尾浜勘右衛門夢
『そこに確かにある温もり』
|
少し、眠ってしまっていたようだった。 ぼんやりとした視界の中、勘右衛門はまだ曖昧な頭を軽く手で叩き、覚醒を促す。本の陰干しをただ見ているだけの作業があまりにも退屈で、縁側に座り込んで柱にもたれたのは覚えている。つまりそこから眠ってしまったのだろうが、どれほどの間こうしていたのだろうか。 とにもかくにも陰干しの様子を見ようと、ふわ、と欠伸をして立ち上がろうとしたそのとき、ふと左膝に違和感を覚えた。 なにか、自分のものではない重みを感じる。視線を向けると、そこには小柄な女子生徒が一人、くるりと丸まって眠っていた。勘右衛門の左膝を枕にして。 すーすーと子どものような小さな寝息に、勘右衛門は「ん?」と首を傾げる。 「……いつの間に来たんだろ」 当然寝ている間にだろう。仮にも忍者見習い、それも上級生のくせに情けない。気配を読めなくても、膝に頭を乗せられた時点で気付くべきだ。 「こいつ昔から猫みたいに気配薄いけどさ……。おーい、おきろー」 眠るその額を軽く指先でつつくと、女子生徒はむむむ、と顔をしかめてから、ゆっくりと目を開いた。じっと見下ろす勘右衛門の顔を見つけて、にっこり微笑む。 その唇が、小さく動いた。微笑みに似つかわしくない、おこすんじゃねーよ、という形に。 「ひとの膝勝手に使っといて、起こすなはないだろ。いつの間に来たんだ?」 『かんちゃんねてたから、いいかなって』 「よくないよ」 『うむ、くるしゅうない』 「だからー」 抗議しても、勘右衛門の幼なじみ、は、何事もなかったかのようにまた勘右衛門の膝を枕にして寝ようとする。 「俺の膝なんだから、勝手に使うなってば。お前のじゃないんだぞ」 の一つにまとめた長い髪を軽く引いて促すと、は寝転がったまま勘右衛門を見上げた。ゆっくりと親指を立て、次にそれを勢いよく下に向ける。顔だけはにこにこと笑顔のままで。 『おねがい、かんちゃん。きんたまけるぞ』 「いや、もうそれただの脅迫だしさ」 「おいこら勘右衛門、お前なに休んでんだ。……ん、なんだそれ、か?」 唐突に声をかけられて、勘右衛門は後ろを振り向く。視線の先、廊下の向こうから、三郎が早足で勘右衛門達に向かって来ているところだった。その腕には、古そうな本が十冊ほど抱えられている。 「そ、猫。ぼーっとしてたら、いつの間にか膝使われててさ」 「なにいちゃこいてんだ、お前委員会中だろ」 「いちゃこいてる……? どこが?」 「おい、それ以上は学級委員長委員会名義で勘右衛門の使用料取るぞ。今こいつは委員会の仕事中なんだからな」 『かんちゃん、おしごと? ねるのがしごと?』 「違うってば。学園長先生の私物の本を陰干しする、ちゃんとした仕事。ほら、そこに並べてあるのが全部そうだ」 勘右衛門の指差す方向に、も起き上がって目を向ける。ぽかぽかと日差しの温かな庭に、図書委員会から借りた陰干し用の大きな布が広げられている。その上にずらりと等間隔に並んでいる古書が、すべて学園長先生の私物の本だ。 休日の昼下り、学園長先生からの緊急呼び出しに一体何事かと肝を冷やしていたのに、下された指令がこれだ。まあ、平和でいいことだけど、と勘右衛門はもう一度小さく欠伸をする。 単純に、勘右衛門が陰干しをする担当、三郎が学園長先生の書庫から本を運んでくる担当だ。 「三郎。陰干しする本、まだたくさんある?」 「いや、これで最後だ。こう見ると、随分多いよな。学園長先生、あんまりお読みにならないのにたくさん本をお持ちだからなぁ」 「そういや、読まない本は意味がないからって、中在家先輩が図書室に置かせて欲しいって言ってたな」 「書庫の整理手伝った雷蔵も同じこと言ってたぞ。貴重本が多いのに、学園長先生は仕舞い込むだけだからってさ。……っと」 本を抱えたまま縁側を下り、三郎は陰干ししている本の元へと向かう。それをじっと見ていたが立ち上がり、追い掛けるように三郎のところへと足を運んだ。 「ん、なんだ。どうした?」 『おてつだい、させて』 が差し出す両手に、三郎は軽く首を傾げる。 「手伝いか? ……んー、まあ、並べるだけだしな。じゃあ半分頼む」 三郎から五冊ほどの本を受け取って、は空いている場所を探してその上に本を置いていく。働いている二人を見ながら、勘右衛門はまた大きく欠伸をする。意識がなかったのは、三郎が書庫に行って帰ってくる間だけだ。さほど長くは寝ていないだろう。 『これ、どのくらいほすんだろ』 「おい勘右衛門、こっち日向になってんぞ。陰干しにならないだろ」 「あれ? ごめん、俺が見たときは木陰だったんだけどさ」 「だからちゃんと陽の位置確認しとけって。本が焼けたら怒られるだろ。……ん、なんだ?」 『このほん、どのくらいほすの?』 「ほん……ほす……ああ、干す時間か? まぁ、夕方までだな。雨降りそうにもないし、このまま放置しててもいいだろ」 「あ、じゃあ俺もう戻ってもいい? ぼーっとしてるとすぐ眠くなってさあ」 「駄目だ。陰干しじゃないと意味ないって言ってるだろ。ちゃんとこまめに場所移動させろよ」 「三郎は真面目だなあ……どうせ学園長先生、読まない本なのにさ」 「無意味なことだと思いながら仕事するなんて嫌だろ」 三郎に説教を受けている間に、が一冊の本を抱えて戻ってきた。勘右衛門が顔を上げると、はその一冊を突き出して『もうあきた』と勘右衛門に押しつけた。 はあ、とため息を吐きつつ文句も言わずに、勘右衛門はが縁側に座るのと入れ替わりに立ち上がる。 「とりあえずこれで終わりだろ? あと三郎がやってくれよ、俺部屋に戻りたいし」 「駄目だって言ったろ。俺は今から将棋の相手しろって学園長先生に言われてるんだよ」 「えー。じゃあ、代わってくれない?」 『このそちんが、きりきりうごけ』 「粗チン!? 見たことないのにひどくない!?」 「ほら、お前が適任だろ。働け」 「ちぇ、昼寝日和なのに」 二人揃って振られてしまい、さすがに勘右衛門は少し拗ねた顔をして見せた。しかし三郎は勘右衛門を放置して、に「まだここにいるなら、勘右衛門がさぼらないか見張っててくれ」と声をかけて、また縁側へと上がって学園長先生の庵へと向かって行く。なんとなくそれを見つめている勘右衛門にも、「さぼるなよ、後で見に来るからな」と釘を刺して。 「口実かと思ったら、ほんとに学園長先生の相手なのか……」 嫌々そうに庵に向かう三郎を見送って、勘右衛門はに押しつけられた最後の一冊を並べ終える。三郎に言われた通りに太陽が動けばすぐ日向になりそうなところを調節して、縁側に戻ってくる。 の隣に座ると、が当たり前のようにぽんぽんと勘右衛門の膝を叩く。貸せ、ということらしい。 「俺の膝は高いぞー。そうだな、今晩の定食か団子五本……」 『はやくかせ』 「はいすみません」 さっきと同じく柱に背を預け、片膝をに差し出す。は満足そうにこくこくと頷いて勘右衛門の膝に頭を乗せ、くるりと丸くなった。 年にしては小柄でひ弱そうだから、そうしていると本当に猫のように見えてくる。まぁ見た目だけだけど、と勘右衛門が思っていると、くいくいとが下から勘右衛門の袖を引く。 『さぶろう、しょうぎつよいの?』 「ん? ……まあ、あいつ大抵なんでも出来るしな。学園長先生の相手するってことは、滅茶苦茶弱くはないんじゃないのか? 俺は打ったことないから知らないけど」 『みんなでうったりしないの?』 「んー。どんな遊戯でも雷蔵が迷うから、時間かかるんだよ。だからってわけじゃないけど、五年が集まったら、身体動かしてるほうが多いな」 『そう』 聞いたくせにあまり興味なさげに頷いて、はふわーと小さく欠伸をする。少しの沈黙。勘右衛門の膝に頭を乗せたまま、の視線が陰干ししている本に向けられる。ぼんやり見つめるのその指が、独り言のようにゆっくりと動く。 『いいてんきです。おひるねにちょうどいいひです。きょうはほんのかげぼしをおてつだいしました。よんさつでめんどうになって、かんちゃんにおしつけました。ふるいほんはくしゃみがでそうだから、あまりすきではありません』 意味など特にないのだろう。誰かに語りかけるような他愛のない言葉が、の指から形作られていく。もはや読むのに慣れたその指の動きを眺めながら、勘右衛門は同じように自分の指を動かしてみる。の言葉を追い掛けるように。 けれど機嫌がよさそうなの指の動きはとてもなめらかで、勘右衛門には真似出来そうもない。 それはそうだろう。の指が形作るそれは、他でもないの『声』だから。 忍びが使う矢羽音にも似て少し違う、指での言葉。 『どうしたの、かんちゃん』 「んー。いや、なんでもないよ。……あー、すごく天気いいよなー。こんな日に寝るなっていうのが無茶だよ」 『さぶろうにおこられるよ』 「三郎が来たら起こしてくれよ。んで、俺の代わりにが陰干し見ててくれ」 『やだ、じぶんでしろ』 「ですよね」 なら二人で寝るしかないか、ともはや三郎に怒られる気満々で勘右衛門は改めて柱に背を預ける。目を閉じようとすると、するりと手の中にの指が入り込んでくる。繋ぐためのものじゃない。見なくても、指同士が触れ合う形で、お互いの『声』が聞こえるように。 『かんちゃん、ねるの?』 『うん、もうねむい』 『おこられるよ』 『いいよ、さぶろうもすぐにはもどってこないだろうし』 本当に寝る体勢で勘右衛門が身体から力を抜くと、倣うようにも少し体勢を変え、勘右衛門の膝に改めて頭を乗せる。身を寄せて、手を繋ぎ直して。 『おやすみ』 『おやすみ、かんちゃん』 繋がれたまま、お互いの指が言葉を紡ぐ。勘右衛門の意識が眠りに落ちるとき、まるで内緒話をする小声のように、の指が小さく動いた。 『おきるときは、いっしょね』 共に眠るとき、昔からいつもが言う言葉だ。手を握ることで返事に代えて、勘右衛門はゆるりと意識が落ちるままに任せた。 やくそくだよ、と最後にが言った気がした。 ようやく戻った三郎が手を握ったまま眠っている二人を見つけ、怒鳴り起こすまで、あと一刻。 終 |