綾部喜八郎夢
『雨の日、本の虫』
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私は雨が降っている休日が好きだ。 休日が好きなのはひととして当然として、雨が降っていると委員会活動が控え目になるし、急な誘いが入る可能性も少ないから、本が好きなだけ読めるのだ。 私は本の虫で常に『本が読みたい』と思っているから、休日に雨が降ってくれるととても嬉しい。前日に図書室から大量に本を借りてきて、それを一日中読みふけるのだ。 同室の友達は朝早くから委員会活動に行っているし、今日は読書をするには本当に理想的の日だ。 そんなわけで私はさっさと朝食を終わらせて、さっそく本を読み始めたんだけど。 「……なんでこんなことになってんだろ」 私の背中には、ぴったりと穴掘り小僧がくっついている。くっついていると言っても私と喜八郎では体格差があるから、正直なところ、後ろから抱き抱えられていると表現したほうが正しい。 夢中で本を読んでいたから認識していなかったけれど、どうも勝手に入ってきて勝手にくっついているらしい。 しかもそれだけなら無視してまた本の世界に没頭するのに、喜八郎は戯れに私を抱き締めたり、うなじに唇を落としたり、鼻先を擦りつけたりしている。これがくすぐったいし、気恥ずかしくもある。とにかく、本に集中出来ない。 「……あの、喜八郎さん」 「なに?」 「いや、なに、じゃなくて離れてくれない?」 「無理」 一応穏便に頼んでみても、即行で却下された。どころか、ますます後ろから身を乗り出して頭を撫でたり、頬同士を擦りつけたりする。 仕方ないので、心持ち声を低くした。 「喜八郎、鬱陶しい」 「…………」 一瞬、喜八郎の動きが止まる。やれやれと本に戻ろうとしたとき、恨めしそうな声がした。 「ひどい」 うん、まあね。 「でも私、今本読んでるの」 「僕もを構ってるだけだよ」 「邪魔なんだけど」 「お互いに妥協点を見出せなかったら、どっちかが我慢するしかないと思う」 「喜八郎さんが我慢すればいいんじゃないですか?」 「なんで僕が?」 「ですよね」 嘆息して、とりあえず本から顔を上げた。振り向くと、喜八郎がいつもの無表情でじっと私を見返してくる。 「喜八郎、今日は休みだしお外で穴掘りなんてどうでしょうか」 「も一緒に掘ってくれるの? それとも落としてもいいの?」 「なんで私が?」 「じゃあ嫌。今日はと一緒にいたい」 すりすり、とまた頬を擦り寄せられる。一応私と喜八郎は恋仲だから、その言葉とか仕草とかが嬉しくないわけじゃない。でも今日は私は本が読みたいのだ。喜八郎に構ってる時間も余裕もない。 「邪魔しないから読んでればいいよ。僕も勝手に構ってるから」 「……気になるから言ってるんだけど……って、うわっ」 突然、喜八郎が私を横抱きしたまま立ち上がる。何事かと身を固くすると、喜八郎は部屋の隅の壁際に移動して、壁に背を預ける形で座り、また私を後ろから抱え込む。 「このまま動かないから。それならいい?」 「う、うーん……。なにもしない?」 「なにもしない」 「…………じゃあ、そのままね」 「うん」 無理に追い出すのも心情的によくないし、かと言って本が読めないのも嫌だ。後ろにいるだけならいいか、と私もそれで妥協する。 喜八郎は言った通りに私を抱き締めているだけで、話しかけもしない、さっきみたいに鼻先を擦りつけてもこない。 正直そのまま寝てくれたりしたら楽なんだけどな、などと薄情なことを思いながら、私は本に目を落とした。 しばらく本に没頭していて、異変に気づいたのはたぶん四半刻ほど経ってからだ。最初はよく分からなかったけれど、思い当たった瞬間にびくっと身体が震えた。おそるおそると後ろを振り向くと、喜八郎は相変わらず無表情で私を抱き締めている。 「き、喜八郎さん……?」 「なに?」 「あんたもしかして……勃ってない?」 私は喜八郎に後ろから抱えられている。ということはもちろん密着しているわけで、つまりそういう変化はすぐに分かるというかなんというか、腰元になんか当たってる。当たってるから! 心臓ばっくんばっくんしている私に、喜八郎は涼しげな顔で、あっさりと頷く。 「うん。でも気にしなくていいよ、ほら本読んで」 「落ち着かないわー! てかなにいきなりおっ勃ててんの!?」 「もともと今日はの穴を掘りに来たわけだし、いろいろ考えてたらつい」 「って、おっさんかあんた! あ、ちょっ、離してよ! やーっ擦りつけないでー!」 「が逃げようとするからだよ。ほら、大人しくして」 「や、……わーっ!」 反射的に逃げだそうとしたら、喜八郎の腕が易々と捕らえて逆にぎゅうっと抱き締める。当たってる、当たってる当たってる当たってる! 再認識した途端に、かちんと身体が固まって、一気に顔に血が集まっていく。今まで読んでいた本の内容なんてすっこーんとどこかに飛んでいってしまった。 「……あー……う」 「ん? 、どうしたの?」 俯いてしまう私に、喜八郎が後ろから覗き込む。少し嬉しそうな気配だから、分かってて聞いてるに違いない。 「そ、それさ、どうにかしてくれない?」 「に引っ付いてる限り無理だよ。それかがどうにかしてくれないと」 「えーと、その、離れるって選択肢は」 「なんで?」 なんでじゃないーーー! 顔がさらに真っ赤になっていくのが自分でも分かる。私はこういうのが苦手なのだ。勝手に抜いてろ、とか言えたらかっこいいのに、すんごく気恥ずかしい。 喜八郎もそれが分かってるのか、ますますぎゅっと抱きついてくる。つまりその、当たってるやつもますます当たるってことで、心臓のどきどきもどんどん酷くなる。 うわぁぁぁぁ……どうしよう、これもう絶対私の負けだ……。 「ねえ、も本読めないし僕もつまんないし、どうにかしてくれる?」 「やっぱりそういう流れになるの……」 「嫌?」 「う、うーん……」 ふいに、私を抱き締めていた喜八郎の腕が緩む。慌てて身体を離して振り向き、喜八郎と向かい合わせになると、喜八郎が小さく首を傾げて私を見ている。もうその手は私に触れてない。 「嫌なら、いいよ」 「い、嫌、じゃないんだけどね……」 実際のところ、やっぱり私と喜八郎は恋仲なわけで、悔しいけれど求められれば嬉しい気持ちも確かにある。最後にはちゃんと私の意志を尊重してくれるのも、喜八郎に愛されているからだろう。そうなると尚更嬉しいんだけど、でも。 「嫌よ嫌よも大好きのうち?」 「だから嫌じゃないってば。……あのね、私今日あんまり、その、大丈夫な日じゃないから」 妊娠しやすいから無茶しないでほしい、と言外に言うと、喜八郎は顔色を変えないまま、ぱしん、と両手を叩き合わせた。 「在学中に僕の子どもを産んでくれるの? ありがとう、ではさっそく」 「ううん、そんなこと言ってない」 「冗談だよ。ちゃんと気をつけるから、それならいい?」 「……うん、まあ」 俯きながら小さく頷くと、喜八郎がぎゅっと勢い良く抱きついてくる。不意打ちに支えきれずあわあわと後ろに倒れ込むと、喜八郎が覆い被さってきて、私の頬やら額やらに口付けはじめる。 「僕はが産んでくれるなら今でも嬉しいけど」 「あんた自分の子でも容赦なく穴に落としそうだし……」 「落ちるとしたらに似た子だけだと思うよ」 言い返さなかったのは、その通りだろうと思ってしまったことと、喜八郎が私の唇に自分のそれを重ねたからだ。 口付け合いながら、喜八郎はゆっくり私を抱き直す。喜八郎の身体の下に私の身体が全部おさまるように。 喜八郎は寝るときもそうでないときも、共にいれば私にくっついている。抱き心地がいいわけでも、良い匂いがするわけでもないのに。 時々それがちょっと面倒なときも恥ずかしいときもあるけれど、愛されていると実感出来るのは素直に嬉しい。私も喜八郎を愛しているから。 「好きだよ」 鼻先が触れ合うような近い距離で、喜八郎が微笑んでいる。 「……うん、私も」 好き、と返して、見つめ合いながらまた唇を重ねた。 終 |