鉢屋三郎夢
『風邪を引きました』





 あなたが目を覚ましたとき、日はすでに暮れて辺りは宵闇に包まれていました。
 同室の友達は夕食を食べに行ったのかお風呂に入りに行ったのか、その姿は見えません。けれど、代わりに枕元の水桶が新しいものに取り替えられ、置き手紙のように小さな野花とどんぐりが置いてありました。
 あなたは布団に横になったままそれを眺め、そっと手を伸ばします。触れたどんぐりのつるつるとした感触とひんやりとした冷たさが心地よくて、指先でつついたり転がしたりを繰り返し、満足すると手を戻して身体を縮めました。くしゅん、と部屋に響いたのは、あなたのくしゃみです。
 風邪を引いてしまったかな、とあなたが思ったのは昨日の夜でした。なんだかいつもより身体が動かしにくくて、ご飯も美味しくありません。おまけにまだ暑さが残る季節なのに妙に肌寒いのです。身体の調子が悪いことは考えるまでもなく明らかでした。
 あなたは友達に医務室に連れて行ってもらい、風邪だから明日はお休みしていなさいと、新野先生にお薬をもらいました。そのときはもう軽い熱が出ていて歩くのも少し辛かったので、くの一教室の先輩があなたをおんぶして部屋まで連れて帰ってくれました。
 それからのあなたの記憶は少し曖昧です。途切れ途切れに、友達が水を飲ませてくれたり、話しかけてくれたり、山本先生が様子を見にきてくれたことは覚えています。けれど大半は浅く眠り続けていたようで、夢なのか現実なのか分からない、熱が出ているとき特有のぼんやりとした感じがずっと続いていました。
 今、身体は少しのだるさと熱っぽさを訴えていますが、寒気と頭痛はましになったようです。意識もしっかりしているし、節々もあまり痛みません。
 同室の友達だけではなく、みんなご飯かお風呂に行ってしまったのでしょう、長屋はしんと静まりかえってます。なんだか心細いような寂しいような気持ちになって、あなたは布団の中でぼんやりと天井を眺め、けほけほと小さく咳をして、布団に潜り込んで寝返りを打ち、くしゃみをして、どんぐりをつつきました。
 それを幾度か繰り返したとき、部屋の外の廊下からとんとんと軽い足音が響いてきました。その足音は、あなたの部屋の前でぴたりと止まります。同室の友達かな、とあなたが布団から顔を出したとき、控えめに戸が開きました。
 あれ、とあなたは思いました。友達でも先生でもなかったからです。戸から顔を覗かせた相手も同じように、あれ、という顔をしました。あなたが起きているとは思わなかったからです。
「……ごめん、入ってもいい?」
 相手はちらちらとあなたと、そして辺りにひとがいないかを確かめるように部屋の外に目を配り、あなたが頷いたのを確認して、そっと部屋に入ってきました。
 ぼんやりとした頭で布団から起き上がりながら、あなたはこの男子生徒は誰だろうと考えていました。もちろん顔も名前も知っていますが、その候補が二人分あったからです。
「あ、ちゃん、ねてていいよ。ごめんね、風邪でつらいのに」
 慌てた様子でそう言われて、あなたは納得しました。きっといつもにこにこと優しい、雷蔵のほうだろう、と分かったからです。
「だいじょうぶだよ。もうだいぶ楽になったから」
 あなたが答えると、「よかった」と雷蔵は笑い、あなたの布団のとなりにちょこんと座ります。
「なにか私に用だった?」
 あなたが首を傾げると、雷蔵はこくりと頷きます。男子生徒がくの一教室まで来ることは、ほとんどありません。それはもともと禁止されていることでもあるし、加えてくの一教室には様々な罠が仕掛けてあって、上級生はともかく、慣れていない一年生の男子生徒がこっそりと来るのは至難の業だからです。だから、雷蔵に限らず、男子生徒は滅多にここには来ません。
 あなたのその疑問を感じたのか、雷蔵は苦笑しました。
「ひとがいないときに大急ぎで来たんだよ。見つかったらおこられるから、どきどきしちゃった」
 言いながら、雷蔵は小さな巾着を取り出しました。あなたがそれを覗き込もうとすると、雷蔵は「どうぞ」とあなたにその巾着を差し出します。
「これ、なあに?」
「おみまいのしなだよ」
「? おみまいのしな?」
「怪我とか病気をしたひとのところに行くときは、おみまいのしなをもっていくもんだよって、かんちゃんが教えてくれたんだ」
「開けてもいい?」
「うん、ちゃんのだよ」
 雷蔵の言葉に、あなたはわくわくした気持ちで巾着袋を開けました。中には、小さな飴や、懐紙に包まれたなにかや、可愛い栞や綺麗な形の石などが入っていました。わあ、と声を上げるあなたに、雷蔵は身を乗り出して、一つ一つを説明します。
「この石はね、へーすけがおとうふ持って行けないから、おとうふに似た石あげるって。こっちのセミの抜け殻は、はちのだよ」
「この飴は?」
「それはかんちゃんから。委員会で先輩にもらったんだって。ちゃん飴好きでしょう? それとぼくもこの間委員会で栞のつくりかたを教えてもらったから、うまくできたのをあげるね。あと……これ」
 もじもじした様子で、雷蔵はあなたに手を差し出しました。その手には、同室の友達が置いていってくれたような、小さな可愛い花が握られていました。「ありがとう」とあなたが笑って受け取ると、雷蔵はほっとした顔になりました。
「わざわざ、おみまいにきてくれたの?」
「うん。えっと、そうなんだけど……」
 なんだか言いにくそうにした後、雷蔵はちらりとあなたを見ました。あなたがきょとんと雷蔵を見返すと、雷蔵は意を決したように口を開きます。
「あのね。三郎がしんぱいしてたんだ」
「え? わたしのこと?」
「そうなんだけど……えっとね、まえにちゃん、お外でお昼寝してたでしょ」
「……おとといのことかな?」
「うん」
 あなたはお昼寝が好きで、お休みの日はよく木陰でお昼寝をしています。一昨日は、図書室の前でお昼寝をしてました。それがどうしたんだろうと思うあなたに、雷蔵はさらに言いにくそうにちらちらとあなたの様子を窺いながら、話を続けました。
「あのね、そのちゃんが寝てたときね、三郎がいたずらしたんだって」
「……わたしに?」
 びっくりするあなたに、雷蔵はまるで自分が悪戯したみたいな申し訳なさそうな顔で、こくりと頷きました。
「さいしょはね、ほっぺたつついたり身体ゆさゆさして起こそうとしてたんだって。だけどちゃんがぜんぜん起きないから、髪の毛ちょっと引っ張ったりくすぐったりしてて……でもやっぱり起きないから、むきになって……」
 雷蔵はそこで一度言いかけた言葉をやめ、それからゆっくりと言いました。
「近くの井戸で手を冷やしてね、ちゃんのほっぺたとかおでこをぺちぺち叩いたんだって」
「…………ぐしゅん!」
 なにかを言う前に、くしゃみをしてしまいました。おろおろする雷蔵の前であなたは慌てて懐紙で鼻をかみ、それから首を傾げます。
「……でもわたし、ぜんぜんおぼえてないよ」
「うん、ちゃん起きなかったみたいだから。でもね、三郎が気にしてたんだ。おれのせいかなって」
 一瞬なんのことか分からずぼんやりとしたあなたは、少ししてその意味に気づきました。三郎はきっと、そのせいで風邪を引いたのか、と思ったのでしょう。
 気にしている三郎を思い浮かべて、あなたはぱちぱちと目を瞬かせました。あまり想像できなかったからです。
「ごめんね、ちゃん。三郎もわるぎはなかった……とはいえないけど、風邪をひかせようとしたわけじゃないから……」
「ううん、いいの。わたしが風邪をひいたのはね、実習でころんだからだよ」
「……え?」
「きのうの実習でね、裏山をはしってたら、途中でこけちゃって。水たまりにばしゃーんって。こんなかんじで」
 上げた両手を布団の上に滑らせ、転んだときのことを再現するあなたに、雷蔵はぽかんとしました。それから、「……なんだそれ」と呟きましたが、呟いた本人にしか聞こえないような小さな声だったので、あなたは気づきませんでした。
「だからね、風邪をひいたのは自分のせいなんだよ」
「あ、そ、そうなんだ……じゃあよかったよ。三郎におしえてやらないと」
「うん。わたし気にしてないよって言ってね」
 にこにこと言うあなたに、雷蔵も笑顔で頷きました。さっきと違ってほっとした様子の雷蔵は、よいしょ、と腰を上げます。
「じゃあ、ひとが来ないうちにぼくも帰るね。ちゃん、おだいじにね」
「ありがとう、雷蔵。あ、みんなにも、これありがとうって伝えてね」
 巾着袋を掲げて言うあなたにもう一度頷いて、雷蔵は来たときと同じようにそっと戸を開けて部屋を出て行きました。ぱたん、と小さく戸が閉まる音が響き、あなたはほわほわした気持ちで雷蔵からもらった花をどんぐりの横に置き、布団に潜り込みました。
 雷蔵が去っていく小さな足音を聞きながら、こみ上げる温かな気持ちにあなたはふにゃっと笑いました。
 三郎はたまに、あなたが昼寝しようとしているときに、「のじゅくでもないのに外でねるなんてへんなやつ!」と言うことがあります。「ひるねおんな」とか「とろいやつ」とか言うこともあります。その通りなのであなたは怒ったことはありませんが、三郎は意地悪をする嫌な男の子なんだろうなと思っていました。でも、心配してくれたということは、ほんとは優しい男の子なのでしょう。あなたはそう思い、それが嬉しくてまたふにゃふにゃと笑いました。
 頭がぼんやりとしてきます。雷蔵とお話ししてたからちょっと疲れたのかもしれない、とあなたは身体の力を抜きました。
 風邪は軽いものだからすぐ治りますよ、と新野先生が仰っていたことを思い出します。もうあまり辛くないのだから、明日にはきっと治っているはずです。
 そうしたら三郎に、元気になったよ、三郎のせいじゃないよ、と言いに行こう。おみまいも、ありがとうってちゃんと言おう。
 あなたはそう決めて、ゆっくりと目を閉じました。










 終