照星夢
『愛と誇りと』





 火薬倉庫の中は、いつものようにひんやりと冷えている。夏ならば涼みにくるのも良いだろうけれど、冬の夜ともなると、閉めきった石壁の中は極寒と言ってもいい。
 今日は温かな日だし今はまだ陽も高いから、私にとっては肌寒いというほどでしかないけれど。

「お手を煩わせてしまって申し訳ありません、照星さん。寒くはないですか?」
「構わないよ。勝手に押しかけたのはこちらだからね。それに、火薬庫など私にとっては慣れた場所だ」

 実際にいつもと同じ表情で、照星さんは火縄銃を運ぶのを手伝ってくださる。佐武が購入した火矢の中で余ったものを、授業用にと持ってきてくださったのだ。銃は価格が高いから学園が購入するのには限度があるし、型が古くなったものは暴発の危険性が高い。だから佐武村のご厚意はとても有り難いものだ。
 本来ならば火薬庫への荷運びなど生徒本人がやるべきなのだけど、今手が空いているのが私しかいなかったから、恐縮ながら照星さんの手をお借りしている。

「気持ちは有り難いが、君もあまり無理はしないほうがいい。火矢はどれも重いから、負担を掛けると細腕が傷ついてしまうだろう」

 何気ない言葉に、私は火縄銃を運んでいる自分の両腕に目を向ける。腕の中の冷たい鉄の感触を抱え直して、小さく息を吐いた。

「……細腕などではありません。すでに私の手は傷だらけですし、見目麗しいものでもありませんから」

 同じ学年の女子生徒のように、私は美しくなる努力をしてこなかった。くの一としての修行は単位を落とさない最低限に抑え、空いた時間すべてを火矢の鍛錬に費やした。
 そのために私の両腕は火矢の暴発で傷だらけで、指先など焼き焦げているところもある。顔に大きな傷を作らなかったことだけが、今までの幸いだ。
 見栄ではないし、自虐でもない。そのおかげでこうして照星さんに目をかけて頂けるのだから、私にとっては後悔するはずもないことだった。

「ですから、お気遣いでしたら結構です。火矢に触れていることが私にとっては安らぎですから」
「昌義殿が聞けば喜びそうな言葉だ。だが、そういう意味ではないよ。私から見れば、君も若大夫も田村君も、等しく成長期にあたる」

 私のように育ちきってしまったのなら構わないが、と照星さんは運んできた火縄銃を手に取り、軽く構える。不備がないかを試していらっしゃるのだろう。

「身体が成長する時期にあまり無理をすると、逆に妨げることになりかねない。それに君たちは、火縄の名手になるためだけに授業を受けているわけではないだろう? 手裏剣術も体術も、等しく学ぶべきことのはずだ」
「……はい。仰るとおりです」

 その照星さんの言葉が、一般論というよりはもっと視野の広いものに思えて、私はしばし考えてから思い出した。

「照星さんは、もう忍びの仕事はされていないのですか?」
「佐武に招かれてから数は減ったが、銃を持たない忍務をこなすこともたまにはある。私の本分は忍びにあるからね」

 火縄銃の名手という肩書きのほうが目立つけれど、照星さんはもともと一流の忍者なのだ。今佐武にいらっしゃるのも、加藤村の用心棒をしたのがきっかけだと聞いたことがある。
 抱えてきた最後の火縄銃を下ろして、私は照星さんの隣に少し距離を置いて腰を降ろす。次々と火縄銃の整備をしていく照星さんは、それを拒まないでいてくださった。
 閉めきられた火薬倉庫には、私と照星さんの二人しかいない。密閉された空間だから、外の音も聞こえて来ない。憧れたひとと近しい距離で二人きり。それだけで、幸せだと思えた。
 私は照星さんのことをほとんど知らないし、きっと知れる立場にはなれないだろうけれど。

「……照星さん。少し不躾なことをお聞きしてもいいですか」
「なにかな」
「照星さんは、佐武村でもこの学園でも、忍びとして生きてらっしゃるのですか」
「ん? どういう意味だろうか」
「名前も……顔も、すべて伏せて生きてらっしゃるのですか。忍びとして生きるために」
「………………」

 怒られるかもしれないと覚悟していたし、そうであればすぐに謝ろうと思っていた。踏み込んではいけないことかもしれないし、単純に失礼かもしれない。
 ことり、と小さな音と共に照星さんの腕にあった火縄銃が置かれる。私を見る照星さんは、いつもと同じ静かな面持ちだった。

「なるほど。君は私の名前も顔も全て本物ではないと思っているんだね。……まぁ、そう思うのが自然かもしれないな。さきほど言った通り、私の本分は狙撃手ではなく忍びだ」
「……お気を悪くされたら申し訳ありません」
「いいや、そういうわけではないよ。佐武村にでも生まれなければ、息子に照星などと名付ける父親はいないだろう。君の疑問は当然だ」
「教えて頂きたいということではありません。以前から、どうなのだろうかと考えていただけです。……忘れてくださって構いません」

 それは、照星さんにとってはきっと望まぬ好奇心だろう。私は単に、好いたひとのことを知りたいだけだったから。
 照星さんは相変わらず怒った様子ではなかったけれど、続けられた言葉は淡々としたものだった。

「忍びは何者にもなれる。必要があれば、私も確かに名も顔も変えていくらでも他人に成りきることが出来る。本当の名と顔を忘れるくらいにね。そして忍びならば、ごく僅かな身内以外には、本当の姿を晒さないものだ」

 分かっていたことだった。その中に私が含まれていないことも。
 照星さんの目が、私の手に向けられる。ところどころ焼けこげだらけの、綺麗だとはとても言えない手。やはり醜いだろうか。思わず隠そうとしたとき、照星さんが静かに口を開いた。

「けれど、一つだけ言っておこう。私は自ら火縄銃を握っているし、君達に慕われているのは素直に嬉しいことだ。佐武で余った火縄銃を学園に寄付してはどうかと昌義殿に進言したのも、こうして君たちに教えに来ているのも、誰に強制されたわけでもない、嘘偽りない私の意志だ」
「……本当ですか」
「本当だよ。こんなところで、良い弟子を持つ師の気分を味わえるとは思わなかった。君も若大夫も田村君も、私の誇りだ」

 ぎゅっと、隠そうとした手のひらを握り締めた。息を吐くと、いつの間にか強張っていた身体から力が抜けた。
 照星さんのようになりたいと望んで、私はずっと火縄銃を抱えてきた。綺麗な女の人になりたいと思わなかったわけじゃないけれど、それよりずっと美しいものを知っていたから、憧れたそれにすべて捧げた。
 捧げてよかったと、今、心から思う。私が一心不乱に憧れた美しさは、今なお変わらぬ美しさで、私を認めてくれている。私にとっての誇りは、それに他ならない。

「ありがとうございます、照星さん」
「……君が笑ったところを初めて見たな」

 意外そうな照星さんの声に、自分が笑っているのだと知った。きょとんとした顔をしたのかもしれない。次は照星さんが、小さく微笑む。

 ……私は、幸せだ。

 この想いが遂げられることなどなくとも。伝えられることさえも出来なくても。
 私は後悔などしない。

 このひとに捧げた時間も、今から捧げる時間も、嘘偽りない、私にとっての誇りだから。










 終