綾部喜八郎夢
『布団でいちゃいちゃしよう!喜八郎ver』





 どん、と軽い衝撃が走った後、腕の中からばさばさと本が滑り落ちた。
 本を読みながら廊下を歩いていたから、不注意で誰かにぶつかってしまったみたいだ。

「あ、ごめん。大丈夫か?」
「いえ、私が悪かったので……」

 廊下に散らばった数冊の本を慌てて拾う。心配そうな顔で私を見つめているのは、五年生の先輩だ。

「すみませんでした、尾浜先輩」
「いや、俺こそぼーっとしてたから。気をつけてな」
「はい、ありがとうございます」

 頭を下げ、私は再び歩き出す。と、後ろから「あれ?」と尾浜先輩が声を上げた。引き止める色のそれに振り向くと、尾浜先輩が困った顔をしている。

「……あのさ。ここ、たぶん男子寮だと思うんだけど」
「ええ、仰るとおりにここは男子寮で男子寮は女子禁制ですが、それがどうかしましたか」
「いや、そこまで堂々と言われると……」
「本を返しに来ただけですから、用事が終わったらすぐ帰ります」
「うーん……まあ、いっか。先生に見つからないようになー」

 尾浜先輩は一瞬だけ迷う素振りを見せたあと、あっさりと学級委員長の職務を放棄してどこかに向かっていった。私が言うのもなんだけど、それでいいんだろうか。
 なにはともあれ、許可は出た(ことにした)。くの一教室のそれより大きな男子長屋の中を、目的の部屋へと進んでいく。
 長屋に残っている生徒は少ないようだった。それもそのはず、今日は真冬には珍しい快晴で、日差しもぽかぽかと温かい。まるで春のような陽気だから、冷たい冬に飽き飽きしていた生徒達は大半が外に出ているのだろう。
 もしかしたら今から訪ねる相手も不在かもしれないけれど、そのときは本を置いて帰ってくればいいだけだ。そうのんびりと考えていたら、前方から見知った顔が近付いてきた。相手も私に気付いて、ん、という顔で足を止める。

か。こんなところでなにをしている?」
「喜八郎にちょっと用があって来たの。喜八郎、部屋にいる?」

 滝夜叉丸はちらりと後方の自分の部屋に視線をやり、「ああ」と頷く。それから、少し怪訝そうな表情で私を見た。 

「あいつならまだ部屋だが、急用かなにかか?」
「ううん、借りてた本を返すだけ」
「なら悪いが、用事が終わったらすぐに喜八郎を追い出してくれるか。四年い組は、今から次の集団実習の打ち合わせでな。あいつも来ないと話しが進まん」
「うん、分かった」
「くれぐれも頼んだぞ。喜八郎のやつ、この手のことに興味がなくてな。毎回くだらない言い訳にかこつけて逃げようとする」

 はあ、とため息を吐いて、滝夜叉丸は私とすれ違って男子寮の出口へと向かっていく。普段から気まぐれな喜八郎に随分振り回されているのだろう。気持ちが分からなくもないので、滝夜叉丸の後ろ姿を同情まじりにしばらく見送って、私はまた二人の部屋へと歩きだした。
 喜八郎と滝夜叉丸の部屋は、戸が大きく開け放されていた。どこの部屋もそうだけど、今日は温かくて板戸をしっかりと閉める必要がないからだ。部屋の前の廊下で、喜八郎は日干ししている布団を直そうとしていた。近付く私に気付いて、喜八郎は手を止めて立ち上がる。

「どうしたの、。夜這い? それなら丁度良くここに布団があるよ」
「昼間からなに馬鹿なこと言ってるの。借りてた本を返しに来たの。これ、文机に置いていい?」
「なんだ。とうとうも僕に夜這いしに来てくれるようになったかと思ったのに。口付けするのも恥ずかしがってた頃と比べると、すごい進歩だねって。あれはあれで可愛いけど、積極的なのもいいよね」
「……とりあえず、この本ここに置くからね」

 私もこいつと付き合ってからだいぶ学習してきた。喜八郎の言うことをいちいち取り合っていたら、なかなか本題に入れない。
 借りていた罠関係の本を喜八郎の文机に置いて、じーっと私を見つめる喜八郎に向き直る。とにかく、滝夜叉丸に言われた通りに、ちゃんと喜八郎を送り出さないと。

「ほら、早く布団直して。これから予定があるんでしょ?」
「そうだね、といちゃいちゃしないと」
「だから、そういうんじゃなくて! 遅れたら迷惑だから、早く行きなさいってば!」

 思わず叫んでしまうと、喜八郎はいつもの無表情で首を傾げる。その動きを追い掛けるように、喜八郎の髪がさらりと肩から流れ落ちた。妙に絵になっていてちょっと腹立つ。

「なんのことか分からないけど、予定なんて本当にないよ。いい天気だし、なんなら町にでも逢い引きに行かない?」
「ついさっき滝夜叉丸から、あんたを逃がさないように言われたばかりよ」
「ちっ、お邪魔虫め」

 一転して不機嫌そうに舌打ちして、喜八郎は憮然とした表情になる。どんだけ団体行動が嫌なんだ。

「ほら、布団直しておいてあげるから、行ってきなさいよ。あんたがいないと話しが進まないって言ってたわよ」
「別に僕一人いなくても、滝夜叉丸がなんとかするのに……」
「いつまでも滝夜叉丸に頼ってるわけにもいかないでしょ。ほらとっとと行ってきなさいってば」
「僕が帰ってくるまで待っててくれるなら行こうかな」
「私は今から図書館に篭もる予定があるの」

 なかなか行こうとしない喜八郎を少し雑な動きで手で払うと、つまらなそうな顔でため息を吐き、喜八郎はようやく渋々と私に背を向けた。

「じゃあね、今晩はちゃんと夜這いに来てね。滝夜叉丸追い出しておくから」
「い、行かないわよばか! 滝夜叉丸に迷惑かけるのやめなさい!」

 思わず顔を赤らめて叫んでしまうと、それでちょっと気が済んだのか(むかつく)、喜八郎はてくてくと素直に廊下を歩いていく。
 一応喜八郎がきちんと出口に向かっているかを確認して、私はやれやれと廊下に日干ししている布団に向かう。敷き布団と掛け布団と枕の、寝具一式だ。天気が良いおかげで、布団はぽかぽかふかふかになっていた。全体を軽く叩いて埃を払い、一式を持ち上げて部屋の中に運ぶ。
 あまり整頓に興味のなさそうな喜八郎だけど、同室の滝夜叉丸がきっちり指導しているのか(それとも我慢出来ず手を出しているのか)、部屋の中はきちんと片付いている。
 掛け布団も敷き布団も三つ折りに畳み、その上に枕を乗せる。さて押し入れに直そうかと改めて持ち上げようとして、ふとお布団の柔らかさにいけない欲求が沸いてきた。
 最近寒い日ばかり続いていたから、あったかなお布団なんてすごく久しぶりだ。他人の布団とはいえ喜八郎のものだし、少しくらいはいいかもしれない。
 そわそわする気持ちのままに、軽くぽふんとお布団に飛び込んでみた。

「わぁ、あったかい……」

 お日様のいい匂いと、ふわふわの感触。布団にくっつけてる身体に伝わってくる優しい温かさが、本当に心地良い。
 私もお布団を干してくればよかったな。今日の夜きっとすごく気持ちよく眠れたのに、残念だ。ああそうだ、なんなら今晩ここに泊まりにこれば……いやいやそれじゃほんとに夜這いになっちゃうから……。
 身体に沁みるじーんとした温かさに、瞼がゆっくり落ちてくる。起きなくちゃと思いながらうつらうつらと微睡み続け、私は結局そのまま眠ってしまった。





 

 額に、柔らかな感触が触れた。つんつんと、小さな赤ちゃんが触れてきているような柔い力。
 ゆっくりと瞼を上げると、目の前にえらく端正な顔があった。ぼんやりとその瞳と目を合わせて、それが誰なのかを理解した。喜八郎だ。

「おはよう、
「……おはよう」

 私が喜八郎の布団を借りて寝転んでいるのと同じように、喜八郎も私の隣で布団に横になっている。西日の赤い光が差し込んでいるから、もう夕方だろう。眠気がまだ抜けなくてぼんやりとしている私がおかしいのか、喜八郎は楽しそうにまた私の額や頬をつつきだす。

「くすぐったいからやめて……」
「なかなか起きないから、熟睡してるのかと思った」
「ごめん……勝手に布団借りちゃった」
「いいよ別に。僕が帰ってくるまで待っててくれたんだよね」
「あー……」

 いやそんなことは全然なくて単にふかふかお布団に惹かれただけなんだけど、とりあえず口にするのはやめておいた。にこにこ機嫌の良さそうな喜八郎が私の顔を引き寄せて、さっきまでつついていた額と頬に口付けを落とす。お布団の温かさはもうだいぶ消えていたけど、喜八郎がすぐ傍にいるから寒くはなかった。

。目、閉じて」

 促すように、喜八郎の唇が私の瞼の上に触れる。言われた通りに目を閉じると、ゆっくりと柔らかく唇が重なった。自然に手を伸ばして喜八郎の首に回して、私からも口付ける。
 表面だけ幾度か重ね合って、またゆっくり離れた。なんだか頭がほわほわしていて、もう一度微睡みに身を任せたい気分だった。喜八郎の軽い愛撫も、優しくて心地良かったから拒まなかった。


「……なに?」
「抱きたいって言ったら怒る?」
「ん……」

 飽きずに私の額や頬に口付けながら、喜八郎が私に囁く。その目はちょっと笑ってた。
 いつもなら夜でもないのに嫌だと言うんだけど、お布団も柔らかいし喜八郎の体温も心地良かったから、それもいいかなと思い始めていた。喜八郎に身を寄せると、喜八郎の手が頭や背を撫でてくれる。いい? と耳元で訊ねられた問いに、そっとその頬に口付けて答えた。

「……一回だけなら」
「うん、分かった」

 唇が重なる。喜八郎が私の腰に手を回して、横向きの体勢から仰向けへと移動させる。さっきより少し深く口付け合いながら、お互いの背や腰に手を伸ばす。

「……あ、喜八郎、滝夜叉丸は?」
「ん?」

 喜八郎が帰ってきたのだから、滝夜叉丸も部屋に戻ってくるだろう。さすがに他人が入ってくるかもしれない状況で睦み合いたくはない。
 喜八郎は私の問いに、心配しなくてもいいと言うように小さく笑う。優しい声で、

「大丈夫。僕は打ち合わせをこっそり抜けてきただけで、滝夜叉丸はまだい組の教室にいるから」
「って、まだ終わってなかったんかーーーーーーーい!」

 喜八郎を突き飛ばしたその瞬間、時機を計ったように、ばしーん、と部屋の戸が勢い良く開いた。

「喜八郎おおおおおおおおおお! お前がいないと話しが進まんと言っただろうが! 厠に行くと言ったきり帰ってこないと思えば!」
「あのさ滝夜叉丸、見ての通り取り込み中だから黙っててくれない?」
「取り込み中じゃないわよ、さっさと戻りなさい! 迷惑かけんなって言ったでしょうが!」
「あれ、が僕の味方をしてくれない。恋仲なのに」
「それとこれとは別問題でしょうが! ごめん滝夜叉丸、もう終わったのかと思ってたの。はいどうぞ」

 もはや一気に目も覚めたし頭も冷えた。喜八郎を無理矢理立たせて滝夜叉丸に突き出すと、「恩に着る」と滝夜叉丸は喜八郎の腕を掴んでずんずんと連行していった。

「滝夜叉丸。ひとの恋路を邪魔するなら、塹壕掘って落とすよ?」
「何度も言ってるだろうが! お前が前線で掘るタコ壺の場所を決めるのに、お前がいなくちゃ意味がないだろうが!」
「掘る場所なんて適当に決めるから別にいいのに」
「放っておくとお前は味方の陣地にまで掘るだろうが……!」

 あーだこーだと言い合いながら、滝夜叉丸と喜八郎が去っていく。喜八郎が妙に機嫌が良さそうだったのは、つまらない打ち合わせから逃げられたこともあったのだろう。まだまだ私は喜八郎のことを分かっていない、と反省しかけた直後、

「ねえー、今晩は滝夜叉丸追い出すから、帰ってきたらさっきの続きねー」
「そういうことはもっと小さな声で言え馬鹿が!」

 長屋内に響き渡る大声に、私の代わりに滝夜叉丸が喜八郎を殴ってくれた。










 終