富松作兵衛夢
『ダイエットをしよう!作兵衛ver』






「ねえ富松ちゃん、私最近どこか変わったと思わない?」

 唐突に先輩がそう言ったのは、用具委員室で書類整理をしているときだった。予算会議が近いのにまだ予算案が立てられていないとうっかり愚痴ってしまったら、暇だからと先輩が手伝ってくれることになったのだ。
 新調した補修用具を帳簿に書き留めてくれている先輩の前で、うんうんと予算案を立てているときに、突然にその言葉だ。一瞬なにを言われたのか分からずきょとんとして、それから俺は「えっと……」ともう一度言われた言葉を反芻した。

「か、変わった、ですか?」

 先輩に聞き返すと、先輩は「うん」と頷いて、自分がよく見えるようにか、よいしょ、と膝立ちしてみせる。変わったところと言われてもなんのことやら……と考えている俺の頭に、ふいに、この間同級生達と交わした会話が過ぎった。
 それはこの年頃になれば始終している『女』の話で、女っていうものはよく分からないことにこだわる生き物だ、という、実際に恋仲の相手がいるやつの愚痴みたいな内容だった。そいつ曰く、女ってのは恋仲になると(場合によってはその前でも)、しょっちゅう『今日の私、どこか違うと思わない?』と聞いてくるらしい。例えば新しい簪をつけているとか、帯紐を新調したとか、巾着袋を買ったとか、髪型が少し違うとか紅の色を変えてみたとかいい白粉をつけてきたとかはたまた爪を整えたとか、そういうことに気がつくことを男に求める、と。
 しかもそれを間違えると、気づかなかったことよりも酷く怒られる、と。
 愚痴ってた奴が、嘆いていたのを思い出す。
『下駄の鼻緒を紐色だけ変えたとか、お前ら分かるか?』
 やべえ、俺も絶対分からない。
 しかもどうして女の人がそんなことを聞くかというと、それに気づくか気づかないかで、普段どれほど自分のことを見てくれているか試しているんだとか……つまりは愛情確認らしい。

 え? 俺、今もしかして愛を試されてる?

 一瞬のうちにその考えまで行き着いて、俺はぞわっとした。え、これ間違えたら先輩怒る? 拗ねる? 泣かれる? いやまさかそんな、分かんなかったからって泣くなんて…………ね、ねぇよな? そんなことねぇよな!?

「おーい、富松ちゃん?」
「は、はははははは、はいっ! ちょっと待ってくだせえ!」

 不思議そうに身を乗り出す先輩に、ぴし、と手のひらを突きつけて押しとどめ、俺は真剣に考え始める。
 先輩は、無論学園内だからくの一教室の装束姿だ。下ろせば背中まである髪を邪魔にならないように一つくくりにしているのは、いつもと同じだ。髪紐も、た、たぶん同じだと思う。装束は変わりようがないし、先輩がいつもつけている首飾りも、装束の下で今は見えない。化粧はしていないだろうし、爪の色も普通だし、他になにか装飾をつけているようにも見えない。いや、もしかすると『最近肌の調子がいいの』とか『椿油を使ったら髪艶がよくなったの』とかいう変化球か? でもそんなの実際触ってみないとよく分からな……いいいいいいやいやいやいやいや触るとかそんな違う違う違う、いや触りたくないわけでもないけど違う違うちがががががが、ハッ、まさか外見のことじゃなくて『嫌いな人参食べられるようになった』とかそんなことだったらどうしよう!? や、やべえ、分からねぇ、こうなったら『先輩はいつも綺麗ですよ』とかそんなこと言って誤魔化……いやいやいやいやいやだから間違えたら尚更怒るって言われたし俺はどうしたらいいんだよ! 分からねぇと愛を疑われる! 嫌われる!
 ちくしょー!

先輩、俺、先輩のこと愛してます!」
「へ?」

 最早為す術がなくて、先輩の両手を握ってそう告げると、先輩は心底意味が分からないという顔で、軽く首を傾げただけだった。
 あれ?

「えっと、その……愛してます」
「あはは、ありがと。私も愛してるよ」

 言葉と共に、ちゅ、とほっぺたに口付けられた。うわーいやわらかーい、じゃなくて!

「あれ? 先輩、今俺の愛を試してたんじゃないんですか?」
「富松ちゃんは時々、おもいっきり思考が飛ぶよね」
「よく言われます」

 どうも本当に違ったらしい。じゃあ一体なんだろう、と先輩を改めて見ると、それを意識したのか、先輩は「とうっ」だの「たあっ」だの「しゃらーん」だの、滝夜叉丸先輩みたいな無駄に華麗なポーズを取ってみせる。投げキッスとやらだったり、架空の花(?)を手に持って微笑んでみたり、なぜかごろんごろんとでんぐり返ししたり。
 いつもの変な先輩にしか見えねぇんだけど。

「あの、分かんねぇって言ったら怒りますか?」
「ん? 別に怒らないよ。……あいたっ」

 でんぐり返しで勢いをつけすぎたのか壁に頭をぶつけて止まって(なにしてんだろこのひと……)、先輩はさっきまで向かっていた文机、俺の前に腰を下ろした。
 とりあえずホッとした。怒らないでもらえるなら、心配ない。

「それじゃ、富松ちゃんは私が変わったようには見えない?」
「はあ……。あの、どうしたんですか、先輩」

 大したことにはならなさそうなので、もう降参して聞いてみる。すると先輩は「そっかー」と首を傾げて、文机の上に頬杖ついて、筆を取り上げる。

「なんかね、最近太ったみたいなの」
「ああ、なるほ……え? 太った?」
「ほっぺの肉のあたりとか。二の腕とか。太股とかお腹も伸びるんだよね。富松ちゃんどう思う?」

 ぐにー、と自分の頬を伸ばしながら、先輩が改めてそんなことを俺に聞く。
 ぞわぞわっっっと、俺はまたしても嫌なことを思い出した。
 さっき話していた恋仲がいる同級生が、真っ赤に両頬を腫らして逢い引きから帰ってきたことがあった。その原因はただ一つ、同級生の『お前太ったな』という一言だったという。同級生は頬を冷やしながら、大きなため息を吐いた。『まさか太るって単語が逆鱗直結だとは思わなかった』と……。
 やべえ! 「そうですね、そういえば腰回りが一段と育ってますね」なんて言ったらそれこそ怒られる!? 殴られる!? 泣かれる!? 嫌われる!?
 駄目だ、太ってるなんて口が裂けても言えない。

「そ、そうですかねー? 俺にはいつもと変わらないように見えます、よ?」
「んー。じゃあかなり前から太ってたのかな。最近ちゃんと鏡見てなかったから……。やっぱ太ってるかあ……」

 先輩は神妙な顔つきで、自分の腹を装束の上からもみもみと掴んでいる。
 やべえ、なんかどんどん駄目な方向に進んでる気がする。
 ここは一つ、きちんと言っておくべきなんだろうか。太ってても痩せてても先輩は可愛いです! 愛してます!
 そうだ、愛を確かめられてるなら、伝えるのが一番だ!
 と、俺はついさっきそれで失敗したのもすこーんと忘れ、ぐっと拳を握り締めて身を乗り出した。相変わらずむにむにと自分の腹を揉んでる先輩に。

先輩! 俺は太ってても痩せてても」
「あ、そうか。もしかして妊娠かな!?」
先輩を愛してまどひゅうわああああああああああああああああああああ!?」

 叫んで飛び退いた勢いでいろいろ吹っ飛んだ。頭の中身的にも、文机の上に並べていた帳簿的にも。
 どん、とさっきの先輩みたいに後ろ頭を壁にぶつけてから、俺はハッと気づいて起き上がった。

「って、孕むようなことしてねぇじゃないですか! 一瞬本気で驚きましたよ!」
「だって富松ちゃん、俺が卒業するまでやらないっていうんだもん」
「当たり前でしょうが! 子を作るようなことをするのは、ちゃんと家もお金も用意してからです!」
「全面的に同意するけど、そういうのって年頃の男の子には通じないと思ってたからびっくり」
「い、いや、俺もさすがにしたくないわけじゃねえですけど」

 でも卒業したら先輩と夫婦になって子をたくさん作るって決めてるから、それまではその準備に費やすべきだ。もし万一のことがあったら困るもんな。

「孕むようなことの寸前までならいいんじゃない? いちゃいちゃしよっか」
「駄目です。年頃の男子の精神力舐めちゃ駄目ですよ。即行で決壊します」
「かっこいいこと言ってるようでかっこ悪いような気もするしでもやっぱりかっこいいような……?」

 男の子って不思議だねえと言いながら、先輩は何事もなかったかのように筆を握って、さっきやっていた帳簿整理の続きを始める。

「や、あの、先輩。さっきの話はもういいんですか」
「え? ……ああ、そうそう。なんかちょっと太ったみたいなんだよね。富松ちゃん、太ったほうが好みかな?」
「え……や、その、不健康なより健康的なほうが好きです、かねえ」
「富松ちゃん、むちむちしてる子の春本たくさん持ってたから、太った子のほうがいいかなって思ったんだけど」
「って、それいつ見たんすか!!! ち、違いますよ!? 天井裏に隠してあったやつのこと言ってるんですよね!? あれは三之助が無理矢理に……」
「ううん、かまかけただけだよ。そっか、天井裏かー」
「ああああああああああああ、もおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」

 ひとしきり叫んでから、なんだか疲れて、ぺたんと文机の上に崩れ落ちた。
 たぶんからかわれていただけなんだろう、ということにもようやく気づく。

先輩は俺をからかうのが好きですよね……」
「うん、可愛いから」
「複雑です……」
「じゃあ、愛してるから」
「騙されてしまいそうです……」

 とはいえ、こんなことには慣れっこだ。起き上がってやれやれと俺も予算案を組む仕事に戻ると、目の前で同じように帳簿付けをしてくれながら、先輩が小さく微笑んだ。

「ほんとはね、太ったかどうかちょっとは気にしてたんだけど。よく考えたら私富松ちゃんのお嫁さんだもんね。富松ちゃんさえ気に入ってくれてたら、それで構わないよね」
「………………」

 やべ。顔がかあっと赤くなるのが自分でも分かる。先輩はにこにこと作業しながら、「ね」と俺を覗き込んだ。

「だって富松ちゃん、むちむちしてる子のほうが好きなんだよね? 天井裏の」
「って、だからそれは誤解なんですってばああああああああああああああ!!!!!」




















 終