| 『久々知兵助』 | |
私は、足の速さにだけは自信がある。 教科は苦手、細かい作業が不得意なせいで、実技もそこまで良い成績じゃない。 なのに足だけ速いなんて、忍びとしては有利でもなんだか情けないなぁと思っていたんだけど、今回ばかりはこの特技に感謝した。 誰よりも早く教室を飛び出して、私は一目散に忍たま長屋へと急ぐ。 続く女子達の気配がぐんと離れるのを感じる。 大丈夫! きっと一番に見つけられる! 狙いの相手はただ一人。 久々知兵助! 私の好きな人! ついでに言ってしまうと、私は料理が下手だ。 腕前をよく知る友達は、『壊滅的に』と上につけるほどに。なにしろ不器用だから、今回の菓子作りだって正直、大半友達に手伝ってもらった。でもそのかわり火加減の調整は一生懸命やったし、なにより実習とか関係なしに出来上がったら兵助にあげようと思っていたから、愛だってたくさん込めた。兵助への愛を! 私と兵助は恋仲じゃない。むしろ完璧に私の片想いで、まだ告白だってしていない。兵助のいないところではいくらでも好きだと連呼出来るのに、本人を目の前にするとどうしても言えなくなってしまうから。 大体、兵助だって好きな子がいるかもしれないし、それなら仕方ないんだけど。 でも。他の子に先を越されるのは、嫌だ。 私は兵助にもらってほしいし、……あ、あわよくば、兵助からなにかお礼が欲しい! 忍たま長屋へはすぐ着いた。いつもなら天井裏とかからこそこそ入るんだけど、今日ばかりは最短距離で行く必要がある。一片の迷いもなく、直接長屋に乗り込んだ。 「わっ! 女子!?」 「違います男子です! 変装の練習中ですっ!」 言い切って、私はぎょっとしている男子生徒の隣を走り抜ける。信じてくれたかな! 先生に言わないでくれると嬉しいんだけど! 忍たま長屋は女子禁制なんて規則、今は頭にない。あとでいくら怒られたって構わないから、兵助に会うまでは見逃して!!! 私は兵助が好きだから、いつも今兵助はなにをしてるのかと自分でも偏執的だと思うほどに兵助のことばかり考えている。今日は火薬委員会はないから、長屋の自部屋にいる可能性が一番高いはず。 この学年になったら、忍たま長屋の間取りだって大抵の女子は把握している。もちろん私が兵助の部屋を知らないはずがない。一直線に兵助の部屋にたどり着いて、声もかけずに戸を開けた。 「……いないっ!」 うそ。ここまで一生懸命走って来たのに。ほんとにいないのかと部屋を見回してみたけど、がらんと綺麗に片付いた部屋の中は、やっぱり無人にしか見えなかった。 もしかしてまだ戻ってきてないんだろうか。それとも図書室で雷蔵と自習でもしてるんだろうか。どうしよう。他の子に先を越されて、兵助が誰かにお礼をあげてたらどうしよう。 そんなの、……羨ましすぎる! うう。ほんの数瞬、途方に暮れる。どこだろう。どこから探せばいいんだろう。 ここにいつまでもいても時間の無駄だ。考えろ。考えろ。考えろ。 ええい、考えても仕方ないから探しに行こう! ぴしゃりと兵助の部屋の戸を閉めて、また私は走り出す。たぶん兵助はまだ戻ってきてないだけだ。男子の授業が定刻通りに終わったかどうかも分からないし、今戻ってきてる途中かもしれない。どこだろう。どこにいるんだろう。 来たときと同じ、全速力で走り出す。あっという間に忍たま長屋を抜けて、私は走りながら考える。 兵助はどこにどこにどこに…………あ。 ふいに、朝のことを思い出した。食堂で、私がいつものように美味しそうに豆腐を食べている兵助に見惚れていた、その時だ。 『なぁ兵助、お前今日の放課後暇か? 孫兵が風邪引いて生物委員の手が足りなくてさ、よかったら手伝ってほしいんだけど』 『あー、俺日直だから、その当番終わってからならいいぞ』 『ほんとか、ありがとうな兵助!』 竹谷と兵助の会話が、今更になって思い出された。 ──そうだ、どうして忘れていたのだろう。 今日は兵助は日直なのだ! きっとこの時間はまだ教室で日誌を書いてる! 即座に方向転換して、五年の教室へと足を向ける。そして、もうこれが終わったらしばらく走れなくてもいいから、というくらい気合を込めて一目散に走り出した。 すれ違う女子達。鬼気迫った顔。私もきっとこんな顔をしてるんだろうなとふと思う。兵助にもらって欲しい、兵助からなにか欲しい、完全に不純な動機だけど、そう思われても別に構わない。だって本音だから! 大好きだから! ぞろぞろと教室長屋から出てくる男子達の間を抜けて、私は五年い組の教室へと向かう。教室に近づくたびに、たむろしていた生徒達の数が減る。兵助は教室にいるだろうか。もう誰かにもらってないだろうか。ただそれだけを不安に思いながら、私はようやくにたどり着いた五年い組の教室に飛び込んだ。 ────兵助が。 教室に、一人でいた。 やっぱり日誌を書いていたのか、机に向かって、筆を持ってる。教室の入り口で、安堵に力が抜けそうになる私に、兵助はきょとんと視線を向ける。 「あれ、、なんでここに──」 「兵助ーーー!」 見た瞬間、涙が出そうになった。嬉しさに突き動かされて、そのまま教室に駆け込んで、兵助に抱きついた。 「うわ!? ちょ、!?」 慌てた声を出す兵助。抱きついた勢いのまま、私は兵助を押し倒してしまう。 「な、なに!?」 「よかったーーー! 見つからなかったらどうしようかと思ったーー!」 「ど、どうしたの」 「もう会えないかと思ったーー!」 嬉しくてたまらなくて、私は兵助にぎゅうっとしがみつく。その時私は恥ずかしさとか全然なくて、ただ安心した気持ちでいっぱいだった。でも、兵助が焦ったように私の肩を押し戻す。 「ちょ、ちょっと待って。とりあえず俺の上から降りてくれる?」 「え……? あ、ごめ……」 ようやくこの体勢に気づいて、私は慌てて身を引こうとした。けれど兵助がほっとしたとき、考え直した。 「ま、まだ駄目!」 「ええ!? なんで!」 「私の話が終わるまでは待って! お願い!」 だって、もし逃げられたらすごく落ち込むから。もちろん最終的にどうするか決めるのは兵助だけど、せめて最後まで聞いて欲しい。 「駄目って言われても……む、無理! 話は聞くからどいて、!」 兵助が真っ赤な顔で、さっきより強く私の肩を押す。さすがに私はバランスを崩して、兵助の上から転がり落ちた。 「……ごめんなさい」 慌てた様子で起き上がる兵助に、謝る。確かに、あんまり嬉しいからって強引すぎた。 「や、俺もごめん……びっくりしたから」 謝る私に、兵助も謝る。そんな兵助が悪いんじゃなくて私が……と言いかけて、今はそんな場合じゃないんだと思い直した。 「兵助。私の話、聞いてくれる?」 「ん、うん、もちろん。どうしたの。俺を探してたの?」 「そう。あのね……これ、誰かにもらった?」 ずっと持っていたお菓子を取り出して兵助に見せると、兵助はきょとんとした顔で首を横に振った。 「いや、今初めて見たけど……なにそれ?」 「お菓子なの。くの一教室の調理実習で作ったんだけど……」 「……が、作ったの?」 「う、うん。あんまり上手じゃなくてごめんね。あ、でも毒は入ってないし、ちょっと焦げたけどたぶんそんなに不味くないと思うから……もらってくれない?」 今更ながらに恥ずかしくなってきた。心臓がばくばく音を立てている。おそるおそる、兵助にお菓子を差し出す。兵助はぽかんとしてから、かあっと顔を赤くした。 「……俺に?」 「うん、兵助のために作ったの。だから、兵助にもらってもらえたら、嬉しい……んだけど」 だんだん勢いがなくなる自分の声。そっと兵助を窺うと、兵助は顔を赤くしたまま、「うん」と頷いた。 「……いいの?」 「あ、当たり前だよ。どうして断らなきゃいけな──」 「ありがとう、兵助!!」 思わずまた兵助に抱きついてしまって、兵助の身体がかちんと固まる。はっと気づいて、慌てて身を引いた。また本能のままに行動しすぎた。 「ごめんなさい……」 「いや……、その癖早く直したほうがいいよ」 「癖……?」 ちょっとむっつりした様子で、兵助が言う。もしかして怒っちゃったかな、と私は不安に思う。 「だから……誰にでもその……」 もにょもにょと兵助が言うけど、聞こえない。耳を近づけるつもりで顔を寄せたら、わっと驚いたように肩を押されて尻餅をつく。 「あ、ごめ……って! だからその癖を!」 「癖って……なんのこと?」 「い、いやもういいから、だからあんまり近づかないで!」 「あ、ごめんなさい……」 しょぼん、と兵助から距離を取ろうとする。嫌われたら嫌だから。すると、兵助は焦った様子で私の腕を掴んだ。 「待って、俺にくれるんだよね?」 言われて、まだ私がお菓子を持っていたんだと気がついた。ほっとする。兵助、本当にもらってくれるんだ。 「うん、もちろ…………あ!」 その時、大事なことに気がついた。まだ私、全部兵助に説明してない。 「ちょ、ちょっと待ってね兵助。まだお話終わってないの、聞いてくれる?」 「え? うん……」 「あのね、これくの一教室の実習なの。お菓子もらってくれる男子生徒を探して、それで……お、お礼をもらわなきゃいけなくて」 「実習……? あ、そうなんだ……」 ちょっと拍子抜けしたように、兵助が言う。いや、大事なところはそこじゃない。押し付けてから、だからお礼をくれなんて言うのは、騙したことになると思ったから。 「お礼をもらってくるのが、実習なの。だから……も、もしよかったら」 「お礼……って、どんなのがいいのかな」 考える顔になる兵助に、私はうわ、と嬉しくなる。 「いいの?」 「や、実習だからって言っても、もらったら礼するのは当たり前だと思うし。はなにがいい?」 兵助がいい! なんて言えるわけがない。兵助に負担をかけるのは嫌だから、程々のものでいい。 「なんでもいいの。このお菓子に釣り合うものをって言われてるから。……あ、でも、無理にとは言わないから。駄目だったら他の人に……」 「!」 がしっと、兵助がいきなり私の肩を掴む。びっくりして目を見開くと、兵助はどこからか何枚かの紙を取り出して、私の手に押し付けた。 「……あ」 それがなんなのかを確認して、私は唖然とする。慌てて、兵助の顔を見上げた。 「い、いいの!? こんなに」 「俺の今持ってる全財産! 頼むから受け取って、これじゃ足りないかもしれないけど!」 兵助に渡された、それは見慣れた十枚の紙。 ……手の中のそれと、近い兵助の顔に、私の顔に血が集まっていく。 だって、これ、兵助のすごく大切なものなのに。 「それで、足りる? 他のやつより多い?」 私の顔を覗き込むように、兵助が聞いてくる。他のやつなんて誰もいないのに。私、兵助にもらえたらそれでいいのに。 きゅうっと、心臓を掴まれたみたいに嬉しさが募った。 「……ありがとう、兵助!!! 私、美味しく食べさせてもらうからーーー!」 感極まってまた兵助に抱きつこうとしたら、今度は兵助も身構えが出来ていたらしく、がし、と私の両肩を掴んで押し戻す。 あ、しまった。 「ご、ごめん! でも本当にありがとう兵助! あ、これ……い、今更だけど」 「うん、ありがとう、」 お菓子を差し出すと、兵助は少し照れくさそうにしながらすぐに受け取ってくれた。それがすごくすごく嬉しくてもう一度抱きつきそうになって、でもこれ以上呆れられたら嫌だし、寸前で押しとどまる。 私は手早く兵助にもらったものを仕舞って、立ち上がる。 「じゃあ、私先生に報告してくるね! 兵助本当にありがとう!」 「ううん。俺も……ありがとう、」 はにかむような兵助の微笑み。私のお菓子なんてそんなに美味しいわけないのに。それでも喜んでくれる兵助がもうすごくすごく好きだと今一度思う。 嬉しくて嬉しくて、このままの勢いで大好きだって言ってしまいたい。大好き、兵助が大好き。でもまさか、いつも言えないのに言えるわけがない。 「じゃあね兵助、またね! 大好き!」 その時私は気づかなかった。言えるわけないって思ってたのに、いつの間にか口から滑り落ちていたことに。 唖然とする兵助を置いて、私は嬉しさのあまりに全速力でくの一教室に走り出した。 「だ、だいすきって」 ぺたん、とその場に腰を下ろす。 が残して言った爆弾に、頭も顔も身体も、どこもが熱くなっていく。 分かってる! のあの言葉は、単に実習の手伝いをしたことに対してだとはちゃんと分かってる。 だっては普段から誰にでも「大好き大好き」連呼してるし! この間だって宿題手伝ってもらったとかで雷蔵に抱きついてたし! 女子同士ならよくくっついてるし、あれがの癖だと分かってるけど、分かってるけど! ──俺、のことが好きなんだけど。 はあ、とため息を吐く。に他意が全然なくても、俺にはそれがすごくある。 実習でも、が俺にくれようとしたのはすごく嬉しい。 大好きだって言われたのは、もっともっと嬉しい。 ああ、もうちくしょう。 全然静まらない動悸に情けないなと思いつつ、からもらったお菓子をそっと机の上に置いた。 ※※※ 「なぁ兵助……お前の、なんか色が違わないか? 黒いよな?」 雷蔵と三郎の部屋に集まってからもらったお菓子を食べていたら、隣からちょっと怪訝そうな顔で八左ヱ門が覗き込んできた。 言われて、目をやる。確かに、普通のビスコイトよりは色が濃い。 「ああ……そういえばがちょっと焦がしたって言ってた」 「ちょっとか。それがちょっとなのか、」 顔をひきつらせて、八左ヱ門がいもしないに向かって聞いている。そんなのどうでもいいのに。 「明らかに炭になってるとこもないか、それ」 「うるさいなぁ、三郎。いいんだよ別に」 覗きこんでくる三郎から庇うと、三郎は特に興味もなさそうにすぐに身を引く。 「兵助は、さんからもらったんだ。なにをお礼にあげたの?」 話題を変えようとしてくれたのか、雷蔵が言う。俺は顔を上げて、「ん」と口を開いた。 「その時持ってた全財産」 「ぜ、全財産!? なんだそれ、もしかして金か!?」 「おい兵助、金は即物的すぎるだろ、浪漫がねーよ」 八左ヱ門と三郎が言う言葉に、ちょっとムッとした。いくら俺でもそんなことしない。 「お金じゃない、食券。豆腐定食の食券、十枚」 言った途端に、なぜかかちんと部屋の空気が固まった。 不思議に思う俺に、三人の冷たい視線が突き刺さる。次々と吐かれるのは、 「お前、いい加減豆腐でキャラ立てるのやめろよ」 「それは明らかに礼じゃねーよ、罰ゲームか嫌がらせだよ」 「さん、十食連続豆腐定食なんだ……」 物凄く、否定的な言葉だった。 「し、仕方ないだろ、その時持ってた一番高いのがそれだったんだよ! それに、美味しく食べてくれるって言ってたぞ!」 「おいおい、いい奴だな。菩薩かよ」 「実は影で暴言吐かれてるかもな。『空気読めよ大豆野郎、そんなに豆腐が好きなら一生豆乳に浸かってろ』とか」 「三郎、の声色使うのやめろよ! はそんなこと言わないからな!」 「じゃあ『変態豆腐、いっそ豆乳と祝言挙げればいい』とか」 「俺はそこまで大豆と仲良しじゃない!」 三郎の言葉に叫んだ後で、でももしそんなこと思われてたらどうしようかと焦りが浮かんだ。 だって、あの時は本当にそれだけしか金目のものがなかったのだ。 早くしないと、もっといいお礼を提示したやつに先越されそうだったし! 「…………」 「どうした、兵助」 「……ぜ、全財産」 「へ?」 「全財産、渡してくる」 「ま、待て兵助! 冗談だ! タチの悪い冗談だって! なあ三郎!?」 「うん。『毎日豆腐ばかり食わせて、私になんの恨みがあるのよ』なんて言われてないぜ、きっと」 「…………」 「『ほんと勘弁してほしい、兵助なんて大嫌い』とかも言われてないぜ、きっと」 ──よし。最終手段だ。 「…………お前ら、金貸してくれるか」 「三郎、からかいすぎだよ! 兵助変なところで真面目なんだから!」 「こら兵助、待てって! がそんなこと言うわけないだろう、お前自分で言ってたじゃん!」 「万一にそうだったらどうすればいいんだよ!」 「そんなことないから、兵助! ほら三郎も謝って! お前ちょっとからかいすぎだぞ!」 「『ごめん兵助、私が悪かったから……お菓子返してくれる? 豆腐はもう飽きたから』」 「さぶろぉぉぉぉぉ!」 結局のところ。 次の日、朝食・昼食・夕食と、嬉しそうに豆腐定食を食べ続けるを見て、兵助は胸を撫で下ろした。後ろで興味津々に覗いていた三人も、つまらなそうなほっとしたような顔になる。 「あー、すげえな、菩薩のほうだったか」 「よかったね兵助、さんちゃんと食べてくれてるよ」 「だから言っただろ三郎、は美味しく食べてくれるって!」 「ふうん。……兵助、お前もしかして、豆乳よりもと祝言挙げたほうがいいんじゃないか?」 「あ、当たり前だろ! 俺だってと祝言挙げたいよ!」 「…………」 「…………」 「…………」 「………………あ」 終 |