| 『平滝夜叉丸』 | |
私は甘いものが大好きだ。 女子で甘味が嫌いな子はあまりいないと思うけど、私は特に執着が強い自信がある。なぜなら私の実家では、太ってはいけないからと甘いものをほとんど食べさせてくれなかったからだ。学園に入ってからは少し口に入れられるようになったけど、それでも毎日というわけじゃない。たまに食堂のおばちゃんが作ってくれたおまんじゅうとかお団子を頂く以外には、わざわざ外に出なければ手に入らない。 だからこうして調理実習で作る甘味でも、私にとってはすごく貴重なんだけど。 「それを男子にやらなくちゃいけないなんて、むかっ腹が立つ……」 実習なのだから仕方ないと理解していても、本音では納得したくない。山本先生に異物混入せずに普通に作るようにと言われたとき、ああこれはきっと後でみんなでおやつにするんだなと喜んだのに、まさかおやつどころか他人に、それも男子に渡せだなんて。 それが嫌でやる気が出ず、私はただじっと菓子袋を睨み付けている。華やかな柄の袋に入った、まだ微かに香ばしい匂いのするビスコイト。自分の口に入ると思って一生懸命作ったのに。愛情を込めて丁寧に材料を混ぜたのに。一枚一枚焼き上がるのをずっと見つめていたのに。それを少しでも男子にやらなくちゃいけないなんて、残念すぎる。 ……だけど、さすがにいつまでもこうしてはいられない。 ため息を吐いて、仕方なく歩き出す。 やる気満々の女子生徒達は、すでに次々と行動を起こしている。遅れないように、私も本気を出さないと。 男子に甘味を渡さなければいけないという行為はともかく、この実習自体にはさほど抵抗がなかった。とりあえず片っ端から頼んでみればいい。ちょっと笑顔でも見せるか泣き落としでもすれば、誰かは引っ掛かるだろう。 と、適当に考えながら学園内を歩いていたら、ふと前方に派手なアホがいるのを見つけた。 ……もとい。滝夜叉丸がいるのを見つけた。 人のことをアホとかいうのは自分でもどうかと思うけど、普段同年で迷惑をかけられていることもあって、私はあいつを見ると反射的にげんなりしてしまう。とはいえ今日は自慢話で後輩をいじめているわけでもなく、戦輪を投げまくって周囲に迷惑をかけているわけでもなく、ただ木陰に座って本を読んでいるだけだった。少し遠目だから見えにくいけど、たぶんあの本は教科書だ。真面目な男だから、きっと予習か復習なのだろう。 男子生徒なら誰でもいいのだから、特に迷う必要はない。私はお菓子の袋を取り出して、滝夜叉丸の元に足を進めた。 「……ん? か」 あと数歩というところで、滝夜叉丸が顔を上げる。私もそこで足を止めてしゃがみ込み、滝夜叉丸の読んでいる本に目を向けた。 「滝夜叉丸、こんなとこでなにやってんの? 授業の予習?」 「まぁ、予習と言えば予習かもしれないな。七松先輩に六年の教科書をお借りしたので、参考に読ませて頂いてるんだ」 そう言って見せられた忍たまの友は、確かに六年用だった。七松小平太、とでかでかと名前まで書いてある。 「……あんたって学業には真面目よね」 「には、とはどういう意味だ」 むっとする滝夜叉丸に、私は肩をすくめてみせる。滝夜叉丸は空気を読めない派手な自惚れ屋であることを除けば、基本的に常識人だし頭も顔も悪くない。あれさえなければねぇとしみじみそれを残念だと思いながら、「ねぇ」と私は滝夜叉丸に本題を切り出した。 「滝夜叉丸、お菓子好き?」 「菓子……?」 「そ。甘いビスコイト」 ほら、と菓子袋を挙げてみせると、滝夜叉丸は訝しげに眉をひそめる。 「別に嫌いではないが……なんだそれは」 「甘いビスコイト」 「いや、そうではなくてだな」 「あのね、これ実習用に作ったんだけどね。これあげるから礼になにか欲しいなぁなんて……、なにその顔」 実習と口にしたその瞬間、かちんと滝夜叉丸が固まった。次いで、突然に血相を変えて口を開く。 「お前が作った菓子だと……!?」 「うん。作ったばかりだからまだちょっと温かいよ。それでさ」 「断る!」 言いかけた言葉を遮って、激しく拒絶された。滝夜叉丸は緊張とあとちょっと怯えを含んだ表情で、私と菓子袋を交互に見る。あからさまに身を引いて。 「今回は毒か? 炸裂弾か? 前と同じで強烈な下剤か?」 「絶対言うと思ったけど、実際言われてみると腹立つなあ。いや滝夜叉丸、ちょっと聞いてよ」 「聞かずとも分かる! 、お前またこの私を、一番似つかわしくない厠に閉じこめるつもりか!」 うん、分かる。結構いろいろやってきたから、そう思われるのは仕方ないんだけど。 「だからちょっとくらい聞いてってば。これ毒入ってないし、そういう実習だから──」 「悪いが他を当たってくれ。私はまだ自分の腹が可愛いからな!」 ほとんど真っ青の顔色でそう言い捨てて、滝夜叉丸は素早く消えて行ってしまった。 ……ちぇ。 「逃げられちゃった」 菓子袋を持つ行き場のない手を、ため息と共に戻す。思わず半眼になってしまう視界で、私は滝夜叉丸がさっきまでいた木陰を睨む。 話くらい最後まで聞けばいいのにと思いつつ、それでもやっぱり仕方ないかという気はする。今までやってきたことを思えば、当然の反応ではある。腹立つけど。 とにかく、もう滝夜叉丸は諦めるしかない。やれやれと立ち上がって、私は他の対象を探しに走り出した。 それからまた適当に、男子生徒を見つけては頼み見つけては頼むことを繰り返した。すでに誰かにもらっていたり、滝夜叉丸のように『作った菓子』と聞いただけで即座に逃げ出したのも何人かいたけど、五人目くらいできちんと話を聞いてくれる相手がいた。縁側でぼーっとしていたのを掴まえた、一つ年上の先輩。 「えーと、つまりその菓子を俺がもらって、礼になにか渡せばいいんだな?」 「はい。他の子や山本先生に聞いてもらっても構いませんが、毒とかはほんとに入ってませんから」 「別に疑ってないよ。女子生徒が本気で混入物を俺達に食べさせようとするなら、実習なんて警戒されそうなこと言わずに『あなたのために一生懸命作ったの』とかぐらってきそうなこと言うもんな」 おお、鋭い。さすが一つ年上というか、良い意味でも悪い意味でも女子生徒に対する経験が豊富というか。 「じゃあ、これもらってくれますか?」 「うん、俺菓子好きだし。礼ってなんでもいいのか?」 あっさり頷いてくれたので、私はほっと息を吐いた。次々断られたり逃げられたりしていたから、さすがに少し焦ってたし。 「はい。対価になると先輩が思うもので結構です」 実習とはいえお礼の強奪は出来ないから、少しでもいいものをもらいたいなら下手に出ておくべきだろう。先輩は「うーん、じゃあ」と頷いて、食券を三枚くれた。これなら使えばなくなるし、後腐れがなくていい。 「ありがとうございました、先輩」 「いや、女子がみんな配ってるのに俺だけ声かけられなかったら寂しいしな。ありがとなー」 じゃあな、それでは、と私と先輩は会釈し合う。踵を返して去っていく先輩の背にぺこりと一つ頭を下げて、私も実習報告をするためにくの一教室へと歩き出した。 実習が終わって安心したけど、お菓子はやっぱりなくなっちゃった。それを未練がましく残念に思いながら、私は山本先生に実習報告を済ませる。礼の品を聞かれて食券三枚ですと答えると、なぜか「どの定食の食券かしら?」とさらに聞かれた。そういえばと食券を確かめてみると、普通に日替わり定食の食券だった。 「日替わり定食の食券三枚、ね。実習お疲れ様、さん。男子生徒に確認を取ってから合否結果を掲示板に貼りますから、見るのを忘れないようにね」 「はい、分かりました」 教室を退室して、廊下へと出る。日はもう沈んでいて辺りは薄暗かったけれど、実習が思ったより早く終わったので、さほど遅い時間じゃなかった。まだ委員会活動をしているところもあるだろう。 とりあえず、せっかく食券をもらったんだし夕食を食べに行こうかなと、私は開放感に包まれて足取り軽く、食堂へと歩き出した。 まだ実習が終わっていない女子生徒が大分いるみたいで、食堂へと向かう途中、慌ただしく走り回っている同級生や先輩達何人かとすれ違った。私は運が良かったけど、さっきの男子生徒達の反応を思い出すと、正攻法ではなかなか難しいだろう。 なにしろ、私達くの一教室の生徒は確かに男子生徒に優しくない。先輩男子はともかく、同年の男子なんて暇つぶしのオモチャ同然の扱いだ。だから男子達の行動は理解出来るし、むしろそれでこその実習なのだろうけど。 でも男子も男子で、せめてあの先輩みたいに話くらいは聞いてくれてもいいのになあ、となんとなく拗ねた気分になる。特に滝夜叉丸が言った『私はまだ自分の腹が可愛い』って台詞なんて、とても失礼だ。そういう意味じゃないとは分かってるけど、まるで料理の腕を否定された気分になる。 とはいえ、一応もう終わったことだ。同年の男子がああなのはいつものことだし私の日頃の行いも悪いわけだしもう考えるのやめよう、と堂々巡りにしかならない思考に決着をつけて、私はすぐ目の前に迫っていた食堂へと入ろうとした。 そのとき。 「」 後ろから突然に、がしっと腕を掴まれた。咄嗟に振り向くと、そこにはさっき私の前から盛大に逃げた滝夜叉丸がいる。なんだか知らないけど、珍しく思い詰めたような表情。さっきの今だから姿を見た瞬間に反射的にむかっとしたけど、その表情に気圧されてかき消えた。 「……なに、どうしたの滝夜叉丸」 聞いても、滝夜叉丸はじっと私を見下ろすだけだ。腕を掴まれたままだったからとりあえずこれは離してくれないかなと軽く腕を引くと、次の瞬間、逆に滝夜叉丸のほうに引っ張られた。 「うわっ! ちょ、なんなの滝夜叉丸!」 「、少し来てくれ」 「いや、だからなんで……」 「ここは人が多い」 私をぐいぐい引っ張って移動しながら、滝夜叉丸は周囲に目を向ける。時間が時間だから、食堂付近の廊下には生徒達の姿が多い。みんな引きずられてる私を見て、興味深そうな視線を向けている。 やがて庭に出ると、滝夜叉丸はすぐに私から手を離してくれた。ここはさっきの場所と比べれば人はいない。いつもとちょっと違う滝夜叉丸の様子に、私は眉をひそめる。どうしたんだ、こいつ。 滝夜叉丸は怪訝そうな私の目を真っ直ぐに見下ろして、唐突に言った。 「すまなかった、」 「………………」 どうやら謝られたらしい、と気づいたのは数秒経ってからだった。 「え? なに言ってんの?」 突然の謝罪に意味が分からず困惑する私に、滝夜叉丸は一瞬躊躇った様子を見せ、そしてすぐに答えた。 「先ほど、お前が私のところに来たときのことだ。毒が入ってるだのなんだの、なにも聞かずに疑って悪かった。……まさか本当になにも企んでいないとは思わなかったんだ」 最初から最後までしっかり私の目を見て謝る滝夜叉丸の姿に、私はぽかんとした。まさか、それを謝りに来たのだろうか。 「あんた、わざわざそれを言いにきたの?」 浮かんだ疑問をそのまま口に出してみると、滝夜叉丸は「ああ」と真面目な顔で頷く。 「あの後、七松先輩に教科書をお返しに上がったとき、お前の話をしたんだ。そうしたら七松先輩が『菓子をもらえるかもしれないのに逃げてきたのか? 確認くらいしろよ』と仰って、それで」 「それで?」 「通りすがりに菓子を持った同級生を見つけたので聞いてみたら、確かに本当に実習で、なにも入ってない菓子だと言われた」 そこまで言って、滝夜叉丸は言葉を切る。それからまたはっきり私を見て、もう一度謝った。 「すまなかった、」 ……あー。 ほんとに、なんでこの男は変なとこで真面目なんだろう。正直なところこっちにも非があるから、そんなに真剣に謝罪されてもどう反応していいかよく分からない。だから『謝っている滝夜叉丸』という珍しいそれを、ただまじまじと眺めてしまう。少しそのままで時間が流れ、滝夜叉丸が全然反応のない私に戸惑いを見せ始めたとき、…………ついに笑ってしまった。 「あんた、ほんとにただそれだけを言いにきたの?」 なにこいつ、ちょっと可愛い。抑えられない笑いにまた同じことを問うと、滝夜叉丸は少しむっとしたような表情で、「そうだ」と頷く。 「あんなの、いつものことじゃない。別にそんな気にしてないし、わざわざ謝らなくていいよ」 「うるさい。お前はどうあれ、私は悪いと思ったから謝っただけだ」 「……そっか」 くくく、とひとしきり私が笑うのを、滝夜叉丸が嫌そうな顔で見る。でも一瞬だけその表情に安堵が浮かんだのを見つけて、私はまた笑みを作ってしまう。なんだかよく分かんないけど、楽しい。 滝夜叉丸が寄越す視線に微笑み返すと、滝夜叉丸はなぜか慌てて目を逸らす。それから今度はちょっと躊躇いがちに口を開いた。 「そ、それでだな。お前がまだ実習が終わっていないなら、その」 「実習終わってないのに、夕食食べに行くと思う?」 「む。……それはそうか」 ほっとしたような残念なような表情の滝夜叉丸に、私はまた笑いがこみ上げてくるのを感じる。 それからなんだかすとんと、滝夜叉丸ならいっか、と思った。 「ならば、私の話はそれだけだ。……邪魔をして悪かったな」 「ねえ滝夜叉丸」 そのまま背を向けて去って行こうとする滝夜叉丸を、名を呼んで引き止めた。足を止める滝夜叉丸に、取り出したそれをぽんっと投げる。 「これ、あんたにあげる」 投げた菓子袋は綺麗に放物線を描き、滝夜叉丸の手に受け止められた。手の中のそれがなんなのかを理解して、滝夜叉丸は眉をひそめる。 「お前、なぜ二つも持っているんだ」 滝夜叉丸の手にあるのは、実習に使ったそれとほとんど同じ菓子袋だ。ただし中身はちょっとだけ違う。 「それとも、実習が終わっているというのは嘘なのか」 「そうじゃないよ。一つは実習用、もう一つは自分用」 菓子袋が余っていたから、こっそりもらって詰めたものだ。 「せっかくちゃんと作ったお菓子なのに、男子に全部渡すなんて腹立つじゃない。だから自分用に半分とっといたの。上手く焼けた形のいいのばっかり入れてあるから、そっちのほうが美味しいよ」 私の言葉に、滝夜叉丸は不思議そうな顔をする。 「なぜ私に? 自分で食べるつもりだったんだろう」 「んー。そんなに欲しいのかなぁて思って」 からかうつもりでにっこり微笑むと、滝夜叉丸は言葉に詰まったように固まった。 「じゃあね、滝夜叉丸」 なにか言われる前に今度は私から背を向けようとすると、「」と名を呼ばれる。振り向いた途端、ぽいっとなにかが投げられた。 「お前にやる」 またもや綺麗な放物線を描いて私の手に届いたのは、澄んだ青色の手拭いだった。 「……なにこれ」 「礼だ」 「別にいいわよ、実習用はもうちゃんともらったし」 「いいから素直に受け取っておけ。同じ条件で私だけタダでもらうわけにはいかないだろう」 なんだかぶつぶつ言ってるけど、ようは滝夜叉丸だって素直じゃないってことなんだろう。 そっか。よく考えたら、滝夜叉丸が実習のことを口にしたのは、きちんと礼も用意していたからなのだ。 ……ほんと、変なところですごく真面目なんだから。 「それならまぁ、遠慮せずにもらっとくけど」 そうしろ、とぶっきらぼうに言う滝夜叉丸になんだかまた楽しくなってきて、口元が緩みそうになる。手拭いは、一目で高いものだと分かる、幾重にも染め抜かれた色彩鮮やかなものだった。ただ布を切っただけの粗悪品じゃない、縁には丁寧な縫い取りまでしてあって、しかも新品だと示すように、折りたたんだ上から飾り紐で結んである。 「ありがと、滝夜叉丸」 「……ああ」 たまにはちょっと素直になって礼を言うと、滝夜叉丸は一つ頷いて今度こそ背を向けて歩き出す。一瞬見えた表情には照れが浮かんでいて、私はやっぱり笑ってしまう。 手拭いなんて、男子からもらえるなんて思わなかった。しかも、使うのが惜しいほどに綺麗なものを。 私には少し勿体ないなと思いつつ、それでもやっぱりすごく嬉しい。弾んだ気分のままに、私は手拭いの紐をその場で解いてみる。 勢い良くばさりと手拭いを広げてみて、ぎょっとした。 綺麗な薄青色の染め抜きの真ん中に、それもまた鮮やかな朱色の染め抜きで、まるでのぼりのようにでかでかと文字が浮かんでいる。 とてつもなく派手な字体で。 『日 本 一 の 滝 夜 叉 丸』 私はとりあえず、丁寧に手拭いをたたみ直した。それから元通りに飾り紐を結んで、少し遠くの滝夜叉丸の背に声をかける。 「滝夜叉丸」 「ん? なんだ、まだなにか用──」 振り向く滝夜叉丸へと駆け寄り、無言で手拭いを叩き返した。 「バカだよね、滝夜叉丸って」 「……うるさい、さっきからバカバカ言い過ぎだぞ」 「だってさ、そんな場面で普通、渡すのと自分用のを間違える? 大体、すぐに『それは私の特注品であって、お前に渡そうとしたのはこっちなんだ』って訂正して謝ればいいのに」 「うるさい。さっきから再三、弁解する暇もなく逃げられたんだと言っているだろうが」 「バーカバーカバカ夜叉丸」 文机に突っ伏したままの滝夜叉丸の横で、喜八郎が鋤の手入れをしながら無表情で滝夜叉丸を罵っている。 もはや言い返す気力がないのか答えない滝夜叉丸の前には、女性用の薄桃色の手拭いが一つ。 「……話を聞かないのはお互い様だろうが」 力のない声でぽつりと唸り、滝夜叉丸は目の前を軽く睨み付ける。 薄桃色の手拭いと、その隣に置かれた華やかな菓子袋とを。 終 |