| 『善法寺伊作』 | |
私は六年間ずっと保健委員で、保健委員特有の不運というものを、これ以上ないというくらい経験してきた。 外に出れば作法委員の罠に引っかかる、ボートに乗れば池に落ちる、保健委員管轄の薬草園にだけ毒虫が逃げ込む、落とし紙の補充中にいつも一つだけ足りなくなって備品倉庫に引き返す、等々、いくら他の委員に「不運委員」と言われても言い返せないほどに、しょっちゅう不運に見舞われてきた。 けれど私は保健委員の仕事にやりがいを感じていたし、委員のみんなが大好きだった。 私と同じく一年生から保健委員の伊作君とも、「卒業するまでずっと一緒に不運だね」と苦笑交じりによく言っているくらいに。 そのくらい私は不運に慣れていたし、大抵のことには免疫が出来ていた。 ……と思っていたんだけど、さすがに今回のことは予測出来なかった。 山本先生から実習についての説明があった後、くの一教室の長屋を出て共用廊下を歩きながら、私は誰にならお菓子を渡せるだろうかと悩んでいた。 頼むことは決して苦手じゃないけど、後輩に頼むのは先輩権限を振りかざしてるみたいでちょっと抵抗がある。じゃあ六年生はと考えて、一番に浮かんだのが同じ委員の伊作君だったけど、伊作君は絶対に競争率が高いに決まってる。伊作君はほんとに人に優しいし、失礼な言葉かもしれないけど押しに弱いから、きっとたくさんの生徒が伊作君目当てで行動を起こしているはず。 でも一度くらい聞いてみてもいいかもしれない。駄目元なんだし。 よし、と私は拳を作って握り締める。 考えていても仕方ない。とにかく行動に移さないと。もともと私は早い者勝ちの試験がとても不得手なんだから、せめて人の何倍も頑張らなければ。 「あ、先輩!」 とりあえず医務室に行こう、と走り出した途端に声をかけられて、足を止めて振り向いた。あ、と私も顔を緩める。視線の先には、少し前に怪我をして医務室に運ばれて、私が手当てをした四年生の後輩がいた。足早に駆け寄ってくる後輩に、微笑む。 「怪我の具合、どう?」 「大丈夫です、もう傷も塞がりかけてますから。先輩、あの時はありがとうございました」 「どういたしまして。でもまだ完治するまでは無茶しちゃだめだよ」 「はいっ」 にこにこ、微笑み合ってから、私はふと気づく。四年生の後輩。顔見知りの後輩。じっと見つめてしまって、後輩が不思議そうな顔をする。この子に頼んでみようかな。一度聞くくらいならいいだろう。でも今切り出したら、なんだか手当てのお礼に実習の手伝いをさせるみたいでちょっと躊躇いが── 「ーーーーーーーーーーーーー!」 その時突然に名を叫ばれて、反射的に呼ばれた方向を振り返った。その先にいる人物を見て、びっくりする。なんだかすごく必死な様子でこっちに駆けてくるのは、 「……伊作君!?」 「ごめん、来て!」 腕を掴まれて、強引に引かれる。きょとんとしている後輩に声をかけることも出来ず、私は伊作君に引かれるままに走り出した。 「どうしたの伊作君、なにかあったの?」 「うん、僕だけじゃ手に負えないんだ! 今日はの担当じゃないけど、申し訳ないけど手伝って!」 医務室で番をするのは、確か今日は伊作君と数馬君の担当だった。その伊作君がこの時間にこんなに必死になっているのは、間違いなく保健委員絡みだろう。 私は嫌な予感に身震いする。いくら慣れていると言っても、別に不運を望んでいるわけじゃない。 「なにがあったの?」 走りながら聞くと、伊作君はすごく苦い顔をする。 「前に、伏木蔵が薬箪笥をひっくり返したことがあったよね? ……あれとね、同じことが」 「同じこと!?」 「うん……さっき、数馬と薬箪笥の整理をしててね。全部の引き出しを出して、引き出しに書かれてる薬名と中身が合ってるか確認してたんだけど……」 「けど……?」 大体その次の言葉が分かったけど、私はあえて尋ねた。聞きたくないけど、聞かなくちゃ。 「……まず数馬が転んで、引き出しの上に倒れて。次に数馬を受け止めようとした僕が足を滑らせて、その上に倒れて」 ああどうしよう、ものすごく想像出来る。 「……あとはたぶん……が想像した通りだから」 つまり、不運に不運が重なって、引き出しの中身という中身が全部ぶちまけられたっていうことなんだろう。……私の想像通りなら。 さあっと血の気が引いて行く。驚いたとかそういうことの前に、全部の薬がぶちまけられたということは。 「もしかして、薬が混ざってる?」 「……そうなんだ。どの薬がどれなのか、たぶん分かるのは僕とだけだから。新野先生は今日出張で帰ってらっしゃらないし……だからごめん、手伝ってくれる?」 伊作君は申し訳なさそうな顔をする。どうして、そんな当たり前のことを聞くんだろう。 「うん、もちろん。じゃあ、医務室しばらく立ち入り禁止にしないといけないね。それと下級生にも手伝ってもらわないと」 「数馬に全員集めてくれるように頼んでるよ。……ごめん、僕の不注意で」 「起こっちゃったことは仕方ないよ。頑張って元に戻そう?」 保健委員は不運に慣れている。だから、誰の不運が呼び寄せた事態でも当人を責めることはほとんどしない。それが不注意でも不可抗力でも、悪気がないことだけは確かだから。 その時私は実習のことを一度だけ思い出して、それからすぐに忘れた。私はもともと実技の成績がよくなくて、今までの六年間もそのほぼすべてを科目の点数で補ってきた。だから、別にこの試験を落としても構わない。補習になるのはいつものことだから。 「ごめん、僕は先生方に説明してくるから!」 「うん、じゃあ先に医務室に行ってるね」 職員室の前で伊作君と別れて、私は医務室へと急ぐ。とにかく早く薬を処理しないと、もし急病とか怪我人が出たときに対処が出来ない。それに薬の中にはそのまま飲むと毒になるものもあるから、一つも外に出せない。保健委員として、この二つだけは避けないと。 無人の医務室に飛び込んで、想像以上の惨状にさすがにぞっとした。 丸薬も煎じ薬もなにもかもが、すごい状態でぶちまけられている。これは、全部片付けるのに時間がかかるだろう。 「…………よし」 もう邪魔なだけの菓子袋を端の文机の上に置いてから、私はなにから手をつければいいかと部屋の中を見回した。 僕が職員室から戻ってくると、すでに委員は全員揃っていた。 「ごめん、僕のせいなんだ」 開口一番、全員に頭を下げる。案の定、数馬がすぐに否定してきた。 「違います! 僕が先に倒れたのが原因で、委員長のせいじゃ……」 「……うわあー……」 「伏木蔵のときよりもすごいかもしれませんねぇこれ……」 「誰のせいとかじゃないですよ先輩方。ほら、お前達も早く手伝え」 乱太郎と伏木蔵がもはや天晴れだと言わんばかりに感心しているのを、左近が慌てて急かす。しょぼんとしている数馬をが無言で一度頭を撫でてから、薬を集めるために座り込んでいた床から立ち上がる。 「おかえり、伊作君」 「うん。……みんな、当番じゃないのにごめん。見ての通りだから、悪いけど手を貸して欲しいんだ」 一人一人に視線を向けると、みんなもちろんですと頷いてくれて、それに少しだけほっとする。僕と数馬が原因と聞いて理由も大体分かったのか、追求することもしない。みんな良い子達だなと、改めて思う。 は僕に視線を向けて一つ頷くと、全員を見回す。 「とりあえず薬を集めるのが先だね。みんな、厠に行きたかったら先に行って。しばらく医務室立ち入り禁止にするから」 「丸薬から集めて、僕とのところに持ってきて。外に絶対出ないように気をつけて! もし誰かが間違って飲んだら大変だから」 下級生が厠から帰って来るのを待って、医務室を閉め切る。髪の毛が落ちないよう念入りに頭巾を被り直してから、後始末を始めた。 「素手で触るとかぶれるのもあるから、必ず布越しに触るようにしてね。もし他の薬とくっついてたら破棄するから、一箇所にまとめておいて」 「薬はまた作れるから、外に出ないようにするのを最優先にして! 分からなかったら僕かにまず聞いて!」 はい! と一斉の下級生達の声。僕との采配が終わってから、慌しく全員で動き出す。 「先輩、油紙に包まれているのはもう薬箪笥に戻していいですか?」 「うん、お願い左近君。あ、乱太郎君! 引き出し集めて掃除して! 中身が無事なものは戻して、そうじゃないものは持ってきて!」 「はい、分かりました!」 「善法寺先輩、とりあえずこれだけ集まりました」 「うん、ありがとう。無理に全部集めなくていいから、拾えないものはそのままにしておいて。あとで掃除するから」 下級生が集めてくれる薬を、手早く分ける。すぐ隣でがすごく集中して、一つ一つの薬を選り分けている。ほとんどの薬はもう使えないだろうけど、薬を新しく作るまでに最低限は残しておかなくちゃいけない。傍目にはたぶんどれも同じにしか見えない薬を、匂いや色で手早く判断していくに、僕は今までにないほど感謝した。がいてくれなかったら、たぶんどうしようもなかったから。 「善法寺先輩! あの、先輩に用事があるっていう人が来てるんですけど」 片付けを始めてほとんど経たないうちに、突然に数馬の声が響いた。 苛立ちを隠し切れずに顔を歪める。こんな時に誰が! 「急ぎじゃなかったら断って!」 「……急用だって仰ってますけど」 「怪我人か病人以外は全部断って!」 思わず少し強く叫ぶと、数馬は一瞬黙ってから、はい! と頷いた。数馬は(医務室を閉め切っているから)戸越しに僕に用事があるとかいう人を断ってくれたけど、ここまでは声が届かないし、正直どうでもいい。 「…………」 その時。僕の隣で薬を選り分けていたが、一瞬手を止めてほんの小さく嘆息した。どうしたのかと視線を向けたときには、すでにはまた作業に戻っている。 「……、どうかした?」 思わず聞いてしまったのは、が気を悪くしているのだろうかと思ったからだ。いつもは温厚だしこういう場面でも絶対に他人を責めないけど、さすがにこの事態には苛立ってるかもしれないなと。 けれど、はきょとんとして、首を横に振る。 「ううん、なにもないよ。どうして?」 「……あ、なんでもないならいいんだ。邪魔してごめん」 慌てて謝ると、は一度僕を安心させるように微笑んで、それからまた作業に戻った。胸が痛くなる。自分の過失で委員に迷惑をかけているのもそうだけど、僕はが好きだから。ほんと、情けない。 後悔も合わさって必死に片付けをしている間にも、何度か僕に用があるという人が来て、そのすべて数馬が帰してくれた。ここは医務室なのに、怪我人でも病人でもないのに、みんな僕になんの用だろうとちょっと苛々しながら、僕は作業を続けた。 「丸薬終わりました! 次、煎じ薬、なんですけど……」 「煎じ薬は混ざってると使い物にならないから、無事なのだけでいいよ」 「伏木蔵! これ全部破棄だから他と混ざらないよう慎重に包んで!」 「はいー……!」 「先輩、これは風邪……で、これはお腹下しでしょうか」 「ううん、こっちは女の人用の痛み止めなの。いい機会だから覚えててね、たぶん女子生徒がよくもらいにくると思うから。……薬箪笥の左から三列目、下から二番目ね。乱太郎君が掃除してくれた引き出しの表に薬名が書いてるから、該当するのに仕舞ってきて」 「はい、わかりました!」 「数馬! 大方終わったらもういいから、掃除の準備を始めて!」 それからどれほど経ったのか。気づけば日は沈んでいて、医務室の前の廊下からも人の気配が全然しなくなった。たぶんもうかなり遅い。就寝時間だって少し過ぎているかもしれない。一年生二人は今日山での実習があったらしく、ふと気づけばお互いにもたれるように眠っていた。起こそうとする左近をそのままでいいからと止めて、ようやくに先が見えた片付けを四人で仕上げた。 「掃除終わりました、善法寺先輩。もう戸を開けてもいいですか?」 「うん、ありがとう。薬の匂いが篭ってるからね、ちょっと開けておいて」 「はい」 左近が戸を開けてくれて、ひんやりした夜気が部屋に満たされる。責任を感じて気を張っていただろう数馬も、ようやくに安堵出来た様子で最後の引き出しを薬箪笥に戻す。 「伊作君、とりあえず早く補充したほうがいい薬だけ挙げておいたから。明日から手分けして作ろうね」 薬の在庫を調べていたが、炭でざっと書いた一覧を渡してくれる。 「ありがとう……。みんな、こんな遅くまでごめん」 「いえ、怪我人も病人もいなくてよかったですね」 左近がほっとした様子でこちらに戻ってくる。部屋を見回す。あれほどの惨事の後は、今は見えない。薬も大半は処分したけど最低限は確保出来たし、掃除も終わったし、これなら明日からなんとか医務室を使えるだろう。 「みんな、本当にありがとう。明日からも少し忙しいと思うけど、ごめんね」 「いいえ、不運委員ですから慣れてます、大丈夫ですよ」 にこっと左近が微笑んで、そうだねと僕も笑う。ずっと責任を感じていただろう数馬もそれで少し救われたのか、ようやくに笑顔を見せた。も笑いながら立ち上がり、二人の頭を軽く撫でる。 「じゃあ、後は私と伊作君で明日の用意をするから、もう二人は帰っていいよ?」 「でも先輩、あいつらは……」 数馬が、まだ寝ている一年生二人に視線を向ける。 「乱太郎と伏木蔵は僕が部屋に送って行くよ。気にしないで二人は帰っていいから」 僕が言うと、数馬と左近は顔を見合わせてから頷いた。 「じゃあ先輩方、すみませんがお先に失礼しますね」 「失礼します!」 「うん、二人ともご苦労様。明日も一応放課後になったら来てくれるかな」 「はいっ」 「分かりました」 二人は僕とに一礼してから、並んで戸に向かう。 「もう真夜中近いですね、三反田先輩。お腹減りましたね」 「そうだな、食堂もう閉まってるだろうしな。前みたいにおばちゃんに夜食頼めばよかったな」 「それできっと、掃除したばかりの床にぶちまける不運ですね」 「ああ……それ前例があるからなー」 「あ、二人とも、これあげる。よかったら食べて?」 僕が乱太郎と伏木蔵に医務室の掛け布団を持っていこうとしていると、が二人に駆け寄ってなにかを話している。もこんな遅くまで申し訳なかったなと思っていると、突然に数馬が声を上げた。 「駄目です! 先輩!」 鋭い声音に、一瞬部屋の中が静まり返る。僕が咄嗟に三人に視線を向けると、きょとんとしている左近と驚いたと、それから明るい配色の袋を持って、険しい顔でを睨んでいる数馬がいた。 その様子が尋常じゃなくて、どうしたんだろうと眉をひそめた時、数馬の声がまた響く。 「これ実習でしょう、先輩! 終わってなかったなら、どうして黙ってたんですか!」 ……実習……? 思いがけない言葉に戸惑った時、がちょっと曖昧に微笑んだ。 「知ってたんだね、数馬君」 「……さっき、善法寺先輩に用事があるって来た人が、言ってました」 「そっか。……でもいいの、もうほとんど時間ないし、これが駄目でも、補習受ければ問題ないから」 「そんな! だって先輩……!」 「いいの。だから二人で食べてくれたら──」 「。実習って、なに?」 の声を遮って、僕は問う。三人の視線が、一斉に僕に集まる。みんな驚いた顔をしてる。自分でも分かるくらい、僕の声は鋭かったから。 嫌な予感に、胸が痛む。まさかと思いながら、の前に足を進める。は僕から視線を逸らして俯いて、ちょっと躊躇した様子で口を開いた。ゆっくりと、途切れ途切れに、 「……あのね、放課後から、実習でね。お菓子、四年生以上の男子生徒に渡さなきゃいけなくて」 「中間試験の実習だって、聞きました。渡して、なにかお礼をもらってくるのが試験だって。今日中に」 の言葉に、補足するように数馬が続ける。 「…………」 ああ、と。その時僕はようやく気がついた。僕を訪ねてきた何人かのことも、がその時ちょっと妙な雰囲気だったのも、そして僕がを呼びに行ったとき、男子生徒と話していたのも。 全部、そのためだったんだ。 ……僕のせいだ。 どう謝ればいいのかすら分からなくて、ただ黙ることしか出来ない僕に、は慌てた様子で顔を上げた。 「でも、いいの。私、実技は元々よくないし、他の科目で埋め合わせるから」 「善法寺先輩! 先輩、まだ誰からももらってないですよね!?」 数馬が、僕の元に駆けて来る。ハッとする。そうだ。 「うん、もらってない。、僕がもらってもいい?」 「…………でも」 「、お願い」 躊躇するの腕を掴むと、はびくりと一度震えてから、ゆっくり、頷いた。 「……うん。あ、でも、伊作君」 「ちょっと待ってて、すぐ戻ってくるから!」 またなにか言いかけたを振り切って、医務室を出る。全速力で自分の部屋に走りながら、どうしてもっと早く気づけなかったんだろうかと悔いた。呼びに行ったとき、用事がないか聞けばよかった。変な様子だったときも、もっと強く聞けばよかった。は自分のことを後回しにする性格だって、僕はよく知っていたのに! 部屋にたどり着いて、手早く自分の行李の中から目当てのものを取り出す。どうしたと問う留三郎になにも答えられず、また部屋を飛び出して、出来る限りの速さで医務室へと戻った。月の位置から見て、あと少し時間はある。……大丈夫! 「!」 医務室に飛び込んで、戸惑った様子でいるに、持ってきたものを押し付けた。 「お礼には、足りないかもしれないけど、……もらって」 の手に押し込んだのは、薬入れだった。薬を仕入れたときに、薬屋さんにおまけだと譲ってもらった売り物。女の人が好みそうな綺麗な配色だったから、いつかにあげようと思って、ずっと渡せなかったもの。 「……いいの?」 「いい。お願い、もらって。……足りないなら、また今度なんでも渡すから、言って」 走り続けていたせいで呼吸が荒かったけど、それだけは強く言った。はぎゅっと僕が渡した薬入れを握り締めて、それから一つ頷いた。 「ありがとう伊作君! すぐ戻ってくるから!」 はそう言うと、廊下へと走り出して行った。足音を消す配慮も惜しいのだろう、慌てた足音との気配が、瞬く間に遠くなる。 「……間に合う、よね」 走り続けていた疲労がどっと増して、僕は床に腰を下ろす。僕達を見守っていた左近と数馬が、異口同音に「はい」と頷いてくれる。 「きっと大丈夫ですよ。まだ時間がありますから」 「……先輩、一言言ってくださればよかったのに」 「は……こういうの苦手だからね。……気づけなかった僕が悪いんだ」 「でも、役得ですよね、結果的に」 「……え?」 なにかを含むように微笑む左近に、一瞬なにを言われたのか分からなくてきょとんとした。それからすぐに思い当たって、顔に血が集まって行く。その隣で、数馬もちょっと楽しそうに微笑んだ。のお菓子を、僕に向けて持ち上げてみせる。 「善法寺先輩、僕達も先輩のお菓子食べてもいいですか?」 「いや……、あ、うん、そうだね、もみんなで食べてって、言ってたしね」 数馬に聞かれた瞬間、物凄い抵抗があったことに驚いて、慌てて否定する。数馬はおかしそうに微笑んで、僕に「はい」とのお菓子を手渡した。 「嘘ですよ、先輩。もらったのは善法寺先輩ですから、僕達は食べないです。な?」 「はい。……良かったですね、善法寺先輩」 数馬と左近が微笑んでいる意味に気がついて、僕はちょっとだけ驚いた。……ああ、二人にはバレてたんだ。僕がを好きなことが。 僕の様子が分かったのか、左近と数馬はもう一度微笑むと、「それじゃあ」と仲良く長屋に帰って行った。ぱたぱた去っていく後輩の足音に、僕はちょっとだけ情けないような、でも幸せな気分になる。 「そうだね。……役得だね、僕は」 結果的にとはいえ、からお菓子をもらえて、にずっと渡せなかったものを渡せて。 ……の実習を邪魔してしまったことは本当に悪いと思っているけど、その事実は嬉しかった。僕はが好きだから。 けれどはきっと、僕なんかから欲しくなかっただろうに。そのことは謝らなくちゃと思いながら、僕は今一度眠ったままの伏木蔵と乱太郎に掛け布団を持って行く。 幼い寝顔に、もしかしてこの二人も僕の気持ちを知ってるのかなとちょっと不安に思ったとき、行きと同じで慌ただしい足音が近づいてきた。思わず戸に視線を向けると、が勢い良く入ってきて、一直線に僕に駆け寄る。 「間に合ったよ! 合格出来た!」 は満面の笑みで、抱きついてくれそうな勢いで、 「本当にありがとう、伊作君!」 すごく嬉しそうにそう言ってくれたから。 役得でもいい。誰に知られていてもいい。 僕はがすごく好きだと、改めて思った。 終 |