中在家長次夢
『一触即発、恋遊戯』





「あ、長次ー!」

 放課後。教室長屋を出て共用通路を一人歩いていた長次に、後ろから声がかけられた。聞き慣れた声に長次が足を止めて振り向くと、声の主は足早に長次の元に追いつき、隣へと並ぶ。

「授業終わった? 今から図書委員会行くの?」

 そう訊ねてくるのは、くの一教室の制服を纏った女子生徒だ。見るからに元気そうな雰囲気の、明るい笑顔で長次を見上げる。
 長次はちらりと女子生徒、幼なじみのを見下ろし、小さく首を横に振る。

「いや。今日は私以外が当番だ」
「じゃあ、お休みなんだね。……えと、長次これからお部屋に戻る?」

 なにか問いたげに見つめられ、長次はしばし沈黙し、それからぽつりと口を開いた。

「暇なら、来るか。お前に貸そうと思っていた本がある」
「ほんと!? 嬉しい、ありがとう長次!」

 ぱっと顔を輝かせ、は言葉通りに嬉しそうに両手のひらを胸の前で合わせて笑う。長次も僅かに笑みを浮かべて、行くか、とを促した。
 そうして二人で忍たま長屋へ歩き出そうとした、そのときだった。

「はいはいはいはい、ちょーーーっと待ったあああああ!」
「げっ、七松!」

 突然に二人の頭上から声が響いたかと思うと、すぐ傍の長屋の屋根から勢い良く一人の人影が飛び降りて来た。が叫んだ通り、六年ろ組の七松小平太だ。小平太は飛び降りた勢いのまま長次の腕を引っ掴むと、長次を自分の背に隠し(隠れないが)、から長次を庇うように二人の間に割って入る。

「ちょっと、なにすんのよ七松!」

 すぐに食ってかかるに、小平太はふんと鼻を鳴らす。

「なにすんのよー、はこっちの台詞だ! 毎度毎度目を離せば長次にまとわりつきやがって! 仕方ないから私がこうして長次を影ながら守ってるんだぞ!」
「頼まれてもいないくせになにが『守ってる』よ、えっらそうに! 長次に迷惑かけてるのあんたでしょ!」
「なにをー! このくそアマがー!」
「なによ、単細胞七松ー!」

 爆発的に噛み付き合う二人に、長次は小平太の後ろで、やっぱりな、と一人頷く。この二人が顔を合わせると、こうなるのは常だからだ。

「大体、長次の部屋は私の部屋でもあるんですけどー? 長次の部屋に行きたいなら私にも許可取ってもらえますかばかおんなー!」
「はぁ!? あんたどうせ今から体育委員会で山登ったり降りたり登ったり降りたりするんでしょ!? いないなら別にいいじゃない!」
「いるとかいないとか関係ないですぅー! 部屋の所有権は私にもあるんですぅー!」
「腹立つ話し方するのやめなさいよ! じゃあ長次、私の部屋に行こう! それならこのくそばか七松の許可取らなくてもいいでしょ!」
「だめだぞ長次! こんな尻軽女、……あ、尻はでかいから尻重女だな、こんな尻重女の部屋なんか行ったら、お前一発で食われるぞ!? 明日にはしわっしわだぞ!?」
「ちょっと、私のことなんだと思ってんのよ! あんたなんか人間外のくせに!」

 むきー! とが激昂し、同じく小平太も、きしゃー! と噛み付く。まるで犬と猿のようだ、と長次は若干他人事のように思う。どちらがどちらかとまでは言わないでおくが。

「あんたさっさと委員会行きなさいよ! ただでさえあんたが委員長で可哀想なのに、待たせたら委員の後輩達がもっと可哀想でしょ!」
「べっつにぃー、私がいなくても滝夜叉丸が仕切ってくれるから少しくらいなら遅れても大丈夫だしー? そう言うお前こそ、暇さえあれば長次にまとわりついてないで、その尻引き締める努力くらいしたらどうだ! この妖怪しりでかおんな!」
「な……! あんたさいてー! ひとが気にしてること言うとかどんだけ無神経なの!?」
「気にしてるって知ってるから言ってるんですぅー、べろべろばぁー」
「きーっ、はっらたつーー! 七松、あんた二年のときに寝小便垂れたこと、くの一教室で言いふらしてあげるから覚悟しなさいよ!」
「は、はあ!? そそそ、そんな根も葉もない噂誰が信じるんだ! い、言いたければ勝手に言えばいいい、いいだろう!」
「おーほほほほ、なによ、気にしてるから言葉に詰まるんでしょ? ばーかばーか寝小便ななまつー!」

 もはや完全に十五歳同士が交わす言葉ではない。人気のない場所ならともかく、ここは共用通路のど真ん中だ。すでに通りがかる下級生達が好奇の視線を向けて通り過ぎていく。
 さすがに止めるべきどうかと悩みつつ、長次は近くの縁側に腰を下ろす。延々と続きそうな二人の口げんかに、改めて目を向けた。

「ああ言えばこう言う、うるさい女だな! お尻ぺんぺんしてやろうか!」
「あら、なに? 口で勝てないから実力行使とか、負けを認めたようなもんじゃない! 理性がない獣ってこれだから嫌よねー!」
「ばーかばーか! 口で勝てなくても力で勝てるっつってるだろうが! 私が本気になったらお前なんて一瞬でぷちっだそ、ぷちっ」
「だからそれじゃ理性のないただの獣でしょ! 獣と人間の違いは言葉で分かり合えるかどうかなのよ? あ、あんたただの人間外だっけ、ごっめーん」
「なにをー! 本気で実力行使して袴めくりすんぞ! 泣かせてやろうか!」
「チンコ狙って棒手裏剣投げてやるわよ、この妖怪ナナマツー!」

 始まりからこうだったわけではない、と長次はぼんやりと思い出す。
 三人は揃って同学年だから、今までにもなにかと顔を合わせることは多かった。その頃は別に仲が悪いわけでもなかったし、逆にと恋仲になる前の長次を小平太が焚きつけてくれたりもした。も小平太を同学年の男子として、長次の同部屋の相手として、顔を合わせば楽しそうに談笑するほどには仲が良かったように思う。
 たぶん、きっかけは長次とが恋仲になった頃だ。なにがどういうわけか知らないが、二人はいつの間にか、鉢合わせする度に喧嘩をする関係になっていた。

「中在家先輩、お隣失礼してもよろしいですか」

 ふいに声をかけられる。無言で頷くと、小さな体躯が姿勢よく長次の隣に正座した。
 一年は組の学級委員長、黒木庄左ヱ門だ。庄左ヱ門はちらりと未だ口げんかをしている二人を見、それから長次を見上げた。

「鉢屋先輩から、委員長委員会の活動の一環で七松先輩にお聞きしたいことがあるから呼んで来いと言われました」

 一年生にしては非常に丁寧な言葉遣いと冷静さで、庄左ヱ門は続ける。

「ですがお取り込み中のようですので、少し待たせて頂きます。急ぐ用ではないと鉢屋先輩も仰っていましたし」
「……止めたほうがいいか」
「いえ、中在家先輩のお手を煩わせて頂くほどではありません。お気遣いありがとうございます」

 きっぱりと言い切って、庄左ヱ門は口を閉じた。アレを見ても眉一つ動かさない精神力は大したものだが、庄左ヱ門と比べてしまうと小平太とのやり取りは低次元すぎる。
 なんだなんだ、またあのお二人の口げんかだ、と下級生達が軽く見物に来ているのも見て取れた。

「やーいやーいぺちゃぱいやーい」
「早漏ー! 短小ー! 引っこ抜いて犬に食わせるわよー!」

 そーろーってなに? と離れたところから純粋な一年生の不思議そうな声が聞こえてくる。下品なやりとりをいたいけな一年生達に聞かせていいものかと再び悩み始めた長次に、庄左ヱ門がふいにぽつりと口を開いた。

「中在家先輩、一つお伺いしてもよろしいですか」
「……なんだ」
「純粋に疑問でお聞きするのであって、決して僕が不快だからとかではないんですが」

 前置きをして、庄左ヱ門は未だぎゃーぎゃーと騒ぎ合っている二人をじっと見つめる。真面目そうな、真剣な表情だ。

「お二人は喧嘩をなさってるんですよね? そして中在家先輩はあのお二人と親しい仲なんですよね?」
「……そうだな」
「ならば、どうしてすぐお止めにならないんですか?」

 ゆっくりと瞬いて、長次は庄左ヱ門に倣って改めて二人に目を向ける。大人げない二人は、確かに長次と親しい。六年共に過ごしてきた友人と、幼なじみで恋仲の相手だ。

「僕は学級委員長です。だからというわけじゃありませんが、たまにうちのクラスで喧嘩が起こったときは、すぐに止めに入ります。他の同級生達が心配するからっていうのもあるけど、僕自身が嫌だからです。みんなのことが好きだから、仲良くしていて欲しいんです。でも、どうして中在家先輩は、あのお二人をお止めにならないのですか?」
「…………」
「そんなことはなさらないと思いますが、七松先輩が本気になれば、先輩は大怪我してしまうかもしれません。もしそうなったら、七松先輩もきっと後悔なさるに違いありません。心配ではないのですか? お二人が喧嘩していること、中在家先輩は嫌ではないのですか?」

 次々に突きつけられる疑問の言葉に、長次はしばらく沈黙する。どう答えようかと悩んでいたわけではない。答えは初めから出していた。今のように他に被害が出るようならば止めることはあるが、大抵は二人の好きにさせていた。放置しておいても、どちらかが用事を思い出して口げんかが終わることを理解しているからだ。
 だが、それだけではない。

「なんだ、お前なんか長次にふさわしくないぞ! 私のほうが百倍お似合いだ!」
「なに言ってんのよバカ松、寝言なら寝て言いなさいよ! あんたより私のほうがずっとお似合いだもんね!」

 二人は仲が良かった。
 そしてそれは、今でもなにも変わっていないのだ。そう長次は思っている。

「……楽しそうだから」
「え? ……楽しそう、ですか?」
「ああ。楽しそうだから、あまり邪魔はしたくない」

 それきり口を閉じる長次を、庄左ヱ門はきょとんとした瞳で見上げたが、次いで返答への礼かぺこりと頭を下げ、またきちんと姿勢を正して前を向いた。

「なぁ長次、私のほうが好きだろう!? 私のほうが役に立つもんな!」
「私のほうが好きに決まってるじゃない、あんたは引っ込んでなさいよー!」
「いーや! 絶対に私のほうが好きだ! お前なんて、長次の中で本より下の順位だからな!」
「な……! なによ、あんたなんて絶対手ぬぐいとか髪紐より下の位置だからね!」

 意味は違うがどちらも好きだ、と小さく呟くと、隣の庄左ヱ門が一つ頷いた。どこか感心したように。

「ありがとうございます。大人のやり取り、とても勉強になります」
「……参考にはするな」
「はい、ご忠告ありがとうございます」

 好き、の意味はそれぞれ違う。
 喧嘩、の意味もそれぞれ違う。
 実は単純なことなのだ、と長次は思う。本当に嫌いな相手とは、喧嘩もしないものだから。

 ふと見ると、真剣に二人を見つめている庄左ヱ門へと、業を煮やしたらしい三郎が遠くから足を運んで来ていた。もう委員会活動も始まる頃だ。辺りにも、いつの間にやら結構な数の見物人がいる。
 そろそろ潮時だと判断し、長次は縁側から立ち上がり、二人の元へと足を運ぶ。
 長次に気づき、「私のほうが好きだよな長次!」「違うもん、私のほうが好きよね長次!」と問いかけてくる二人に向けて、ゆっくりと手を伸ばした。
 二人の頭それぞれに、そっと手を置く。それだけで、急に二人はおとなしくなった。
 ぽんぽんと頭を撫でてやりながら、さっきは届かなかった言葉をもう一度呟く。
 二人にしか聞こえないように。



 ──意味は違うが、どちらも好きだ。










 終