立花仙蔵夢
『恋文』
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仙蔵が文机の上に置いてあるそれに気づいたのは、数日がかりの演習が終わって自室に帰った直後だった。 丁寧に畳まれた封書のそれは、表面に恐ろしいほどの達筆で『立花仙蔵様』と書かれている。深窓の美姫の手によるものと思わせるその字体に見覚えがなく、こういった工作が得意な長次の仕業かと思ったが、手紙だろうそれを広げた瞬間、目を見開いて勢い良く立ち上がった。 素晴らしく美しい字で書かれたその封書の本文は、たった一行だけだった。 『帰ってきたら殺す。許さない。嘘つき』 「……で、だ。慌てて会いに来てみれば出会い頭に殴られたわけだが、一体どういうことだ?」 「白々しいのもいい加減にしなさいよ。もしかして自分が悪いだなんてこれっぽっちも思っていないの?」 くの一長屋の一室。腰に手を当て、見下すような冷ややかな視線を投げかけてくるのは、仙蔵の恋仲の相手のはずだった。恋仲になるまでの課程は順風満帆とは言い難かったし、今でも誰もが羨む仲の良さというわけではないが、不満がないほどに想い想われる関係だ。と、今までは思っていたのだが。 「よくもぬけぬけと帰ってきたわね。失敗していれば私の手を汚さずに済んだのに、この空気の読めないサラスト馬鹿」 仮にも恋仲である相手にこれはないだろう、と仙蔵は思う。 「待て、一体なにがどうしたんだ。説明もなしに殴るか、普通」 「あら、わざと殴られたくせに。そうすれば罪が軽くなるとでも思ってるの?」 普段から決して甘い雰囲気の女ではないが、今は明らかな殺気と憤怒が入り混じっている。 ただ事ではないと察して、仙蔵は小さく嘆息した。本気で話し合うしかないだろう。落ち着け、と言いたいところだが、目の前の女はおそらく頭に血など昇っていない。冷静に激怒している。 「頼むから、私にも分かるように説明してくれないか。なにをそれほど怒っている?」 は探るように長い時間仙蔵を見つめた後、ようやくに口を開いた。感情の色のない、ただ酷く冷たい言葉。 「浮気したでしょ、あなた」 「は? …………は?」 「しらばっくれるの? この期に及んでいい度胸ね。やっぱり男の甘言になんて乗せられるんじゃなかったわ」 「……いや、待て。ちょっと待て。浮気? 私がか?」 「あら、じゃあ浮気じゃなくて本気だったとでも言うつもりなの?」 「待て。もう一度聞くぞ。私が、浮気をしたと?」 「そうよ。話を長引かせて、その間に言い訳を考えるつもりかしら? あなたらしくないわね、女の扱いには慣れてるんでしょう?」 氷のような冷たい言葉と視線に、雪女がいたらこういうものなのだろうと場違いなことを考えてから、仙蔵はどう言ったものかとしばし悩む。無論それを誤解される。 「それとも、この場を無難に切り抜けるにはどうしたらいいかと考えているのかしら? 心配しなくても私は男と心中するような馬鹿な気は起こさないから、あなただけ殺してあげる」 「ああ、分かった」 頷くと、は口を閉じて未だ冷ややかな目で仙蔵を見る。仙蔵がに座るようにと促すと、は案外素直に仙蔵の目の前に腰を下ろした。仙蔵もそれに続きながら、口を開く。 「私が本当に浮気をしているのなら、好きにお前に殺されてやる。だからもう少し詳しく説明してくれないか。私がいつ、誰と浮気をした?」 「演習に行く前日、その三日前、その五日前、街で見かけたわ。仏の顔も三度までと言うから、三度目までは待ってあげたのに、演習に行ってしまってすぐ殺せなかったのが残念ね」 「……相手はどんな女だった」 もしや、というか確実にあれだろう、という事柄を思い出して仙蔵は頬をひきつらせる。対しては、そうね、と思い出すように空中に視線を漂わせた。 「少し背が高かったけれど、素朴で可愛い子だったわ。化粧慣れしていなくて遊んでいる子には見えなかったから、あなたがまた思いつきで手を出したんでしょう、死ねばいいのに」 「…………お前な」 「なぁに、まだ言いたいことがあるの? 骨は拾わずにヘムヘムにあげるわ。あの犬、雄だけど聞き分けがいいし」 「…………」 「なによ」 「あれは小平太だ」 真実を告げても、は顔色一つ変えなかった。一度目を閉じ、そして開き、軽く小首を傾げる。 「あなたにしては珍妙な言い訳ね」 「お前、今回の演習の内容を知っているか? 六年がくじで二人一組になり、夫婦として各地に潜入して情報を探る、だ。私の相手、しかも女役が小平太だったからな、付け焼き刃でも多少はましになるようにと、女装術を指南していただけだ」 「あなたにしては面白くない言い訳ね」 「疑うなら、小平太本人でも他の六年でも聞いてこい。先生方でもいい。なんなら小松田さんに確かめてくるといい。同時に外出届を出している」 「そう、分かったわ」 は静かに立ち上がると、本当にさっさと部屋を出て行った。仙蔵が適当に数を数えて待っていると、三百を越えたあたりで、出て行ったときと同じようにが静かに戻ってくる。ぽつりと、 「六年全員と小松田さんと演習担当の木下先生と日向先生とついでにそこらを歩いてた五年生と四年生にも、探し出して三年生と二年生にも聞いてきたわ。一年生は私の顔を見た途端逃げたから聞けなかったけれど。あなたの言う通りだった」 「……お前、そんなに私は信用ならないか」 「ならないわ。三度見ても小平太だと気づけないくらいにね」 「あのな……」 悪びれなく言うは、しばらく沈黙して、ゆっくりと口を開いた。 「ごめんなさい」 唐突な謝罪に言おうとしていた言葉を飲み込んでしまう仙蔵に、は淡々と言う。珍しくすまなさそうに、ほんの僅かに眉を下げて。 「勘違いだったみたい。私が悪かったわ」 「………………」 素直に謝られると具合が悪い。どうしたものかと思っている仙蔵に、はまた淡々と続けてくる。 「あなたが女の子といると、どうせまた適当に遊んで泣かせているんだと思ってしまうの。ごめんなさいね。あなた、日頃の行いが悪いから」 「すべて否定はせんが、私は別にお前と付き合う前から派手な女遊びなどしていないぞ。お前が私を袖にし続けるから、来る者拒まずだっただけだ」 「女の子を泣かせていたことは事実だもの」 「……一応言っておくがな、私はお前と恋仲になってから他の女とは茶も飲んでいないぞ」 「でも、浮気しようと思ったことくらいはあるでしょう?」 「ない。これほど面倒くさくて愛らしいのは、お前だけで十分だ」 不意を突かれたように、は妙に幼い表情できょとんとした。直後、すぐに顔をしかめる。 「だから男なんて嫌いよ。もっと簡単な言葉で言えないの?」 「愛してる」 「その言葉、脊髄反射で言えるようになってるの?」 「わがままなやつもお前だけでいい」 じっと見つめ合い、先に逸らしたのは仙蔵のほうだった。やれやれと一つ嘆息して、仕切り直すようにまたに視線を向ける。 「納得したか?」 「ええ」 「ならばいい。ま、疑われているうちが華だと思うことにしよう」 分かりづらいが、つまりはこれは嫉妬ということだろう。まあ悪くない、と仙蔵が殴られた頬を指先で撫でていると、ず、とが身を乗り出してきた。 「仙蔵。私が書いた手紙、今持ってる?」 「ん? ああ、これか。驚いたぞ、お前こんな字も書けるのか」 「あなたが私の字を知らないだけでしょう。それ、返して」 右手を差し出すに、仙蔵は懐からの手紙を取り出した。反射的に渡そうとして、仙蔵はふと寸前でそれを止める。 「なあに?」 「いや。そういえばお前から恋文を送られたことがなかったと思ってな。記念すべき一通目だ、もらっておいてもいいだろう?」 「恋文……?」 その単語のなにが気に食わないのか、はあからさまに顔をしかめる。 「恋文は恋文だろう。私のことが好きだから書いてくれたのだろう?」 うるさいわね違うわよ死になさいよ勘違いしないで馬鹿サラスト股間のそれ引っこ抜くわよ、と罵倒の嵐を想像していたが、はその言葉を反芻するように沈黙した後、 「そうかもしれないわね」 と小さく微笑んだ。 不意打ちに息を飲んで固まる仙蔵から、は隙をついてその手の中から手紙を取り上げる。 「でも駄目。私が恋文なんて書くって知られたら恥ずかしいし」 「ちょ、いや待て待て、他人がどう見てもそれは恋文じゃないしだな……」 「触らないで、恥ずかしいから」 恥ずかしいからと言いつつ恥じらう様子は一切なく、は真顔で親の敵のように小さく小さく手紙を千切っていく。 もはや紙片というより粉になっていく恋文を見ながら、来る前に手紙をすり替えておくべきだった、と仙蔵は今更ながらに悔やむ。面倒くさくわがままで、けれど仙蔵にとっては愛らしい恋人は、親愛の情を表に出すことがほとんどない。それが物足りない、ということではないが。 「、ならば今度代わりのものを書いてくれ。一通目の恋文にふさわしい、私への想いを真摯に綴ったものをな」 「調子に乗らないで馬鹿サラスト、股間のそれ引っこ抜くわよ」 「すみませんでした」 終 |