中在家長次夢
『二度目の鼓動』


十二話
「四日目」その二





「私は今日からここで寝泊まりします!」

 そう強く宣言すると、中在家君は本から顔を上げた体勢のまま、かちんと固まった。


 食堂で手伝って欲しい内容を伝えると、小平太は一瞬の間を置いて大笑いした後、すごい勢いでご飯を食べ終えて、私を連れて食堂を飛び出した。ぽかんとしている食満と、見守るような表情の伊作に見送られて。
 思い立ったが吉日。私はその足で女子寮に戻ると、友達と同室の子にしばらく外泊する旨を伝えて、自分の部屋の私物を持ち出した。布団も入れると結構な量になってしまったけれど、女子寮の近くで待っていてくれた小平太は、そのほとんどを軽々と持ってくれた。
 そのまま小平太は入り口から、私は天井裏から男子寮に入って、再び六年長屋の廊下で落ち合った。笑って促す小平太に頷いて、二人の部屋の戸を勢い良く開く。
 すっぱーん、と気持ちの良い音を立てて開かれた戸の向こうには、文机で本を読んでいた中在家君がいた。反射的にこちらに視線を向ける中在家君へと、鋭く息を吸い、口を開いた。


「………………」
 私の宣言を耳にした中在家君は、一瞬固まった後、怪訝そうに目を細めた。その視線に込められた意味は、まず間違いなく言葉の理由を問うものだろう。だけど私はそれにすぐに返事をせず、部屋の中へと入って抱えていた私物を畳の上へと下ろした。手が軽くなってから、中在家君を振り返る。じっと私を見つめる、中在家君の瞳に。
「中在家君。今の私、無言で文句言われても分からないの。言いたいことがあったら、ちゃんと口にして」
「……さっき、なんと言った」
「『私は今日からここで寝泊まりします』」
「断る」
「いやよ」
 間髪入れずに返ってきた答えを、私も間髪入れずに切り捨てる。中在家君が次に小平太に視線を向けると、私の布団や行李を部屋の中に運び込んでくれた小平太は、それに気付いて顔を上げ、満面の笑みで頷いた。
「あ、心配するな長次! 私はしばらく空き部屋でこっそり寝るから、気にしなくていいぞ! いくら私でもお邪魔虫にはならないぞ!」
「……違う」
「小平太ごめん、小平太の布団どっちかな?」
「そのままでいいぞ、私がやるから! 布団と着替えとー……そうだそうだ、手拭いも忘れちゃ駄目だな! あとなんだえーと、ついでに教科書も持って行くか」
 小平太はひょいひょいと自分の行李に必要最低限の荷物を詰めて、布団と一緒に手早く抱え上げた。
、私の押し入れと文机は好きに使っていいぞ! 荷物はなんか思いついたらまた取りに来るな!」
「ありがと小平太、今度お礼するね!」
「団子百個!」
「分かった、手作りする!」
 私の言葉に小平太は「よし!」と笑って、開け放したままの戸から廊下へと足早に出て行こうとする。
「小平太」
 それを引き止める低い声に、小平太は一度足を止めて顔だけ振り向いた。中在家君の視線を受けて、にいっと微笑む。
「長次。私な、ここ最近のお前の顔には飽きたんだ。次に私が帰ってくるまでには、もう少しまともな顔に戻っててくれよ」
「…………」
 眉をひそめる中在家君になにを思ったのか、小平太は満足そうに頷いて、そのままばたばたと廊下を走って行った。
 私は開いたままだった戸を閉めて、小平太が運んでくれた自分の布団へと向かう。寝るまでにはまだだいぶあるから、一度押し入れに直そうかなと考えていると、ふいに後ろで気配が動いた。
 中在家君が文机を離れ、私へと近づいてくる。畳の上に腰を下ろしている私の前に、中在家君も片膝をついた。覗き込まれる瞳を、私もじっと見上げる。
「……なにを考えている」
 低いその声は淡々としていたけれど、私が今まで聞いてきたものよりも苦みが含まれているように思えた。私は中在家君と目を合わせたまま、布団を持ち上げようとしていた身体を戻し、中在家君に向き直る。
「さっき言った通りよ。私はここで寝泊まりします。あなたのことを思い出したいから」
 僅かに、中在家君の瞳が揺れる。だけど、それがどういう感情なのか分からない。中在家君がなにを考えているのかは、やっぱり私にはよく分からない。でも、分かるようになりたい。
「私、もしかしたらあなたのことをずっと思い出せないかもしれない。だからほんとは無駄かもしれない。でも、なにもしないでそのままでいるのは、すごく嫌なの」
 前の私は、自分で選んでこのひとの傍にいた。きっとそれが、私にとっての幸せだったからだ。
「もし思い出せなくても、前の私に近づきたい」
 中在家君は数瞬黙ってから、呆れたように小さく嘆息した。それからゆっくりと、言い含めるように口を開く。
「……昨日言っただろう。俺は──」

 ──お前の世界に俺が必要ないならば、お前は俺を忘れたままでいい

 中在家君がなにか言いかけたその瞬間に、あの言葉が頭をかすめた。
 かっと、お腹の中が熱くなる。
「絶対にいや」
 中在家君の言葉を遮り、身を乗り出す。ぴくりと動いた中在家君の手を、その上から自分の手を重ねて畳に押しつけた。相変わらず私には無表情にしか思えないその顔を、睨み付けるように見上げる。
「あなたが必要じゃないかどうかは、私が決める。……あなたが決めることじゃない」
 ぐっと、重ねた手を握り締める。
「私は、あなたのことが知りたいの」
 どうか伝われ。どうか。
 私は、もしかしたら間違っているのかもしれない。中在家君は私が思い出せないなにかを知っているのかもしれない。だけどこのままなにもなかったことにしたくない。
「…………」
 中在家君はただ私を見ていたけれど、ふいに少し嫌そうに視線を逸らした。さっきよりも、さらに呆れた様子で。
「だからと言って、共に寝起きしなくてもいいだろうが」
 その声には、どう思っているのか分からなかったさっきとは違って、明らかに苦渋の色が含まれていた。私は微笑んで手を離し、ちょっと身を引いた。感情が分かる。一歩前進だ。
「相手を知るのに一番大事なのは、少しでも多くの時間一緒にいることよ。変な女に絡まれたと思って我慢して」
「……見つかったらどうする。男子寮は女子禁制だ」
「許可なら取ったから大丈夫よ」
「そんなあほな許可を誰が出す」
「学園長先生。面白そうだから好きにしてよいぞ! って」
「…………」
 実を言うと嘘だった。だけどあの学園長先生なら言いかねないと思ったのか、中在家君はなにも言わずに嘆息した。……あ。たぶん本気で呆れてる。
 中在家君はやれやれとした様子で立ち上がり、また文机に向かっていく。少し怒ってるのかもしれないけど、私はなんだか楽しかった。中在家君の感情が、昨日までより理解出来る。
 とりあえずそれ以上なにも言わないってことは、勝手にしろってことなんだろう。自分の都合よく解釈して、私は持ってきた荷物を片付け始めた。教科書や筆記具を小平太の文机の上に置かせてもらい、行李を適当な場所に移動させる。
 作業が済むと、次は部屋の中をゆっくり見て回った。私のものと一緒にならないように小平太の私物らしいものを一箇所に纏めたり、なにがどこにあるかを確認したり。手を触れずに見れるものにはすべて目を向けたけれど、特に目を引いたものや覚えているものはなかった。
 一通り部屋の中を見た後、また改めて中在家君を振り向いた。中在家君は文机の前に座ったまま、こちらに顔を向けることもしない。中在家君のものには触らないようにしたけれど、それを危惧している様子すらなかった。
 読書しているらしい中在家君にゆっくり近づいて後ろから見下ろすと、中在家君も気づいて私を見上げる。
「……なんだ」
「暇だったらお話ししない?」
 隣に座りながら訊ねると、中在家君はちらりと私を見て、それから無言でまた手元の本に視線を向けた。
 駄目かな。それとも暇ではないということなんだろうか。さすがに無理に押し入ってきた直後だし今度にしようと諦めかけると、本の上に目を落としたままの中在家君が、ぽつりと言った。
「なんの話だ」
「ん……」
 さっきのは拒絶じゃなかったんだろうか。私はその場に座り直して正座する。内容がなんであれ会話することは大事だと思う。とりあえず今読んでる本について聞いてみようかと「あのね」と口を開いた瞬間、部屋の戸が少し乱暴に叩かれた。
 私と中在家君が目を向けると、返事をしていないのにさっさと戸が開き、その向こうから見知った顔が覗く。
「おい長次、お前……。ん、か」
 訪ねてきたのは文次郎だった。文次郎は中在家君になにか言おうとして、それから私に気付いて少し顔をしかめた。固い文次郎のことだから、女子生徒がこんな時間に男子寮にいることが面白くないんだろう。だけど文次郎はそのことについてはなにも言わず、すぐに仕切り直すように口を開く。
「なぁお前達、小平太の奴がどこにいるか知らないか」
「小平太? さっきどこかに出て行ったよ」
「長次」
「……さっきどこかに出て行った」
「だからその場所を聞いてんだけどな……」
 呆れた顔の文次郎に、私はちらりと中在家君を見上げた。小平太は空き部屋で寝るって言って出て行ったけれど、私はそれがどこか知らない。中在家君も心当たりがないのか、無言だった。
「あのな長次、あいつ風呂焚きの当番なのにいねぇんだよ。同じ当番の下級生が困ってる。小平太連れてきてくれねぇか」
 うんざりとした文次郎の言葉に、私はどきっとした。もしかしなくても、それは私のせいじゃないだろうか。小平太を追い出したり手伝わせたりしたのは私だし。
「あ、じゃあ文次郎、私が代わりに行くよ。お風呂当番すればいいんだよね? 今暇だし」
「は? あ、あほか! お前が代わりに行けるわけないだろうが! 男子風呂だぞ!」
 途端に顔を赤くして叫ぶ文次郎に、あ、と私は言葉に詰まる。そうだ、確かに文次郎の言うとおりだ。
「あーえーと、じゃあ……どうしようか」
「……俺が代わる」
 悩んでいる私の隣から、中在家君が立ち上がった。文机の横に用意してあったらしい手ぬぐいや夜着を手にして、戸へと向かう。
「いいのか長次」
「ああ。どうせ俺も風呂に行く」
「ったく、小平太の奴、掃除当番も昔から守ったことのほうが少ねえからなあ……」
 ぶつぶつ言ってる文次郎は、それでもほっとした顔を見せた。中在家君は一度私を振り向いて「行ってくる」と小さく告げて、そのまま文次郎と一緒に廊下に出て行く。
「…………」
 ぱたんと小さく戸が閉まり、私は一人残された。急にがらんとしたように思える部屋の中、なにをしていようかなと一瞬考え、それからすぐに立ち上がる。
 私も今のうちにお風呂に入ってこよう。


 お風呂に入って帰ってくると、部屋の中にはもう中在家君が戻ってきていた。急いで入ったしさほど時間は経っていないはずだけど、中在家君も風呂上がりなのか夜着姿で、髪を下ろしていた。
「ただいま」
 声をかけながら中に入ると、中在家君が顔を上げる。無言のままの中在家君に、一応頼んでみた。
「おかえりって言ってくれない?」
「……お前の部屋じゃないだろう」
 呆気なく却下されたけど、めげずに声をかける。
「もうお風呂入ってきたの? 小平太の当番は?」
「……俺が着いたときには、仙蔵に連れられて来ていた」
 だからお風呂にだけ入ってきた、ということなのだろうか。そっか、と頷いて、私はさっきと同じで文机に向かっている中在家君へと足を進める。今度は読書ではなく予習復習をしているみたいだ。何度かしか見ていないけれど、部屋の中にいるときの中在家君はいつも文机で作業している気がする。
 読書したり、勉強したり。真面目なひとだなと思いながら、私は中在家君の後ろに腰を下ろした。振り向く中在家君の髪に、手を伸ばす。お風呂から上がったばかりだから当然だけど、まだだいぶ濡れていた。
「なんだ」
「髪、乾かしてもいい?」
「…………」
 少し待っても答えが返ってこないので、中在家君の髪をそっと手で梳いてみる。それでも拒絶する気配がないから、そのまま手拭いで勝手に乾かし始めた。
 中在家君はしばらく困ったようにしていたけれど、結局は私にされるがままになってくれた。握っていた筆を離して、勉強していた動きも止めてくれる。
 今改めて思ったけれど、中在家君は私と距離を取ろうとしているのに、私のすることや言うことをあまり否定しない。呆れられているのか、甘やかされているのか。それともこんなことには慣れているのか。
「ねえ、私と一緒にお風呂に入ったことある?」
「……は?」
「私と恋仲だったんだよね?」
 一瞬の沈黙の後、中在家君は「ない」と一言、少し強めに言った。怒ってるのか照れてるのか分からないけど、とりあえずそういうことはなかったんだろう。
「じゃあ今度一緒に入ろうか。恋仲みたいに」
「……あほなことを言うな」
 その声が本気で呆れていて、私は思わず小さく笑った。少し乾いた髪から手拭いを下ろし、次は櫛で梳き始める。中在家君はなにか言いたげな様子を見せたけど、やっぱりされるがままになってくれた。
 他の男子と同じで中在家君の髪もさほど手入れはされていないのだろうけど、櫛を幾度か通せば指通りがよくなる。痛くないようにゆっくりゆっくり櫛を入れながら、「あのね」と話しかけた。
「中在家君って呼ぶの長いから、長次君って呼んでもいい?」
「……好きにしろ」
「ん、ありがとう」
 駄目だと言われるかなと思っていたけれど、すぐに頷いてくれた。長次君。うん、こっちのほうが呼びやすい。
 前の私は呼び捨てだったみたいだけど、私もいきなりそれは呼びづらいし、長次君も嫌だろうから。
「さっき、なんの本読んでたの?」
「……漢詩集」
「宿題かなにか?」
「ただの趣味だ」
「本が好きなんだよね? 私にもよく貸してくれてたみたいだし」
「……そうだな」
「ごめん、ちゃんと言えてなかったけど、一昨日返した本面白かったよ。あれはぜんぶ長次君の本?」
「ああ」
 大した内容じゃなかったけれど、たぶん初めて、長次君とゆっくり話をした。私にとっては知らないことでも長次君にとっては当たり前のことばかりだっただろうけど、長次君は短くだけどちゃんと返事をしてくれた。視線を合わせなくてもよかったから、これまでよりも話しやすかったのかもしれない。
 ようやく、本当の意味でほっと出来た気がした。酷く嫌がられたとしても押し切る気でいたけど、やっぱり拒絶されないほうがいい。思い出せないかもしれないけど、私はこのひとのことを少しずつでいいから知りたい。ちゃんと知った上で、これからどうするかを考えたいから。
「面白そうな本があったら、また私に貸してくれる?」
「……ああ」
 ゆっくりゆっくり、長次君の髪を梳きながら、私は言葉が浮かんでくるままに長次君と会話を続けた。


「……本当にここで寝るのか」
「うん、もちろん。長次君、布団は入り口に近いほうと遠いほうどっちがいい?」
「…………好きにしろ」
「じゃあ私、奥がいいな。そっちのほうが見回りの先生達に見つかりにくいと思うし」
 長次君の髪を乾かし終えて、長次君が勉強を終えて、私も自分の髪を乾かして、夜着に着替えて、そして迎えた就寝時刻。
 さすがにまた渋い顔と声音で訊ねる長次君にすぐ頷いて、私はさっさと部屋の奥の方に布団を敷く。それを見て仕方ないと思ったのか、長次君も自分の布団を敷いた。並ぶ布団同士が心持ち離れているように見えるのは、私の考えすぎなのか、長次君の無言の抵抗か。どちらにしてもそれくらいは仕方ない。
 燭台の火を消して、月明かりを入れていた窓の開きを狭くする。途端闇に包まれる、部屋の中。みんな自主練に行ってるのか、周囲の部屋の物音もあまりしない。
 ふわ、と欠伸を一つ漏らして、私は自分の布団に潜り込んだ。ここ数日ちゃんと眠れなかったから、身体は少し疲れている。掛け布団を被って目を閉じると、隣で小さな衣擦れの音を立てて、長次君も布団に入ったのが分かる。
「おやすみなさい」
 声をかけたけれど、返事はたぶん返ってこなかった。
















 そのまましばらく、布団の中で身を縮めていた。
 なんだか寝付けなかったけれど、嫌な気分だとか緊張しているわけじゃなかった。私はただ部屋の隅に落ちる月明かりを眺めながら、ぼんやりと眠気が来るのを待っていた。
 そしてそれは、隣の布団のひともそうなのだと分かっていた。衣擦れの音すらしなかったけれど、いつまで経っても眠った気配が感じられなかったから。

「……

 それぞれ布団に入って、半刻程経った頃だろうか。ふいに呼ばれた名前に、私は身じろぎして長次君のほうを向いた。私が寝入っていないことは、もちろん長次君も分かっていたのだろう。長次君が起き上がって足を進めて、私の前に膝をつく。横になった私の顔を、長次君が覗き込む。下ろしていたその髪が流れて、薄い月明かりに長次君の瞳が瞬いた。
 ああ。抱かれるんだろうか。
 伸ばされた長次君の指がそっと私の頬に触れたとき、私は自然にそう思った。嫌だとは思わなかった。昨日抱いて欲しいと言ったのは私だし、今そうしてくれても構わない。だから了承の意味も込めて、頬に触れる長次君の手を握ろうとすると、その手をやんわりと押し返され、頬に触れていた指も離された。
「長次君……?」
 表情の読みにくい顔。僅かに逡巡するような沈黙の後、そっと低い声が落ちた。
。お前がここにいることは構わない」
「ん……? あ、やっと諦めてくれた?」
 もしかしてずっと悩んでたんだろうか。微笑むと、長次君は一度視線を逸らし、それから渋々といった様子でまた目を合わせた。たぶん、そういうことなんだろう。
 この体勢のままじゃ話しにくい。身を起こすと、長次君も少し身体を後ろに引いた。私は布団の上に正座して、肩に落ちる自分の髪を後ろに流す。
「それで、どうしたの?」
 夜中で物音がほとんどないせいか、長次君の声が聞きやすかった。訊ねると、長次君はじっと私を見下ろして、ぽつりと言った。
「……一つだけ、約してほしい」
「約束?」
 なんだろう。長次君と共にいる上での約束ということなら、押し入れを覗くなとか、他人に知られないようにしろとか、そういうことだろうか。脳天気にそう思っていた私の予想は、すぐに外れた。
 長次君の言葉は、もっともっと真面目なものだった。
「共にいて、なにか俺に対して嫌だと思うことがあったら、口にしてくれ」
「……え?」
「些細なことでもいい」
 言われた意味をしばし考えて、ああそうかと理解した。長次君は『私』を不快にさせないようにしている。それはつまり、
「長次君は、……私がどうして『あなたを邪魔だと思った』のかが、知りたい?」
「…………」
 無言の答えは、つまり肯定だろう。
 そっか。
 長次君は私が記憶を失ったことを、『長次君を邪魔だと思ったから』だと思っている。だから私を通して、前の私をずっと見ている。それはやっぱり少し寂しかったけれど、今はそれでもいいと思った。仕方ないことだ。
「じゃあ、言ってあげる。長次君こそ、嫌なこととそうでないことははっきり言って欲しい。口にしてくれないと分からないから」
「……気をつける」
 半分冗談のつもりだったけれど、長次君は真面目な瞳で頷いた。ああ、このひとは本当に私のことが好きだったんだろう。前の私のことが。
「約してくれるか」
「……うん。分かった」
 小さく頷くと、長次君の瞳がほんの僅かに和らいだ気がした。でもそれはたった一瞬で、長次君はそのまますぐに立ち上がる。
「長次君、抱いてくれないの?」
 一応聞いてみると、長次君は一瞬固まってから、ああそういう風に取られる状況でもあるのかとやっと気付いたらしく、ただ一言「悪い」と呟いて、私に背を向けた。
 そのままお布団に入ってしまう長次君をじっと見て、私も掛け布団に手を伸ばした。
「おやすみなさい、長次君」
 もう一度声をかけて、布団の中に潜り込む。横向きにぎゅっと身体を丸めて、目を閉じた。ゆっくりと眠気が訪れてきて、そろそろ眠れるかなと思い始めた頃、ようやくに小さな小さな声が返ってきた。
「……おやすみ」


 四日目の夜。
 私は長次君のことを忘れてから初めて、嫌な夢を見ずに眠った。















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