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久々知兵助



久々知兵助夢『愛の雑巾がけ』


 今日は、すごく寒かった。
 雪こそ降っていないものの、吐いた息は真っ白に、冷えすぎた空気で鼻がつーんとしてしまうくらい。
 こんな日は早く部屋に帰ってお風呂に入って、火鉢の前でぬくぬくごろごろしたいなーと思っていたのに。

「なんでこんな寒い日に掃除当番なんだろう……」

 しかも掃除場所の中で大変だと有名な、共用場のながーい廊下の雑巾がけ。
 雑巾がけ。つまり、水仕事だ。

「この寒いのに水仕事とかふざけてるわ……」
「せめて同じ掃除でも、室内ならまだマシだったのにね」
「そうね、それなら少なくともこんなに寒くなかったはずよね」

 同じく当番の親友と、掃除の準備を始めながら愚痴ってしまう。でもそれも仕方ないと思う。庭に面した吹きさらしの廊下──今私達がいるところ──は、ただひたすらにとにかく寒い。
 水を張った桶に雑巾を浸して絞るだけでも、あまりの冷たさに手の感覚がなくなってしまう。冷たいというより、もはや痛い。

「うう、手に力が入らない……」
「うわ冷たっ! なにこれ、もうほとんど氷水じゃないの!?」
「水汲むとき、井戸の表面に氷張ってたしね……」
「ああ、そうだった。思い出したくないから忘れてた。……あー、手が真っ赤」
「終わったら、医務室行って手荒れ用の軟膏もらってこようね」

 その後も寒い寒いと零しながらようやくに雑巾を絞り終えて、私と親友は掃除を始めるために廊下の上に膝をつく。
 私達の足下から、ずーっと先まで伸びている廊下。忍術学園はとても広いから掃除箇所はたくさんあるけど、ここはずらりと並んだ教室長屋の廊下で、端から端まで異様なほどの長さがある。あまりの長さに途中で力尽きてしまうほどで、寒さを抜きにしても人気のないところなのに。

「やる気出ないね」
「出ないわねー」

 改めてその長さと寒さを実感して、私と親友はげっそりする。
 天気の良い日は、せーので一斉に雑巾がけして、どっちが先に廊下の端に着くか競争、なんてことも出来るけど、今はそんな気全然起こらない。なにもしてないのに、身体の芯まで寒さが沁みてくる。
 だけど、いつまでもぶつぶつ言ってても仕方ない。そろそろ諦めをつけようと、雑巾を折りたたんで廊下に押しつけて、嫌々ながらも掃除を始めようとした、そのとき。

「……そういえばさ、この前聞いたんだけど」

 突然、隣の親友が私の肩を軽く叩いた。きょとんと視線を向けると、親友は「あのね」と私の顔を覗き込む。真面目な瞳で、はっきりと。


「久々知って、雑巾がけが上手い女の子が好きなんだって」


 ──聞いた瞬間、反射的に廊下を強く蹴っていた。


「行ってきます!」
「うわ、速っ!」

 親友の声と気配は、瞬く間に遠ざかった。一度弾みが付くと、勢いのままに前へと進める。
 兵助が雑巾がけが上手い女の子が好きなんて、全然知らなかった! 言ってくれれば、掃除のときとか家に帰ったときに練習したのに!
 でも、今からでも間に合うよね!?
 幸いなことに、ここは長い長い廊下だ。練習にはちょうど良い。このまま端っこまで一気に行こう! それで雑巾がけ上達して、兵助に褒めてもらうの!
 さっきまで嫌がっていた寒さも、今はもうほとんど気にならない。とにかく雑巾をぎゅっと強く握って、ただひたすらに前へと駆けていたら。

 突然に、どん、と身体に柔い衝撃が走った。

「えっ!?」
「うわっ!!」

 それまでの勢いのせいで、身体が前のめりに倒れかける。慌てて受け身を取ろうとしたけど、急なことに咄嗟に反応出来なくて、そのままごろごろと廊下の上を転がってしまう。

「うー……」
「……一体なに…………あれ?」

 思ったほどの衝撃もなく、私の身体はすぐ止まった。なにかが勢いを受け止めてくれたみたいで、身体も全然痛くない。なんでだろう、と顔を上げて、ぱっと心が明るくなる。

「あ、兵助っ!」

 私を受け止めた(というかほとんど私に押し倒されてる)体勢できょとんとしているのは、まさに今ずーっと考えてた兵助だった。私の勢いが強すぎて、廊下を歩いていた兵助にぶつかってしまったんだと思う。慌てて上から降りて、兵助が起き上がるのを手伝った。

「ごめん兵助、怪我とかしてない? 大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だけど…………、掃除してたのか?」

 兵助は私にも怪我がないかざっと確かめてくれてから、私の持っていた雑巾に目を向ける。

「うん、廊下のお掃除」
「ああ、それで雑巾がけ……。でも、すごい勢いじゃなかったか? 前見てなかっただろ」

 兵助に苦笑しながら言われて、私はようやくその通りだということに気がついた。とにかく前に行くことしか考えてなかったから、廊下の板しか見えてなかった気がする。

「そういえば、端に着くのしか頭になくて……ごめんなさい」
「そんな危ないことやらないでくれよ……。まぁ、通ったのが俺でよかったよ」

 兵助は私のせいで危ない目にあったのに、それを怒りもせずに、ぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。ごめんなさいともう一度頭を下げて謝ると、「いいよ」と笑ってくれる。

「もうやらないでくれよ?」
「うん! 次はちゃんと前見て爆走するね!」
「いや、爆走しなくても普通に雑巾がけしてくれれば……」
「あ」

 そうだ。
 自分がどうしてそんなに掃除に一生懸命だったかをようやく思い出して、私はぎゅっと雑巾を握りしめて兵助を見上げた。私がなにか言いたそうにしていることに気づいたのか、兵助が「どうした?」と顔を覗き込んでくれる。

「あ、あのね兵助……私、雑巾がけ速かったよね?」
「ん? ああ、速いというか速すぎるというか……」
「……私、雑巾がけ、上手いかな……?」

 期待を込めて兵助を見つめると、兵助はうーんと首を傾げてちょっと悩むような表情をして、それから困ったように笑った。

「上手いとか下手とかじゃなくて……あんな風に掃除してたら危ないよ」
「………………」

 褒めてもらえなかった。
 しゅん、と気分が落ち込んで行く。よくよく考えれば兵助に思いっきりぶつかっちゃったし、自分で考えても上手とは言えないと思う。
 ……兵助は、雑巾がけが上手い女の子が好きなのに。

「……なあ、どうかしたか?」
「ううん、なんでもないよ……」
「なんでもないって……」
「ちょっとあんた、いくらなんでも速すぎるよ。どこの猪かと思っ……あれ、久々知じゃん」
「おう。この寒いのに、掃除ご苦労だな」

 後ろからの声にのろのろ振り向くと、親友が追いついてきたみたいだった。親友は落ち込んでる私と兵助を見て、どうしてかまずいな、という風に顔をしかめてから、突然に兵助の腕を掴んで私に背を向けさせた。それからあからさまに私の前でこそこそ内緒話の体勢をつくって、兵助になにかぼそぼそと耳打ちする。
 なにー……? 兵助となに話してるの……?

「あー、えーと」

 振り向いた兵助は、なんだか顔が赤かった。

「その、な」

 しょんぼりと気分が落ちている私に、兵助はちょっと視線を逸らしながら口を開く。

「俺はさ、前さえ見てたらすごく上手いと思うよ」
「え?」

 言葉の意味がすぐに理解出来なくて顔を上げると、兵助は私と目を合わせて笑ってくれた。

「雑巾がけ。上手いと思うよ」

 …………あ。

「ありがとう!!!」

 嬉しさのままに飛びつくと、兵助が慌てて私を受け止めてくれる。「こーら、掃除時間中なんだからいちゃつかないの」と親友に引き離されながら、ああ幸せだなあと思った。
 よし、もっと頑張って、兵助の好みの女の子になる!

「見ててね、兵助! 私、もっと雑巾がけ上手くなるから!」
「いや、ちょっと待って、俺は別に今のままでも──」
「じゃあ、後の掃除全部あんたがやってくれる? 練習になるでしょ?」
「うん、全部私がやるよ!」
「え、ちょっと!」
「行ってくるね、兵助!」

 親友の言葉に大きく頷いて、私は雑巾を廊下に押しつけて腰を上げる。気合いを入れて、勢いよく廊下を蹴った。












「……あのさ」

 瞬く間に遠ざかっていくの姿に止めることを諦めて、俺は隣でにやにや笑ってる女子生徒を軽く睨む。

「なによ、久々知」
「なにじゃないだろ。お前、確実に俺をダシにして楽しようとしてるだろ。俺がいつ雑巾がけが上手い女の子が好きなんて言ったんだよ」
「いいじゃん、あの子が久々知のこと大好きってだけの話でしょ」

 からかうように笑われて、情けないことに顔が赤くなって、それ以上はなにも言えなかった。
 さっきと違って前は見てるけど、相変わらずすごい速さで雑巾がけをしている恋人の姿に、少し恥ずかしいけどすごく嬉しいと思うのも事実だった。
 だって、本当に一生懸命なのが分かるから。

 見ると、もう向こうの端に着いたらしく、はぶんぶんとこっちに手を振っていた。こちらからも軽く手を振り返すと、遠目でも分かる、すごく嬉しそうににこにこと微笑む。
 
 あの子が久々知のこと大好きってだけの話でしょ、と言われたばかりの言葉が頭を回る。
 ……あーあーもう。



 俺だって大好きだよ。