中在家長次夢
二話『屋根の上』





「た、ただいま、戻りましたー」

 疲れた声と共に、よろよろと両手一杯に本を抱えたきり丸が図書室へと戻ってくる。視線を向けてその本の多さにぎょっとして、怪士丸は慌ててきり丸へと駆け寄った。
「お帰りきり丸ー……随分たくさんあったんだね……」
「まいったぜ、ほんと。学園長先生、自分でも本を借りたことを忘れてるからさー……」
 怪士丸に半分手伝ってもらって、きり丸は図書室の中に本を運ぶ。図書室から本を借りたまま延滞していた学園長の部屋から、無理矢理に取り戻してきた蔵書の山だ。
「ご苦労様、きり丸。学園長先生、すぐに返してくれたかい?」
「聞いてくださいよ不破先輩ー、学園長先生、『わしゃ知らん』『覚えてない!』って繰り返すくせに、部屋のあちこちから本が出てくるんですよ!」
「前からそうなんだよな。学園長先生よりもヘムヘムに聞いたほうが早いから、次からそうしろ」
 久作の言葉に、うわあときり丸は顔をひきつらせる。
「犬に面倒見てもらってるってどうなんすか……」
「まぁ、こうして返してもらったんだから良しとしようよ」
 雷蔵が苦笑しながらきり丸から本を受け取って、棚へと戻しに行く。きり丸もそれを手伝おうとして……ふと思い出したように「あ」と声を上げた。いつものように、黙々と仕事をこなしている委員長へと顔を向ける。
「そういえば中在家先輩、さっき先輩を見ましたよ」
先輩?」
「……先輩……?」
 声をかけても、反応したのは当の長次ではなく、久作と怪士丸だった。相変わらず無口な図書委員長は、きり丸の言葉を聞いているのか聞いていないのか、後輩達の隣で黙々と本の整理をしている。
 が長次の幼なじみであり想い人だと知っている三人がじっと視線を向けても、長次はまったく意に介す様子がない。さすが無口委員長だと、三人は顔を見合わせて軽く頷き合う。
「それできり丸、先輩がどうかしたのか」
「いえ、単にお会いしただけなんですけどね。いつも楽しい人なのに、今日はぼーっとしてらしてて、声をかけても『あー』って感じで。ふらふらって屋根の上に登って行っちゃって。体調でも優れないのかなと」
「……屋根の上? ふーん……」
 なんでだろう、と不思議そうにしている怪士丸の隣で、久作は軽く顔をしかめる。
「まぁ、先輩もいろいろあるんだろうな。俺たちが詮索することじゃ……、い、委員長、どうかしましたか」
 のそり、とそれまで沈黙を続けていた長次が立ち上がった。突然の威圧感に身を引く久作に、ぼそりと。
「──少し出てくる」
「は! はい!」
 威圧感の割に静かな気配の委員長は、音を立てずに図書室の戸に向かう。途中すれ違った雷蔵に今後の指示だろう伝言をぼそぼそ呟いて、図書室を出て行った。
 残された委員達は軽くお互いの顔を見合わせ、首を傾げる。
「……ど、どうしたんだろう、中在家先輩……」
「も、もしや……今から先輩と逢い引きとか!?」
 久作の言葉に、えええええ! と一年生二人が悲鳴のような声を上げる。
「つか中在家先輩の逢い引きって想像しにくいんですけど、能勢先輩!」
「……甘味を『あーん』ってしたり、先輩と新色の帯選んだりとか、するんです、かね……」
「か、考えただけでも怖い……」
「てか俺が言っといてなんだけど、そもそもお二人付き合ってないんじゃないのか? 先輩全然そんな風に見えないし」
「でも幼なじみで仲良いですし、一緒に買い物くらいは行くんじゃないすか?」
「……み、見てみたい……!」
 下級生達がああでもない、いやこうだ、とわいわい盛り上がっている後ろで、雷蔵が「こらこら」と苦笑して声をかける。
「駄目だよみんな、個人的なことなんだから」
「またそんなー、不破先輩だって気になるでしょー?」
「まぁそれは否定しないけど……でもね、だからこそご本人のいないところで言っちゃだめだよ」
 ね、と窘めるようにきり丸の頭を撫でる雷蔵に、三人はようやくに少し反省した様子を見せた。が、きり丸がはっと気づいたように顔を上げる。
「でも不破先輩! 中在家先輩に直接お聞きするなんて怖いこと、出来るわけないじゃないですか!」
「そりゃそうだな。縄標投げられるくらいで済むわけないからな。下手したらこ、ころ……!」
「……だからー、こうやって想像することしか出来ないじゃないですかー……」
 下級生三人に訴えるような瞳で見上げられて、雷蔵は「う」と顔をひきつらせる。
「で、でも、やっぱりご本人がいないのにそういう話はしちゃ駄目だよ。ましてや恋路のことなんだから」
 言い含める雷蔵に、三人は『分かっちゃいるんですけど気になるんですー』という表情になる。
「あのう不破先輩……」
 ちらちら、ときり丸が雷蔵を見上げる、おそるおそる、しかしキラキラした瞳で、
「覗きに行っちゃ……駄目すか?」
「駄目だよ! それだけは絶対しちゃ駄目だからね、きり丸!」
「ちぇー……」
 さすがに一刀両断されて、きり丸はつまらなそうな顔になる。全く同じ意見だったのか、久作と怪士丸もしょんぼりと肩を落とす。
「ほらほらみんな、早く仕事に戻って。中在家先輩も、きっとすぐ戻ってらっしゃるから」
 苦笑する雷蔵の言葉に、あわわ、と三人は顔を見合わせる。帰ってきた長次が、全然進んでいない仕事を見たら、どんな怖いことになるか分からない。慌てて、三人は散らばるように仕事へと戻った。

 

 
 












 空って、なんで広いんだろう。
 全然意味のないことを考えながら、私は屋根の上に寝転んでる。
 この下の通路は人通りがあまりなくて、屋根に登ってしまえばほとんど人の声や気配が感じられない。ぼうっとするにはとても良い場所。
 私がただ空を見上げ続けていると、突然に覚えのある気配が近づいてきた。ゆっくり上半身を起こして振り向くと、丁度その時、気配の相手が屋根を上ってきて、その姿を見せた。
「長次」
 ちょっと驚いてから、仏頂面の幼なじみに向けて軽く右手を振る。長次は静かに、私の元に近づいてくる。忍びらしい、体重を感じさせない足取りで私の元に着くと、そのまま隣に座った。
「……なにか用?」
 顔を覗き込むと、長次は無言でちらりと私を見る。そして、ついと視線を逸らした。
「長次?」
 再度問いかけても無言で通すので、やれやれと私はまたその場に寝転がった。そのまましばらくの時間、空を見て過ごす。
 隣にいる幼なじみは、身体は大きいけれど物静かだ。必要最低限のことしか言わないし、伝えようともしない。けれど長い付き合いだから、考えていることの多少なら分かる。……多分今は、
「慰めに来たの?」
「知らん」
 ぽつりと呟く長次に、私は苦笑する。
 私は今日、実習で下級生でもやらないような単純な失敗をして、補習になってしまったのだ。補習それ自体はともかく、自分でも驚くほどに初歩的な失敗に、普段成績なんてあんまり気にしない私でも深く落ち込んだ。同級の子はそういう時もあるよと熱心に慰めてくれたけど、もう最終学年だというのに、さすがに私これで大丈夫かなと不安にもなる。
「でも、なんで知ってるの?」
「……だから、なにも知らん」
 二度も知らんと言われて、ようやくに気づいた。長次は単に私がここにいるから、落ち込んでいると思ったのか、と。
 昔から、私は気分が沈むと高いところに登りたがる妙な癖があった。空をぼーっと眺めて、適当に回復したら下りていくのだ。それを長次は知っているから。
「……そっか」
 見透かされてるなぁ、と思う。幼なじみとして長次とは長い付き合いで、お互いのことなら大抵知っているし、知られているという自覚もあった。けれどこんな些細なことまで理解されていると思うと、ほんの少し気恥ずかしい。
 ゆっくりと起き上がって、長次の隣に座った。すぐ傍に長次の気配を感じながら、口を開く。
「あのね、実習で失敗したの」
「そうか」
 長次は、端から見れば固く思えるだろう声音でそれだけを言う。長次の手が伸ばされる。ぽん、と頭に温かい感触。
 軽く撫でられる手つきに少し嬉しくなって、長次を見上げた。
「励ましてくれるんだ」
 微笑むと、長次は私から視線を逸らし、ぽつりと呟く。
「お前がおとなしいと……不安になる」
 昔から、と続けられて、私は軽く噴き出した。
「そうなの?」
「……ああ」
 そっか。じゃあ早く元気にならないと。いつの間にか私よりずっと大きくなったその身体に、軽く寄りかかる。
「……なんだ」
「早く元気になりたいから、慰めてください」
「…………」
 はあ、とため息。長次は呆れの気配で、けれど私の好きにさせてくれる。優しい幼なじみ。頭を撫でる手は離されてしまったけど、私のことは受け止めてくれる。私の不安も、私の身体ごと、全部。
 もともと私はそんなに引きずるほうじゃなかったから、実を言うと長次が来てくれた時点で気分はかなり浮上していた。けれど長次が優しいから、それに甘えた。昔から長次の傍は落ち着くし、安心する。家族みたいに近い距離感と、それからどこか守られている気がするからだと思う。
「……駄目だなぁ……」
「なにがだ」
 思わず口にしてしまって、長次が怪訝そうな視線を向ける。なんでもないです、と自分でも分かるほど適当に返しても、長次はそれ以上なにも言わなかった。
 こうして、長次は甘えさせてくれるから。
 いい年して幼なじみにいつまでも寄りかかってるなんて駄目だなぁと思うのに、私はいつまでも長次から離れられない。……いい年して、ほんと。
、大丈夫だ」
 ぽつりと名を呼ばれて、顔を上げる。寄りかかっているから、長次の顔はすぐ傍にある。
「なに?」
 長次の顔を見上げると、また頭に手が伸びてきた。さっき慰めてくれなんて言ったからだろうか。長次は私の頭に手を乗せたまま、じっと私の顔を見る。
「……そ、か。大丈夫だよね」
「ああ」
 長次の手と声は、安心する。長次は、本当に優しい。そのことが嬉しくて身体を寄せると、長次はまたぽんぽん、と私の頭を撫でてくれた。
、心配しなくてもいい」
 その声音に、本当にほっとした。そうだね、次は頑張ればいいよね。そう言おうとしたとき、長次の声が続けられる。

「……行く手がなければ、……俺がお前をもらってやる」
「…………へ?」

 かちん、と固まった。なにを言われたか分からず、よくよく意味を考えてみる。
 私は実習に失敗して落ち込んでいた。長次は、私が将来を悲観していると思ったのだろう。だから言った。行く手がなければ、俺がもらってやる、と。

 ……嫁に?

「ぶ」

 たまらず、噴き出した。

「あははははは、やだ長次なに言ってんの、あははははは!」
 ──ツボにハマった。
 ばしんばしん、と長次の肩を叩く。
「…………おい」
「もう、なにをそんないきなり、も、もらうとか、あははははははははははは!」
 ダメだ、止まらない。
 そういえば物心つくかつかないかの昔には、よく『大きくなったら長次と夫婦になるー』などと言ってお互いの両親に困った顔をされていた。でもあれは子どもだからだ。すぐ傍にいた長次が異性だったから、夫婦という言葉を使ってみたかっただけだ。
「ちょ……長次、そんな、…………もう、笑いすぎてお腹痛い……」
 私は長次にしがみつく。あったかい。大きい。知らないうちに、そんな冗談まで言えるようになったのか。
「……笑うな」
 ちらりと私を見て、長次は微かに不満げに言う。ああ、慰めてくれたのに悪いことをした。でも、一度笑い始めると歯止めが利かない。さすがに申し訳ないので声を上げるのは必死でこらえて、長次に抱きついたまま、くくく、と笑い続けた。
「……お前な」
「ご、ごめんごめん! でも長次、いくら慰めるためだからって簡単にそういうこと言っちゃだめだよ、変な噂が立ったら恋人作れなくなっちゃうよ!」
「…………」
「や、私はいいけど。でも長次だってお年頃なんだから、少しは気にしたほうがいいよ!」
 お腹が痛い。でも笑いすぎたせいで、さっきの気分は綺麗さっぱり消えていた。今はすごく楽しい。それと、嬉しい。
 はあ、と、長次のため息。ああ、私に呆れてる。ごめんね。ちょっとからかいすぎた。
「ありがと、元気になった」
 私はようやく、抱きついていた長次から離れる。離れる直前、むすっとした長次に軽く額を叩かれた。
「あいたっ」
 でもそれすらなんだかおかしくて、私は笑う。長次に微笑むと、長次はまたひとつ、大きなため息を吐いた。



「……本気なんだが」
 一応は言ってみたが、気分が浮上したらしい幼なじみには欠片も聞こえていなかった。はさっさと立ち上がると、軽く袴を払っている。もう屋根から下りる気満々なのだろう。
 別に慰めるつもりで言ったわけじゃない、昔からずっとそう出来ればと望んでいたことだ。もちろん、が本気に取るわけがないことは承知していたが、それにしてもこれほど大笑いされると多少傷つく。
 しかしまぁ、こんなことはいつものことだ。
 すぐに諦め、長次はに続いて立ち上がる。

「ありがとね、長次! ……大好き!」

 全然そーいう意味じゃない言葉を、鈍感な幼なじみは満面の笑みで言う。長次は「ああ」と頷いて、差し伸べられたの腕を取った。











「ていうか、中在家先輩と先輩が夫婦になったら、どんな子どもが生まれるんだろうっていうのが気になるんすよ」
「……子どもがみんな中在家先輩みたいに無口だったら、すごいですよね……」
「いやいや、逆かもしれないぜ。みんな先輩みたいに明るいかも」
「でも、娘は父親に、息子は母親に似るのが幸せだって言うからな」
「……中在家先輩似の娘さん……見てみたいなー」
「さ、三人とも、ちょっと」

 三人が仕事も忘れてまた長次とを肴に話し合っているのを、雷蔵は顔をひきつらせて声をかける。

「あ、不破先輩!」
「す、すみません、つい!」
「お仕事、しますから……」
「いや、あのね」

 三人が慌てて戻ろうとするのを止めて、雷蔵は視線で三人の後ろを指す。

「……中在家先輩、もう戻ってらっしゃるから」
『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!』
 
 三人が振り向いた先には、確かにいつの間にか戻ってきた委員長が、黙々とさっきの仕事の続きをしている。
 聞かれた、もう駄目だ、とかちんと固まって鼻から魂を飛ばす三人を、慌てて雷蔵が介抱する。その様子をほんの一瞬ちらりと見てから、長次はすぐに仕事に戻る。
 と夫婦に。お互いに似た子どもたちに囲まれて築く家庭。ああ、それは確かに俺の理想だ。
 のそれは、違っているかもしれなくとも。

「み、みんな、しっかりして!」
「いやもう無理っすよ不破先輩、さようなら……」
「楽しい学園生活でした……」
「……お先に旅立ちます……」
「ここここらこらこらこらこらーーーー!」

 いっそ告白してみようか。
 いや、無理だ。今日のそれと同じで冗談だと思われる。あそこまで言って無理なのだから、今更惚れただの好きだの言ったところで効果があるわけがない。
 どうしたものかと思いつつ、長次は仕事を進める。
 後ろで後輩たちが生死の境をさ迷っていることには、気づかずに。




















 終

 →三話『噂』