるのが上手いから。
「左近って料理上手いよね。お茶淹れるのとかお粥作るのとか得意だし」
「茶とか粥なんて、不味く作るほうが難しいですよ」
 左近は呆れた顔をするけど、私はなにも言わずに微笑んだ。だって自分で淹れた茶や粥よりも、左近のそれのほうがずっと美味しいのは本当だから。
 一気に飲んでしまうのがもったいなくてちびちび飲んでいたら、左近も私の隣でお茶を飲みながら、ぽつりと言う。
先輩、疲れてたんですね」
「え?」
「すみませんでした」
 それだけ言って、左近はじっと手元の湯飲みに視線を向ける。一瞬なんのことだろうと考えて、それからすぐに苦笑した。左近はきっと、私が疲れてるのに部屋に呼んだことを反省してるんだろう。
「大丈夫、疲れてなんかないよ。さっき寝たし、全然平気──」
「嘘ついたら怒りますよ」
「ごめんなさい、ちょっと疲れてます」
 じろりと睨まれて、すぐに本当のことを言った。左近は保健委員だから、健康管理にはすごく厳しい。それに左近に嘘をついても、大抵の場合見破られてしまう。左近に言わせれば、私のつく嘘はすごく分かりやすいらしいから。
「じゃあ、早くお茶飲んで寝てください。……もしよかったら、ここで」
 後半の言葉は小さかったけど、ちゃんと聞こえた。うん、と微笑むと、左近はちょっとだけ顔を赤くして、立ち上がって押し入れへと向かう。それを見ながら、私は手の中のお茶を飲み干して、左近の分も一緒に湯飲みを盆に戻した。左近は押し入れから布団を出して、手早く畳の上に敷いてくれる。
「出来ましたよ、先輩」
 布団を敷き終えた左近が、振り向いて声をかけてくれる。それからすぐに立ち上がろうとする左近を、私は慌てて引き止める。
「あ、待って、左近は寝ないの?」
「僕は少し用事を済ませてから寝ますから、先に寝ててください」
「…………」
 嫌だな、と思った。左近に言った通り、今の私は少し疲れている。だから布団に入ったら、間違いなく朝まで寝てしまう。久しぶりに左近と一緒にいるのに。
 じっと懇願するように見上げると、左近はきょとんと瞬きをして、そして私の言いたいことに気づいたのか、困ったように顔をしかめた。
「……先輩。子どもじゃないんですから、素直に寝てください」
「でも、せっかく左近と一緒にいるのに」
「い、一緒じゃないですか。僕も先輩が寝たら布団に入ります」
「それ一緒って言わないよ、私寝るまで一人だよ」
 左近が私を部屋に呼んでくれたということは、少なくとも邪魔じゃないということだ。なのに先に一人で寝ろなんて、寂しい。
「お願い左近、一緒に寝て」
「……なにほんとに子どもみたいなこと言ってるんですか。聞き分けてくださいよ」
「子どもでいいから、一緒にいて」
 左近の隣まで膝を詰めてその腕を掴むと、びくっと左近が小さく震える。
 年上のくせに手がかかるから後輩みたいです、と左近は時折呆れたように私に言う。でも私はそう言われるのが嫌じゃなかった。左近はいつも、呆れながらも私の相手をしてくれるから。
「……左近、嫌?」
 だんだん不安になってきて縋るように言ってしまうと、左近は掴まれた手と私の顔とに交互に視線を向け、……はぁ、と息を吐いた。
「分かりました。……だから先に布団に入っててください」
 見るからに渋々と頷いて、左近は私が掴んでいた手を逆に掴み返して、布団の上に雑な動きで放り投げた。ぼすんと布団に倒れ込んで、私は笑顔で起き上がる。
「ありがとう、左近」
「……いいから、さっさと布団被ってください。僕は包帯替えてから寝ますから」
「はーい」
 結局は折れてくれた左近に嬉しくなって、私は手早く上衣と袴を脱ぐ。ごそごそ布団に潜り込んで顔だけ出すと、左近は薬箱を持ってきて私に背を向けて座り、中着に手をかけた。
 中着を脱いで上半身を晒すと、左近は右肩に巻かれている包帯を外していく。布団に入ったまま、私はそれをじっと見上げる。
 左近が慣れた手つきで包帯を取り外すと、包帯の下から引きつったような傷口が露出する。肩から肩甲骨を沿って一直線に走る傷。本人は、実習中に後ろからの攻撃に気づかずに負ってしまったものだと言っていたけど。
「……それ、まだ痛い?」
「いえ、痛みはもうほとんどないです。そろそろ包帯外してもいいんですけど、少し前に派手に動いたら傷口が開いてしまったので、念のために」
 左近は傷口に軟膏を塗ると、新しい包帯を取り出して巻き始める。さすが保健委員、なのだろう。包帯の端を口に咥えて、左手だけで器用に巻いていく。後ろは見えないはずなのに、背の部分の包帯も綺麗な巻きだった。
「私、手伝ってもいい?」
「せんぱいはへただからだめです」
 包帯を噛んでるためにくぐもった声で否定されて、うう、と押し黙る。私自身の怪我であっても、左近は絶対包帯を私に巻かせてくれない。
 剥き出しの左近の背には、今包帯を巻いている傷口の他にも、大小様々な傷跡がある。忍びを目指しているものならそれくらい当然だし、私にも似たようなものは幾つもある。だから珍しいものじゃないけれど、昔の左近を思い出すと、その違いに少し心が揺れた。
 左近の肌は、昔から綺麗だ。あまり日に焼けない白い肌。思わず起き上がってそっと手で触れると、左近がゆっくりと振り返る。
「……せんぱい?」
「ん……ごめん」
 左近の体温が確かに伝わってきたところで、手を離す。左近はちらりと横目で私を見て、手早く包帯を巻き終える。最後に咥えていた包帯の端ともう一つの端を結んで固定して、そして改めて私を振り向いた。
先輩?」
 包帯は、背ではなく真っ正面から見ても綺麗に巻かれていた。細身だけど筋肉のついた男のひとの身体。それをぼんやり見ていると、左近はなぜか顔を赤くして、無言でまた背を向けてしまう。
「左近」
 それを追い掛けるように左近の背に身を寄せると、乾いた包帯の感触が頬に触れる。傷のない左肩に手を回して、ぎゅっとしがみつく。すぐ傍にあると実感出来る左近の気配と匂いに、ほっとした。
「……なにやってるんですか」
「左近に触りたくなったから」
「な、なにやってるんですか本当に!」
 耳まで真っ赤になって、左近はちょっと無理矢理に私の肩を掴んで引き離した。温もりが遠くなって顔を曇らせると、左近が「う」と赤くなったまま呻く。
 手を伸ばして左近の腕に触れると、左近は一瞬身を引きかけたけど、もうあからさまな拒絶はしなかった。私は少しの距離を詰めて、今度は正面から左近に身を寄せる。
 どくどくと、体温と一緒に左近の鼓動が伝わってくる。左近は諦めてくれたのか、やれやれと私の肩に手を伸ばしてやんわり抱き締めてくれる。
 お互いに下着姿同然だったから、相手の熱がすごくよく分かる。久しぶりに左近の肌に触れて、なんだかきゅんと胸が締め付けられた。
「左近」
「……なんですか」
「構ってください」
 言いながらぎゅっと左近の肩口に頬を押しつけると、左近が息を呑むのが分かる。構ってくれと私が言うのは、遠回しに抱いて欲しいという誘いだからだ。
「…………言うと思いました」
 左近はなんだか疲れたみたいに呟いて、私の頬に触れて顔を上げさせる。近い距離にある左近の顔は、怒ったような呆れたような困ったような、複雑な表情だった。
先輩、眠りたいんでしょう」
「うん。でも左近にも構ってほしい」
「包帯替えたばかりなんですけど、したらまた巻き直すことになるじゃないですか」
「うん」
「大体、抑えるために包帯替えたんですけど、それ絶対分かってないですよね」
「だめ?」
「…………結局何年経っても、先輩は変わらないんですね」
 なんだかぶつぶつと言いながら、左近は手を伸ばして私を包み込み、そのまま布団の上に押し倒す。
「それ、どういう意味?」
「僕があなたに振り回されてるってことです」
 少し悔しそうに言って、左近は私の額に唇を落としてくれる。くすぐったくて微笑みながら、左近の首に手を回した。
 左近はきっと勘違いをしてる。私のほうが昔からずっと、左近の一挙一動が気になって仕方なかったのに。背が伸びて傷が増える左近を見続けていた間も、今も。
先輩から誘ったんですから、後で文句言わないでくださいよ」
「うん、言わない」
「一回しかしませんからね」
「……うん。ゆっくり一回しよう」
 ぎゅっとくっつく身体に、頭が熱に染まっていく。左近の左肩から腕をなぞって手のひらに触れると、左近の指が私の手を包み込んで握ってくれた。握り返して、目を閉じる。
「ねぇ、左近」
「はい?」
「昔から今もずっと、大好きだよ」
「……耳元でそういう恥ずかしいこと言わないでください」
 途端赤くなった顔を隠すように、左近は強く私の唇に口付けた。




















 終