富松作兵衛夢
『いつの世までも末永く』四話





 ここに来てから、どれほど時間が経ったのだろう。
 ゆっくり顔を上げると、視線の先には赤く染まりかけた空があった。
 日が沈んだら『帰ろう』か。それともやっぱりここにいようか。ぼんやり悩みながら、ずっとずっと、沈んで行く日を見つめていた。









 俺は迷子を捜す名人みたいに言われてるけど、それは単に、同室のあいつらが並外れた方向音痴だからだ。
 そのせいで日常茶飯事的に慣れているだけで、俺自身は人を捜すなんて大嫌いだ。
 だって、もし見つからなかったら。もし今頃怪我でもして動けないでいたら。そんな不安に、いつも押し潰されそうになる。
 左門と三之助だって今までは致命的なことになってねぇけど、これからもそうだとは言えない。今回が、その最初かもしれない。あいつらを捜す度に、いつも思う。
 頼むから、無事でいてくれって。なにしてやがんだって怒れるくらい、あいつらが元気でいますようにって。
 そればかり願いながら、捜してる。

 捜すこと自体に慣れたことは確かだ。でも不安にはいつまでたっても慣れることができない。最悪のことを思うと、怖くて怖くて、仕方ない。
 だから俺は、人を捜すのなんて大嫌いだ。
 大嫌いなのに。


 ──迷子にはならないでおくね


 あの言葉は、きっとこのことを指していたんだろう。先輩はいつものんびりしていて、ぼーっとしていて、変な人だと思いつつも、俺はそんな先輩が好きだった。
 だけど先輩はそれだけじゃないなにかを抱えていて、意図的にそれを隠していた。そのために、他人と距離を置いていた。
 全部分かっていたけど、俺は今まで一度も踏み込もうとしなかった。それがあのひとの望みだろうと思っていたからだ。

 先輩がなにを抱えているのか、俺にはよく分からない。
 だけど理解したいし、俺に出来ることならなんでも手伝いたい。
 そのことを、先輩にきちんと伝えておくべきだった。俺じゃ駄目だったとしても、先輩の気持ちは楽になったかもしれないのに。

 学園を出てから、俺は迷うことなく『あの場所』に向かっている。
 先輩が俺に捜して欲しいと望んだのなら、先輩がいる場所はあそこしかない。だけどそうじゃなかったら、あとはしらみつぶしに走り回るしかないだろう。先輩を見つけるまで、ずっと。
 その覚悟はとっくに出来ていた。先輩がどうしてこんなことをしたのか分からなくても、俺はあのひとに、まだ手の届くところにいてほしい。

 他人の心なんて、十数年しか生きていない俺には上手く計れない。
 先輩とだって、そのうち数年間しか一緒にいない。
 それでも先輩が好きだっていうのは俺の本当の気持ちで、絶対に間違いないことだ。
 だから、あのひとに会いたい。
 不安に染まる心を無理矢理奮い起こして、目指す場所と先輩を捜し続けた。































 綺麗な場所だった。
 俺が最初に見つけたのは先輩の後ろ姿で、俯いていたから泣いているのかと思った。日が半分くらい落ちていて、辺りはどこも赤色に染まっている。
 山の中、小さな池のほとり。先輩はそこに腰を下ろして、足袋を脱いだ左足だけを池に浸していた。時折、ぱちゃぱちゃと小さな水音がする。
 俺が昨日もらったのと同じ、紫色のカキツバタがたくさん、風に小さく揺れていた。

先輩」

 安堵と共に、身体の力が抜けそうになる。ゆっくり息を吐いて、先輩に足を進めた。

「……富松ちゃん」

 ゆっくり振り向いた先輩は、泣いてなんかいなかった。いつもと同じ、でもほんの少し、困ったような顔だった。
 俺もその隣に腰を下ろして、改めて辺りに目を向けた。

「ここが、元手タダのカキツバタ農園ですか」
「そう。それも天然ものだよ。たくさん咲いてるでしょ? 自生してるのは生命力が強いから、よく売れるんだ」

 すぐ傍に生えてるカキツバタを視線で指して、先輩が笑う。一見したところ、たくさん生えてるカキツバタに、無理に摘まれた跡はほとんどなかった。生えすぎてるところだけ、丁寧に摘んだんだろう。

「昨日もらったやつ、部屋に飾りましたよ。三之助と左門に茶化されましたけど」
「ありゃ。男の子だから夜食に食べちゃうかと思った」
「あいつらみたいなこと言わねぇでくださいよ。そもそもカキツバタは食用じゃねぇです」
「そうだね、綺麗な花だから見てるほうがいいよね」

 先輩は嬉しそうに微笑んで、それから口を閉じた。
 しばらくの間お互いに言葉が途切れて、時間が流れる。
 そしてぽつりと、先輩の声が響いた。

「ごめんね」

 少し肌寒い風に吹かれて、小さく水面が揺れた。先輩の髪も、たくさん生えてるカキツバタも。

「富松ちゃん、捜すの嫌だって言ってたから、来てくれないと思ってた」

 どう言えばいいのか分からないまま、俺は先輩に顔を向ける。たぶん、聞いてもいいってことなんだろう。 

先輩は、なんで迷子になんかなったんですか」
「……迷子じゃないよ。家出って書いたでしょう?」
「学園を抜け出すことは、家出って言わねぇです」

 呆れてそう言うと、先輩は曖昧に微笑んだ。

「……そうだね」

 少しだけ寂しそうな声音に、俺は思い出す。
 先輩は、孤児だった。もしかして先輩は、本当に『家出』したつもりだったのだろうか。
 そう問う前に、先輩が続ける。ぽつりぽつりと、いつもののんびりしたものと似て少し違う、静かな声。

「私ね、分かんなくなっちゃったの。将来のこととか、自分のこととか。……一応は、卒業したら忍者のお仕事するつもりだったけど、それでいいのか分かんなくなっちゃって」

 ぽちゃん、と小さな水音が響いた。先輩が軽く水面に投げた、小石の波紋。

「富松ちゃんも知ってるでしょう? 私、ここには家がないの。家族もいない。親戚もいない。卒業したら、一人になっちゃう。私の居場所、どこにもなくなっちゃう。気に懸けてくれるひとも、一緒に笑ってくれるひとも」

 ああ、やっぱり俺は、もっと早くに言っておくべきだった。

「私ね、それが分かってたから、今までも出来る限り未練がないようにしてきたつもりだったの。でもやっぱり、私は学園が好きなの。卒業したくない。ほんとはずっとあそこにいたい」

 ゆっくり、先輩が気を落ち着けるように息を吐く。そして、小さく微笑んで、俺を見た。

「一度ね、学園を離れて考えてみたかったの。私はこれからどうしたいのかって。……それと、最後に少しだけ、みんなに迷惑をかけさせて欲しかった。友達にも、富松ちゃんにも、私を心配して欲しかった。私がいてもいいんだって、そう言って欲しかった」

 言い終えた先輩の視線が、俺からまた水面に戻る。水面に咲いている、カキツバタに。

「ごめんね。ちゃんと学園に帰るよ。みんなにも謝るから……」

 沸き起こった感情のままに、その言葉を遮った。

先輩は、住むなら学園の近くがいいですか」
「……ん?」

 唐突な俺の問いに、先輩がきょとんとする。俺はぐっと腹に力を入れて、口を開いた。そうだよ、ここで言わねぇでどこで言うんだよ。

「俺、先輩が好きです。もし先輩が俺でよかったら、あと一年だけ待っててください」

 地面の上に置かれている先輩の手に、自分の手を重ねた。ぽかんとする先輩に、身を乗り出して顔を覗き込む。

「……富松ちゃん?」
「だから、そしたら俺の嫁になってください!」

 叫ぶように告白すると、先輩は目を見開いた。ここまで来たら、もう後戻りなんか出来ない。

「ずっと、俺の隣にいてください。家族が欲しかったら、子どもをたくさん作ればいいです。学園に近いとこに住んだら、いつでも遊びに行けます。きっとみんな歓迎してくれます。俺にだったらいくらでも迷惑かけていいです、いつだって先輩と一緒に笑いたいし、一緒に泣きたいです。だから、俺と夫婦になってください!」

 俺は先輩に恋して長かったから、告白するとしたらどう伝えようかって、今までに何度も考えたことがある。二人きりでいるとき、こんな風に言ったらかっこいいんじゃないかとか、こう言ったら先輩は嬉しいんじゃないかとか、恥ずかしいほどいろいろ想像した。
 でもそのとき思いついた言葉なんて、一言も出てこなかった。ただ、浮かんだ本音だけ、全部言った。
 先輩と一緒にいたいって、それだけのことを。

「…………私」

 先輩はなにか言いかけて、それを飲み込むように黙った。
 それから一瞬だけ俯いて、ゆっくりまた顔を上げて。
 ──突然、俺に抱きついてきた。

「っ、先輩……」

 先輩の腕が、俺の背中に回される。反射的にその身体を受け止めて、かっと頭に血が上る。
 先輩の体温と柔らかい身体が、すごく近いところにあった。
 一瞬だけ迷ったけど、結局抱き締めた。先輩の頭に手を触れると、背に回された先輩の指にぎゅっと力が込められる。

「私、富松ちゃんの傍にいてもいい?」
「……先輩の気持ちは、関係ねぇです。先輩が一人なのが可哀想だから、一緒にいたいんじゃねぇです。俺が、先輩の傍にいたいだけです」
「…………うん」

 一度強く身を寄せて、それから先輩がそっと離れる。でもまだすぐ触れられそうな近い距離で、先輩は照れたように微笑んだ。夕日の赤色に染まって、すごく、綺麗に見えた。
 先輩の手が、俺の頬に伸びる。そっと引き寄せられて、額同士が触れ合った。なんだか、夢の中の光景みたいだった。

「私も、富松ちゃんが大好きだよ。……だから、一緒にいてください」

 ふふ、とまた先輩が微笑む。軽く鼻先同士が触れ合って、頭がぼうっとする。なんかすごくふわふわする。口付けしたいなあと思ったとき、はっと気づいた。

「え、ちょっ!?」
「わっ」

 慌てて先輩の肩を押し戻した。え、今なんて言った?

「あ、あの、先輩、いいんですか?」
「なにが?」
「や、だからその……。夫婦になるとか、その、つまり……」
「当たり前だよ。だって私、富松ちゃんのこと好きだもの」

 幸せそうに言う先輩に、自分の顔が真っ赤になっていくのを感じる。
 さっきも先輩の友達がそんなこと言ってたけど、ただからかわれただけだと思っていた。え……え? ほんとに?

「えへへ。お家の場所は大体決まったし、あとは子どもだよね。富松ちゃんは何人くらい欲しい? 私ね、たくさんいるほうがいいから、五人くらい……」
「わーーーーーーーーー! ちょ、もうそんな具体的な話はやめてください! 早いです! 展開早すぎてついていけねぇっす!」
「ありゃ」

 混乱に次ぐ混乱でわけ分かんなくなりそうになった俺に、先輩は軽く笑って、「そっか」と身を引いた。

「うん、そうだね。じゃあ子どものことは学園に戻ってから改めてお話ししようね」
「や、そういう意味でもねぇんですが……」
「富松ちゃんのお家にも、早くご挨拶に行かないといけないよね。次の長期休暇でいいかな?」
「ぬあーーーーーーー! お、お願いですから、そういう話はまた今度にしてください! ほら、帰りますよ! 先輩のお友達もすげぇ心配してたんですからね!」

 慌てて立ち上がって先輩を急かすと、先輩はもうほとんど沈みかけている夕日をちらりと見てから、「えっとね、駄目なんだ」と言った。

「駄目って」
「うん、足くじいたんだよね」
「は!?」
「ほら、ぶらんぶらん」

 小さな水音と共に、先輩が池の水に浸してた左足を引き上げる。その足首は、確かに少し腫れていた。疲れたから冷やしているのだとばかり思ってた。

「ちょ……! 動かしたら痛みますよ! やめてください!」
「カキツバタ摘もうとしたら、ぬかるみにはまっちゃってね。軽くだけど、ちょっと痛いんだ」
「わ、分かりましたから動かしちゃ駄目ですって! ……ほら、足出してください」

 捻った足で下山するのは、少し難しいだろう。とりあえず固定しようと、取り出した手拭いを先輩の足に縛り付けた。数馬みたいに上手くはねぇけど、捻挫程度の応急手当てならそこそこ出来る。

「あ、富松ちゃんの手拭い汚れちゃうよ」
「別にいいですよ、そんな高いもんじゃないですし。……よし、動かねぇですよね?」
「うん、大丈夫」
「えーとじゃあ……し、仕方ないですね」

 まさか、いきなり恋仲らしいことをするとは思わなかった。緊張しつつそれをなんとか押し隠し、俺は先輩の肩と足に手を伸ばす。普段組み手とかで同級の奴らをぶん投げたり、怪我した奴に肩貸したり背負ったりは日常茶飯事だけど、さすがにこれはやったことがない。それも女の人相手に。
 こ、恋仲らしい。恥ずかしいけど恋仲らしいよな、これ!
 けれど身体を抱えようとしたら、先輩は小さく首を横に振った。

「おんぶのほうがいい」
「え!? な、なんでですか、おんぶとかそんな普通の……い、いえなんでもねぇですけど」
「そうかな。おんぶって、恋仲って感じするよね」
「いやいや、それなら明らかに姫様抱っこでしょうが!」

 一応言ってはみたものの、まあいいか、と言われた通りに先輩を背負った。捻った足を触らないように、慎重に重みを支える。瞬間、背全体に当たる先輩の柔らかさを感じて、かあっと顔が熱くなった。こ、これはこれでいいかもしれねぇ。顔見られることもねぇし!

「落ちないように掴まっててくださいよ」
「うん」

 首元に先輩の腕が回されるのを待って、立ち上がる。まあ、やっぱ同年の男共と違って女の人は軽いよな。

「帰りましょうか、先輩」
「……うん。帰ろう」

 日はもう落ちてしまっていた。辺りは薄暗かったけど、慣れた場所だし月も明るいし、道を間違うようなことはないだろう。先輩を背負ってるから足元には特に気をつけて、学園への道を歩き出した。





 夜の風は、少し冷たかった。
 先輩のお友達の先輩方は、まだ先輩を捜しているだろう。だから早く帰らなければと思う気持ちと、もう少し二人でいたい気持ちで揺れていた。さすがに走ることは出来ないから、どっちにしても学園に着くにはかなり時間がかかってしまうだろうけど。
 背に改めて感じる温かみに、今更ながらにすごくほっとする。先輩があそこにいてくれて、本当に良かった。なし崩し的に求婚までしてしまったけれど、でも、後悔しているわけじゃない。
 だから俺は、恥ずかしいのもあるけど幸せだなって、脳天気にそう思ってた。

 先輩はしばらくなにも言わなかった。
 けど、辺りがもう真っ暗になってきたとき、ふいに「富松ちゃん」と俺を呼んだ。なんですかと応える前に、先輩が耳元で小さく囁く。ぎゅっと俺にしがみついて、なんだか意を決したみたいな様子で。

「私ってずるいよね、富松ちゃん。気づいてるんでしょう?」
「……なにをですか」
「あんな書き置きしたら、富松ちゃんが捜してくれるだろうなってことも。寂しいって言ったら、一緒にいるって言ってくれるかもしれないってことも。全部、知っててやったの。……分かってたよね?」
「……ん」

 一瞬足を止めかけて、小さく息を吐いてそれをやり過ごした。今更そんなこと、俺にとってはどうでもいいけど。

「富松ちゃん」

 先輩が、もう一度、強く俺に身を寄せる。絞り出すみたいな、掠れた声で。

「嫌な子でごめんね」
「……いえ。俺も大体分かってて言ったんです。てか、どっちでも同じこと言いましたから」

 今となっては、先輩が俺の気持ちに気づいていただろうことは明らかだ。そりゃあ、あんなに他のひとにばれっばれで、本人が気づいてねぇわけねぇよな。……駄目だ。深く考えると恥ずかしいからやめよ。

「それに俺、言えなかったらきっと後悔してましたよ。……さっきの言葉に嘘はないです。俺、先輩のことが好きですから」
「……うん」
先輩も、先輩のことが好きな男なら、誰でもよかったわけじゃないですよね?」
「うん。富松ちゃんが好きだから」
「……なら、俺はそれでいいですよ」

 このひとに必要とされることが、昔から俺が望んでいたことだったから。だから俺はそれだけで嬉しい。
 けれど俺の言い方が悪かったのか、先輩はまだ少し不安そうな気配で、また口を開いた。

「富松ちゃん、もし私が……」

 そう言いかけて、言葉がなにも続かない。じっと待っていたけれど、結局先輩は「ごめん、なんでもない」と言葉を終わらせた。
 なんとなく俺には、先輩がなにを問いたかったのかが分かった気がした。たぶん、すげえ大事なこと。
 だから、答えた。もし間違えていたら、謝ればいいだけだから。

先輩」
「ん……?」
「俺、何回先輩がいなくなっても捜します。必死で捜します。だけど、捜すのって辛いんです。怪我してねぇかとかすげえ心配だし、もう会えなくなるんじゃないかって不安でたまらなくて、怖いです。だから、いなくならないでずっと傍にいてください」
「……うん」

 正解だったのか、間違いだったのかは分からない。でも、先輩に伝えておきたいことだった。何年も前のあの日、お母さん、お父さん、と泣いていた先輩を見たあのときから、ずっと。

「大丈夫です。俺がずっと一緒にいますよ。寂しくないです」
「……うん」
「もうちょっとだけ、待っててください」

 頷いた気配だけがして、先輩は俺の背中に顔を埋める。
 先輩の体温も、柔らかさも、全部が愛おしく感じられて、俺はやっぱりこのひとがすごく好きだなと、改めて思った。
 先輩が少しだけ身じろぎして、小さく震える指が、俺の肩に触れる。
 押し殺した微かな嗚咽に、俺はようやく理解する。
 ああ、だから先輩は、抱えられるよりおんぶがいいって言ったんだ。俺に顔を見せたくないから。

「私、ずっとここにいるよ」
「……はい」

 それも、ちゃんと伝えよう。俺は、先輩の泣き顔が見たくないんじゃないんです。ただ泣きやんでほしかっただけなんですって。
 先輩と一緒にいる時間は、これからたくさんあるはずだから。



















「ありがとう、作兵衛」




















 終