笹山兵太夫夢
『触るな危険、恋とカラクリ』後編
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「乱太郎ごめん、お願い」 「え!? あ、どうしたのちゃん!」 医務室に入ると、奥で薬を調合していたらしい乱太郎が慌てて駆け寄ってきた。兵太夫に抱えられたままのの足を一目見て、乱太郎はすぐに消毒薬と包帯とを取りに走る。 「ごめん、川西先輩薬草園にいらっしゃるから、手が空いてそうなら呼んできて!」 「はい!」 乱太郎の言葉に、保健委員の後輩らしい下級生が、慌てて医務室を飛び出して行く。 「ちゃん、それどこで怪我したの!?」 「俺の部屋の」 「ち、違うの!」 を床に下ろしながら兵太夫が答えようとすると、それを遮るようにの声が響く。 「私が兵ちゃんの部屋に勝手に入ろうとして、それで、」 「黙っててよ。ちゃんと言わないと乱太郎が処置に困るでしょ。天井に仕掛けてたカラクリ、おろし金とか洗濯板みたいな切り込みで抉るだけの罠だから、骨まではまず達してないと思う」 「毒は?」 「なにも塗ってない」 治療道具を抱えて戻ってきた乱太郎は、兵太夫が止血に使った手拭いを取り外して袴を膝元までたくし上げ、濡れた布で傷口をゆっくり拭い始める。兵太夫が乱太郎の手つきを見ていると、乱太郎は一瞬だけ兵太夫と目を合わせて、大丈夫だよと伝えるように頷いた。 「足もちょっと捻ってるね。天井から落ちた?」 「うん……」 「捻りは軽いから、こっちはすぐ治るよ。痛いだろうけど、ちょっと我慢してね」 乱太郎の手が動くたびに、は痛みを堪えるためにぎゅっと畳の上に爪を立てる。の足の傷口は、乱太郎が拭っても拭ってもじんわりと血が滲み出てくる。あの場でどれほどいたのかは分からないが、すでに乾いて凝固している血の跡さえある。 けれどその傷は、どちらかと問われたなら、軽傷だ。出血と痛みは酷いだろうが、骨も神経も太い血管も傷ついていない。適切な処置をすれば痕もさほど残らないだろう。それにようやく安堵して、兵太夫は横目で医務室の外に視線を向け、その場から立ち上がる。 「あ、兵太夫」 「俺、ちょっと出てくるから」 「兵ちゃん……」 不安そうに見上げてくるの、その顔と足の傷を、兵太夫はなにも言わずにじっと見る。それから二人に背を向けて、ゆっくりと目を細めて医務室の戸を開ける。 「乱太郎、あとよろしく」 それだけを言い残して兵太夫は医務室を出て行き、ぱたん、と戸が閉まる音が響いた。 「……兵ちゃん、私のこと怒ってるかな」 ぽつりと落ちたの声に、乱太郎は治療していた手を止めて顔を上げる。途端目に入った今にも泣きそうなの表情に、慌てて口を開いた。 「どうしたの、ちゃん。なんで兵太夫がちゃんに怒らなくちゃいけないの?」 「だって……兵ちゃん、部屋に来るときは罠に注意しろっていつも言ってくれてたのに、私……」 だんだんと泣き声になるの瞳から、じわっと涙が滲む。の言いたいことに合点がいって、乱太郎は「ああ」と苦笑を浮かべた。確かに、抑えようとはしていたけれど、兵太夫からは怒気が出ていた。 「大丈夫。兵太夫がちゃんに怒ってるわけないよ」 「ほんと? なんか兵ちゃん、すごく怒ってたから……」 「ああ、うん。怒ってはいるだろうけどね」 「え……」 「あ、だからちゃんに怒ってるわけじゃないから、大丈夫だよ」 そう、兵太夫の怒りはたぶん自分へのものと、それと……、と乱太郎は出て行く前に一瞬見た兵太夫の目を思い出す。 あれは……うん、獲物を狩る前の獣の目だったね。 最後は言葉に出さずに胸中だけで付け足して、乱太郎は安心させるようにに微笑んでみせた。 「………………」 兵太夫は医務室から出て庭に下りると、近くの茂みにじろりと視線を向ける。 向こうから出てくるつもりがないのを知って、素早く苦無を取り出し、取り出した動きのまま一気に投げる。苦無を避けて瞬時に気配が動いたのを追って、地面を強く蹴った。 ざわざわと茂みと木々が揺れる。姿を見せないまま逃げ続けるその気配は、しかし場所を移動したいだけだと理解していたから、兵太夫もそれ以上は手を出さずにその後に続く。 やがて医務室から程々に距離を置いたところで、先行していた気配が近くの木から飛び出して姿を現した。 強張った表情の男子生徒。装束の色から、三年生だと分かる。その姿を見て、兵太夫はへぇ、と薄く微笑んだ。 「やっぱりお前か。少し前からずっと俺との周りをうろちょろしてただろ」 兵太夫の言葉には答えず、三年生の後輩はただ兵太夫を睨み付ける。兵太夫は腰に手を当てて、目を細めた。 「俺の部屋の罠に細工したの、お前だろ?」 「……そうです、僕です」 それまで押し黙っていた後輩は、その言葉には沈黙せずに頷いた。兵太夫から目を逸らさずに。 「罠を外したって聞いたので、部屋に入って、解除された罠を分かるやつだけ元に戻しました。……天井のは、構造が分かりやすかったから威力を強めにしました」 「ふーん。言い訳しないのと、あれに細工出来たのは褒めてあげるよ。で? なんのためなわけ?」 「笹山先輩が嫌いだからです!」 突然に勢いよく吐き捨てられて、兵太夫は愉しそうに口元に笑みを浮かべる。 「で?」 「先輩が、……す、好きだからです」 「分かりやすくていいね、それ。あとなんか言いたいことある?」 「……も、もともと、先輩を狙うつもりなんて、全然なかったんです! ただ、笹山先輩が自分で自分のカラクリに引っ掛かってすごい怪我とかして痛い目見て落ち込んで、先輩に愛想尽かされればいいって思いながらやりました!」 隠そうともせずきっぱりと言い切る後輩に、兵太夫は笑みを深くする。冷たい瞳で。 「ますます分かりやすいね。俺、そういうの嫌いじゃないよ。…………でも、許さないから」 笑みが消える。殺気を纏わせた気配が、兵太夫からぞわりと溢れ出る。 「分かってないなら教えてやるけど、俺、あいつに手ぇ出したやつには容赦しないよ」 兵太夫が腰元に当てていた右手を上げると、そこにはいつの間にか指と指の間によく磨かれた長針が握り込まれている。後輩は一瞬怯むように身を引きかけ、しかし気を奮い立たせて口を開いた。 「先輩を怪我させたことは、すごく後悔してます! 後で許してもらえるまで何回でも謝ります! でも!」 しゅん、と刃が空を切る音。後輩は大振りの苦無を取り出して構え、兵太夫を強く睨む。 「いい機会だから挑戦します! あなたには負けません!」 「あっそ。──なら身の程知らずって言葉をたたき込んであげるよ、ケツの青いガキが」 戸が開く音にが顔を上げると、視線の先には先ほど出て行った兵太夫がいた。「兵ちゃん」と名を呼んで反射的に立ち上がりかけるを手で制して、兵太夫は医務室の中に入ってくる。 「乱太郎、の怪我は?」 「うん、大丈夫だよ。止血も出来たし、安静にしてたらちゃんと治るから。……もうこれ巻いたら終わりだよ」 慣れた手つきでくるくるとの足に包帯を巻きながら、乱太郎が兵太夫に頷く。そう、と兵太夫が二人の前に腰を下ろすと、医務室の奥から左近が顔を見せ、に薬袋を差し出した。 「、これ化膿止めと消毒薬。一日三回患部に塗って、様子を見て。包帯の替えが難しそうなら、医務室にいる誰にでも頼みに来ていいから、必ず毎日替えて」 「……あ、はい」 「乱太郎、お前巻いてやったら? 知り合いなんだろ」 「はい、川西先輩。ちゃん、私でよかったらいつでも言ってね」 「ありがとう。同じ部屋の子にも頼めると思うから」 「そっか、なら大丈夫だね。……はい、これで終わりだよ」 最後に包帯の巻きが丁度良いか確認して、乱太郎が手を離して微笑む。が礼を口にしようとしたとき、兵太夫が声もかけずにの肩を引き寄せて、来たときと同じようにその身体を抱え上げた。 「へ、兵ちゃん!?」 「だから、耳元で叫ばないでってば。……ありがとうございました、川西先輩、乱太郎」 「ちゃん、お大事にね。足首も捻ってるんだから、無理しないでね。出来るだけ足動かさないようにして」 「うん。ありがとう」 「お大事に、。……それから笹山、お前ちょっと自重しろ」 「そうですね、次からは気をつけます」 半眼を向ける左近に、今回ばかりは珍しく素直に答えて、兵太夫は保健委員二人に頭を下げる。乱太郎が戸を開けてくれて廊下に出たところで、兵太夫は「ああ」と今思い出したように二人を振り返った。薄く笑って。 「あと、庭の端になんか転がってるんで、あれもついでにお願いします」 う、と顔をひきつらせる乱太郎と左近に背を向けて、兵太夫は廊下を歩き出した。 とん、とん、と廊下に響く音。二人分の体重を支えているから、いつもはほぼ無音の兵太夫の足音も、今はよく耳に届いた。 兵太夫に抱えられながら、は不安そうに兵太夫を見上げたり俯いたりを繰り返している。兵太夫はそのをちらりと見下ろして、それからふいに足を止めた。 「……兵ちゃん……?」 「ごめん、」 ぽつりとした静かな謝罪に、が驚いたように目を見開く。その後瞳がゆるりと揺れ、はぎゅっと兵太夫に身を寄せた。 「……ごめんなさい、兵ちゃん」 「なんでお前が謝るのさ。俺さっき謝ったの聞いてた?」 の手が、兵太夫の肩を掴む。その手は、先ほどのように血に濡れてはいなかった。乱太郎達が拭わせたのだろう。……けれど、血の臭いはまだ微かにする。 「だって、兵ちゃんいつも私に注意してくれてたのに」 「……あのさ、」 「それに私、カラクリ好きなのに、なのに罠に引っかかるなんて情けないし……ごめんね」 震える声で謝罪を繰り返すに、たぶん違うのだろうなと兵太夫は思う。 自身はそれを情けないとは思っていない。ただ『兵太夫は情けないと思うに違いない』と思っているから、……だから何度も謝っている。 はあ、と大きなため息を吐くと、の身体がびくりと震える。 ──つまり、バカなのは俺一人だよね。 素直に全部言えないせいで、こうやって誤解させて傷つけているのだから。 「別にそんなこと思ってないよ」 抱えたまま、ぽん、との頭を軽く叩くと、は恐る恐る兵太夫を見上げる。 「あのさ、がどんくさいのなんて今に始まったことじゃないでしょ。気にしなくていいよ」 「……ほんと? 兵ちゃん怒ってない?」 「俺、怒ってるように見えるの?」 じっとを見下ろすと、も兵太夫の顔を見上げて、それからゆっくりと首を横に振った。けれどまだ不安を拭いきれないのか、躊躇いがちに口を開く。 「じゃあ……私、これからも二人のお部屋に行っていい?」 「部屋?」 「私、迷惑じゃない……?」 その言葉を口にするの視線が縋るようなもので、兵太夫はようやくに、が一番に気にしていたのはこのことだったのだと気がついた。 「はさ、ときどきよく分からないことを聞くよね」 「え?」 「俺が、迷惑だと思ってる奴を部屋に入れたり、医務室に連れて行ったりするわけないでしょ」 「…………」 はその言葉の意味を確かめるようにしばらく時間を置いて、それからやっといつものように微笑んだ。 「兵ちゃん、ありがとう」 言葉と共に、肩に触れていたの腕が首に回される。抱きつく格好になって、もともと密着していた身体がさらに近くなった。 「……ちょっと、抱えにくいからやめてくれない」 「ねぇ兵ちゃん、私がカラクリを作るようになったのはね」 兵太夫の抗議を気にせず、が囁く。幸せそうに。 「そうしたら、兵ちゃんと三ちゃんと、ずっと一緒にいられると思ったからだよ」 「………………」 「兵ちゃんも三ちゃんも、大好きだよ」 動きを止めた兵太夫に、はさらに身を寄せる。温かで柔らかな、の気配。一年生の頃、『カラクリつくるのってたのしい?』と二人に聞いてきたときと同じもの。 それを思い出して、兵太夫は複雑な心境になる。『ずっと一緒にいられると思ったから』とか、『大好き』とか、 「……どっちにしても一人余計なんだけどさ」 「? 兵ちゃん?」 「なんでもない。……まぁ、今はそれでいいよ」 今はね、と付け足して、兵太夫はきょとんとしているを抱え直して歩き出した。 「……兵太夫のなにがすごいって」 乱太郎はため息を吐きつつ、後輩の腕に湿布を貼ってその上からぐるぐると包帯を巻いていく。 「なにがすごいって、こんなに包帯お化けみたいにしておいて、一番酷い怪我が打撲だってことだよね。普通だったら明らかに重体なのに」 「そ、それって手加減されてるってことですか!? さらに腹が立ちますーー!」 「こら静かにしてろ、暴れるとますます痛みが酷くなるぞ。……ったく、乱太郎、お前の同級生どうなってんだ。自重しろって言った直後にこれか」 「あ、いえ……ほんとは言う前にやってたことですし、理由が理由ですし、今回くらいは大目に見て……」 「見ない。あいつ次に自分の怪我で医務室来たら、治療前に長々説教してやる」 「……ですよねぇ」 苛々しながら消毒薬を塗っている左近に、乱太郎はひきつった笑顔を浮かべて頷く。 目の前に転がっている、包帯だらけの後輩。わーわーと騒いでるのを聞く限り、どうも恋路のもつれで兵太夫といろいろあったらしい。 本人もに怪我させたのは猛省しているようだし、後で謝りに行くと言っているから、それはいい。 でも。 「僕は絶対に諦めませんからーーー!」 「ああはいはい、分かったから暴れないでね。……でも同級生として忠告しておくけど、兵太夫相手には無理しないほうがいいと思うよ……」 本来なら他人の恋路に首を突っ込む気は毛頭ないが、生徒達の健康を守る保健委員として、これ以上の騒ぎは勘弁して欲しい。兵太夫が本気になったら、毎回この程度の怪我で終わるはずがないわけだし。 「いーやーでーすー! 絶っ対にいやですーー!」 「……おい乱太郎、笹山に言っとけ。やるなら手を出さないで口だけでやれって」 「はぁ。……それはそれで精神的にやばいことになりそうですけどね」 兵太夫がを好きなのだろうということは、は組にしてみれば周知の事実だ。大事にしているのか単に躊躇しているのかは知らないが、それがに伝わっていないことも。 「さっさと素直になっちゃえば、私達も手間がかからなくて済むのにね……」 もう一度こっそりため息を吐いて、乱太郎は薬箱から新しい包帯を取り出した。 「ちゃん、怪我は大丈夫なの?」 部屋を片付けている兵太夫の後ろから、三治郎が声をかける。私が汚したから私が掃除すると言い張るを無理矢理女子寮に押し込み、自室の惨状に唖然としていた三治郎に事情を説明した後だった。 「一応はね。十日もすればまともに歩けるだろうって」 「そっか」 三治郎はほっと安堵する気配になり、「それでさ」と続ける。 「兵太夫、ちゃんにちゃんと言ったの?」 「なにを」 「ちゃんが来るときは、いつも事前に罠外してたってこと」 「……言うわけないでしょ」 兵太夫が答えると、「へぇー?」と途端に三治郎が声の調子を変える。 「でもさ、その後輩がちゃんに謝りに行ったら、全部分かっちゃうんじゃない?」 「………………」 「そうしたらさ、ちゃんの怪我はほんとに兵太夫のせいだってこともバレちゃうよねぇ」 含みのある声に兵太夫が三治郎を振り向くと、三治郎はひたすらに極上の笑顔で、にこにこにこにこにこにこにこにこにこにこーーーーーーーっと微笑んでみせる。その作り物過ぎる笑顔は、三治郎が他人を責めるときの表情だ。三治郎も三治郎で、が怪我したことを怒っているのだろう。 「それにさ、兵太夫変だと思わなかった? ふつーの三年生が僕らの作ったカラクリを、その一部でも短時間で細工なんか出来ると思う?」 「……なにが言いたいの」 「きっとその後輩さ、ちゃんがカラクリ好きだから、一生懸命勉強してたんだよ。すごいよねえ、愛されてるよねちゃん」 相変わらず満面の笑顔で言う三治郎に、兵太夫は無言で立ち上がる。 「兵太夫?」 「…………あいつのとこ行ってくる」 「あいつって誰?」 「のとこ行く前に息の根止めてくる。仏心出して手加減したのが悪かった」 そう言い残して、兵太夫は本当に部屋から出て行った。それを見送って、三治郎はやれやれとため息を吐く。 「そうじゃなくて、早く告白しちゃえばって言ってるのに。もー」 あーあー、と三治郎は半眼になり、兵太夫を止めに行くためにその場から立ち上がる。 「ほんと、昔から素直じゃないんだから」 呟いて、兵太夫の後を追った。 終 |