『10000通りの顔』
(鉢屋三郎)


 放課後。
 忍たま長屋に帰ろうと足早に廊下を渡っていると、後ろからこちらに向かってくる足音が響いてきた。
 足音の示す体重から下級生だということは瞬時に察したものの、誰かと特定は出来ない。反射的に歩く速度を上げて後ろからの気配を探ろうとすると、

「久々知先輩ーー! すみません、待ってくださいーー!」

 名前を呼ばれたことに気づいて、慌てて足を止めた。
「久々知先輩、今ちょっといいですかー?」
「ああ、伊助。……おーい、廊下走ると転ぶぞ。気をつけろー」
 振り返った俺の元に、後輩の伊助がぱたぱたと走ってくる。俺の目前で立ち止まり数瞬息を整えてから、「こんにちはー!」と笑顔を向ける。
「おう、どうした? 俺になにか用か」
 今日は委員会もないはずだ。不思議そうな俺の顔に、伊助は折りたたまれた一枚の紙を取り出して俺に差し出しながら、
「これ、土井先生から久々知先輩にお渡しするようにって言付かってきました!」
「土井先生から……委員会の関係か?」
「はい、そう仰ってました。明後日の活動日、土井先生は出張でいらっしゃらないそうなので、そのときの指示内容だそうです」
「分かった、ありがとう。……ああ、悪い。明日土井先生にお会い出来るか分からないから、確かに受け取りましたってお伝えしてくれるか?」
「はい、分かりました!」
 伊助は元気よく頷くと、……それからきょろきょろと周囲の様子を見て人気がないのを確認して、一歩俺に身を寄せた。
「あ、あの……久々知先輩。お聞きしたいことがあるんですけど」
「ん? なんだ、どうした?」
 内緒話をするような格好の伊助につられて少し屈んで身を寄せると、伊助は躊躇いがちにぼそぼそと囁く。
「あの……鉢屋先輩、どこかで見かけませんでしたか?」
「三郎……? いや、今日は朝食の時にしか見てないけど…………、ああ、まさか」
 顔をひきつらせると、伊助は困ったように眉を下げて、「はい」と頷く。
「そうなんです。さっき一年は組にいらっしゃって、僕達をいつものようにからかって……」
「あー……またか。大丈夫か? 怪我とかしてないか」
 この間、は組全員を騙して塹壕に落としたことを指して言うと、伊助は慌てて首を縦に振る。
「あ、はい、大丈夫です。今回はただ山田先生の女装を全員ドアップで見て驚いただけですから。……でもそのせいで山田先生がお怒りで、その、鉢屋先輩を」
「……なるほど。三郎がいたら連れてこいって言われたんだな?」
 やっぱりそうか。苦笑いを浮かべると、伊助はこくんと頷く。
「今みんなで探してるんですけど、……なかなか見つからなくて」
「だろうなぁ。あいつ逃げ足も速いから」
「鉢屋先輩、からかい甲斐があるからうちのクラスが好きらしいです」
「好かれたほうはたまったもんじゃないな」
「まったくです……」
 伊助は呆れたように苦笑して、「それじゃあ」と俺に頭を下げる。
「僕はこれで失礼しますね、久々知先輩。土井先生にお伝えしておきます」
「おう、ありがとな。俺もどっかで三郎見かけたら、山田先生のとこまで連れて行くよ」
「はい、お願いします久々知先輩!!」
 にこっと幼い笑顔で、来たときと同じように伊助がぱたぱたと去っていく。その足音を聞きながら、俺はやれやれとため息を吐く。
「三郎のやつ、ほんと懲りないよな……」
 ひとまず伊助から受け取った指示書を仕舞って、また忍たま長屋へと歩き出す。
 今日はこれから用がないはずだし、少しは探したほうがいいか……と思いながら廊下を横切って地面に降りたとき、視線の先に見知った姿を見つけた。
 同年の女子生徒のが、下級生と立ち話をしていた。少し近づいてみて、その下級生が孫兵だと分かって納得した。は生物委員と仲が良いからだ。
「久々知先輩、こんにちは」
 孫兵が俺に気づいたことで、も俺に視線を向ける。よ、とに微笑むと、も柔らかく微笑んで俺に軽く手を振った。二人の元に足を進めながら、良い機会だと俺は思う。
「なぁお前達、三郎見なかったか?」
「鉢屋先輩ですか? いえ、今日は一度もお会いしてないですけど……」
 きょとんとしている孫兵の隣では、が軽く悩むように首を傾げている。
は? 知らないか?」
「んー……会ったことは会ったんだけどね……」
「ああ、朝食のときだろ? あのときもいたもんな」
 食堂で同年が顔を合わせれば、大抵は共に机を囲む。今日の朝もそうだった。
「久々知先輩、鉢屋先輩に御用なんですか?」
「うーん。まぁ、直接俺に関係あることじゃないんだけどな。二人とも、もし三郎にどこかで会ったら『山田先生のとこに行け』って伝えてくれるか? 言っても聞きやしないと思うけどな」
「はい、分かりました」
 それで大体察したのか、孫兵は苦笑しながら頷いた。そして日の位置を確認して、ああ、となにかに気づいた顔になる。
「では、僕はこれから委員会なので失礼しますね。先輩、久々知先輩」
「あ、頑張ってね孫兵君。またねー」
「おう、頑張れよ。……孫兵、さっきの八にも伝えてくれるか」
「はい、久々知先輩。では」
 くるりと首に巻いたジュンコごと俺とに向かって一礼して、孫兵は俺達に背を向けて去っていく。その後ろ姿をなんとはなしにと二人見送って、そしてまたなんとはなしに顔を見合わせる。
、お前は今日委員会ないのか?」
「うん、ないよ。だから生物委員のお手伝いしようと思ったんだけど、今は人が足りてるんだって」
 のんびりと答えてから、は俺にじっと視線を向ける。
 どうした、と聞く前に、は一歩間合いを詰めて俺の顔を下から覗き込む。
「……ねぇ?」
 さっきみたいに首を傾げて、不思議そうに言った。


「三郎、久々知の顔でなにしてるの?」











「……なんで分かるんだよ、お前」
 ちっと舌打ちして、兵助の変装を解いていつもの雷蔵の顔に戻す。また見破られた。
「下級生からかって遊んでるの? 程々にしないと本当に先生に怒られるよ」
「本当に怒られそうだから化けて逃げたんだよ」
 苛立ち紛れに少し乱暴に雷蔵の付け髪を結い上げていると、がおかしそうに笑う。
「三郎、山田先生のとこ行かないの?」
「だから、怒られると分かってて行くわけないだろ。……てかお前、なんで俺だって分かったんだ」
 今に始まったことじゃないが、はこの手のことに妙に鋭い。今回はよく知った相手に化けたこともあって、短時間ならばまずバレないだろうと思ったのだが。
「ん? ……みんな分かるでしょ?」
「だったら変装なんかしねーよ。俺と雷蔵並んでてもすぐ分かるだろ、お前」
 髪を結い終わって手を離すと、ばさりと雷蔵の……他人のそれを模した付け髪が背に落ちる。一番慣れている感触だ。
 はちょっと困ったような顔で、「うーん」と眉をひそめる。
「後ろ姿なら分からないよ。二人とも似てるしね」
「じゃあ、なんで見分けてるんだ」
「……なんとなく、雰囲気とか? あと笑い方とか。ああ三郎だなーって思うから」
 勘みたいなものじゃないかな、と言うを、横目で軽く睨む。白昼堂々ごろごろ外で昼寝する女に『勘』とか言われると腹が立つ。
「それじゃ分からないだろ。もっと具体的に」
 言えよ、と続けようとした言葉は出なかった。さっきの伊助と同じく、ぱたぱたと幼い足音が後ろから駆けてくる。
「あ、団蔵君」
 にこにことが手を振るので、覚悟を決めて振り向いた。自分の中を入れ替えて。
「やあ、団蔵」
「っ……! こ、こんにちは、先輩方」
 おそらくが傍にいることで俺だと決めつけて走ってきたのだろう。団蔵は俺との数歩前で慌てて足を止め、俺に警戒心丸出しで視線を向ける。俺なのか雷蔵なのか見極めようとしているのだろう。
「あ、あの、先輩……」
 しっかり俺を見据えながら、団蔵はに声をかける。とりあえず、俺は不思議そうに首を傾げる。雷蔵らしく。
「なに、団蔵君?」
「……あの、不破先輩ですか? 鉢屋先輩ですか?」
 が口を開く前に、俺は柔らかく苦笑してみせる。
「僕は不破だよ、団蔵。三郎探してるのかい?」
「うー……」
 団蔵は困ったような顔で唸ると、助けを求めるように今度はに視線を向ける。まぁ、いい判断だ。俺に聞いてもしょうがない。
「団蔵君は、どっちだと思う?」
「え?」
 珍しく、はすぐに答えない。大抵こういう状況になったときは、やりすぎだと思えば容赦なく俺を突き出すのだが。
「い、いえ、分からないからお聞きしてるんですけど……」
「……三郎、またなにかしたの? ちゃん知ってる?」
 とりあえず雷蔵を演じ続ける俺に、団蔵はむむむむーと顔をしかめて、このままでは埒が明かないと思ったのだろう、強く地面を蹴って突進してきた。
 さては俺だと決めつけて直接手段に出たかと避けようとすると、しかし団蔵は俺ではなく、すぐ隣のに勢いよく抱きついた。きょとんとしつつ団蔵を受け止めるに、団蔵はの腰に腕を回してしがみつき、その胸元に顔を埋めようと──

「って、なにやってんだコラ!」

 思わず反射的に手を出して団蔵をから引き剥がすと、団蔵はニヤ、と一年生にしては男らしい顔で不敵に微笑んだ。くそ、と思った瞬間には、大声が響いている。

「鉢屋先輩いたぞーーー!! は組全員集合ーーーーーー!!!」













「ということがあったんだが、なんであいつ変装した俺のことを見抜けると思う?」
「三郎……お前、それを言う前に謝ることがあるだろうが」
 伊助から預かった土井先生の指示書を手渡すと、兵助はやれやれとした顔で受け取り、俺を軽く睨む。
「謝る? なにを」
「うちの後輩を騙したことだ。ったく、勝手に人の顔借りるなよ」
「別に不名誉なことはしてないだろ。雷蔵見習えよ、懐の狭いやつだな」
「雷蔵は逆に大雑把すぎるんだよ……」
 兵助はざっと指示書に目を通してから、それを元通りにたたんで文机の上に置く。
 あの後すぐさま集まってきたは組の追走をなんとかやり過ごして、忍たま長屋の兵助の部屋に逃げ込んだ。兵助と俺は組が違うから、あいつらもここまではなかなか来ないだろう。
「……で、なんだって? がなんでお前を見抜けるのかって?」
「ああ。あいつ昔からそうなんだ。すぐ見破られると腹が立つ」
「…………」
 兵助はあからさまに『どうしてそんな話に付き合わなくちゃならないんだ』とうんざりした顔になってから、仕方なさそうに俺に向き直った。
「別にいいんじゃないか? それよりも、誰に化けてもまったく見抜けないほうが寂しいだろ、恋仲としては」
「それでも限度があるだろ……一番慣れてる雷蔵に化けてもほとんど見破られるんだぞ。俺にも矜持ってもんがだな」
、のんびりしてるように見えて妙に鋭いからな。なんか感覚で見分けてるんだろう」
「あいつも『勘みたいなもん』って言ってたが」
「ならそれでいいじゃないか」
「いーや、認めねぇ」
 兵助の言葉に、俺は強く否定する。半眼になりながら、
「あいつに『勘』なんて大層なものがあるなら、恋仲になるまでに俺があんなに苦労するはずないだろうが! あの鈍感女! 無駄に遠回りさせやがって!」
「三郎……それ惚気か苦労話かどっちだよ……」
「く、ろ、う、ば、な、し、だ」
 惚気のわけあるか。いろいろ思い出して腹が立ってきた俺に、兵助は複雑そうな視線を向ける。
「まぁ、お前が変装に人生懸けてるところがあるのは知ってるからな、分からないでもないけどさ」
 兵助はゆっくりと立ち上がると、一つ嘆息して俺を見下ろす。
「でもさ、俺が知るわけないだろう? に直接聞いてこいよ」
 あともううちの後輩からかうなよ、と付け足して、兵助は俺を部屋から追い出した。



 だーかーら。
 本人に直接聞いてもまともな答えが返ってこなかったから、他のやつに聞いてるんだろうが。
 日も沈みかけていて程々の時間になったので、もういいかと自分の部屋に戻ろうとしていた。
 縁側を歩いていると、「よう、三郎ー」と見知った声が前から聞こえて視線を向ける。八左ヱ門だ。
 もう委員会は終わったのだろう、にやにやしながら近づいてくる八左ヱ門に、むっとした。
「お前、山田先生のとこ行ったのか? 一年からかうのも程々にしろよ」
「なんで俺だと思ったんだよ」
「……は? なにが」
「なんで雷蔵じゃなくて俺だと思ったんだって聞いてんだ」
 俺はまだ雷蔵に化けたままだった。外見だけならばまず見抜かれない自信がある。普段ならばそこまで気にならないのだが、さっきの今でさすがに放置出来なかった。
 八左ヱ門は言われた意味がよく分からない、という顔をしてから、「いや……」と少し困ったように頭を掻く。
「さっき図書室に行く雷蔵に会ったから、ここにいるのは三郎だろうなと思って」
「……ああ、そうか」
 拍子抜けする俺に、八左ヱ門はおかしそうに笑う。
「どうした。誰かに変装見破られてイライラしてんのか」
 さすがと言うか、長い付き合いだけあって八左ヱ門は鋭い。顔を覗き込もうとするので、頭ごと引き剥がして口早に言った。
だよ」
「あー……あいつたまに聡いよな。でも別にいいじゃん、恋仲なんだから見抜かれないほうが寂しいぞ?」
「兵助と同じこと言いやがって……」
 はあ、と自然にため息が漏れた。どうせこいつも大したことを言わないだろうと諦めて歩き出そうとしたとき、八左ヱ門が「なぁ、三郎」と声をかける。
「なんだ?」
「反射的な行動ってさ、結構自分では気づかないこと多いらしいぞ?」
「……なに言ってんだ、お前」
「本人は気づいてない癖って誰にでもあるだろ? お前も、いつの間にかそういうの出てんじゃねーの」
 なにを言うかと思えばそんなことか。化けるにしろ、見破るにしろ、それは基本中の基本だ。
「あのな。俺がそこらへん頭に入れてないと思うか?」
「入れてねーとは思わねーよ。でも俺らと同じでだってお前と付き合い長いじゃん。そりゃ本人が気づいてない癖の一つや二つ知っててもおかしくないだろ」
「……その『俺の癖』、お前も知ってるって言いたいのか」
 さすがの俺も、普段しょっちゅう一緒にいる相手を完璧に騙せるとは思わない。実際、雷蔵も兵助も八左ヱ門も、遠目でなければ大抵気づく。
「それ、言っちまったら終わりだろ?」
 にっ、と笑うと、八左ヱ門はそのまま別れの挨拶もなしにさっさと去って行った。その後ろ姿を睨み付ける。ただからかわれただけかもしれないが、そう言われてしまえば気になって当然だ。





 に見抜かれること自体が嫌だというわけじゃない。誰に化けようが簡単に騙されたら、そっちのほうが心配だ。
 ただその理由が分からないのが、落ち着かない。勘だとか、なんとなくだとか、そういうはっきりしない曖昧な言葉はあまり好きではない。
 だから八左ヱ門に言われたこともあって、もう少し詳しく聞いてやろうとを探していたのだが。
「なんでこいつ、またこんなとこで寝てんだよ……」
 日も落ちているのに、どうして部屋の中でおとなしくしていないのか。は女子寮の近くの木陰の下で、草に埋もれるように丸くなっている。いつものことすぎてため息すら出てこない。
 とりあえず起こそうと隣に座ってその肩に触れると、ゆっくりとの瞼が開く。ゆるゆると曖昧な瞳が、視界を探って俺を映した。

「……潮江先輩?」

 もぞりと身じろぎしながら、がぼうっと俺を見上げる。
 さすがに寝起きでは分からないのか。雷蔵の顔のままだとまたややこしいことになるだろうと、潮江先輩に化けていたからだ。
「お前、五年のだろ。こんなとこでなにしてんだ、風邪引くぞバカタレが」
「…………」
 は一度、二度、惑うように瞬きをしてから、それからそっとまた瞼を閉じた。手探りで俺の手を引き寄せて、両手で握る。目を閉じたまま、柔らかく微笑んだ。
「潮江先輩じゃなくて三郎だ……」
「……だから、なんでお前分かるんだ」
 諦めて、握られていない手で変装を解く。雷蔵の顔に戻ったとき、がゆっくりと起き上がる。
「潮江先輩は、私を優しく起こしたりしないからだよ」
 まだ少し眠気を残した微笑みに、複雑な気分になる。まあ、それはそうなのかもしれないが。
 少しの間なにも言わずにいると、はふわっと小さく欠伸をしてから、軽く首を傾げて俺を見る。
「……三郎、そのことずっと考えてたの? 気になるの?」
「当たり前だろ」
 即答すると、は「そうだよね」と頷く。
「三郎、変装の腕磨くためにいつも顔隠してるんだもんね。……でも大したことじゃないよ」
 は握ったままの俺の手に、自分の指を絡める。手遊びするように握ったり離したりを繰り返しながら、
「三郎は、『これだ』っていう決定的な理由が欲しいんだよね? どこで見分けてるのかっていう」
「……まぁな」
 別にを騙そうとは思っていないし、見抜かれたって構わない。ただ俺の変装の欠点が分かれば、それにこしたことはない。
 答えを促すと、はゆっくり視線を俺の手に向ける。小さな両手で包み込むそれを引き寄せ、頬にそっと触れさせて。
「本当にね、大きな理由はなにもないの。たとえば匂いとか、気配とか、表情とか、そういう違和感が重なって三郎だなって思うだけ。……特に知ってる人に化けてるときは分かりやすいよ。どっちの匂いにも気配にも慣れてるから」
 それはきっと、雷蔵達が俺を見抜けるのと同じ理由だろう。だから納得は出来る、が。
「……これが理由じゃ嫌?」
 不満そうな気配を察したのだろう、が微苦笑を浮かべる。べつに、と嘆息して、握られたままの手を解いての肩に伸ばす。そのまま引き寄せると、も俺に身を寄せる。
 傍にあると安心する、の柔らかな匂いと気配。他の女に感じるものとは明らかに違う特別なそれ。きっとも、同じものを覚えているのだろう。『俺』として。
 ……ならばいいか、と思いもする。見て分かるものではない、もっと近いものをが覚えていてくれるなら。それで。





 抱き締めてくれるのが心地良い。一番好きな人が一番近くにいてくれることが嬉しくて、私も三郎の背に腕を回して身を寄せる。
 考えることを止めたのか、三郎の気配がすっと柔らかくなる。目を閉じると、優しく頭を撫でてくれた。

 ──本当は。三郎の変装を見抜くのには、三郎に言ったこととは別の理由が一つだけある。
 それはきっと三郎が気づいていない、……たぶん、私だけが知っていることだ。

 誰の顔をしていても、三郎は私を見つけると足を止めてくれる。そして傍まで来てくれる。化けてる人によってその理由は違うけど、かならず一言二言声をかけて、そして笑ってくれるのだ。
 
 ……普通の人は、わざわざそんなことをしたりしないから。

 でもこれを言ったら、きっと三郎は次からしてくれなくなると思う。
 だから言わない。


「三郎」
「ん? ……なんだ」


 無意識にも私を気にかけてくれている三郎に、本当のことを言えないのは申し訳ないと思うけど。


「私は三郎のことが好きだよ」


 愛されているのだと実感出来る、それは本当に幸せなことだ。
 だからあと少し、このままで。
 私と三郎の間に、もっと強い、確かな繋がりが出来るまで。









 終