食満留三郎夢
『温かな冬の日』
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初冬にしては珍しく、あまり寒くない休日だった。空は綺麗に晴れていて、まるで夏のように澄んだ青色。風も冬場にしては驚くくらいに温かくて、みんな朝から楽しそうに出掛けたり溜まった掃除や洗濯を片付けたりしていた。 私も本当は委員会の仕事をしたかったんだけど、絶対に来るなよと食満に念押しをされているから、大人しく食堂近くの縁側に座り込んでいる。ここからは運動場が近くて、下級生も上級生も一緒になって遊んでいるのがよく見えた。 部屋に一人で閉じこもっているのはさすがに寂しいから、はしゃぐみんなの声を聞きながら、ぼんやり空を見上げている。視線の先に、白い綿にも似た雲が、ゆっくりゆっくり流れて行った。 委員会に行けないのは、数日前に不注意で足の筋を痛めてしまったからだ。それも委員会活動中の事故だったから、食満も作兵衛もすごく心配してくれて、完治するまでは絶対に委員会に来ないようにと約束させられてしまった。 心配してもらえるほど痛いわけじゃないし、走るのはともかく歩くのに支障はない。委員会を長く休むのは申し訳ないし簡単な作業くらいは出来ると言ったけれど、『それはお前が痛みに無頓着だからだ』と食満は私を諭した。 確かに食満は正しくて、無理をして悪化してしまったら、ますます委員会に行けなくなってしまう。用具委員の皆にも保健委員の人達にも、余計に迷惑をかけることになる。だから言われたとおりに、休みの今日は一日安静にしようと決めていた。 風が強い日にはすぐに散り散りに消えてしまう雲が、今日は目でじっくり追えるほどにのんびりと流れていく。ふわふわと浮かぶそれは、どれもなにかに似ている気がする。丸い小さな雲は私には雪玉に見えるけれど、しんべヱならおまんじゅうかおにぎりに見えるかもしれない。喜三太ならナメクジさんと答えるかもしれない。作兵衛と平太はどうだろうか。食満なら、困った顔で『空見てる暇があったら、修補の続きやらねぇとな』と言う気もする。それとも、『あの丸い雲か? 桶だな。さっさと首桶直せって仙蔵のやつがうるせえんだよ』とか。 「桶、たくさんあったなぁ……」 私が怪我をする前の日に、火矢の暴発に巻き込まれたとかで作法委員から大量に首桶の修理依頼が入った。備品の修補は優先度が低いから、後回しにされてきっと今でも用具倉庫の端に積み上げられているだろう。 ぽこぽこと山葡萄の実のような形の雲が、積み上げられた大量の桶に見えてくる。その後ろに、また小さな丸い雲がぽつぽつと浮いていて、なんだかそれも用具委員に見えてきた。一番大きいのが食満で、中くらいのが作兵衛で、もっと小さいのが平太達。みんな並んで浮かんでいると思うと可愛らしくて、ゆっくりゆっくり、ナメクジさんの速度みたいに流れていく雲を見つめていた。 ふと、見ているうちに食満の雲の形が少し崩れてきた。追いついた、というように、積み上げられた桶の雲に、食満の雲がぽふんと繋がる。 「食満が桶を直してるんだね……」 「ん? 呼んだか」 呟いた言葉に返事があって、私は瞬きをしてから後ろを振り向いた。そこには雲じゃなくて本物の食満が、不思議そうな顔で立っている。 本物の食満は、今は委員会の途中だと思っていたんだけど。 「どうしたの、食満」 「いや、吉野先生に今日の委員会活動を報告して来ただけだ。帰り道にお前の姿が見えたから、ついでにな。……お前、ここでなにをしてるんだ?」 食満の目が、私の剥き出しの左足に向けられる。外傷はないけれど、固定するためにぐるぐると包帯で巻いているから、見た目はかなり目立ってしまう。 食満が隣に座るまで目で追って、私はさっきの雲を見上げた。ぽんぽんと浮いている丸い雲。 「食満、あの雲なんに見える?」 「雲? ……そうだな、そろそろアヒルボートも点検しなくちゃならんな」 言われてみて、そういえば確かにアヒルさんに似てるなと思う。白くて丸い雲はアヒルボートの船首そっくりだ。 「それで、お前部屋で休んでろって言っただろ。なにか外に出る用事でもあったのか」 ちょっと非難するような食満の言葉に、私はきょとんとした。食満を怒らせることをしただろうか。 「休んでるよ。ここでのんびりしてるの」 「くの一教室の長屋からはだいぶ遠いだろ。部屋で寝てりゃいいのに」 「一歩も外に出ないのは、退屈だから」 「まぁ、それはそうかもしれんが……外だとなにが起きるかわからんだろ。いきなり小平太のぶん投げた砲弾が飛んできたらどうする」 食満の言葉に、私は運動場に視線を向ける。そこには砲弾ではないけれど、バレーボールで遊んでいる小平太の姿がある。わいわいと聞こえてくる声で一番大きいのは、体育委員達のものだ。大抵は後輩達の悲鳴だけど。 「仙蔵のやつも、暴発させて桶壊したくせに懲りずに火矢の新作とやら作ってやがるしな。生物は生物でまた伊賀崎が毒虫逃がすし。外にいたいなら、せめてくの一教室の敷地内にしとけ。あぶねぇぞ」 「心配してくれるの?」 「当たり前だ。その足じゃ咄嗟のとき逃げられねぇだろ。……あー、あいつらひとに修理押しつけといて遊びやがって……」 食満の視線の向こうには、やっぱり遊んでいる体育委員達(というか小平太)の姿がある。いつものことだから食満も諦め半分だったけど、ちょっとその言葉に焦燥感が混じっている気がした。 「委員会、忙しいの?」 「ん? 気になるか」 「うん」 「……そうだな、まぁ、暇じゃねぇな。こうしてお前と無駄話するくらいの時間ならあるが」 「そっか」 それきり、私と食満は黙ってしまう。 委員会が忙しい理由の一端には、間違いなく私が活動出来ないことも含まれている。けれどここでごめんなさいと謝ったら、きっと食満は困ってしまうだろう。だけど他人事のように頑張ってねとも言いづらい。どう言えばいいかなと思っていると、食満が「あのな」と口を開いた。 「、お前今日は用事がないのか」 「うん、一日お休みしようと思ってたから。ちゃんと大人しくしてるよ」 無理しない、と伝えるために、意識して笑って見せる。けれど食満はなんだか困ったような顔で私を見た。視線が合うと、どうしてか慌てて僅かに顔を逸らす。 「食満?」 「……あのな。自分から言いだしたことを破るのはどうかと思うが」 「なに?」 「その……、お前、嫌じゃなかったら、これから委員会の手伝いに来てくれないか」 想像もしていなかった言葉に、ぽかんとしてしまった。食満は意を決したように、今度はちゃんと私と目を合わせる。 「やるのは座ったまま出来る作業でいい。無理はさせない。なんなら、顔見せるだけでもいい。作兵衛達も心配してるから、お前が来るだけでも喜ぶだろうし」 「……いいの?」 「ああ。今日は用具倉庫の整理が中心だからな。前みたいに、委員がばらばらになることもない」 それは、私が怪我をしたときのことだ。仕事が溜まっていたから、私は一人で老朽化した壁の補修をしていた。そのとき、崩れてきた木材に足を挟まれたのだ。せめて誰か一人付けていればと、食満は幾度も私に謝ってくれていたから。 「それに、目に届くとこにいるほうが、いざというとき守ってやれるしな」 当たり前のように言って、食満がぽんぽんと私の頭を撫でる。かあっと、自分でも分かるほどに頬に熱が集まった。私の様子を不思議そうに見ていた食満は、数瞬後、はっと気づいたように真っ赤になった。たぶん私よりも。 「い、いや、今のはだな…………。その、ど、どうする。来るか?」 「うん。ありがとう」 礼を言うと、食満は赤い顔を気まずそうにしかめて、早々に立ち上がる。余程恥ずかしかったのかもしれない。でも私が食満に続いて立ち上がろうとすると、すぐに手を貸してくれた。 「っしょっと……」 「あ、気をつけろよ。ほら、手出せ」 杖がなくても歩けるけど、立ち上がるときは時間がかかってしまう。食満は私の腰に手を回して支えてくれて、そのまま手を握ってくれた。それからゆっくり、用具倉庫に歩き出す。 食満はまだ照れくさそうにしてたけど、ちゃんと私の様子を見て先導してくれる。歩きにくくもないし、ふらつくこともない。気にしてくれていることが嬉しかった。 「ありがとう、食満」 「……ああ」 ふと空を見上げると、桶の固まりも食満も作兵衛も平太もしんべヱも喜三太もみんな、ひとつの大きな雲になっていた。 終 |