拍手お礼創作log

綾部喜八郎



綾部喜八郎夢『怪談話』


 ……しまった……。


 真夜中の学園を一人きりで歩きながら、私は自分の不幸さを呪った。
 あれほど、あれほど怪談話は聞きたくないと言ったのに!!
 昨日、友達の誕生日会があって、長屋の一室に数人集まってわいわいやっていたら、なぜか途中から方向性が変わって怪談大会になった。こっそり逃げ出そうとしたけど、それを察した何人かに羽交い絞めにされ、なおかつ手足まで縛られて無理矢理聞かされた。怖い話が苦手じゃない人は、むしろ怖がってる人の様子を見るのが楽しいらしい。散々みんなの肴にされた私は、最後にはほとんど半泣きだった。
 ……みんな酷すぎないか。
 正直言うと、私はとてもとても怪談話が嫌いだ。人間とか獣とかは全然怖くないけれど、お化けとか幽霊とか、そういう得体の知れない曖昧なものが生理的に苦手なのだ。正体が分からないものは、どう対処すればいいのか分からないから。
 普段はむしろ安心する暗闇が、今日ばかりは怖い。あの廊下の影からなにか飛び出してきたらどうしよう。咄嗟に苦無とかぶっ刺してしまいそうだ。刺して倒せる相手ならまだいいけど。
 そんなに暗闇が怖いくせに、私が就寝時間を過ぎてまでうろついているのは、明日使う教科書を図書室に忘れてきたことにさっき気づいたからだ。朝一番の授業だから、明日回収するには遅すぎる。置いてきた場所は分かっていたから、勇気を振り絞って取ってきたけれど、これから長屋に帰らなくてはならない。
 遠い。……遠すぎる。

「……い、行ける。全然怖くない」

 気合を入れるために、無理矢理に自分を騙そうとする。途端にざわりと木が揺れて、びくっと震える。風だ、風のはず! でもそのせいで鼓動が思い切り跳ね上がって、ますます恐怖が募った。
 ここは寮の近くじゃないから、人の気配がほとんどない。もう泣きそうだ。ここまで来るのだってすごく怖かったのに、これからまた戻れとか苦行すぎる。考えちゃいけないと思うのに、聞いてしまった怪談話がぐるぐるぐるぐる頭を回る。
 こうなったらもう、見回りの先生に見つかってもいいから、誰か私を長屋に連れ帰ってくれないだろうか……と投げやり気味に思っていたら、突然に、ぽん、と後ろから肩を叩かれた。


「────っ!!!」


 ……私はひとつ賢くなった。本当に恐怖と対面した時、人は声なんて上げられない。
 ぎぎぎぎ、と軋むような音を立てて、私の首が後ろに向く。化け物だったら刺そう。刺して駄目なら金的しよう。女だったらどうしよう。
 そんなことを考えながら、ついに後ろを振り向いた私の目に入ってきたものは。

「……、なにしてるの?」

 とてもよく知った顔だった。
「……綾部……?」
「うん、そう」
 いつもの無表情で私を覗き込んでいるのは、見間違いようもない、綾部喜八郎の顔だった。
 ぶわっと頭に血がのぼる。こんの、穴掘り小僧が!
「あああああ、あんた私を殺したいの!? 今心臓から口が出るかと思った!」
「逆」
「口から心臓が出るかと思った!」
 綾部の冷静な訂正に、律儀に言い直してしまう。私は一瞬で頂点に達した動悸を鎮めようと、ぜーはーと大きな呼吸を繰り返す。あ、焦った……!
「気配、感じなかったの?」
「まったく! 全然! 少しも!」
 忍びを目指す者としてどーかと思ったけれど、ほとんどやけくそ気味にそう叫んでいた。人を死ぬほど驚かせといてこのやろー!
 綾部は少し不思議そうな顔で、過剰反応をした私を見つめている。どうせまたこの夜中に穴を掘ってたんだろう、綾部からはいつもより濃く土の匂いがした。
「それで、はこんなとこでなにしてるの?」
「図書室に用事があっただけ! あんたはどうせ穴堀りでしょ」
「うん。それで、すごく挙動不審な人影があったから、確かめにきた」
 つまり、それが私だったというわけらしい。そんなに挙動不審だったのかとちょっと落ち込みつつ、否定は出来ない。物凄くへっぴり腰だった自信はある。
「じゃあ、もう分かったでしょ。私は今から帰るから」
「うん」
 綾部はあっさり引き下がった。さっきの私の反応もさほど気にしていないみたいだ。さすが綾部、他人に興味のない男! 今日ばかりはそれに心から感謝した。だって、もし私が怖がりなんて忍たまに知られてしまったら、男子全員に笑い者にされて、なおかつ怪談話を聞かせようと追いかけ回されるに決まっている。地獄だ。
 そんなことになってたまるもんか。落ち着け私、冷静になれ。このまま帰れば問題ない。大丈夫。
 自分に言い聞かせて、私はさっさと綾部に背を向けようとした。大丈夫。問題ない。問題な──

 カタン、とどこかで小さな音がした。

「っ!!!」

 反射的に身体が動いていた。心臓を掴まれたように鼓動が跳ね上がる。ぎゅ、となにかに縋りついて、数秒。
「…………どうしたの、
「……あ、その」
 不思議そうな視線を近くに感じて、私は気まずく目を逸らす。私は綾部の腕に強くしがみついていた。そりゃそうだ、すぐ近くにいる人間はこいつしかいない。怖いんだから仕方ないじゃない!
 すぐに離れたらなんとかなったかもしれないけれど、私はまだばくばく言っている心臓を宥めるので必死で、綾部の腕を離せなかった。辺りに異常はない。きっとさっきと同じで、風の音かなにかだったのだろう。
「もしかして」
 ぽつりと綾部の声が落ちて、私はぎょっとする。身を引きそうになるのを追いかけて、綾部にじっと覗き込まれる。
「……怖いの?」
「ここここここ怖いわけないでしょあんた忍者なめてんの、夜は忍者のゴールデンタイムでそれを私が怖がるとか意味わかんないほんと!」
「…………ほんとに?」
 しまった、あまりに素直に動揺しすぎた!!
「ほ、ほんとに怖くない! いくら昨日怖い話を無理矢理聞かされたからって、夜がちょっと怖いとかそんな、下級生みたいなことを私がするわけないでしょ!? 分かった!?」
「うん、よく分かった」
 しまった、さらに素直に言い過ぎた! 実はいっぱいいっぱいだったんだろう、私は自分でも分かるほどドツボにハマッていた。ばかすぎる。
 綾部はとても意外だと言わんばかりに私を見つめてる。大方『こいつにも怖いとかそんな女らしい感情があったんだ』とか思ってるに違いない。
「うー……」
 小さく唸る。ここまで来たら、もう誤魔化すのは無理だ。綾部に口封じをするしかない。だけど今どんな物音にでも怯えてしまう私には、この場で綾部を脅すような乱暴なことは出来そうにない。仕方なしに、素直に頼むことにした。
「綾部……あの、言わないで欲しいんだけど」
「……なにを?」
 聞き返されて、言葉に詰まる。面白がってる、この男絶対私の反応見て面白がってる! 分かってるくせに!
 でも今は私の立場のほうが弱い。渋々ながら、言い直した。
「私が……その、怖がってたの、みんなに言わないで」
「…………」
 じーっと。なにがそんなに面白いのか、綾部はさっきからずっと私の顔を見てる。ここまで下手になって頼んでるんだから、ちょっとくらい聞いてくれたって……と私が言いかけた時、ぎゅ、と手を握られた。驚いて顔を上げると、綾部はそのまま、私を引っ張って歩き出した。
「え、ちょっと、綾部」
「…………別に、怖がってないんでしょう?」
 綾部は、慌てて歩き出す私をちらりと振り向いて、それだけを言った。あれ、と私は拍子抜けする。
「言わないでくれるの」
は怖がってないんでしょう?」
 もう一度、綾部が繰り返す。私は目を見開いてから、小さく「うん」と頷いた。
 綾部はそれからは無言で、私の手を引いたまま歩いていく。さっきはすごく怖かったけど、今はさほど怖くない。綾部の私より少しだけ冷たい手が、他人の存在を意識させてくれるから。
 綾部はずんずん進んでいく。その足が向かっている場所が女子寮の長屋なのだと気づいて、私は驚く。もしかして、送ってくれようとしてるんだろうか。
「あの、綾部」
「違うよ。今度はこっちに掘ろうと思ってるだけ」
 私がなにか言い出す前に、察したのだろう綾部が否定する。やばい。この男、もしかしてかっこいいんじゃないだろうか。私はたぶん初めて、綾部のことを見直した。怖がってるのをからかうこともしなかったし、実はすごくいい奴だったのかもしれない。
 女子の長屋の前に着くと、綾部はすぐ私の手を離した。ありがとうと言おうとしたのに、綾部は「おやすみ」と言葉を投げると、とっとと背を向けて去って行ってしまった。
「あ、綾部……」
 名を呼んだけれど、遅かった。綾部の姿はすでに闇に紛れていて、見えなくなっていた。
 長屋はすぐ目の前だ。人の気配がするから、もう怖くない。意地を張らないで最初から普通に頼めばよかったなと、私はちょっと後悔する。まさかあの綾部が、親切心だけで動いてくれると思わなかったから。
 言う機会を逃してしまったけれど、いつかはお礼を言わなくちゃと思う。
 怖いからという理由じゃなくて、なんだかよくわからない感情に、鼓動がちょっと高鳴った。






 怖い、ねぇ。
 もうおぼろげにしか見えない女子寮を振り向いて、首を傾げる。
 さっきのの様子を見ていたら、なるほど本当に怖い話が苦手なんだろう。自尊心が強いのに僕に頼みごとをしようとするくらいだから、相当だ。
 こんな面白いこと、誰かに言うなんてとんでもない。

「弱みを握るのは、僕だけでいい」

 だからもう、僕以外の誰にもバレないで。