七松小平太夢
『どっちが大事?』
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部屋の戸を開けた瞬間、うわなんか面倒くさそう、と思った。 午後の授業と委員会活動を終え、自室に戻ってきたときだった。晩ご飯までは時間があるし自習でもしようかと思いながら戸を開けると、なぜか部屋の中に小平太がいた。 小平太が私の留守中に不法侵入しているのは珍しいことではないのだけど、いつもと違うのは、小平太が壁に向かって三角座りをしていることだ。部屋の隅は薄暗いからか、背中に影を背負っているようにも見える。 体格の良い、いい年した男が壁に向かって三角座りをしているというだけでも少々異様なのに、それが小平太ともなると尚更だ。 「こへ、なにしてるの?」 「…………はぁー……」 声をかけてみても、小平太はわざとらしく大きくため息を吐くだけで返事をしない。落ち込んでいるというか、どうも拗ねているような態度だ。 やっぱり面倒くさそうだなと判断して、それ以上は声をかけるのをやめた。抱えていた筆記具を文机の上に置き、その前の座布団に腰を下ろして参考書を開く。とりあえず無視しておこう。 案の定と言うべきか、私が参考書を開いてすぐに、背後で小平太が動いた。ちらりと私を確認したらしい気配の後、またあからさまに悲哀の満ちたため息が聞こえてくる。 「はぁ……私さびしいなーむなしいなー」 ちらちらとこちらを窺う視線に気づかないふりをする。 小平太は普段明るいというか大雑把というか豪快なのに、ごくたまに非常に子どもっぽい態度をとることがある。 それも大抵は、くだらない理由だ。安易に気遣うと、調子に乗らせて酷いことになってしまう。 「あー、このままじゃ私、さびしくて死んじゃうなー、どうしようかなー」 「期末試験近いから勉強で忙しいなー、他のことしてる暇全然ないなー」 こちらもあからさまに言ってみると、一瞬間を置いた後、また小平太が声を上げる。 「私がさびしくて死んじゃったら、きっとみんな泣くだろうなー、なんてわんわん泣いて小平太に優しくしとけばよかったって後悔するに違いないぞー。それでもいいのかー? よくないと私は思うぞー」 だんだん口調自体も悲しそうなものじゃなくて、脅しに近くなってきた。 ここまで来たら私も意地だ。「あーいそがしーいそがしー」と連呼しながら無駄に参考書の頁をめくっていると、業を煮やしたのか、ずりずりと匍匐前進しているらしい音が迫ってくる。それでも頑なに無視していると、突然に正座している右足首を、がしっと掴まれた。 仕方なく振り向くと、むーーっと顔をしかめた小平太が、畳に突っ伏したまま私を見上げている。 「……なに、こへ」 「は、私がさびしくて死んじゃってもいいのか」 「いや、大の男がさびしくて死ぬって言われても」 じっとしばらく見つめ合った後、小平太は掴んでいた私の足を離し、ゆっくり起き上がった。私も参考書を閉じて、小平太に向き直る。とりあえず話しくらいは聞かないと、ずっとこのままだろう。 小平太はやっぱり拗ねているようで、あからさまになにか恨めしそうに私を軽く睨んでいる。 渋々ながら聞いてみた。 「こへ、私なにかした?」 別に最近小平太を蔑ろにしたとか、あまり会えなかったとか、そんなことはなかったはずだ。実際小平太もきょとんとして、素直に首を横に振る。 「別にが私になにかしたわけじゃないぞ」 「じゃあ、私関係ないよね?」 「関係ある! はとにかく私を構って、べたべたに甘やかせばいいと思うぞ!」 「はい?」 堂々とわけのわからないことを言い切られて半眼になる私に、小平太はずずずいっと身を乗り出してきた。両の拳を握って勢いよく迫り、 「見てわからないのか! 私今すっごく傷ついてて悲しいんだ! だからは私をとことん甘やかして慰めればいいと思う! 大体、私が部屋の隅っこでさびしそうにしてるんだから、そっと抱き締めて頭くらい撫でてもいいと思うぞ!」 「小平太、今年で何歳?」 「年は関係ないぞ! 悲しい気分になるのは、子どもも大人も同じだ!」 「その通りなんだけど、そういう意味では全然なくてね……?」 「………………はぁ」 やっぱり面倒くさいことになったなあと思っていたのが顔に出ていたのか、小平太は急に勢いを失ったように身を引いた。しょんぼりした様子に、ちょっと冷たくしすぎたかと顔を覗き込むと、小平太は俯いてぽつりと呟く。 「……長次が私に意地悪するんだ」 「へ? ……もしかしてこへ、長次と喧嘩でもしたの?」 それまで適当な対応を取っていた私も、さすがに少し心配になった。もし本当に喧嘩をしたんだとしたら、落ち込むのも当たり前だ。なんだかんだと二人は仲が良くて普段喧嘩なんてしないから、一度こじれたら元に戻るのは大変かもしれない。 そこまで考えて勝手におろおろしている私の前で、けれど小平太は「別に喧嘩はしてないぞ」とあっさり否定した。 「喧嘩したわけじゃないけど、どうも長次、私のこと怒ってるみたいなんだ」 「こへが悪いから今すぐ謝ってきなさい」 「私悪いことなんてしてないぞ。ちょっと行李に入りきれなかったから、図書室に私厳選の春画を持って行っただけだ。そしたらなんか、公共の場にあんなもん置くなって長次が怒って捨てちゃって」 「ばかじゃないの」 ほんとにばかじゃないの? 心配していた気持ちが一瞬で砂になって消えていく。可哀想に中在家、と心の中で深く同情していると、小平太がむっと顔をしかめる。 「話しはそれで終わらないんだ! いくら怒ってるからって長次のやつ、私の買ってきたばかりの春画までおもいっきり放り投げて捨てちゃったんだ! 長次に捨てられたからせっかくまた買ってきたのに! まだ使ってないのに!」 「って、また春画かい!」 「そうなんだ、酷いだろ!? 春画がないなんて私、夜どうして過ごしていいか分からないぞ! な、長次酷いだろ!? 私可哀想だろ!?」 ものすごく真剣な表情で同意を求められて、もはや否定する気もなくなった。やっぱり無視すればよかったと後悔しながら小平太に背を向けようとすると、がば、と引き止めるように後ろから抱きつかれる。 「こら、ちょっと離してよ」 「慰めてくれー、私春画ないとさびしくて死にそう」 「あーはいはい離れてね、勉強できないから」 「なんだーっ、私と勉強どっちが大事なんだーっ!」 もはや本当に子どものように駄々を捏ねて、小平太は私を抱き込んだまま離れない。けれど子どもと違って厄介なのは、力が強くてちょっとやそっとではふりほどけないことだ。 そもそも仮にも恋仲の相手に、春画が捨てられて寂しいから慰めてくれとかどういう了見だ。小平太が春画を持ってることに関してとやかく言うつもりはないけど、ちょっと配慮が足りなさすぎないか。私と春画どっちが大事なんだ。 「だって大事なもの捨てられちゃったら悲しいだろ? 私の気持ちになって考えてみてくれよ! 慰めてくれよ!」 「いやそれこそこへに言いたいんだけど……。大体、どうして私が慰めなくちゃならないの。同じ悩みを分かち合える男相手に言いなさいよ」 食満とか文次郎とか、と適当に名を挙げると、小平太が「へ?」と不思議そうな声を出す。 「あいつらに言っても仕方ないだろ。だって私、がずっと一緒にいてくれれば、春画なんていらないし」 「…………え」 不意打ちで言われて、思わずどきっとした。私を後ろから抱き締める小平太が、あっけらかんと笑って私を覗き込む。 「な、そうだろ? だからに慰めてもらおうと思って来たんだぞ」 「そ、そう……」 かあっと頬が熱くなる。さすがにそう言われると悪い気はしない。ちょっと恥ずかしくて身体を縮めようとすると、小平太が笑って後ろから私の頬に口付けるから、また顔に血が集まっていく。 「うー……」 「だってさ、春画だと直接こうやって触れないし声も聞けないし温かくもないし、一人でしても気持ちよくないし、仕方ないから春画使ってるだけで…………あ、でも胸そんなでかくないな」 「…………え? はい?」 「それに、恥ずかしがってなかなかいろいろさせてくれないしな。あんな格好やそんな格好もしてくれないし、やっぱりそういうのは春画じゃないと」 「……もしもし、小平太さん?」 「がなんでもやってくれるっていうなら別だけど、そんなんじゃないしな。いきなり胸ばーんの尻ばーんの色気むんむんのになっても私びっくりするしな」 「…………おーい……」 俯いてぶつぶつ一人で考え込み始めた小平太に、私は頬をひきつらせる。ぎゅっと右手の拳を握り締めたとき、ぱっと顔を上げて小平太が私を覗き込んだ。腹が立つくらいの笑顔で。 「うん、そうか! 悪い、私がいれば春画いらないと思ってたけど、違うぞ。が主食で春画は果物だな!」 「帰れ!」 満面の笑みの小平太を、固く握り締めておいた拳で殴りつけた。 終 |