鉢屋三郎夢
『望む的に当てる術』





「うーん」

 手の中にある持ち慣れた手裏剣をじっと見つめて、私は軽く首を傾げる。
 そろそろ日が沈む。夕焼けに染まった手裏剣の練習場。私の前に設置された専用の的には、今までに投げた手裏剣が数本刺さっている。けれどその下には、的に刺さり損ねて落ちた手裏剣が、的に当たっているそれの数倍転がっている。確率で言えば、三本に一本当たるかどうかだ。高い確率とはとても言えない。
 私はもう一度「うーん」と唸ってから、後ろで木の下に座っている三郎を振り向いた。
「ねぇ三郎、なんで当たらないんだと思う?」
「そりゃ、お前が下手だからだろ」
「そうだよね」
 三郎の言葉に、全くその通りだと私は頷く。下手だから、当たらないのだ。疑問の余地すらない。
「……なに納得してんだ。それを克服するために練習してるんだろ、お前」
「うん、そうなんだけどね。でも、こんなに見事に当たらないと、さすがに清々しいなと思って」
 自分事ながら、びっくりするほどの命中率の低さだ。下級生で手裏剣が下手な子に見せたら自信つくだろうなぁ、としみじみ思う。
「こら、真面目にやれ」
「あ、うん。ごめんね」
 呆れた色の三郎の声に、慌てて頷く。そうだ、三郎が見てくれているのだから頑張らないと。
 少し前、食堂で三郎と一緒になった時、もうすぐ試験だという話になった。そのついでに手裏剣が苦手だと零したら、三郎が『じゃあどれだけ当たらないのか見せてみろよ』と言い、そういうことになったのだ。三郎は軽口を叩くことが多いけれど、つまりそれは『教えてやる』ということと同意だと知っていたから、有り難くその申し出を受けることにした。
 それにしても。
「ほんとに、なんでこんなに当たらないんだろう」
 昔はそれほど下手ではなかったのに、最近急に命中率が下がってきた気がする。手裏剣の腕だけですべてが決まるわけじゃないけど、これはこれで基礎的な技術の一つだ。
 再びうーんと唸っていると、後ろから三郎がやれやれと私へと近づいてくる。どこからか私が投げているのと同じ型の手裏剣を取り出して、
「とりあえずお前、もう一回投げてみろ」
「うん」
 隣に並ぶ三郎の言葉に頷いて、手の中の手裏剣を目前の的へと狙い、投げた。
 ──外れた。
「……三郎」
「分かった。教えてやるから、そんな目で見んな」
 思わず縋るように見ると、三郎が呆れた表情になる。そして、手裏剣を持つ手を掲げて、
「さっきから後ろで見てたけどな。お前、狙い自体は悪くないんだ。狙った後の腕の振りが甘いんだよ」
 見てろよ、と三郎はほんの一瞬狙いをつけ、そのまま軽く手を振った。瞬間、タン、と固い音と共に的が震える。ほとんどど真ん中。大当たり、と言っても過言ではないだろう的中だった。
「……凄い」
 思わず漏らした言葉に、三郎は喜ぶどころか顔をしかめた。
「凄くねーよ。一度覚えたら勝手に身体が動くようになるんだ。……いいか、的に当てるために必要なのは、肘と腕の振り切り方なんだ。肘が安定していれば、投げた時に狙いがぶれないんだ」
 もう一本手裏剣を取り出して、三郎は今度はゆっくりと手本を見せてくれる。
「それと、狙いは一瞬でつけることだな。素早く自然に出来るようにならないと、実戦じゃ意味がない。とりあえず肘を安定させればもっと当たるようになるから、そっちから練習しろ」
「うん、ありがとう」
「大体お前、前はそこそこ当たってただろ。最近になって下手になったんなら、どこかで変な癖を覚えてきたせいだ。それは忘れろ」
 三郎の言葉に、私はきょとんとする。最近下手になった、というのは確かにその通りだけど、それを三郎に言った覚えはない。どうして三郎がそんなことを知っているのだろう。
 三郎は私の不思議そうな視線に気づき、「なんだ?」と問いかけてくる。大したことでもないので、慌てて「ううん」と首を横に振った。
「ありがとう、やってみる」
 期待以上に真面目に教えてくれた三郎に感謝して、私は言われたとおりに投げ方を修正しようと、ゆっくりと的に手裏剣を投げ始めた。
「……でもな」
 と、私が練習している隣で、三郎がぽつりと呟く。
「それほど気にしなくてもいいんじゃないか? 手裏剣なんか、実戦でも逃走手段に使うのが主だろ。この成績だけ悪くても、他で挽回すれば十分足りる」
「……うん、それはそうなんだけどね」
 頷いて、私は隣の三郎を見上げる。三郎の言うことは、理解できる。
「三郎は、手裏剣得意でしょ」
「俺は手裏剣だけじゃなくて、忍術の全般得意だよ」
 その通りだと思う。別に驕ってるわけじゃない事実なので、私もそうだねと頷く。三郎は五年の中でも群を抜いて優秀だし、変装の腕などそこらのプロ忍者だって敵わないだろう。
「でもね。こうやって三郎みたいに教えてくれる人がいるんだから、じゃあ頑張りたいな、と思って」
「……まぁ、お前がそう言うなら、俺も復習になるから構わないけどな」
 それでもお前は物好きだよな、と言いながらも、三郎は練習に付き合ってくれる。なんだかんだと言っても、三郎は優しいのだ。そのことを、私は今一度嬉しく思う。
「うん。ありがとう、三郎」
 感謝の気持ちを込めて微笑むと、三郎はなぜか視線を逸らして、「別に」と答えた。







 結局のところ、理由なんてなんでも良かったのだ。
 俺にとって大切なのはと共にいられるか否かのそれだけであって、そこに至る手段などどうでもいい。
 今回は幸運にも俺の手裏剣の技術を頼られた、というだけのことだった。
 二人きりになるのは随分久しぶりだったけれど、無論『手裏剣の練習』という目的のあるは、そんなことは欠片も意識していない。意識しているのは俺だけで、そしてそれは今までだってずっとそうだった。
「……三郎、暇じゃない?」
 時折がそう聞いたのは、俺がただ黙っての練習を見続けていたからだろう。不思議そうなに、俺はその度に「別に」と返した。
 暇でも、暇でなくても、そんなことはどうでもいい。の近くに居られるならばそれだけで良いのだと、……まぁ、それこそに理解出来るわけがないのだが。
 。俺の惚れた女。正直認めるのは少し癪だが、自分でも呆れるほどに深く惚れている自覚はある。
「……んー……」
 は、的を見据えて首を傾げている。俺の言ったことを律儀にそのまま受け止めて、狙いよりも腕の振りを気にしながら練習しているらしい。他人の言うことを素直に受け止めて、疑いもせず、鵜呑みにして。
「……俺だけならいいのにな」
「ん、なに? 三郎、なにか言った?」
「……いや、なんでもない。邪魔して悪かった」
 きょとんと振り向くに、なにもないという意味で手を軽く振る。はそれ以上追求することなく、そう、とまた練習に戻った。
「お前、誰にでもそうだもんな」
 ぽつりと、の耳に届かないように小さく、呟く。
 は素直で、単純だ。たまにこいつアホか、もしくはガキかと思うほどにだ。
 昔から、は変わらない。そして俺はたぶん、昔よりは大分捻くれた。
 は変わらない。俺に接する態度はいつまでも同じで、それが決して嫌ではないのに、それ以上を俺はいつも望んでいる。
 ──そうだ、つまり簡単なことだ。今更こんなこと、わざわざ言う必要もないほどに。
 俺は、こいつにもっと許される立場になりたい。それだけだ。
 惚れている。時折嫉妬で気を違えるんじゃないかと思うほどに、俺はに惚れている。けれどは、俺の気持ちには気づかない。
 手裏剣が上手いから、成績が良いから。そんなもの、なんの役にも立ちはしない。
 好きだと一言、それすらも伝えられない技術など、今の俺にとってはなにもないのと変わらない。
 ──好きだ。その一言が、どうしても伝えられずに。俺は情けなく、ただこいつの傍にいたいと望むだけで、
「なにやってんだろうな、俺……」
 ふと冷静になってみて、滑稽なほどに目の前の女に振り回されすぎていることに気づく。惚れたほうが負けなのだと言うが、まさにその通りだ。
「三郎!」
 突然、がこちらを振り向いた。嬉しそうな笑顔で、みてみて、と的を指す。
「十本投げて八本当たったよ! 確率八割!」
「そーか。良かったな。でも実戦では的が動くからな」
「うん、そうだよね! とりあえず動かないのから克服するよ! ありがとう!」
 軽い嫌味にやはり気づかず、は満面の笑みで俺に頷く。だからお前単純すぎるんだよと呆れつつも、赤くなりそうな顔を隠すのに必死だった。
 なんだってこんなに重症なんだろうな、と今まで何度思ったか分からない疑問に頭を捻った。
 が好きで、大好きで、けれど好きだとは伝えられなくて、それでもずっと傍にいたくて、出来るならば俺を好いて欲しくて。
 ──いつかはこの関係にケリをつけなくてはならないと理解していても。
 それでも今は、こうして傍にいられることが幸せだった。






 いつの間にか日は沈んでいて、三郎が焚いてくれたのか、かがり火が二つ燃えていた。当たるようになってからが楽しくてずっと続けていたら、気づけば結構な時間が経っていた。慌てて練習を切り上げようと、的に刺さった手裏剣と、下に落ちたそれを拾い集める。
 まだ寝る時間までは大分あるけど、遅い時間には違いなかった。三郎の助言と、それから数をとにかくこなしたことが良かったのか、最後にはほとんど的に当てることが出来るようになっていた。これも三郎のおかげだと思って、私は嬉しくなる。
「……やめるのか?」
 三郎の声に、私は手裏剣を入れた籠を持ち上げて、「うん」と頷きながら駆け寄る。三郎はもたれていた木の幹から身体を起こして、軽く伸びをしながら立ち上がった。
「少しはマシになったみたいだな」
「うん、ありがとう。これで次の試験もばっちりだよ、多分!」
 言いながらふと、三郎は私が練習している間ほんとにずーーっといてくれたんだなぁと気づいて、それに少し驚いた。他人が練習しているところをただ見てるだけなんて、つまらないに違いないのに。それとも、自分が言い出したことだからと文句を言わずにいてくれたのだろうか。
「ごめんね、三郎。暇だったよね」
 けれど私が謝ると、三郎はむしろその言葉にむっとしたように眉をひそめた。
「別に、そんなこと思ってねーよ。言っただろ、復習になるんだから構わないんだよ」
 なんだかぶっきらぼうにそう言いながら、三郎はかがり火を消して行く。もしかしたら照れ隠しなのかなと思った時には、三郎は私を振り向いて、じっと意味ありげに視線を向けた。
「……三郎? どうしたの?」
 三郎の視線が私の下げていた籠に向けられているのに気づいて、なんとなく持ち上げる。途端にそれを取り上げられて、わ、と間の抜けた声が出た。
「あ、いいよ三郎、自分で持つから」
 鉄製の手裏剣が山ほど入ってるから、かなり重いのだ。練習に付き合ってくれた三郎にそこまでしてもらうのは気が引けて、慌てて取り返そうとしたのに、
「お前にこういう危険物持たせると、俺が怖い」
「な、なにそれ、どういう意味!?」
「なにもないとこでずっこけて手裏剣ばらまいて指とかに突き刺さして半泣きでかき集めようとして明かりがないから上手く行かなくて俺に迷惑をかけてる場面がありありと浮かぶ」
 一気に言い切られて、うっ、と押し黙った。正直なところ、言い返せない。今までの経験から、そんなこともあるかもしれない、と思ってしまう。
「……よろしくお願いします」
「おー、感謝しろよ」
 つい納得してそう言うと、三郎は愉しげに笑う。
 ひとまず手裏剣を用具倉庫に返そうと、月明かりの下を三郎と並んで歩く。さっきも思ったけど、三郎はほんとに長い間付き合ってくれたんだなと今一度思う。それがなんだか、とても嬉しくて仕方なかった。
 きっと私は三郎と一緒にいるのが楽しくて、そして三郎ももしかしたらそう思ってくれたのだろうかと、そう思えたことが嬉しかったのだ。
「なぁ、
 だから三郎がぽつりと私の名を呼んだときも、笑顔で三郎を見上げた。
「なに、三郎」
 首を傾げる私に向けて、三郎はたった一言で、今までの私の努力を台無しにする言葉を吐いた。

「お前さ。手裏剣、上手くならなくていいよ」

「なーーーーーーーーー!?」
 思いも寄らぬ言葉に驚いて、足を止めて叫んでしまう。もしや冗談だろうかと思ったけど、三郎はそれ以上なにも言わない。どうやら、本気らしい。
「な、なんでそういうこと言うの!? 私だって頑張れば上手くなるよ!」
 あんなに長い間練習に付き合ってくれたのに、少しは上手くなったのに、それなのにちょっと酷すぎないかと抗議してみても、三郎は私と視線を合わせないままに、またぽつりと続ける。どこか醒めたような声音で。
「だからさ、上手くならないから頑張らなくていいって」
「うっ……」
 素直にかちんときそうになったけれど、いやいや考え直せと私は自分を落ち着かせる。ここで「じゃあ練習しない、下手なままでいい」なんて言ってしまったら、三郎の思うツボではないだろうか。そうだ、それだけは言えない。そもそも言う気もないけれど。
 私はぐっと気合いを入れて、目の前の、視線を合わせずどこか飄々としている三郎を軽く睨みつける。
「そこまで言われて、黙ってるわけにはいかないからね! 私だってやれば出来るんだから!」
 ふーん、と三郎がようやく視線をこちらに向ける。私は腰に手を当てる。心持ち胸を張って、気合を入れた。
「見てて! 私絶対手裏剣上手くなるから! それはもう三郎に負けないくらいに!」
「ほー……」
「あ、信じてないね!?」
「だって無理だろ」
「無理じゃないです、頑張ります。だから!」
 言い切って、三郎に頭を下げた。

「また練習見てください!」

 かちんと一瞬空気が固まった、ような気がする。三郎は呆気に取られたようにしてから、突然に噴き出した。視線を上げると、三郎が微笑んでいる。馬鹿にした風ではなく、からかう風でもなく、珍しく普通に笑って、
「……ああ。いつでも見てやるよ」
 ぽん、と。私の頭を軽く撫でた。





 これが、いつまでも続けばいいと思ってるんだ。
 の頭から手を離して、俺は胸中で呟く。
 たまにでいいから、こうしての傍にいたいと思う。それだけではいつか必ず満足できなくなると、そう理解していても。
 けれどもしも想いを伝えて逃げられたら、俺はきっとこいつを泣かせる。だから。

「……やっぱりお前、上手くならなくていいよ」
「ま、まだ言うの!?」
 
 だから。
 俺の気持ちには、まだ気づかなくていい。




















 終