竹谷八左ヱ門夢
『落とし物の導く先は』
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髪紐だけを見て誰のものかすぐに分かったのは、つまり俺が、普段それほどあいつを見ているということに他ならない。 柿と茜で染めたらしい、二種類の赤色の紐を寄り合わせて作られている、明らかに女子のものだろう髪紐。食堂前に落ちていたそれを最初はごみの類かとつまんで持ち上げたけれど、今はきちんと懐紙に挟んで大事に握り締めている。 「なあ八左ヱ門、それってほんとのなの?」 「ああ、間違いない。あいつ三種類くらいの髪紐を交換して使ってるけど、これは特に気に入ってるのか俺しょっちゅう見てるからな」 「女子がどんな髪紐をつけてるかなんて、俺はさっぱり覚えてないけどねー」 感心したように隣から髪紐を覗き込む勘右衛門に、「そりゃあな」と俺も頷く。 「以外のなら俺も分かんないけどさ。俺あいつの近くにいるとき、いつも頭ばっか見てるから」 惚れていることが逆効果に働いて、俺は運良くの近くにいることがあっても、あまりじろじろと正面から見ることが出来ない。大抵は背中とか、髪とか、そういうところを見てしまう。まあ、そのおかげで髪紐が誰のものか分かったのだから、決して無駄じゃなかったんだけど。 「よかったじゃない、はっちゃん。これでに堂々と声をかける理由が出来たよ」 「そうだよな!? 拾ったから届けるって、おかしくないよな!?」 「うん、おかしくないよ。はっちゃん、がんばれー」 のんびりと笑顔で拍手してくれる勘右衛門に、俺はしみじみ幸せだと思う。の髪紐を拾ったことはもちろん、一緒にいたのが勘右衛門だけで良かった。三郎がいたら、とことんからかわれていたに違いないからだ。 「で、でもなあ、いきなりにこれ渡したら、なんでのか分かったかって勘繰られねーか? 最悪俺が盗んだって思われたら……」 「なら『これ落ちてたんだけど、誰のか知ってるか?』って聞けばいいんだよ。自分のを見間違えたりしないだろうし」 「そうか! それなら違和感なく渡せるよな!」 「ついでに逢い引きにでも誘っちゃえば? 『それくらいなら拾ってくれたお礼に付き合うよ』って言ってくれるかもよ。好感度も上がってるだろうし」 「いや、それはなんか気ぃ遣わせそうでちょっとな……。あーでも、そうか、お礼か……」 そもそも声をかける理由が出来ただけでも嬉しいのだけど、なら間違いなく『ありがとう』と満面の笑みで言ってくれるだろう。もしかしたらお礼にとなにかしてくれるかもしれないけど……いやいやいや、そこまで期待したら絶対駄目だ。ありえない。ありえないから! 「だってもし勘右衛門が俺の髪紐拾ってくれても、『お、ありがとな』しか言わないもんな、まさかそんなことやあんなことしねぇし! そんな破廉恥な!」 「……はっちゃん、一体なに考えてんの?」 「よし! んじゃとりあえず探してくるわ! 女子寮じゃなきゃいいけどなー」 「頑張れはっちゃーん、でも過度の期待は禁物だよー」 「わ、分かってるから! いくらなんでも礼とかは本気じゃねーよ!」 そう答えて踵を返したとき、視界に突然、まさにの姿が飛び込んできた。ここは食堂前だから、廊下での生徒達の行き交いは多い。その間を、はなにかを探すようにきょろきょろと辺りを見回している。 「あ、いいとこに来たね。行ってきなよ、はっちゃん」 「お、おう……!」 気合を入れて、へと歩き出す。は不安そうな顔で、廊下のあちこちに視線を配っている。の髪紐は、もちろん俺が今持っているものではなく、青色の組紐だ。が髪紐を落としたことに気づき、予備のものをつけているんだろう。 「……? あ、竹谷」 近付いてくる俺に気がついたのか、は足を止めて俺を見上げる。一度挨拶するように微笑んでから、「あのね」と口を開いた。 「私ね、ちょっと探してるものがあるんだけど、竹谷だいぶ前からここにいた?」 「え、えっと……」 「赤色の髪紐なんだけど、どこかで見なかったかな? もしかしたらここで落としたものじゃないかもしれないんだけど……」 しょんぼり、と気落ちした表情で見上げてくるが可愛すぎて、一瞬なにをしにきたのか忘れそうになった。 返事をしない俺に、はふにゃりと眉を下げる。 「ごめんね、やっぱり知らないよね。もう一度探してくるから、気にしないでね。……みんな、あったかな?」 「んー、見当たらないねえ」 「食堂で落としたんなら、ここらへんだと思うんだけど……」 がくるりと後ろを向いて、その先にいる女子生徒達の元に向かおうとする。その先には、同年の女子が二人ほどいる。きっとその女子生徒達も、の髪紐探しに付き合ってるのだろう。さすが、男だけでなく女子にも人望が厚いのだろう。 ……じゃなくてだな! 「ごめん、ちょっと待って! それ、これじゃないか!?」 の肩を掴んで無理矢理振り向かせると、はきょとんとした顔で俺に向き直り、そして差し出した髪紐に目を見開いた。 驚いた表情は一瞬、次いで、「わぁっ」と花がほころぶような笑顔になる。 「ありがとう! 竹谷、拾っててくれたんだね」 「ま、間違いないか? さっきそこにあったから……」 「うん、これだよ! ほんとにありがとう! ねえみんな、あったよー!」 嬉しそうに後ろに声をかけるに、女子生徒達もほっとした顔でこちらに向かってくる。は何度も「ありがとう」と微笑んで、俺の差し出す髪紐を大切そうに受け取った。 ……やべ、すげえ嬉しい。 きっと俺じゃなくてもは同じように礼を言うのだろうけど、に惚れてる俺には、満面の笑顔を真正面で受けるのはちょっと刺激が強すぎる。でも、すごく嬉しい。ありがとうありがとうありがとう、と可愛いの声が繰り返し再生されて、めちゃめちゃ幸せだった。ああの髪紐を覚えていてよかった。ほんとによかった。 そう、幸せを噛みしめたときだった。 は大切そうに髪紐を握り締め、くるりと後ろを振り向いた。ぶんぶんと、遠くに手を振りながら、 「タカ丸さーん! タカ丸さんの髪紐見つかりましたよ! 竹谷が拾ってくれてました!」 「え、ほんと? わー、竹谷君ごめんね、ありがとー」 「……へ?」 が手を振る先から、タカ丸さんがこちらに駆け寄ってくる。さきほどを手伝っていた女子生徒達も、「近くにあってよかったですね」「よかったですねー!」と声をかけている。 近付いてくるタカ丸さんは、いつもは綺麗に結い上げている髪を背中に下ろしていた。 硬直してる俺の前で足を止めると、タカ丸さんはから髪紐を受け取って、嬉しそうに俺を見る。 「ありがとう、竹谷君。これ気に入ってたから落さないように気をつけてたんだけど、頭巾脱いだときに取れちゃったんだ」 「見つかってよかったですね」 「うん、竹谷君のおかげだねー」 にこにこ微笑み合うとタカ丸さんに、俺は話しが見えなくて硬直する。いや、だってその髪紐は……。 「あ、あのさ、それの……」 「君たちも探してくれてありがとう。ごめんね、迷惑かけちゃって」 「いえいえ」 「どういたしまして」 タカ丸さんがさっそく髪を結い上げながら、の隣にいた女子生徒二人に礼を言っている。唖然としていた俺は、ふとその女子二人の髪紐を目に入れて、さらに唖然とした。 それはどう見ても、柿と茜で色づけた紐を寄り合わせた組紐。そう、俺がのものだと思っていたものとまったく同じだった。つまり今タカ丸さんがつけているもの、それとも同じ。 「ん? 竹谷、どうしたの?」 「よかったですね。私まだタカ丸さんに頂いた残りがあったから、それをお渡しすることも出来ましたけど」 「うん、ありがとう。でもやっぱり使い込んだやつが一番手に馴染むからね」 「すごく良い物ですもんねー。それもくの一教室みんなに頂いてしまって、お父様にお礼を伝えてくださいね」 「職業柄、うちはこういうのよく手に入るからね。みんなにはいつもお世話になってるし」 「……竹谷? どうかしたの?」 交わされる会話には、俺の勘違いの真相が全て含まれていた。 つまり、なんだ、その。……以外も女子は全員同じの持ってた、ってことか。 のしか見てなかったから勘違いしたのか、そうなのか。 「あ、いや、なんでもないんだ。じゃ、じゃあ、俺はもう行くから」 「うん。竹谷、ほんとにありがとう」 またふんわりした笑顔で礼を言ってくれるに、一気に脱力しかけた心が癒えていく。完璧に間違いだったとはいえ、が笑顔を向けてくれたことは間違いない。それだけでもとても嬉しいのは、確かだ。 そう考え直して心を落ち着かせて、踵を返したときだった。 「あ、待って待って竹谷君。まだお礼してないよー」 「え? い、いえ別に礼とかいらないですし、気にしないでください」 慌てた様子で、タカ丸さんが俺を引き止める。勿論そんなの期待していなかったし苦笑して断ろうとすると、がしっとタカ丸さんが強く俺の腕を掴む。なにか礼をする雰囲気ではない、有無を言わせぬ満面の笑顔。 「え、あの……」 「遠慮しないでよ。お礼しないと僕の気が済まないから。だから……ね?」 しゃきん、とタカ丸さんのもう片方の手から金属音が響き渡る。視界の端に見えたのは、紛れもなくよく磨かれた鋏。げ、と身を引きそうになった俺に、タカ丸さんは優しい声で続けてきた。俺ではなく、俺の髪を凝視しながら。 「その髪、──切らせてくれる?」 ま、とりあえず期待なんてするもんじゃないということと、忍者のたまごなんだから惚れた女だけじゃなくて周りも見るようにするべきだということと、でもやっぱりの笑顔はすごく可愛いっていうことと、タカ丸さんに会ったら今度からは即座に逃げようということを学習して。 もの凄く滑らかになった髪に居心地の悪い思いをしながら、俺は目の前で爆笑している同級生達を睨み付けた。 終 |