| 『綾部喜八郎』 | |
……これは、まずい。 次々に目当ての男子のもとへと走っていく女子生徒達の中で、私は未だ行動が起こせずに悩んでいた。 悩んでいるというか、躊躇している。なにを躊躇しているかと言うと、男子相手にねだらなければならないことだ。 ねだる。ねだる。ねだる。 ねだる? で、き、る、かぁーーーー! もともと私は怒りっぽいし、幼稚でアホな男子とはすぐ喧嘩になる。もちろん口でなら負けたりしないけど、最近は男子のほうが力が強くなってきたから、あまり怒らせるのも得策ではないと思い始めてきた。それも腹が立つ要因の一つなのだけれど、とりあえず日常的にそんなことをしている私に、『お願いしたら受け取ってくれて、なおかつなにかお礼をくれそうな男子』の知り合いなどこれっぽっちも存在しない。 まだ脅すことが認められていれば、幾らでもやりようがあるのに。実技ならそこそこ得意だし、後ろから不意をついてボコ殴って気絶させ、手足縛ってねちねちと脅迫するということなら、まったくの罪悪感なくやり遂げる自信がある。でもそれだと点数にならないし。 ……どうしたものか。 たとえば、私が見目麗しい美少女だとか物凄く色の演技が上手いというなら、また話は別だろう。けれど容姿端麗とはとても言えない、平凡な顔と平凡な体つきの私では、どうねだったところで男子生徒をその気にさせることは出来ない。 それに正直、ねだること自体が屈辱的だ。やりたくない! すごくやりたくない! そもそも、こんな消極的な気持ちで成功するわけがない。気弱な男子を標的にしたところで、絶対に失敗する! 先輩達はいいなぁ、と、私は六年生と五年生のくのたまの先輩達を思う。同輩ならともかく、後輩になら簡単にねだれそうなものだ。もちろん高学年になるにつれてくの一としての技術は上がるだろうし、そういう意味でも私達四年生はちょっと不利じゃないかなぁと思う。 ……言い訳終了。 とりあえずこれは試験なのだから、嫌でもなんとか行動をおこさないと。すぐに萎えそうな気力を無理矢理振り絞って、私はとにかく男子がいそうなところへと足を運ぶ。 同学年のアホはともかく、忍たまの先輩達ならなんとかなるかもしれない。温厚と有名な善法寺先輩とか、不破先輩とか……ほかにも、本気でお願いすれば頷いてくれそうな人は何人かいる。よくよく考えれば、私がねだるのが死ぬほど嫌なのは、同学年の男子だけだ。先輩達ならば、さほど抵抗もない。そっか、別に私達も不利じゃない。 そうだそうだ、そうしよう。ちょっと先が見えてきて、私はホッとする。 縁側から地面へと降りる。この先は忍たま長屋だ。委員会でいない先輩達もいるだろうけど、何人かはもう戻ってきているかもしれない。一応行ってみる価値はあるだろう。 まぁ、善法寺先輩と不破先輩は誰もが考えることだろうから無理だろうけど、せめてきちんと話だけでも聞いてくれそうな食満先輩とか久々知先輩とかに── と。私の思考はそこで一度途切れた。 ぷつんと空白の衝撃の後、私は薄暗くて土臭い穴の中にいた。お尻の下には葉っぱの感触。咄嗟に身を縮めたからか、身体には軽い痛み以外はない。おお、私はなんだかこの光景を知っている気がする。酷く懐かしいような酷く腹が立つような酷く苛立つような── 自分をごまかすのはやめよう。 「あーやーべーー!!!」 また落とされた! しかもこんな急いでるときに! 慌てて、掴んでいた菓子袋を確認する。汚れていないことにホッとして、それからいつも以上にあの穴掘り野郎に腹が立つ。毎日毎日、『が引っかかると楽しいから』とかなんとか私の人権を完全に無視した理由でぽこぽこ穴に落としてくれやがる、モグラ男。今急いでるのに、実習中なのに! 「……おや、」 ひょこ、と穴に落ちた私を見下ろしてくる、綾部喜八郎。これは嫌がらせかと思うほどに私を落としまくるこの男は、私が落ちるのを待っているのか、大抵穴の近くにいる。絶対に落ちることを確信されているようで、それにもいらっとする。 「あーやーべー……」 いっそ呪われてしまえと呪詛のような低い声で名を呼ぶと、綾部はこくんと一つ頷いた。 「狙い通り」 「無表情で楽しそうにしてんじゃないわよ……!」 ああなにか投げてやりたい! でもそれすら先手を打たれているのか、穴の中には小石すらない。なんという用意周到な男。 っとと、いけない。今はこの男に構ってる暇がないんだった。ある意味早いもの勝ちの勝負なのに、こんなところで手間を食っていたら時間がもったいない。 とっとと出てしまおうと起き上がると、綾部は無言で腕を差し伸べた。私を執拗に落としつつも、綾部は一応出るのを手伝ってくれる。いつものことだし、こっちも無言で手を借りて穴の外に出た。 「あんた、ほんとに飽きないよね……」 「飽きる? なんで」 「……飽きてよ」 ぶつぶつ言いながら、私は装束についた砂を叩いて落とす。その時じいっと綾部が私の手元に視線を向けているのに気づいて、私も手元に目を向けた。菓子袋。 「……なにそれ、お菓子?」 「ん? ああ、調理実習で────あ」 反射的に答えてから、そういえば目の前にいる男も、四年生の男子生徒だったと思い出した。綾部だって一応は対象内なのだ。……しかし。 この男に渡したとして、受け取るだろうか。もし受け取ってくれたとしても、礼になにかくれるなんてまともなことをしてくれるだろうか。 ……そんなの無理に決まっている。 即座に決め付けたけれど、一応聞いてみるくらいはしてもいいかもしれない、と思い直す。 「それ、の手作り?」 「ん……うん。あ、毒とか入ってないよ、今回は普通に作ったから」 「ふうん」 綾部は適当な相槌を打ちながら、またじいっと菓子袋に視線を落とす。もしかしてちょっとくらいは欲しいんだろうか。ならいけるかもしれない。 「綾部、これ誰かにもらった?」 そんなわけないだろうと思いつつ、念のために聞いてみる。綾部は軽く首を横に振る。 「知らない。今初めて見た」 「……綾部、お菓子好き?」 「嫌いじゃない」 じいっと見つめ合う私達。綾部はなにを考えているか分からないけど、私の頭の中はどう切り出したものかと作戦を考えるのでいっぱいだった。一番に考えなければいけないのは、綾部が受け取ってくれたとしても、なにをねだればいいかということだ。 「」 ずいっと突然に、綾部がこちらに近づく。気圧されてなにも言えない私から、綾部はひょいと軽い動きで菓子袋を取り上げた。 「へ?」 唖然としている私に、綾部は菓子袋を掲げながら、いつもの無表情で口を開いた。あっさりと。 「これ、ちょうだい」 「え……綾部、欲しいの」 「うん、なんとなく」 なんとなくってなんだ人の作った菓子をなんとなくってお前! と思いつつ、私の頭はまた忙しく回り始める。い、いけそうだ。いけるかもしれない。しかし、綾部相手になにをもらえばいいのか分からない。 「あ、あげてもいい」 「ほんと?」 「でも、その代わり!」 その代わり、どうする。なにを取引に出す。混乱し始めた私に、ふと先ほど落とされたばかりの穴が目に入る。瞬間、思ったことを口に出していた。 「これから二度と私を穴に落とさな──」 「それは無理。絶対無理」 ですよねー!? 言い終わらないうちの即答に、私は自分の無謀さを知る。じゃあ、どうしよう。ちらちらと綾部と穴を見比べてから、言い直す。 「……じゃあね、それあげるから、十日間穴を掘らないで……と、とか、どう?」 言いながらもすでに、あ、これも無理だ、と思った。たかが菓子、しかも私の作った菓子くらいで、綾部が十日も穴掘りを我慢してくれるはずがない。次は七日、その次は五日、最終的には一日か今日の夜までとどんどん下げようと思っていたら、綾部はほんの少し考える素振りをしてから、軽い調子で頷いた。 「うん、いいよ」 「え!?」 思わず声を上げた。 「い、いいの? ほんとに? 十日だよ?」 「……いいよ。が言ったんじゃない。じゃあ、これもらうよ」 「や、でも、私が作ったんだし、……そんなに美味しくないかもしれないよ?」 あまりに信じられなくて、私はついそう言ってしまう。その後すぐに、これで綾部が心変わりしたらどうしようと焦ったけれど、綾部はきょとんとしただけだった。 「別にいいよ。……味はどうでも」 なんだそれは! と思いつつも、私は本気で驚いていた。綾部が十日も穴を掘らないとか、そんなのありえるのか。 綾部は菓子袋を懐に入れて、唖然としている私に目を向ける。 「穴を掘らないのは、明日から十日間でいいよね?」 「う、うん」 綾部が確認してくるのに、私は反射的に頷く。「そう」と綾部は言って、微かに微笑んだ。 「じゃあ、今から十日分掘ってくる」 綾部は、約束を守ってくれた。 友達や先生から「どうしたお前」「熱があるのか」「それともとうとう掘る場所がなくなったか」と十日間問われ続けていたけど、飄々と無視し続けていた。 菓子を渡した次の日。さっそく綾部が掘り溜めした穴に落ちた私に、綾部はぽつりと「おいしかったよ」と言ってくれた。 それが少し嬉しくて、綾部に穴を掘るななんて酷な取引を持ち出して悪かったなぁ、と反省しかけたんだけど。 「……どうしては、仕掛けたところ全部に落ちるの」 「私が聞きたいわよ! あんたほんとに掘ってない!? 実は掘ってるんでしょ!?」 「掘ってないから不思議なの。……はい、手伸ばして」 それから十日間、私は一日も休まずに綾部の穴に落ち続けて、結果的に綾部を喜ばせることになった。 だから、まぁ結局は妥当な取引だったかなと。 無表情なのにどこか嬉しそうに私を引き上げてくれる綾部に、そう思った。 終 |