不破雷蔵夢
四話『贈り物』
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が忍たま長屋の前でどうしようかとうろうろしていると、通りがかった下級生に声をかけられた。 「先輩? なにしてらっしゃるんですか?」 「あ、四郎兵衛」 見ると、同じ委員会の四郎兵衛と、友達なのだろう二年生が、二人揃って不思議そうな瞳を向けていた。 「ご、ごめんね。不審だった?」 「いえ、大丈夫ですけど……先輩、誰かに用があるんですか?」 「あ、うん。ちょっとね」 忍たま長屋は女子禁制、くのたま長屋は男子禁制。授業が終わってお互い長屋に帰ってしまえば、誰か人づてにしないと連絡を取り合うことが出来ない。最終手段として直接乗り込んでしまうという手もあるが、万が一見つかったら先生にこっぴどく叱られてしまう。 「僕たちでよければお伝えしますよ。五年生の先輩ですか?」 四郎兵衛の隣、確か名前は川西左近と言ったか、真面目そうな生徒がそう言ってくれる。迷っているよりそうした方がいいなとも頷いて、二人に伝言を頼んだ。 「それじゃあ、お願いしてもいいかな? あのね、五年生の不破雷蔵に──」 「なんでここに女子が!? ……って、三郎の変装か。お前の術は視覚的に来るよなー」 声もかけずに戸を開いた八左ヱ門は、変装の術の練習をしている三郎を見て勝手に驚き、勝手に納得して部屋の中に入ってきた。 「八左ヱ門、どうしたの?」 雷蔵が顔を上げると、八左ヱ門は「よう雷蔵」と軽く手を挙げ、 「暇だったから遊びにきた。あと、明日提出の宿題、教えてくれ」 忍たまの友を手に、八左ヱ門が部屋の真ん中に座る。自習のため文机に向かっていた雷蔵も、苦笑しながら八左ヱ門に向かう。 その隣で、三郎は二人に目も向けずに真剣に変装の術を練習している。同級生の顔が見慣れた人物にころころと変わるのは正直不気味だが、慣れている雷蔵と八左ヱ門にとっては、軽く風景のようなものだ。 雷蔵に宿題を教わりながら、八左ヱ門はちらちらと三郎に目を向ける。どうもその変装の相手がくのたまばかりなのに気づいて、八左ヱ門は首を傾げる。 「なぁ三郎、お前なんでくのたまの変装ばっか練習してんだ?」 「ああ、女子のが難しいんだよ。あいつらすぐ化粧とか髪型とか変えるしな……なんだ八左ヱ門、興味あるか?」 くるり、と見知ったくのたまの顔で振り向かれて、八左ヱ門はぎょっとする。 「いや、興味あるとかじゃなくてな! ……あ、いや、興味はあるかもな。告白の練習台とかに出来そーじゃん!?」 あははと笑う八左ヱ門に、ほーと三郎は楽しそうに頷く。 「ようし、協力してやるよ。お前の好みって言ったら、やっぱり虫が好きな女か? お前虫好きだろ? あ、それとも山田先生の女装か? お前個性的な女が好きだろ?」 「待て! 虫好きの女はともかく、山田先生の女装は明らかにナシだろ!?」 「そんなこと言ったら山田先生に殴られるぞ、お前。……ほれ出来た、伝子さん。告白しろ、さあ」 「するかぁぁぁーーー! ちょ、やめろーー!」 逃げる八左ヱ門を追いかける、三郎の伝子さん。……山田先生には悪いけど、正直ほんと気持ち悪いな……と雷蔵は顔をひきつらせながら視線を逸らす。 「雷蔵、いるかー? って、なにやってんだお前ら……」 その時突然戸が開き、顔を覗かせた兵助が、中の惨状を見て軽く引いた。雷蔵が視線を戻すと、八左ヱ門の上に伝子さんの三郎が馬乗りになって告白を迫っているところだった。……異様すぎる。確かに、三郎の術は視覚的に来る。 「八左ヱ門が告白の練習したいって言うからさ」 瞬く間に元の雷蔵の顔に戻って、三郎は八左ヱ門の上から下りる。 「俺は断ったんだけどな、八左ヱ門がどーしても伝子さんがいいって言うから」 「いや、明らかに伝子さんはないだろ三郎……八左ヱ門完全に怯えてるぞ」 「ほんとこえーよ! お前さぁ、人をからかうにも限度があるだろーが! 髭の剃り残しまで再現してんじゃねーよ!」 どうやら顔を近づけられて大真面目に怖かったらしい。八左ヱ門が憤慨している横で、三郎が「分かった分かった俺が悪かった」と適当に謝っている。 「まぁいいや。雷蔵、ちょっと今出れるか?」 中に入って戸を閉めて、兵助が雷蔵の前に座って小声で囁く。隣から「明らか適当に謝ってんじゃねーよ! 三郎、お詫びにめちゃくちゃ可愛い女の子に変装して、俺に告白しろよ!」と八左ヱ門が叫んでいるのを聞きながら、雷蔵は兵助に視線を向ける。 「ん、僕になにか用?」 「俺じゃないけどな、下級生から伝言頼まれた。……が、お前に用があるから呼んで欲しいって」 「そっかが…………って、え!?」 反射的に腰を浮かせかけ、すぐに言葉の意味に気づいて逆に尻餅をついた。『う、嘘じゃないよね?』とじっと兵助の顔を見ると、兵助は無言で首を横に振る。 「めちゃくちゃ可愛い女の子って言ってもな……人によって好みは違うだろ。どんな女がいいんだよ、具体的に名前挙げろ」 「な、名前って、そんな」 「くのたまなら誰だ、ほれ言え」 「ううう……卑怯だぞ三郎!」 兵助は、三郎と八左ヱ門がくだらないやりとりを交わしているのをちらりと横目で見て、小声で「ほらさっさと行ってこいよ、、長屋の入り口で待ってるから」と促す。多分、二人がこっちに集中していない今のうちに行けということなのだろう。見つかったら盛大にからかわれるからだ。 「ありがとう兵助、行ってくる」 「うん、良かったな」 その配慮に感謝して、雷蔵は素早く立ち上がって戸に向かう。が僕を呼んでるなんて、一体なんの用だろうか。ていうかもう内容とかなんでもいい、すごく嬉しい。普段はほとんど会えないんだし! と舞い上がる心のまま戸を開き、雷蔵は部屋を飛び出した。 「……ん、なんだ雷蔵。どうしたんだ、厠か?」 突然に出て行った雷蔵に、八左ヱ門と三郎が言い合いを止める。雷蔵の行き先を問う二人分の視線を受ける兵助は、「みたいだよ」と頷く。 「それにしてもすごい勢いだったな、雷蔵。腹の具合でも悪いのか?」 八左ヱ門が首を捻っている隣で、三郎が訝しげな顔をしている。まずい、と兵助は軽く焦る。こういうことについて、三郎は人一倍勘がいい。 「……おい兵助、本当のことを言え」 「ほ、本当のことって、だから厠に……」 「八左ヱ門、吐かせるぞ!」 「おう!」 「いや、だから……って、ぎゃーーー! 伝子さんの顔を近づけるなーー!」 雷蔵が急いで忍たま長屋を出て入り口に向かうと、見間違えるはずもない、が木の幹に身体を預けて待っていた。足音に気づいたのだろう、こちらを見つけたが「あ」と声を上げて手を振ってくれる。瞬く間に、鼓動が早くなる。ほぼ全力で駆け続けていた足の速度を落とし、ようやくの前にたどり着いた。 「ご、ごめん、。待ったよね?」 「こっちこそごめんね、いきなり呼び出したりして。忙しくなかった?」 不安げな瞳で雷蔵を見上げるに、ぶんぶん、と勢いよく首を横に振って、強く否定する。 「全然、そんなことないよ。すごく暇だったから、ほんとに!」 「そう? ……良かった、わざわざ呼び出して、迷惑だったら申し訳ないなと思って」 微笑むに、雷蔵はもうに恋をしてから何度目になるのか分からない、愛おしさで顔が赤くなっていくのを感じる。ずっと前から、他には誰も目に入らないくらいに好きな女の子。傍にいるだけで幸せになれる女の子。優しい微笑みも、柔らかな声音も、……全部、すごく好きで仕方ない。 「それで……どうしたの、。僕になにか用?」 こうして会えただけでも勿論嬉しいけど、の用事がなんなのかも気になる。わざわざ忍たま長屋まで足を運ぶなんて、多分にとって大事な用なのだ。 「……あのね。ごめんなさい、大したことじゃないんだけど……」 少し躊躇いを見せながら、は雷蔵を見上げる。言いにくそうな様子に、雷蔵は身を固くした。一体なんだろう、深刻なことなんだろうか。自分での助けになることならばいいけれど、との言葉を待っていると、は意を決したように何かを取り出した。 「これ……あの、前にお礼にって言ってたものなんだけど」 は、そっと小さな包みを差し出す。古紙だけど綺麗なそれに包まれたなにかを差し出されて、雷蔵の鼓動が跳ね上がる。 「……え、あの」 ぐわん、と頭が揺れる。が差し出すその包みと、の瞳を交互に見る。お礼、お礼、と上手く働かない頭の中で繰り返して、ようやくに思い出した。 『そうだ雷蔵、私ね、明日の休みに同室の子と町に行くの。今日のお礼に……なるか分からないけど、お土産買ってくるね?』 十日ほど前だったか。に頼まれて、図書室で本を探すのを手伝った。その時、が言っていた。お礼に、と。 「ごめんね、お菓子にしようと思ってたんだけど、あんまり良いのがなくて……それで、あの」 の声が、不安そうに揺れる。けれど雷蔵はそれに構うことが出来なかった。からの贈り物、というそれだけで、もう目の前が真っ白になる。これは……夢じゃない。現実だ、と繰り返す。 「すぐ渡そうと思ってたんだけど、なかなか会えなくて……。ごめんね、私、なにがいいのか分からなくて」 「ありがとう!」 突然叫んだので、はびくっと身体を震わせた。次いで、ホッとしたように微笑む。 「……もらってくれる?」 「あ、当たり前だよ!」 勢い良く受け取りそうになって、慌ててゆっくりと手を伸ばす。包みを受け取ると、はまた安心したように微笑んだ。はにかむようなその微笑みと、手の中の小さな包みが、雷蔵の心臓を直接掴んでいるかのように鼓動を早める。 現実感が湧かなくてじっと包みを見ていると、慌ててが雷蔵の顔を覗き込んだ。 「あ、で、でも大したものじゃないの。綺麗な組紐を見つけたから、それで」 組紐。その言葉に、嬉しさが増す。それなら、なんにだって使える。 「ありがとう。すごく……嬉しい」 「ほんと……?」 「うん、本当に、嬉しい。ありがとう」 大した言葉が出てこなくてもどかしい。けれどはその言葉だけで十分だと言いたげに、嬉しそうに笑ってくれた。嬉しいのはこっちのほうなのに。どうやったらそれを伝えられるのだろう、と悔しく思う。 「ありがとう、……大切にするから」 きっとなによりも、大切にする。嬉しくて震えそうになる手で、包みを仕舞う。 「うん、私も大切にするよ」 は嬉しそうに微笑み、雷蔵はその微笑みに目を奪われる。の言葉を少し不思議に思ったけど、その時はどういう意味なのか分からなかった。 「遅くにほんとにごめんね、雷蔵。私、そろそろ戻るね」 一歩下がり、は軽く頭を下げる。はっとして、雷蔵も慌てて声を上げた。 「うん。わざわざありがとう。本当に……ありがとう、」 「こちらこそ、ありがとう。おやすみなさい、雷蔵。またね」 「うん、おやすみ。気をつけてね」 雷蔵の言葉に、は柔らかく微笑んで軽く手を振り、踵を返して去って行った。僅かなかがり火と月明かりの下、の姿はすぐ見えなくなったが、遠ざかっていく足音と気配はまだ感じられた。それに、他の人には感じない『特別』を想って、頬がまた熱くなる。 仕舞っていた包みを取り出して、そっと手の中に包み込む。がくれたもの、というだけで、本当に途方もなく嬉しい。部屋に戻って開けようか、いや一人の時のほうがいいだろうか、と悩みながら踵を返した。その瞬間、 「こんっの、幸せ者ー! ちくしょーー!」 「うわっ!?」 突然に目の前に見知った顔が現れて、思わず声を上げた。 「な、八左ヱ門!?」 がし、と雷蔵の腰元にしがみついてくるのは、間違いなく八左ヱ門だった。それだけではなく、絶句している雷蔵の前に、三郎と兵助まで現れる。 「ちょ!? な、なんで!?」 長屋にいるはずの三人がどうしてここにいるのか、思わず兵助を見ると、兵助は顔をひきつらせて視線を逸らす。 「悪いな、雷蔵。伝子さんには勝てなかった」 「俺達に内緒で逢い引きしようだなんて十年早いんだよ」 「くそー! 組紐とかなんだよ、雷蔵だけずるいぞ!」 「ちょっ、みんな待って、ってか八左ヱ門、離して!」 相変わらず腰に縋り付いてくる八左ヱ門を引き離し、雷蔵は改めて目の前の三人を見回す。 「の、覗いてたの?」 問うと、三人はお互いの顔を見合わせてから、軽く頷く。次々に、 「うん」 「最初から最後まで」 「見た」 「ちょっとーーーー!」 思わず叫ぶ雷蔵に、しかし三人は罪悪感の欠片もない顔で肩をすくめたり、半眼を向けたりしている。その視線の冷たさに、うっと雷蔵は言葉を詰まらせた。なにその攻撃的な視線。 「いいだろ、お前は幸せ者なんだから」 「あー、熱い熱い」 「ていうかお礼って一体なんのお礼だよ、いつの間に仲良くなってんだよ!」 「ち、違うよ、この間図書室で本を探してあげて、そのお礼にって」 「アホらしい……前に励まして損した……」 「嫌いな奴に礼なんか渡さねーつの……」 「違うってば! 本当にお礼ってだけで、深い意味はなにも……」 いや、あったら嬉しいけど、あるわけないから! 雷蔵が必死に言うのを、あーはいはい、と三人は適当に流す。どうもなにを言っても無駄らしいと察して、雷蔵は言葉を続けるのを諦めた。いや、恥ずかしいのは確かだけど、実のところ三人に覗かれたことがそんなに嫌だったわけじゃない。なにしろ……そんなことどうでもよくなるくらい、本当に嬉しかったから。 「ま、でも良かったじゃないか、雷蔵。俺も、嫌いな奴に礼なんか渡さないと思うよ」 ぽん、と兵助が軽く笑って雷蔵の肩を叩く。それまでからかっていた三郎も八左ヱ門も、兵助と同じように「良かったな」と声をかけてくれる。それで、また嬉しくなった。 「うん……ありがとう」 しみじみと、本当に嬉しいと思う。以前も、この三人はとのことを励ましてくれた。勿論まだ恋仲なんかじゃ全然なくて、本当にただお礼をもらっただけだけど。でも……それだけでも十分なくらい嬉しい。 「しっかし、から組紐ねぇ……いいよな、お前は」 はーーっと深いため息と共に吐き出される、突然の三郎の言葉。珍しい、心から羨ましそうな声音で「組紐ねぇ……」と繰り返す三郎にぎょっとして、八左ヱ門は顔をひきつらせて「お、おい」と三郎の肩を掴んだ。 「な、なんだ三郎、どうした。まさかお前……が好きなのか!?」 「ほ、本当か、三郎!?」 がつんと衝撃を受ける兵助と、慌てふためく八左ヱ門に、「あーほ」と三郎は半眼を向ける。 「ちげーよ。いいか、俺の好みはな、こう美人で胸が大きくて腰が細くて尻肉の形がいい、色気のある女なんだよ! それに経験豊富で男を手玉にとるような、悪女的な性格の!」 だからお子様なには全然興味ない、と言い切る三郎に、うわあ、と兵助と八左ヱ門は顔を歪める。 「お前、趣味悪ぃなー……」 「そういう女は組紐なんかくれないと思うぞ……」 「うるせーよ」 「ちょ、ちょっと! は可愛いし女の子らしいよ!」 さすがに聞き捨てならずにこれだけはと雷蔵が口を挟むと、一気にその場の温度が下がった。 「黙ってろ雷蔵」 「恋路が上手く行ってる奴にはなにも言われたくねー」 「うん、隅っこで静かにしててよ雷蔵」 なぜか全員一致で(兵助にまで!)冷たく睨み付けられて、びくっと雷蔵は身体を引く。物凄くどす黒い気配が三人から噴き出してる。さっきは『良かったな』って言ってくれたのに! 「けっ。俺なんか女からモノもらったことすらねー」 「お前が女からもらうのって鉄拳とかばかりだよな、八左ヱ門」 「上手いこと言ってんじゃねーよ! その通りだよ!」 がしっと三郎と八左ヱ門が肩を組んで、長屋へと歩き出す。その後をついていく兵助に、自分もと慌てて雷蔵も続いた。 「いいなぁ……俺も可愛い恋人が欲しい」 「欲しい欲しいって言ってるだけじゃ駄目だろ、行動に移せよ」 「さ、三郎先生!? ご教授願えますか!?」 「あほか、教授できるほど達者なら自分の恋路に使う」 「ちくしょー! それもそうだー!」 「ほんと一筋縄じゃ行かないよな、恋とか愛とか」 わーわーと恋の話で盛り上がったり盛り下がったりしている三人の後ろをついていきながら、雷蔵はにもらった包みを柔く握りしめる。 ……嬉しい。しみじみと、今一度思う。すごく、嬉しい。 が自分のために悩んで、選んでくれた、そのことが途方もなく嬉しい。 本当に本当に嬉しいけれど……けれど、ふいに寂しくなる。 みんなが言うように、確かに嫌いな相手に礼なんてしないと思う。には、嫌われてはいないんだと思う。 けれど──それだけだ。 好かれているというわけじゃない。恋仲の相手にと、が望んでくれているわけじゃない。 すごくすごく嬉しいけど……誤解しちゃ駄目だ、と思う。 は優しくて真面目だから。きっと、山で助けたこともなにかお礼をしなくちゃと思っていて、これはその意味もあったんだと思う。 そんなのいいのに。なら、いくらでも迷惑をかけてくれて構わないのに。そう、『雷蔵になら迷惑をかけても構わない』とが思ってくれるような、そんな間柄に、一番なりたいのに。 ──なれる、だろうか。 それを思うと、急に、頭が不安で塗りつぶされた。 雷蔵と別れてから、良かった、とはホッと胸を撫で下ろす。 雷蔵は差し出した組紐をありがとうと受け取ってくれた。 勿論もとても迷いながら選んだけれど、あの組紐は高いものじゃないし、有り体に言って全然大したものじゃない。 それでも、雷蔵は多分心から喜んでくれた。 雷蔵が喜んでくれて、とても嬉しい。言葉の通りに大切にしてくれたら、もっともっと嬉しい。 少しだけ危惧していた、以前感じた胸の痛みは、今日は欠片も感じなかった。 あれはきっと、なにかの間違いだったんだと思う。だって今日は、こんなにも嬉しいのだから。 は袖から、雷蔵に渡したそれと同じ型の、もう一つの組紐を取り出す。 雷蔵と仲良くなりたいと思って、ついでに一緒に買ったものだ。雷蔵は迷惑かもしれないから目立つところでは使う気はないけれど、同じ組紐を雷蔵が持っていてくれると思うと、それだけで繋がりが出来たみたいで、少し嬉しい。 ──喜んでくれてありがとう、雷蔵。 もう見えないけれど雷蔵の居るだろう場所に向けて感謝してから、はくのたま長屋へと走り出した。 終 →五話『望まない自覚』前編 |