竹谷八左ヱ門夢
『秋晴れの夜』
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「あれ、お前まだ起きてたのか」 月明かりの下で、八は私に気づいてにっと笑った。泥だらけの顔で、お月様にも負けないくらいに明るく。 もうすぐ実技の試験だから、先輩に頼んで組み手の稽古をつけてもらった帰りだった。もうとっくに就寝時刻も過ぎていて、とにかくお風呂に入って寝てしまおうと、部屋に戻る道を急いでいたら。 通り道の廊下で、八左ヱ門の姿を見つけた。 八左ヱ門というか、生物委員というか。縁側に座っている八の周りには生物委員の一年生達が丸くなっていて、八やお互いに寄り添うようにして眠っている。みんな一様に泥だらけで疲れ切った様子だったから、たぶんいつものだろうなと察して苦笑した。 「まただれか脱走しちゃったの?」 八だけはさすがに上級生らしく、さほど疲労しているようには見えなかった。八の隣にしゃがみこみながら聞くと、八は「いや」と地面に置いてあった籠を持ち上げる。私によく見えるようにと、月明かりが透けるように掲げて。 「こいつ捕まえてた」 「野ねずみ?」 「ああ。明日授業で使うはずだったのを、小松田さんが逃がしちゃってな。数揃えるために今まで山ん中走り回ってたんだ」 と、八はそこまで言ってから、「あーでも」と気づいたように首を傾げる。 「結局脱走したことになるのかもな」 「野ねずみだと、自分からはなかなか帰ってきてくれないだろうしね」 ちゅーちゅーとまだ小さな野ねずみが数匹、籠の中で窮屈そうに走り回っている。八が地面に籠を戻したとき、そのすぐ側に人数分の網が転がっているのが見えた。それもみんな泥だらけだ。 「ご苦労様、八」 「んー。俺はそんなに疲れてないんだけどな、こいつらが」 ころんころんと八の周りで丸まっている一年生達を、八が順番につんつんつつく。それでも起きるどころかぴくりともしないから、みんな相当に疲れてるんだろう。 寒くないかなと一番近くにいる三治郎君の頭をそっと撫でたとき、私はふとそれに気づいて、慌てて一年生全員と八の手を確認した。 「三治郎君と虎若君、怪我したの?」 「ん?」 眠る二人の両手には、白い包帯が幾重にも巻かれていた。その包帯も、少し泥で汚れている。 「ああ、大丈夫だ。なんか、ススキ取りに行ったときに少し切ったらしくてな」 「……あ、そういえば一年生が昨日、ススキ配ってたね」 それを思い出して、私は少しだけほっとした。ススキなら、酷い怪我ではないだろうから。 「場所が場所だから悪化したらことだし、手は出来る限り使わないようにって言ったんだけどな。……でも山の中で手を使うなって無理だよなあ」 二人の泥に汚れた包帯に視線を向けて、八が申し訳なさそうな顔をする。緊急の活動だったから、休んでいいとも言えなかったんだろう。生物委員は下級生が多いから、八と孫兵君に大きな負担がかかってるのを、私は知ってる。 「そういえば、孫兵君は?」 「孫兵は、今木下先生に報告に行ってる。戻ってきたら全員連れて医務室に寄んないとな。三治郎と虎若の包帯、替えてやんなきゃいけないし」 「そうだね、菌が入ってたら危ないから、消毒してあげたほうがいいね」 私が頷くと、「あ」と八が声を上げて、ごそごそと懐を探ってなにかを取り出した。 「、これやるよ」 ぽんっと軽く投げられて、慌てて手を伸ばして受け取った。両手の中に収まる大きさのそれは、 「……柿?」 「行きに学園長先生に頼まれて、金楽寺に寄ったんだ。そのとき和尚さんに駄賃だってもらった」 「私がもらっていいの?」 「おう」 笑う八から、手元の柿に視線を下ろす。月明かりにも分かるつやつやした柿の実は、綺麗な橙色をしていた。完熟していて、見た目にも美味しそう。 「……柿、嫌いだったか」 なにも言わずに柿を見ていたことで誤解させたのか、八が少しだけ残念そうな顔をしている。慌てて、首を横に振った。 「ううん、大好き。ありがとう、八。大事に食べるね」 「そっか! こいつらすげえ喜んで食べてたから、美味いと思うぞ」 こいつら、とぽんぽん一年生の背を撫でる八の言葉に、私は少し引っかかる。美味いと『思う』? 「……八、もしかして食べてないの?」 「ああ。もらったの一個ずつだったしな。それにこいつらがすげー美味いって言ってたから、お前にやりたくなった」 当たり前のように言う八に、私はかあっと頬が熱くなる。たぶん、月明かりでも分かるくらいに赤いと思う。 「……八」 「ん? どーした?」 八は本当に普段通りで、特別なことをしたという素振りは全然なかった。だからこそ、恥ずかしいけどすごく嬉しい。 「八は、柿嫌い?」 「いや、好きだけど。……あ、気にしなくてもいいからな。俺がお前にやりたかっただけだ」 にっと、八が笑う。八はときどきそうやって、私ばかり構ってくれる。 「ねえ、八。私、八も大好きだし柿も好きだけど」 「ん?」 不思議そうな八の顔に、私は微笑む。私ばかり構ってくれるのは嬉しいけど。 「せっかくだから二人で食べよう?」 じっと八を見上げると、八もじっと私を見る。それからすぐにぱっと顔を明るくして、「そーだな!」と急に私を抱き締めた。 「は、八?」 「どうせ食うなら一緒のほうが美味いよな! お前ほんと頭いいな!」 「ち、違うよ。私が八と一緒に食べたかっただけだから…………あ、あの八……ちょっと離して」 寝てるとはいえ一年生がいる前なのに、八はぎゅうぎゅう私を構い倒す。さすがに恥ずかしくて押し戻そうとすると、八はようやく気づいたのか腕の力を緩めてくれた。 「悪い、苦しかったか?」 「や、そうじゃなくて、みんないるから恥ずかしい……」 力を緩めてくれたとはいえ、八はまだ私を腕に閉じこめたままだ。ちらちらと近距離で熟睡している一年生達を視線で指しても、八は意味が分からないのか不思議そうな顔をしている。 「? 別に変なことしてるわけじゃないだろ」 「そ、そうかな……」 変なことじゃなくても恥ずかしいことだと思うんだけどなーと私が顔を赤くしてると、至近距離で八が笑う。その大好きな笑顔に誤魔化されて、私も微笑み返した。握っていた柿を八の手に渡すと、八は「じゃあ半分こな」と言ってまた笑う。 そのとき、ぱたぱたと走ってくる音が聞こえてきて、私は反射的に顔を上げた。八も気づいたのか「おっ」と声を上げてようやく私を離してくれる。私が渡した柿を懐に戻しながら、八は縁側から立ち上がる。 月明かりの下、こちらに駆け寄ってきたのはやっぱり孫兵君だった。いつも一緒のじゅんこちゃんはもう小屋に戻したのか、孫兵君一人だけ。 今の、もしかしたら見られてたかなと、私はちょっと焦る。けれど八の前で足を止める孫兵君は普段通りだったから、ほっと安心して息を吐いた。 「遅くなってすみませんでした、竹谷先輩」 「いや、大丈夫だ。木下先生いらっしゃったか?」 「はい、もう自室にお戻りでした。連絡は特にないから、このまま解散していいと仰ってました」 「おう、ありがとな」 ぽんぽんと労うように八に頭を撫でられながら、孫兵君はふと私に視線を向けた。まともに目が合ってびくっとする私に、孫兵君はただ静かに一礼する。私も少しぎくしゃくと頭を下げると、孫兵君は急になにかを考えるような仕草を見せる。 「ん、どうした孫兵」 「いえ……」 孫兵君はえーと、と少し前のことを思い出している顔で首を捻り、うーん、とまた迷った様子を見せ、そして最後にああそうだこういうときはこう言うんだっけ、という風にうんうん頷いて、八を見上げて真顔で言った。 「僕、もしかしてお邪魔でしたか」 「お前今更なにを……」 さすがの八も引きつった顔で言うと、孫兵君はその反応に深く頷く。 「分かりました、一刻ほどじゅんこと遊んできますので、どうぞごゆっくり」 「慣れてない気遣いなんかするな。ほら、こいつら医務室に連れて行くから、お前も手伝ってくれ」 走り出そうとする孫兵君を掴んで引き止める八は普通だったけど、私はさすがに恥ずかしかった。ちょっと救いを求めるように八を見ると、八は目で『こいつはこーいう奴だから気にすんな』と言う。 「おいお前ら起きろー、部屋に戻るぞ」 八と孫兵君が一年生達を起こそうとゆさゆさ揺するけど、みんな顔はしかめるものの起きようとはしなかった。私もすぐ側にいる三治郎君の肩を軽く叩いてみたけれど、やっぱり起きる気配はない。 「……みんな疲れてるみたいだね」 「しゃーねーな。孫兵、一平頼めるか。あと悪いけど籠と網も」 「はい、分かりました」 八の言葉に、孫兵君が一平君を背負う。身体を揺らされて一瞬ふにゃーとした顔で起きかけた一平君は、すぐにまた孫兵君の背で眠りに落ちる。孫兵君が籠と網を片手で持ち上げて、八は残る一年生に手を伸ばす。 「えーと虎若と孫次郎と……」 「あ、私が三治郎君運ぶよ」 八が右肩に虎若君と腰に孫次郎君を担いで困った顔になったから、私はすぐ側にいた三治郎君を抱え上げた。さすがの八も眠っている一年生を三人も運ぶのは無理だろう。 「悪いな。重くないか」 「大丈夫、三治郎君くらいは運べるよ」 両腕で三治郎君の重みを支えて、立ち上がる。八は私と孫兵君が大丈夫そうなのを確認して、「じゃあ行くか」と歩き出す。 普通は意識のない身体を支えるのは大変だけど、三治郎君はさすがに一年生だけあってそんなに重くない。なんとなくぽんぽんと寝かしつけるように三治郎君の背を撫でるように叩いていたら、並んで歩く八がじいっと三治郎君の顔を覗き込んでくる。 「どうしたの、八」 「……それ、いいな」 八が真面目な顔で言うから、戸惑って首を傾げた。 「えっと……八、三治郎君運びたかったの?」 八がそんな贔屓するようなことを言うとは思わなくて少し驚くと、八は、いや、と首を横に振る。よいしょ、と虎若君と孫次郎君を担ぎ直して、真顔で言った。 「俺が三治郎になりたい」 「…………」 すごく率直な言葉に、顔が真っ赤になる。返す言葉が見つからない私に、八は「後で柿食おうな」と笑う。 「…………うん」 小さく頷くと、八はもっと嬉しそうな顔で笑う。なんだか恥ずかしいけどすごく幸せで、私も笑い返したとき、八の隣で孫兵君が声を上げた。 「えーと」 孫兵君は首を傾げて、それから、ああ、とさっきと同じ様子で私達を見た。 「僕、もしかしてやっぱりお邪魔ですか」 びくりとする私に、八は今度は真面目に返す。 「今は邪魔じゃないけど、こいつら部屋に帰した後は邪魔だから、お前もさっさと部屋に戻ってくれ」 「分かりました。じゅんこにおやすみの挨拶してからすぐに戻ります」 「…………」 隣で交わされる恥ずかしい会話に、また顔が赤くなる。生物委員ってみんなこうなのかなあと思いながら、私は抱えている三治郎君の頭を撫でた。 晴れた夜空の月明かり。十三夜が近い今のお月様は、いつでもまん丸に近い綺麗な光だ。 それをちらりと見上げてから、私は次に傍らの八に視線を向ける。それに気づいた八は、私と目を合わせて笑ってくれる。八の後ろのお月様に負けないくらい明るい、私が世界で一番好きな笑顔で。 終 |