綾部喜八郎夢『あげる』
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喜八郎は猫に似ているな、と私は思う。 感情が掴みにくいし、いつも飄々としてるし、なにより気まぐれだし。 甘えてくるときなんて、特にそれが顕著だと思う。子犬のようにはしゃいで擦り寄るのではなく、堂々と『これが当然だ』という態度で触れてくるからだ。どちらかと言えば人の和に感心がないところも、猫に似ている。 私が突然にそんなことを思ったのは、休日の昼下がりに、庭でただ空を見上げている喜八郎の姿を見つけたからだ。 喜八郎はいつも手にしている手鋤と踏鋤をそこらの木の下に放置して、棒立ちしたままじっと空に視線を向けている。なにか面白いものでもあるのかと同じ方向に目を向けてみたけど、そこには鳥が飛んでいるどころか雲さえ流れていなかった。なのに喜八郎は視線も身体も微動だにせず、ただただ真っ直ぐに同じ場所を見つめている。 そのなにもない空間をじっと見つめている様子が小さな動物のように感じられて、ならば喜八郎は猫だなと思ったのだ。 喜八郎の考えていることは、恋仲になった今でもその表情だけではいまいち分からない。傍からは同じに見えたとしても、驚くほど繊細なことを考えているときもあれば、もう少しまともなことに頭を使えと怒りたくなるほどにどうでもいいことを考えているときもある。けれど私は、喜八郎が穴を掘っていないときは大体『次はどこに掘ろう』と悩んでいるのだと半ば勝手に決めつけている。 だから今もきっとそうなんだろうとこれも勝手に納得しながら、私はなんとなく声をかけずに喜八郎の姿を後ろから観察する。 喜八郎は、顔が綺麗だ。女の子のようなという言葉がよく似合う、丁寧に作られた高価な人形のような造作。 仮にもれっきとした女である私と並んでも、正直私のほうが添え物というかいっそ引き立て役といわんばかりに群を抜いて綺麗だ。喜八郎にはあまりその気がないみたいだけど、もし本気になれば並のくの一以上に男を惑わすことが出来るだろう。 そういえば、男にしては大きくて形の良い瞳も、どこか猫に似ている気がする。 ここまで喜八郎を観察しているのに、本人は私がここに来たときからまったく変わらず、ずーっと空を見上げ続けている。その後ろ姿を、私もずーっと見つめ続ける。 顔はとても綺麗だけど、喜八郎はそれでも男だ。見境無く穴を掘っているからか、見た目はそうでもないけどちゃんと筋肉がついているし、実際力もかなり強い。手も足も固いし指も長いし、顔さえ見なければ完全に男のそれだ。 かと言って全体のバランスが悪いというわけではないのだから、なんとなく悔しい。大抵の女子ならば喉から手が出るほど欲しい美貌も、この男にはどーでもいいのだろうから。 それと…… と、他にもいろいろと喜八郎の外見の特徴を挙げて行こうとしたら、それまで動きを見せなかった喜八郎が、ふいにすっと私に視線を向けた。ぎくっとする私を横目だけでしばらく見てから、喜八郎はゆっくりとこっちに身体を向ける。 「……。いつからそこにいたの?」 「ちょっと前」 「そう」 喜八郎は小さく頷くと、私の腰掛けている縁側まで足を進めて、自然に隣に座った。 そのまま当たり前のように腕を伸ばして抱こうとするから、慌ててその腕を押し戻した。 「こ、こら!」 「だめ?」 「人が来るかもしれないところではやめて! ……っていつも言ってるよね?」 「…………」 半眼を向けると、喜八郎はちょっと不満げに眉をひそめて、それから素直に腕を戻してくれた。 個室に二人きりというなら私も拒まないけど、この男は人目があるところでも唐突に抱きついてきたりするから注意が必要だ。誰かに見つかったら恥ずかしすぎるのに! 「……は、僕を探しに来たの?」 「ううん。ただ喜八郎を見つけたから、ここにいただけ」 「じゃあ、声かければいいのに」 私がただ後ろにいたことが気になるんだろう(そりゃそうか)。喜八郎の言葉に、私はその顔を下から軽く覗き込む。あー、やっぱり綺麗な顔だ。 「?」 「喜八郎、なんかじーっと空見てたから。邪魔しちゃ悪いかなと思って」 「……どうして?」 喜八郎は、不思議そうにしている。まぁ私も、喜八郎に声をかけずに観察したのはただなんとなくだったから、特に大した理由はないんだけど。 「なにか考えてたんでしょ? 穴のこととか」 あと穴のこととか、それから穴のこととか。 「違うよ」 「じゃあ鋤のこと? そろそろ新しいのが欲しいなーとか」 「この間食満先輩に補修してもらったから、今は欲しくないよ」 確かに少し前までは欲しかったけどね、と喜八郎は木の下に放置している鋤に視線を向ける。私もなんとはなしにそれを見てから、腰掛けている縁側に背中を倒してごろんと寝転がった。 「?」 「じゃあ喜八郎、なに考えてたの?」 「…………」 喜八郎は私を見下ろしながら、少し首を傾げる。その拍子にさらりと髪が揺れるそれが、なんだか端正な顔立ちのせいもあってすごく絵になっていて、私は僅かな焦燥感を抱く。あとちょっとむかつく。 喜八郎はそんな私のもやもやした感情には気づかないらしく、もう一度逆の方向に首を傾げてから、今度はふるふるとその首を横に振る。 「覚えてない」 「いや、ついさっきじゃないですか」 「じゃあなにも考えてなかったんだと思う」 あっさり言われて呆れると共に、なんだかすごく喜八郎らしいなと思った。「あ、そう……」と適当に言いながら、私は喜八郎の顔を今一度見上げる。 じっと喜八郎の顔を見ていると、喜八郎も私をじっと見下ろす。衣擦れの音がして、喜八郎がゆっくり私の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。昼下がりの温かな日差しが喜八郎の影で遮られて、私の視界のほとんどに喜八郎の顔と身体が映る。 ふわりと、私の頬に柔らかなものが触れる。喜八郎の肩から滑り落ちた髪だ。少し近い喜八郎の端正な顔と、綺麗な目と、それから髪。なんとなく無意識に、その髪をぎゅうっと一房掴んでしまう。指通りの良い、私の好きな髪。 ──でも。ちょっと複雑だ。 「なんかやだ」 胸にまた浮上するもやもやした感情と共に、ぽつりと本音を吐き出してしまった。 同時に掴んでいる喜八郎の髪を軽く引っ張ってしまって、喜八郎が眉をひそめた。痛いんだろうなと思ったけど、離す気にはなれない。 喜八郎はそれ以上は私に近づかずに、いつものなにを考えているのか分からない顔で私を見下ろしている。私は絡めた指と頬とでその髪に触れながら、心の中だけでため息を吐く。 ……喜八郎は、髪も綺麗だ。 立花先輩のようにさらさらとした艶のある美しい黒髪ではないけれど、喜八郎の髪はそれとはまた違う種類の綺麗な髪だ。ふわふわと柔らかで、癖があるけど触り心地が良くて、それこそ異国の人形のような髪。……ああ、顔もそうだけど、この髪だって、喜八郎の綺麗な容姿を引き立てる要因の一つなんだろう。 おとこのこ、なのに。 胸のわだかまりが、身体に沁みるように広がって行く。喜八郎のせいじゃない。でも、私はきっと、喜八郎の隣に並べる容姿じゃない。 少し悲しくなってただ喜八郎の髪を掴んでいると、喜八郎がゆっくりと口を開く。 「……、嫌なの?」 ぽつりと言ってしまった言葉を、喜八郎が聞き返す。感情の見えない顔はやっぱり綺麗で、私は純粋にそれを僻んだ。 「だって喜八郎、男なのにずるい。顔も髪も綺麗だし、出来ることなら私と交換してほしい」 ただの八つ当たりだと分かっていても、そう言ってしまう。喜八郎はちょっとの間沈黙してから、私が髪を掴んでいる手をそっと外させた。 私から離れて起き上がり、「そう」と一言いつものように無感情に頷いて。 それから、 ──懐から短刀を取り出して鞘を投げ捨てると、束ねている髪の根本にその刃を押し当てた。 「ちょっ!? なにやってんの!」 大慌てて起き上がって、その手を掴む。突然の行動に唖然とする私に、喜八郎はきょとんとした。自分の髪を掴んだまま、不思議そうに。 「だって、嫌なんでしょう?」 「……な」 「欲しいならあげる。交換は出来ないけど、付け髪なら作れる。……それに、に嫌われる要素なんていらない」 「ま、待って、お願い!!」 再び髪を切り落とそうとする喜八郎の手を掴んで、無理矢理に短刀を奪って鞘に仕舞った。またきょとんとする喜八郎の顔に、凄い勢いで後悔と焦りが膨れ上がる。 「……どうして? 顔を潰すのはちょっと難しいけど、髪くらいならいくらでもあげる。こんなの別にいらない」 「違う! そうじゃないの!」 言い方を間違えた。捻くれて、嫌な言い方しかしなかった。 「じゃあ、なに?」 「……羨ましかった、だけなの」 「だから、それならあげる」 「違うの! ……う、羨ましいっていうのは、だから」 どう言えばいいのか。素直に説明するべきなのか。ぐるぐる回る思考の中で、私はとにかく本当のことを言わなくちゃと思った。羨ましいと妬んだ。綺麗だと僻んだ。でも、それは、 「喜八郎が好きってことだから!」 ぱちくり、と。喜八郎が瞬きをする。じっと、私の顔を覗き込んで。 「ほんと?」 「……ほんと。ごめん。……ごめんね?」 あんなことを言えば喜八郎が傷くと、どうして分からなかったのか。浮かぶ罪悪感のままに、私は喜八郎にごめんと繰り返す。 私は喜八郎が綺麗なのが嫌なんじゃなくて、その隣に並ぶのが自分では釣り合わないのではないかと焦っただけだ。それで、なにも考えずに喜八郎に当たった。なにも悪くない喜八郎にだ。 「嫌なんじゃないの、好きなの。……ごめんなさい」 何度繰り返しても気が済まなくて謝り続ける私に、喜八郎はちょっと微笑んで私の肩を抱き寄せた。ぽんぽんと、背中を優しく叩いてくれる。 「どうして謝るの? 僕は嬉しいのに」 「き、はちろ……」 喜八郎は、私に甘い。愛されていると実感出来るその言葉は、嬉しいし幸せだ。けれどその分、自分がさっき吐いた言葉の酷さがますます認識出来て、喜八郎の顔を見れなくなる。 「ねぇ、。僕は、に嫌われてなかったらなんでもいいから。……だから謝らなくていいよ」 抱き締められていた身体を離されて、今度は顔を覗き込まれる。 ごめんね。 これ以上謝ったら、今度は喜八郎が気にするだろう。だから最後に心の中で謝って、私は喜八郎と視線を合わせる。 その優しい瞳に、ちょっと泣きそうになった。 「好きだよ、。僕も」 ぼくも、と言われたことで、さっき好きだと言ったことを思い出した。もう一度、改めて口にする。 「……うん。私も好き」 喜八郎が、嬉しそうに柔く微笑む。頬に触れる、喜八郎の長い指。引き寄せられるその動きに、私からも身を寄せる。 愛おしさがこみ上げる。私よりずっと綺麗でも、釣り合わないと思っていても。それでも喜八郎が私のことを好きでいてくれるなら、その間はずっと一緒にいたい。 だって私は、喜八郎のことが好きだから。 そっと、鼻先同士が触れる。喜八郎の瞳に覗き込まれているのを感じながら、私はゆっくり瞼を下ろした。 喜八郎の気配が、さらに近づく。すぐにくるはずの柔らかくて温かな唇の感触を待って、私は喜八郎に手を伸ばした。 そのとき。 ──ぞわりと、よく分からない悪寒が突然に走った。 「っ!?」 次の瞬間、思いきり身体を突き飛ばされた。尻餅をついて柱に背をぶつけた私の耳に、ばしん、と強い音が響く。慌てて身を起こすと、喜八郎がその手に白いバレーボールを掴んでいた。 ……え? 一瞬戸惑ってから、すぐに状況に気づいた。つまりどこからか飛んできたバレーボールを避けさせるために喜八郎が私を突き飛ばして、その上でボールを受け止めたと、そういうことなのだろう。 あー。ちょっと不覚だ。いくら目を閉じていたとはいえ、迫った危機に悪寒という形でしか気づけなかったなんて。これがボールだからよかったけど、もし苦無とかだったら確実に死んでいる。とはいえかなりの勢いで飛んできただろうボールにまともに当たったとしたら、それはそれで無事で済まなかったに違いない。察して避けさせてくれた喜八郎にありがとうとお礼を言おうとしたら、喜八郎は目を細めて近くの塀を見つめていた。私もつられて目を向けると、丁度その塀を軽い動きで乗り越えて、こちらにやってくる人影がある。 「……七松先輩」 思わず名を呼ぶと、七松先輩は私と喜八郎、それから喜八郎の持っているボールに目を向けて、「おっ」と微笑んだ。 「悪い悪い、勢いよく投げすぎて手元が狂ってなー。大丈夫だったか?」 「……ええ、まあ。喜八郎が受け止めてくれたので」 言いながら、私はちょっと呆れる。塀の向こうから飛んできたのにあれだけの勢いがついているなんて、どれだけの力を込めたのだろう。ボールが無事なのが不思議なくらいだ。さすが七松先輩というか、なんというか。 「そっか。悪いな、綾部!」 「……いいえ」 喜八郎は縁側から立ち上がり、七松先輩に向けてボールを投げた。相変わらずの無表情。でも……なんだかすごく嫌な予感がする。 「七松先輩」 「なんだ? どーした?」 喜八郎が投げたボールを受け取って、七松先輩はあっけらかんと笑う。喜八郎はゆっくりと瞬きをすると、無感情に呟いた。 「そこから三歩後ろに下がってください」 「おう、分かった! 一、二、さ、うおおおおおおおおおおお!?」 素直に三歩下がった七松先輩の姿が、一瞬にして消え失せる。あっさりと喜八郎の掘ったタコ壺に落ちて「うお、なんだなんだ、深いぞこれ!」とどこかはしゃぐような七松先輩の声を聞きながら、喜八郎は綺麗に微笑んだ。 すうっと細めた、肉食獣を思わせる瞳で。 「邪魔してくれたお礼です。……それと、を危ない目に合わせた報いです」 滅多に見ない、冷たい冷たい微笑みで言う喜八郎に。 私は七松先輩を助けなくちゃとか、喜八郎がこれ以上なにかしないように止めなくちゃとか、そういう当たり前の思考が出来なくて。 ただ、 ああ、猫じゃない。喜八郎は野生を思わせる獣だと、そう思った。 終 |