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綾部喜八郎



綾部喜八郎夢『病は気から』


「どうせ死ぬなら、本に埋もれて死にたい」

 突然そう言いだした私の隣で、喜八郎はただ黙々と踏鋤の手入れをしていた。


 風邪をひいて、熱が出た。
 間違いなくただの風邪なんだけど、私が患ったそれはかなりタチの悪いものだったらしい。
 茹でられるような高熱と、止まらない鼻水。頭痛に寒気、全身を包む気だるさ。喉は痛いわ涙は出るわ、咳のしすぎで肋骨がぎしぎし言う。
 保健委員長の善法寺先輩は『きちんと安静にしていたら治るよ』と薬を出してくれたし、私も今はとにかく大人しく寝ているのが一番だという自覚はある。
 ……だけど、辛い上に暇だ。
 私が自室で寝込みだしてから、喜八郎は授業のとき以外はほとんど私の部屋にいる。
 水を取り換えてくれたり食事を運んできてくれたり多少看病らしいこともしてくれるけど、基本的には今のように、ただ静かに鋤の手入れやら宿題やらをしているだけだ。
 たった一人で風邪と闘っているよりはずっと心強いけれど、これが三日も続くとさすがに慣れて退屈になってくる。
 どうせ寝ているしかないのだから大好きな本くらい読みたいのに、霞む目と頭痛がそれをさせてくれない。いつもなら本を開けばすぐにその世界に没頭出来るのに、今は何行か読んだだけで目眩がしてしまう。

 つまり私は、今の状況に飽き飽きしていた。だからつい、言っても仕方ないのに愚痴が口から滑り出た。「どうせ死ぬなら、本に埋もれて死にたい」と。

「私、このまま死ぬのかな……風邪が原因で死ぬなんて有り得ない……どうせ死ぬなら本に埋もれて……ううん、本の海に溺れて死にたい……。……あー、もう三日も図書室行ってない……新刊入ったかなぁ……行きたいなぁ図書室……」

 私がどうでもいいことを愚痴っている隣で、喜八郎は相も変わらず無言で鋤の手入れを続けている。私も別に喜八郎になにか言って欲しかったわけじゃないから、気にせずにまたぶつぶつと続けた。

「どうせ本も読めないなら、生きてても仕方ないし……っぐしゅ! あーもう、授業だって休んでるし……補習受けなくちゃいけないし……本も読めないし、もうほんと、なんで風邪なんか……、っうー…………」

 無理に喋ったせいかゲホゴホと出る咳に、涙が滲んでくる。肺が軋んで胸が痛い。手足が重い。もはや自分が今なにを言ってるのかもよく分からない。喜八郎はこっちを見もしない。
 初めは喜八郎に風邪がうつったら嫌だから部屋に来なくていいよと言ったのに、喜八郎はずっと私の傍にいる。それは有り難いことだと分かっているのに、なんだか今は健康体の喜八郎が羨ましく思えて、ちょっと拗ねた気分になっていた。
 これからずっと、風邪をひいて辛いままだったらどうしよう。いつもならそんなことないって分かるのに、今は不安が先走って気分が落ち込んだ。

「…………しにたい」

 口から滑り出た言葉は、もちろん本音じゃなかった。心細くて言ってしまった、さっきと同じただの愚痴だった。
 でもなんだか、その自分の声が泣いてるみたいで(というか苦しくて涙が流れてるし鼻水出てるから当然なんだけど)、私は本格的に切なくなった。ぐす、と鼻をすすり上げたとき、ふいに自分の上に影が落ちた。

、死ぬの?」

 ぽつりと呟くような、感情の薄い声。涙を拭って見上げると、喜八郎が身を乗り出して私の顔を覗き込んでいた。そのなにを考えているのか分からない瞳に、今更ながら自分がすごく子どもじみたことを口走ったことに気づいて、ちょっと恥ずかしくなった。
 喜八郎の視線から逃げたくて背を向けようとしたけど、少し手足を動かしただけで関節が酷く痛んで、すぐに諦めた。寝返りも打てないことに、また切なくなる。私、本当に駄目かもしれない。

「……死んだら、喜八郎が私の墓穴を掘ってね」

 言った途端に喉元に痛みが上がってきて、慌てて横を向いて咳き込んだ。愚痴を言って余計な体力を使ったせいかそれとも気分の問題か、さっきよりも身体が辛い気がする。
 頭痛が酷くて瞼が重い。なんだかもう寂しいような切ないような気分で、心細くて喜八郎に手を伸ばす。喜八郎は拒絶せずに私の手を握ってくれて(冷たくて気持ちいい)、それからいつもの無表情で軽く首を傾げた。
 また、ぽつりと。


「それは無理だよ」


 言われて数秒は、言葉の意味が分からなかった。
 上手く動かない頭でさっきのことを思い出して、ようやくに理解する。私の墓穴を掘ってくれと言ったことへの答えだ。

「……なんで」

 思わぬ拒絶に、どんどん気分が沈んでいく。いつも穴を掘ってあんなに私を落としてるんだから、それくらいしてくれてもいいのに。
 喜八郎の瞳を見上げると、喜八郎は握っていないほうの手で、私の頬をそっと撫でた。指の動きで、涙を拭ってくれたんだと分かる。問う視線の私に、喜八郎がまた少し身を乗り出して距離を詰めた。額が触れそうなほどの近い距離で、喜八郎が言う。

「そのときは僕も死んでるから」

 意味を聞き返す前に、喜八郎の言葉が続く。
 ぎゅっと、手を握ってくれる指に力が込められて。

「ずっと一緒にいるから。風邪ひいてるときも、死ぬときも」
「きはちろ……」
「だから、どうせなら『一緒に死のう』って言って。……一人は嫌だよ」





 ──ああ、そっか。

 その言葉でようやくに、自分が言ってはいけないことを口にしたのだと気がついた。
 私がもし喜八郎に『死んだら墓穴を掘ってくれ』と頼まれたら、たぶん頭を引っぱたくくらい怒ってるのに。

「……喜八郎」

 握ってくれる手を、私からも力の入らない手で握り返す。
 そうだ。この三日間、私が望んで腕を伸ばせば、喜八郎はすぐに手を握ってくれた。
 喜八郎はいつも私の傍にいてくれたのに。


「死ぬとか、言ってごめんね」
「うん」
「ずっとここにいてくれてありがとう」
「うん」
「……早く、元気になるから」
「うん」


 一つ一つの言葉に、喜八郎は頷いてくれる。なんだかそれだけですごく楽になって、私は身体の力を抜いてゆっくり目を閉じた。
 おやすみ、と喜八郎が頭を撫でてくれるのに今は甘えて。


「早く元気になって、僕の掘った穴に落ちてね。……墓穴じゃなくて」


 それに風邪じゃ死なないよ、と笑うように耳に囁かれたのを最後に、私の意識はすっと溶けた。
















 数日後。
 全快した私を見境なく落としまくる喜八郎にキレて、いい加減にしろと違う意味で頭を引っぱたくことになるのだけど、それはまた別の話。