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鉢屋三郎



鉢屋三郎夢『雪にかき消されてしまう前に』


 目が覚めると、辺りは真っ暗で少し息苦しかった。もぞもぞと身をよじり、頭まで被っていた布団から顔を出すと、途端に闇が薄れて視界が開けた。
 頭が少しずつはっきりしてきて、そこでようやくにすぐ側に人の気配があるのに気がついた。同じ布団で横になっている三郎。息苦しいと思ったのは、三郎が私の身体を抱き締めているからだ。三郎はよく私を人形みたいに抱いて眠るから。
 まだ寝ている三郎を起こさないように、回されていた三郎の腕をゆっくり解いて布団を出た。真冬の今、朝方の冷えはかなり酷い。寝乱れた夜着をかき寄せて起き上がったとき、ふと微かな匂いが鼻をかすめた。

 ──雪の匂いだ。

 立ち上がり、冷え切った畳の上を歩く。まだ誰も起きていないのか、周囲の部屋からはなんの物音もしなかった。音をたてないようにそっと部屋の戸を開けてみて、目に飛び込んだ情景に思わず声を上げた。

「わぁ……」

 庭は、積もった雪で一面真っ白になっていた。昨日は本当に寒かったしこれは降るだろうなとみんな言っていたけど、こんなにも積もるなんて思わなかった。たぶん、私の太ももくらいまである。辺りはまだかなり薄暗かったけれど、少しの光をきらきらと反射する雪の白は、私の視界をただそれだけで埋め尽くした。
 戸を閉めて、足早に縁側に出る。床板は畳の上なんかより余程冷えていたけれど、一面の雪景色に心を奪われて、寒さはあまり感じなかった。
 昨日まで剥き出しだった地面も木々も、今は全てが白一色。ちゅん、と小さく鳴く鳥が木の枝から飛び立ったとき、弾みでぱさぱさと枝に積もった雪が落ちた。
 まだ誰も起きてない。私が最初。
 なんだかすごくわくわくしてきて、縁側にぺたりと膝をついて、目の前に積もっている雪をすくい取った。冷たくて指先がじんじんしたけれど、特有のふわふわした感触がすごく心地良い。ぎゅうっと握り締めると小さな雪玉が出来て、それだけなのになんだかすごく楽しくなってきた。
 その感触をもっと楽しもうと、一心に雪玉を作ったり、積もった雪をさくさく崩したりする。ひとしきり雪が降ったことを実感してから、目の前の一面の雪を改めて見る。
 せっかくだから、もっと大きな雪玉を作ろうか。それとも雪うさぎにしようか。ああ、でもまだ誰も起きてないんだから、綺麗に積もった雪をまずはざくざく踏んでみたい。
 縁石に立てかけてあった誰かの下駄を、周辺の雪を崩して掘り起こす。私の足には少し大きいけれど、履けないことはない。はやる心で足を突っ込んで、庭へと下りようとした、そのとき。

「なにやってんだ、お前」

 低い声と共に、後ろから強く腕を掴まれた。

「わっ! ……あ、三郎?」

 反射的に振り向くと、そこには渋い顔の三郎がいる。三郎に引かれるままに、とりあえず縁側に腰掛けた。

「おはよう、三郎。見て見て、雪すごいよ」
「おはようじゃねーよ……。お前、雪遊びしたくて外に出たのかよ」
「うん。こんなに積もってるなんて思わなくてびっくりして」
「アホかお前。百歩譲って雪遊びはともかく、起き抜けの夜着姿で雪に突っ込むなんて自殺行為だろ。とりあえず下駄脱いで部屋に戻れ」
「え……でも誰かに先越されちゃったら……」
「うるさい。いいから早く戻れ、身体冷えまくってんぞ」

 寝起きだからか、苛々した様子の三郎に否応がなしに下駄を脱がされて腕を引かれて、部屋に連れ戻される。
 そのときになって、私はようやくここが三郎の部屋なのだと気がついた。雷蔵が数日お使いでいないからと、昨日はここに泊まったのだ。だからよくよく考えれば、今私が遊ぼうとしていたのは男子寮の庭なのだ。それに気づいて、今更ながらに派手に遊ばなくてよかったと安堵した。三郎に止められなかったら、雪まみれのところを他の男子に見つかっていたかもしれない。

「ほら、とっとと布団入れ」

 ぼすん、とそのまま押し込まれた布団には、さっきまで三郎が寝ていたからか人肌の温もりがある。その思った以上の温かさにびっくりして、私は自分の身体がすごく冷えていたことをやっと知った。雪で興奮しすぎて気づけなかったけど、そういえば指先も足先も全然感覚がない。意識すると、途端にすごく寒くなってきた。がたがたと身体が震えだして、慌てて布団をかき寄せる。

「こら、ちょっと詰めろ」
「え……? 三郎も入るの」

 声をかけられて、まだ起きるのには早いし寝直すのだろうかと場所を空けると、三郎は私の隣に横になり、腕を伸ばして私の身体を抱き締めた。

「わ」
「っ! ……お、お前冷たすぎるぞ。どれだけあそこにいたんだよ」
「あー……三郎すごくあったかいね」

 三郎が触れてくれるところ全部に、じわっと滲むような熱が走る。ほとんど無意識に熱を求めて身体をすり寄せると、三郎はびくりと震えて、一度私を離して起き上がった。

「あ、ごめん……」

 反射的に謝ると、三郎は無言で自分の夜着に手をかけて、そのまま一気に脱ぎ捨てた。下帯だけの姿にぎょっとしている私の隣に再び潜り込んで、またすぐに抱き締めてくれる。途端にさっきよりも直接的に、三郎の体温が流れ込んでくる。その痺れるような熱の感覚に、私は思わず目を閉じて三郎にしがみつく。三郎は私の両手のひらを片手で纏めて握り、足も絡めて全身を温めてくれる。
 どくどくと、三郎の熱が伝わってくる。やんわり溶けるように、身体に感覚が戻ってきた。耳元で「あーもう、あほ」とか「ばか」とか「もう絶対やんな」とかぶつぶつ言いながら、三郎はそれでも私に体温を分けてくれる。私がすごく温かいのは、つまり三郎にとってはすごく冷たいってことなのに。

「ありがとう三郎……あったかい」
「……あのな。後先考えずに無茶すんな。身体壊したらどうするんだよ」

 私の頬を引き寄せて肩口に押しつけてくれながら、三郎はため息混じりに言う。なんだか今更にすごく悪いことをした気がして、私はゆっくりと目を開いた。

「……心配かけてごめんなさい」
「………………」

 ぎゅっと三郎に身を寄せる。お前は後先考えないで行動しすぎるのだと、三郎はよく私を叱る。確かに夜着姿で雪遊びしようとするなんて、身体を壊したいと言ってるようなものだ。
 答えのない三郎がまだ怒ってるんだと思って、「ごめんなさい」ともう一度謝った。すると三郎は深く息を吐いて、全身の力を抜く。と思ったら、今まで以上にきつく抱き締められる。熱を与えるためとはいえ、ちょっと強すぎるくらいに。

「──お前が」

 耳元で囁かれる、絞り出すような声。

「目が覚めたとき、お前がいなかったから不安になった」

 私をかき抱く三郎の腕が、寒さじゃないものに震えてる。

「三郎……」
「頼むから、共寝してるときに一人でどっかに行くな。俺に声をかけてからにしてくれ」

 怖かったんだ、と微かに告げられて、私は息を呑んだ。私の頬に、三郎のさらさらとした髪が触れている。三郎は素顔のままだった。外に出るときは、いつも必ず変装してるのに。
 三郎の声音は小さくて、掠れていて、

「俺を置いていくな」

 その言葉は、私よりずっと子どものようだった。



 三郎は、強い人なんだと思っていた。冷静で頭が良くて、一人でなんでも出来て。誰も必要としていない人だとは思わないけれど、それでも周囲に助けてもらわなくても生きていける人だから。
 それが違うんだと知ったのは、恋仲になってからだった。三郎は強い。冷静で頭がいいし、一人でなんでも出来る。それは間違いじゃないけれど、

「ごめん。……ごめんなさい」

 手を伸ばして、三郎の頬に触れる。その顔を覗き込むと、ゆらりと揺れた瞳が私を映した。

「ここにいるから。……ずっといるよ」

 三郎の首に手を回して、頬と頬をすり寄せた。







 三郎は私がいることを確かめるように、その身体で包み込んでくれる。少ししてお互いの温度が変わらないものになったとき、「寒い」と呟いた三郎の手が私の腰元に伸びて、帯を探ってしゅるりと解いた。抵抗も間に合わないほど手早く夜着を脱がされ、また抱き寄せられる。生まれたままの肌と肌が触れ合うと、三郎はようやくに安堵したように私の頬に口付けてくれた。

「……三郎、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「このほうが寒くないだろ」

 どっちも裸のほうが温かいし、落ち着くのは確かだった。でももうそんなに寒くないのに。
 三郎が私の頬を引き寄せる。鼻先が触れそうなほどに近い距離。途端にすごく恥ずかしくなってきた。

「三郎、もう寒くないよ」
「俺は寒い。お前に熱持ってかれた」

 軽く睨むように言われて、なにも返せなくなる。恥ずかしいけど少しくらいならいいかと身体の力を抜くと、ぽつりと三郎が囁いた。

「……やればもっと温かくなるだろ」
「えっ、……えっ? や、ちょっと待って、まだ朝だし」

 まさか本気だろうかと身を引きかけるのを、三郎の腕が許さない。

「いいから、文句言わずに俺を甘やかせ」

 言葉が落ちた瞬間に強く唇を塞がれて、どくん、とお互いの鼓動が重なった。