不破雷蔵夢
三話『気づきへの第一歩』おまけ
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に「雷蔵、一緒にご飯食べない?」と誘われたのは、男女合同授業が終わった後だった。 「え、ご、ごはん……!?」 思わず、なにを言われたか分からなくて聞き返してしまう。 「うん、晩ご飯。雷蔵に聞きたいことがあって、良かったらご飯食べながらでもと思って」 そう言って、は軽く微笑む。その微笑みに釘付けになりながら、雷蔵は今何が起こってるのか、ほとんどパニック寸前の頭で考えた。 五年生の男女合同授業。普段は長屋も授業も別のせいであまり会えないの姿を見れただけでも嬉しかったのに、さらに食事に誘われた。しかも聞きたいことがあるから、という前提付きで。もしかしてもしかすると、これは二人だけで食事ということなのだろうか。 それってなんだか、ものすごく幸せじゃないか。いっそ夫婦みたいじゃないか。 もちろん、これまでの学園生活でなんとなく偶然に一緒に食事したことは数え切れないけれど、そもそも今日は『が誘ってくれた』のだ。それとこれとは全然違う。 突然舞い降りた幸運に一体どう返事をすればいいのかと混乱していると、はなにを思ったのか「あ」と声を上げ、慌ててすぐ隣にいた彼女の親友の腕を引いて「この子も一緒だから」と付け足した。あ、二人きりじゃないんだ、と雷蔵がほんの少し残念に思った瞬間、突然に後ろから背中に衝撃が走る。三郎が雷蔵の背中を叩いて身を乗り出し、 「俺と雷蔵、今日一緒に飯食う約束してるんだ。だから、四人でいいなら構わないぜ」 そ、そんな約束してない! と雷蔵が慌てて抗議の声を上げようとするのを、三郎が後ろから小声で囁いた。 「俺の言うとおりにしてろ、お前一人じゃ焦りすぎてなにも話せないだろうが」 三郎の場合はただ面白がってるだけだろ! と叫びたいのを必死で堪える。実際、三郎の言うとおり、一緒に食事なんて浮かれる場面で自分がまともに話せるかどうか不安はある。……けれど釈然としないのは、絶対に、絶対確実に、三郎がこの状況を物凄く面白がっているのが分かるからだろう。 「あ、そうなんだ。もちろんいいよ。それでいいかな、雷蔵」 が首を傾げる横で、その親友も「ご飯はみんなで食べた方が美味しいよね」と微笑んでいる。五年のくのたまの中でも穏和な性格の二人で、まるで小動物が二匹じゃれているみたいに見えて、ほんわかとする。ああ、癒される。可愛い。 「返事しろばか、なに黙ってんだ!」 突然に、小声の叱責。はっとして、雷蔵は慌てて口を開いた。 「う、うん、もちろん! ええと……食堂で待ち合わせでいい?」 「分かった。じゃあまた後でね、雷蔵、三郎」 「またねー、二人とも!」 連れ立って長屋へと帰って行くくのたま二人を見送ってから、雷蔵は状況を改めて理解して顔を赤くする。その肩に手を乗せて、三郎がニヤニヤと顔を寄せてきた。 「いよいよ機会到来か? しくじるなよ、雷蔵」 「し、しくじるなって言っても……」 「食事だけじゃなくて、なんか話があるらしいじゃないか。行け雷蔵、男を見せろ」 ばしん、と気合いを入れるようにまた背中を叩かれる。妙に上機嫌な三郎に、そんなに人の恋路が楽しいのだろうかと憮然としつつ、けれどそんなことどうでもよくなるほどに幸せだった。 一度長屋へと帰って荷物を置いて、それから慌てて食堂へと向かう。それはもう幸せで舞い上がりそうな雷蔵と、やけに愉しそうな三郎を見つけて、のほうから手を振ってくれた。 「雷蔵、三郎」 「さっきぶりだね」 立ち話をしていたらしい、とその親友の二人が、雷蔵と三郎に笑顔を向ける。 「悪い、待ったか?」 「ううん、全然待ってないよ」 三郎の言葉に、が首を横に振る。うわー、このやりとり、なんだか恋人同士の逢い引きの待ち合わせみたいじゃないか! そんな想像をして、雷蔵は舞い上がる心を抑えられない。……喋ってたのは三郎だけど、という事実はこの際忘れることにした。 「じゃあ、行こっか。今けっこう空いてるみたいだよ」 の親友の言葉に、四人で連れ立って中に入る。めいめいに食券を引き替えて、席に着いた。 (え、真ん前……!?) 雷蔵の座った席の向かい側に、自然にが腰を下ろす。雷蔵の隣は三郎、その前にはの親友、という雷蔵にとって幸せ極まりない状況だ。しかしよくよく考えればは自分に用があるらしいし、それならこういう座り方になるのは当然だよね、と雷蔵は自身を落ち着かせる。 「あ、雷蔵も私と同じなんだね」 雷蔵とは同じ献立。の言葉に、「あ、うん」と答えつつ、実はただ単にと同じものを咄嗟に選んだとは言えない。だってこんな幸せな時に、食事をどれにしようか散々迷って失態を見せることはしたくなかったから。 いただきます、と全員で手を合わせて、食事を始めた。 「雷蔵、この間はありがとう」 箸を手に取る前に、がいきなり口を開いた。 「ありがとうって……なんのこと?」 突然にが言った言葉に思い当たることがなにもなくて、雷蔵は一瞬舞い上がっていたことを忘れてきょとんとした。は割り箸を二つに割りながら、軽く微笑む。 「山で遭難しかかった時だよ。助けにきてくれたでしょう?」 言われて、ようやくそれに思い当たる。少し前に、含む体育委員が山で無茶をしそうになったときに、三郎と探しに行ったのだ。ただ心配で駆けつけただけだから、雷蔵自身には『助けた』という意識は無いのだけれど、はまだそのことを覚えていてくれているらしい。そう思うと、嬉しくなった。 「そんな、僕は大して役に立たなかったし」 「ううん、あの時は本当に危なかったから、来てくれなかったらどうなってたか分からないもの。勿論、三郎にも感謝してるよ」 は三郎にも視線を向けるが、三郎はの親友と話をしていて、こちらを見向きもしない。話も耳に入ってないらしく、三郎はの親友の定食を覗き込みながら、 「お前、それA定食か?」 「うん、今日はこれ食べたかったんだ、おかずが全部好物だから」 「よし、俺のB定食と取り替えようぜ、おかず全部」 「嫌がらせになんの捻りもないよ!?」 本気で手を伸ばす三郎に、の親友が慌ててそれを阻んでいる。が話しかけてるのになに子どもみたいなことを……、と雷蔵が三郎に声をかけようとすると、が小声で「いいよいいよ」と笑う。 まぁ、がそう言うなら構わないけどと思いながら、雷蔵は視線を戻す。……ああ、もしかしたら三郎は二人きりにしてくれようとしてるのかもしれない。そう思い当たって、ちょっと三郎に感謝した。 「そういえば、あの時の怪我の具合はどう?」 「あ、……うん、大丈夫だよ」 は箸を置くと、右腕の袖をめくって二の腕を見せた。ほんのうっすらと青痣の痕は残っているが、それだけだ。あと一週間もすれば、きっと元の綺麗な肌色に戻るだろう。 「ね。治りが早かったのも雷蔵が手当してくれたからだよ。ありがとう」 「……う、ううん。酷くなくて良かったよ」 なんだかさっきから感謝ばかりされていて、雷蔵は恥ずかしくなる。実のところあの時は下心が無かったとは言い難い状況だったし、尚更にだ。 「改めてお礼が言いたかったの。おかげで他の体育委員も怪我しなくてすんだしね」 は微笑みながら、食事を始めた。雷蔵も慌てて箸を取ってそれに続く。 それからは、他愛もない話をした。授業のこととか同級生のこととか委員会のこととか。けれどなんとなく真っ正面のの顔をずっとは直視出来ず、の箸使いばかりをちらちらと見てしまう。綺麗に魚の骨を取るところとか、あまり好きではないのか筑前煮を食べるときだけ一瞬箸が止まることを発見して、少し嬉しくなる。 ほんとに可愛いなぁ幸せだなぁと浸りながら、食事も終わりかけた頃に、ようやく思い出した。 「、僕に聞いて欲しいことがあるって言ってなかった?」 最初誘われた時、は確かそう言っていた。自身も今ようやく思い出したように、「あ」と声を上げる。 「そうそう。雷蔵に山でのお礼と、それからお願いしたいことがあったの。忘れちゃうところだった」 お、お願い? 思わぬ事態に雷蔵は軽く動揺する。にお願いされたら、正直に言ってどんな内容でも即座に頷いてしまう自信がある。 「お礼とお願いが一緒なんて、あつかましくてごめんね」 「そ、そんなことないよ! 僕に出来ることならなんでもやるよ」 申し訳なさそうにが眉を下げるのを、ぶんぶんと片手を強く振る。むしろお願いしてくれてありがとうと言いたい気持ちでいっぱいだよ、と雷蔵はその内容も聞かずにこの状況に感謝する。 がなにか用事があることは分かっていたけれど、まさかお願いだなんて思わなかった。三郎、どうしよう──と視線で今回ばかりは助けになってくれるはずの親友を窺うと、三郎はの親友のくのたまを軽く睨み付けているところだった。 「おい。おい。おーーーいっ」 「っ!? な、なに三郎、今呼んだ?」 「お前ほんっと飯食べてる時は人の話聞いてないよな。食べるのと喋るのを同時に出来ないのかよ」 「そんな行儀悪いこと言われたの初めてだよ! ……あ、三郎、豆腐食べないの? 美味しいのに」 「なんか知ってるやつを彷彿とさせて嫌なんだよ」 「あはは、久々知のこと? じゃあ私が食べてもいい?」 「……別にいいけど、あいつ食べたら多分胸焼けするぞ。先に医務室行って胃薬もらってこい」 「大丈夫だよ私胃袋頑丈だし……って、久々知は食べないよ! さすがに許容範囲外だよ!」 ……なにしてるんだろう、三郎。 三郎との親友は、やっぱり子どもみたいなやりとりを続けている。さっきと同じで、こっちの話なんかこれっぽっちも聞いてない。こっちを気遣ってるという気も全くしない。逆に、隙あらばこちらをからかおうという気配すらない。助けてやるみたいな言葉はなんだったんだろう。 「雷蔵、どうかしたの?」 「あ、……ううん、ごめん、なんでもないよ」 不思議そうに顔を覗き込むに、雷蔵は慌てて視線を戻す。この際三郎を頼りにするのは止めよう、と思う。 「それで……お願いってなにかな」 「あ、うん。……雷蔵、図書委員でしょ。本のことには詳しいよね?」 「多分、普通の人よりはね。なにか探し物?」 力になれそうなことで、ホッとする。お願いを引き受けたくても、全然役に立てないことだったら情けない。 「そうなの。今度授業で毒薬についてまとめなきゃいけない課題があってね。でも図書室にはそのことに関する本が多すぎて、どれが良いのか分からなくて」 困ったように、が雷蔵を窺う。ああなるほど、じゃあ僕が見繕ってに渡してあげればいいのか、と雷蔵は自分のやるべきことが見つかって嬉しくなる。それくらいなら朝飯前だ。 それじゃあ本をの名前で借りてきてあげるね、と言おうとした時、先にが続けた。 「だからもし良かったら、ご飯食べた後に図書室行って、一緒にどれがいいのか選んでくれないかな?」 「え……?」 一緒に……? その単語に動揺すると、は慌てたように首を横に振る。 「あ、もちろん用事があったらいいの! 明日でも明後日でも」 「や、そんなことない、全然大丈夫だよ! 僕で良かったら手伝うよ!」 思わず強い口調で否定する。一緒に。なんていい言葉だろう。ご飯を食べてる今だってすごく嬉しいのに、ご飯を食べた後も一緒にいられるなんて。 「ほんと……? 無理してない?」 「うん、全然。これから兵助と自習する約束してたけど、少し遅れても全然構わないし。それに、課題なら早めに文献揃えたほうがいいよね」 上機嫌でに微笑むと、は嬉しそうに、それからどうしてかちょっと複雑そうに、微笑み返す。 「ありがとう。雷蔵は、ほんとに優しいよね」 「そ、そんなことないよ」 優しいとしたら、だからだよ、とまで言える勇気は無論ない。ああどうしようどうしようと嬉しさでこれ以上ないくらい幸せに浸っていると、隣から「ごちそうさまー」と二人分の声が聞こえた。視線を向けると、三郎との親友が同時に立ち上がって、食事の盆を持ち上げている。もう終わりかけとは言っても、雷蔵ももまだ食べ終わってはいないのに。 「あれ、もう行くの?」 も不思議そうに親友に問うと、親友は「うん」とのんびりと微笑む。 「三郎がね、手裏剣の稽古に付き合ってくれるって言うから。一緒に行ってくるね」 「え……?」 なんでいきなりそんな話になってるんだろう、と雷蔵は不思議に思う。……いや。これはもしかしたら、三郎が本当に雷蔵とを二人きりにしようとしてくれたのかもしれない。 「そういうわけだから雷蔵、お前はゆっくり食ってろよ」 三郎は雷蔵に向けて思わせぶりに笑う。『上手くやれ』とその目が言っていて、思わず顔が赤くなった。やっぱり、その通りだった。恥ずかしいけれど、やっぱりとても嬉しい。三郎と同じように、目で『ありがとう』と伝えた。 その隣で、も苦笑しつつ親友に軽く手を振る。 「そっか、もうすぐ試験だもんね。行ってらっしゃい」 「うんっ。、雷蔵、またねー」 「う、うん、またね」 「またねー」 雷蔵が慌てて返事をしたときには、すでに三郎との親友は連れ立って盆を返しに行くところだった。今から二人きりなんだ、と思うと胸が高鳴るのを無理矢理落ち着かせて、雷蔵は目の前のに視線を戻す。 「じゃあ、食べたら図書室に行こうか」 「うん」 雷蔵の言葉に、はにっこりと微笑んでくれた。 読んでくださってありがとうございました! |