拍手お礼創作log

田村三木ヱ門



田村三木ヱ門夢『もしかしたらこれまでも』


 会計委員室に入ったら、先輩が文机に突っ伏して眠りに落ちていた。
 まだ他には誰も来ていないらしく、がらんと静まり返った部屋に、先輩の静かな寝息だけが響く。
 起こさないようにと後ろ手でそっと戸を閉めて、部屋の中に入る。
 先輩は疲れているのか、たぶん熟睡している。普段は他人の気配に敏感な人なのに、今は私に気づいていないから。

「…………先輩」

 自分の席に座って、対面の先輩に小さく小さく声をかける。いつも『三木ー!』と笑顔で名を呼んでくれる先輩の、無防備な寝顔。
 起こす気は毛頭なかった。先輩は、時々こうして委員室で寝ている時がある。お疲れなら、ずっと眠っていてほしい。
 ただ、なんとなく、眠っている間の先輩には、私なんか欠片も存在していないんだと思うと、いつもほんの少し寂しい。
 そう思うのは、私がこの人に惹かれているからだ。先輩は、私のことをただの後輩としか見ていなくても。

 先輩、寒くないだろうか。その肩が呼吸のために小さく上下するのを見ながら、寝冷えしなければいいけれどと思う。
 初めて会ったときとは違い、いつの間にか私の背は先輩のそれを追い越して、今では見下ろすほどになっている。こうして見る先輩は、いつもよりとても小さく見える。手も足も顔も肩も胸も腰も、私より小さくて華奢で、その気になれば簡単にどうにか出来そうなくらいに。
 たぶん、黙ってどうにかさせてくれる人じゃないだろうけど。そう思って、少し笑う。
 女子とはいえ会計委員は伊達じゃない、私よりもよほど予算会議の乱闘を経験している先輩は、ちょっと女子生徒とは思えないほどに荒事に慣れていている。

 無理矢理奪いたいとまでは、とても思えない。先輩に嫌われることは絶対したくない。
 それなら、先輩が私のこと好いてくださるのが一番なのだけれど。
 静かに傍で眠っているひと。私はずっとこのひとのことが好きだから。
 ──私の傍で、眠ってくださればいいのに。
 そんなことを思って、一人で顔を赤くした。

「ん……」

 もぞ、と先輩が動く。やましいことはなにもしていないはずなのに、それにちょっと慌てる。どうしたものか、いや別にどうもしなくていいから落ち着け私、と高鳴る鼓動を静めようとしていると、先輩はほんの僅かに眉をひそめて、それから、またゆっくり弛緩して眠りに落ちた。
 ほっとする。けれどそろそろ委員会が始まる時間だから、もうすぐ他の委員がやってくる。出来るだけ長く眠っていて欲しいけれど、そういうわけにも行かない。
 潮江先輩が来てしまえば仕方ないけれど、下級生達ならば「先輩が寝てるから静かにしろ」くらいのことは言える。出来る限り遅く来てくれないかな潮江先輩、と思ったその時、勢いよく戸が開かれた。

「委員会始めるぞーー! ギンギーーン!」

 ──私の希望は、すごい勢いで粉々にされた。

「し、潮江先輩!」
「おう、三木ヱ門。……なんだこいつ、寝てんのか。腑抜けた奴だな」
「あ、ちょっと潮江先輩……!」

 潮江先輩はやれやれという表情で、突っ伏している先輩に手を伸ばそうとする。まずい、先輩が殴られる、と思ったその時、突然に先輩の瞼が開いた。そして、がばっと起き上がる。
 寝起きだからか凄まじく不機嫌そうな顔の先輩は、後ろを振り向いて潮江先輩を睨みつけた。なんだ、と潮江先輩が睨み返すのに、ぼそりと。

「委員長、その顔は寝起きにはきつすぎます。鬼瓦のお化けかと思いました」

「……起き抜けに喧嘩吹っかけるとはいい度胸だな!!!」
「どうせ来るならもっと後で来てくださいよ。起きてすぐ潮江先輩の顔とかどんな地獄ですか」
「知るか、蹴り起こさなかっただけマシだと思え!」

 ぎゃーすぎゃーす、と二人はいつものように口喧嘩を始める。あー、やっぱりこうなってしまった。
 このまま取っ組み合いに発展するのも時間の問題だ。どうにかして止めようと立ち上がりかけた時、ふいに名を呼ばれた。

「あのままなら、三木に優しく起こしてもらえたのに! 時間返してくださいよ!」
「それこそ俺の知ったことか! 他人に起こしてもらおうとかいう軟弱な発想しているお前が悪い! その根性叩きなおしてやる!」

 ……え?
 先輩が口走った言葉の意味が分からず、私は唖然とする。

 『あのままなら、三木に起こしてもらえた』

 つまり、私が傍にいることを知っていた? 先輩はもしかして、熟睡ではなくまどろんでいただけなのだろうか。
 ──顔に血が集まっていく。
 よかった。なにか言わなくてよかった、と心の底から安堵する。もし先輩が本当に寝ていると思って告白とか口にしていたら……。

「潮江先輩は、そんな乱暴だから女子に人気ないんですよ!」
「はっ。俺がお前を女子扱いしていると思っているのか、それはまた盛大な勘違いだな」
「大丈夫です、私は潮江先輩を人間扱いしていませんから」
「ああ言えばこう言う……! これだからくの一は腹に据えかねる……!」

 どんどん険悪になる。二人を止めなくてはと思うのに、さっきの先輩の言葉がぐるぐる頭を回る。
 今までだって、私は何回か寝ていた先輩を起こしたことがある。今日みたいにじっと寝顔を眺めて、ああこれが限界かと思う時間までだ。
 もしかして、今までのも全部……先輩は知っていたのだとしたら。


 顔どころか、頭にまで血が上って行く。
 二人はどんどんどんどん険悪になる。けれど私は動けない。

 もし、今までもそうだったのなら。先輩は全部理解していて、私が傍にいることを許してくれていたのだとしたら。





 少しくらいは、

 期待してもいいですか。