『食満留三郎』


 放課後から実習、と聞いた私が最初に思ったのは、たった一つのことだった。

 委員会、どうしよう……?

 私が所属している用具委員は、仕事が多い。もともと用具管理や手入れなどたくさん仕事があるのに加えて、台風などの天災や騒動があると、壊れた備品や建物の修復をしなくてはならないからだ。
 受身とでも言うのだろうか。私達になんの過失がなくても、仕事が勝手に増えていく。委員達がそれに対して愚痴を零しているのをよく聞くし、私もそれが用具委員の大変なところだと思う。
 そんなわけで忙しい用具委員は、今日も当たり前のように活動があった。今は早急を要する仕事はないはずだけど、それでも委員長の食満に次ぐ上級生の私が、勝手に欠席していいはずがない。
 とりあえずまずは委員会に顔を出して、理由をきちんと説明しよう。終わり次第合流するからと言えば、きっと食満は分かってくれると思う。

 と、いつもの用具倉庫に歩き出して、ふと気づいた。
 手の中にあるお菓子。男子生徒に渡してなにか礼をもらってこい、という実習目的。

 ──これ、食満がもらってくれないかな。

 そう思って、ちょっと恥ずかしくなる。
 私はずっと前から食満が好きだ。今こうして同じ委員でいられるだけでも幸せだけど、もし……もし実習を理由に食満になにかお礼をもらえたら、……嬉しい。
 本当のところ高望みしすぎだなと思うけど、まだ食満がもらってなかったら一応頼んでみよう。勝手に諦めていたら、後で悔やむことになるかもしれないし。
 期待とちょっとの不安に弾む心に、意図せずに早足になる。廊下を渡って、運動場を横切って、用具委員が委員会前にまず集まる倉庫に急ぐ。
 まばらな木立の向こうに、見慣れた用具委員達が見える。私以外はもうみんな集まっているらしく、なんだか和やかにお話してる。……もちろん、食満も。その姿を確認して、私は少し速度を落とす。
「あー……先輩ー……」
「せんぱーい!」
 気づいた下級生が声をかけてくれて、食満も私を振り返る。
「よう、。お前が遅いなんて珍しいな」
 食満はちょっと笑いながら、みんなの前で足を止めた私に向かってくる。その食満の姿に、私は鼓動が早くなる。
 いつもはそこまで思わないんだけど、どうしても意識してしまう。顔が赤くなりそうなのに気づいて、慌てて、口を開いた。
「……あの、遅れてごめんね」
「別に遅刻じゃないから気にするな。今日は大した仕事もないしな」
 食満の言葉に、ほっとする。なら、私がちょっとの間委員会を抜けても、食満は怒らないだろう。……でもその前に、食満に一度頼んでみないと。
「あ、こらしんべヱ、また洟垂らしてるぞ。早く拭け」
「はーい。……ちーん! ……あ、手ぬぐい固まっちゃった」
「しんべヱの鼻水って、他のことにいろいろ使えそうだよねー。ねぇナメクジさん達ー」
「……やだ……鼻水バッチイよう……」
 下級生達は、こっちを見てない。うん、今ならまだ恥ずかしくない。
 よし、と気合を入れたとき、食満が「ん?」と私の手元に視線を向けた。
「なんだそれ、。菓子か?」
 言われて、一瞬だけ身体が固まった。ちゃんと言わなくちゃ。
「……うん、お菓子。あのね」
「そうか。もらってもいいのか?」
 ……え?
 食満の言葉に、ぽかんとする。今、なんて。
「……もらってくれるの?」
「そりゃくれるならもらうだろ。食っていいか?」
 頭に血が上る。今起こったことがちょっと信じられなくて、でも嬉しくて、「うん」と慌てて頷いた。
「そうか。ありがとな」
 食満は軽い動きでお菓子を私から受け取ると、嬉しそうに笑う。そして、

「おーいお前ら、が菓子くれたぞ」

 と。下級生に向けて言った。

「え、お菓子ですかー!?」
「ほんとだー! この匂いはビスコイトですね先輩ー!」
「わーい……お菓子食べたいー……」
先輩、もしかしてわざわざ作ってきてくださったんですか?」

 ──あれ?
 ちょっと戸惑う私の頭に、食満の声が響く。お菓子の袋を喜三太に渡して、その頭を軽く撫でてる食満の声が。

「喜三太の誕生日、まだ祝ってやってなかったからな。今日は仕事が少ないし、終わった後で軽く祝ってやろうと思ってたんだ」

 ────あ。
 私はようやくに、食満が勘違いしていることに気がついた。
 それから、勘違いさせた自分の失態にも。
 
「えへへー、嬉しいですー」
「喜三太、僕にも分けてね!」
「うん、ナメクジさん達と一緒にみんなで食べようねー」
「……ナメクジと一緒は、やだー……」

 そうだ。喜三太の誕生日がつい最近あったばかりだったんだ、と私は今更ながらに思い出す。
 それを忘れていたことと、嬉しそうにしている後輩達の様子に、心が揺れる。どうしよう。どうしよう。
 みんなで食べてくれるのは全然構わない。後輩達が喜んでくれるのも嬉しい。でも。……でも!

「食満!」

 思わず強く名を呼んでしまうと、食満含む委員達がびくっと震えた。驚いた顔で、全員まじまじと私に視線を向ける。
「……どうした、
 食満が、私に近づいてくる。下級生達はその後ろで、「先輩が大きい声出した」「びっくりした」ときょとんとしている。
 申し訳なさに胸がいっぱいになる。でも……このまま、みんなが喜んでくれるならと、なにもなかったことには出来ない。
 だって、実習だから。
?」
 俯く私に、食満が軽く屈んで顔を覗く。仕方ない。嫌われることを覚悟で、私は顔を上げた。
「ごめん、ちょっと来て!」
 食満の腕を掴んで引いて、走り出す。食満は唖然とした顔になった後「分かった」と小さく言ってから、まだきょとんとしている下級生達を振り向いた。
「お前らちょっと待ってろ! すぐ戻る!」
 

 下級生達にまず声が届かないだろうところまで着いてから、私はようやくに食満の腕を放した。
「……悪い。あの菓子、なんかあったのか」
 原因があれしかなかったからだろう、食満は言葉を詰まらせてなにも言えない私に、そう尋ねる。私は躊躇する心を奮い立たせて、口を開いた。戸惑った様子の食満を見上げる。
「違うの、みんなで食べてもらって構わないの。授業で作ったものだけど、毒は入ってないから。でもね、……あれ、中間試験の実習なの」
「実習……?」
 眉をひそめる食満に頷いて、手短に実習概要を説明する。男子生徒に渡して、なにかお礼をもらってこなくちゃいけないんだと。食満はなにも言わずに、ただ私の話が終わるまで聞いてくれた。嫌な女だと思われたらどうしよう。ならもっと早く言え、と怒られたらどうしよう。それが怖かったけど、でも、喜三太にもすごく悪いと思うけど、あのままには出来なかった。
「……もしかしてお前、俺にくれようとしてたのか」
 話し終わった後の、食満の言葉に俯いた。「ごめんね」と思わず謝る。
「お菓子はみんなで食べてもらって構わないの。喜三太も喜んでくれると思うから。……でも食満、あのね」
 なんでもいいから、お礼になるものをくれないか、と。口にしようとして出来なくなる。こんなの、食満にも喜三太にも、後輩みんなに申し訳ない。私がもう少しでも考えていれば、こんなことにならなかったのに。
「……そうか」
 ぽつりと、食満が言う。反射的にごめんなさいと謝りそうになって、先に「言うな」と遮られた。
「なんでお前が謝るんだ。悪かったな、気がつかなくて」
 食満の言葉に、小さく首を横に振る。食満は少しだけ考える顔つきになった後、よし、と私の腕を引いた。
「戻ろうぜ、
「え、食満」
「あの菓子は俺のだろ」
「……食満、もらってくれるの?」
「当たり前だろ、もらうに決まってる」
 食満はちょっと顔をしかめて言い切った。胸が詰まる。嬉しいような、でもすごく申し訳ないような、複雑な気持ち。
 下級生達のところに戻ると、みんな不安そうな顔をしていた。ぱたぱたと、足早に私の元に駆け寄ってくる。
「ど、どうしたんですか、先輩」
「僕達、なにか悪いことしちゃいましたか……?」
 しゅん、とみんなが私の顔を見上げてくる。胸が痛む。口を開こうとしたとき、食満がそれより先に、喜三太の頭にぽんっと手を乗せた。
「悪い、喜三太」
「へ?」
「これは俺がもらう」
 その言葉と共に、食満が喜三太の手から私のお菓子を取り上げる。きょとんとした喜三太が、私に視線を向ける。まだ責める瞳じゃない。よく分からない、という顔。
 理由を言ったら分かってくれるだろうけど、傷つけることには変わりない。私は喜三太の前にしゃがんで、視線を合わせる。
「ごめんね、喜三太」
「………………」
 喜三太はしばらくじーっと私を見ていたけど、途端にぱあっと笑顔になった。分かった、という風にぱちん、と手を合わせて、
「ああ! そのお菓子は、先輩が食満先輩のために作ったものなんですねー!?」
「えええええ、そうなんですか、食満先輩ー!」
「……それって、あっちっちーじゃないですかー……」
 最後の平太の言葉にぎょっとする。あっちっちーって。
「あの、そうじゃ」
 なくて、という私の声は、一気に騒ぎ出した下級生達の声にかき消される。
「もー、言ってくださいよ先輩、いくら僕でもそんな大切なお菓子もらえないですよう」
「えー食満先輩一人でずるいですー」
「……しんべヱ駄目だよー、あっちっちーなんだからー……」
 いやだからあっちっちーって。どうにかして否定しなきゃと焦る私の前で、作兵衛がにやっとした顔で、下級生の様子を気にも留めていない食満を見上げる。
「へぇー、食満先輩と先輩って、用具の父と母とか言われてましたけど、ほんとに夫婦なんですねぇ」
 ぱしん、と食満が無言で作兵衛の頭をはたく。あ、痛そう。
 にこにこっと、喜三太が私のお菓子と食満に視線を向ける。どこか楽しそうに。
「じゃあ、そのお菓子は食満先輩のですねぇー」
「ああ、悪いな喜三太。詫びになにか奢ってやる」
「え!?」
「ええ!?」
 え!?
 驚く私達の視線に、食満は軽く笑う。
「どうせ今日は仕事が少ないからな、次の活動日に回しても大丈夫だろう。なにか仕事が入らないうちに、町に出ようぜ」
「ほんとですか食満先輩! いっぱい食べてもいいですかー!?」
「なんでお前が返事するんだしんべヱ……。まあいいか、全員来い、好きなもん奢ってやる」
 わーーい! と下級生達が一斉に沸く。慌てて食満を見上げると、食満は一度笑って、目で『構わない』と頷く。
 ぱたぱたと食満の元にみんなが駆けて行く。腰にすがりつく一年生達の頭を撫でながら、食満が私を手招きした。
「ほら、行こうぜ。礼もしなきゃならんだろう」
 いいの? と目で聞くと、また目で『いいんだ』と頷かれた。ゆっくり立ち上がると、食満の元から平太がぱたぱた駆けてきて、「行きましょう、先輩」と背中を押してくれる。
「……うん、行こうか」
 平太の手を繋いで、歩き出す。やったあ、と嬉しそうな下級生達と一緒に、校門に向かった。
先輩にお礼って、お菓子のお礼ですか、食満委員長」
「ああ。もらったら礼をするのは当たり前だろう」
「えー、お礼って言えばちゅーじゃないの、ちゅー!」
「わあ、ちゅーだってー」
「そんなもん礼にならんだろうが。……なんだ作兵衛、その目は」
「いえー、委員長、どうせならちゅーどころか身体で返せばいいんじゃ……あたっ!」
「……あほかお前は」
 なんかすごいことを言って、作兵衛が殴られてる。平太がじいっと私の顔を見上げて、「先輩、お顔、まっかですよー」と言うので、なんだかすごく恥ずかしくなった。
 食満は、実習だとみんなに言わなかった。それがどうしてかは分からないけど、たぶん私のことを気にしてくれたんだと思う。
 なんだか、なし崩し的に押し付けてお礼をもらうことになって申し訳ないと思ったけど、それでも嬉しいことには変わりなかった。
 視線を感じたのか食満が振り向くので、思わず「ありがとう」と言うと、食満は一瞬きょとんとしたあと、笑ってくれた。
「ああ……俺もありがとな」












 ※※※


「富松先輩ー、これ美味しいですよー」
「このお団子も美味しいですー……」
「ああ、分かったから食べながら話すな。こぼすぞお前ら」

 俺が一年生達を引率している後ろで、食満先輩と先輩は二人並んで歩いている。
 その様子をちらりと見て、俺はちょっとだけつまらなさを感じる。
 早く素直になればいいのになぁ、委員長。

 食満委員長が先輩のことを好きなのは、ずーーーっと前から知っている。
 だって食満先輩は、俺が先輩にちょっと背負ってもらったり、くっついたりしてると、すんごく機嫌が悪くなるからだ。
 でもそれ以外は俺への接し方も普通だから自覚がないのかと思っていたけど、最近になってどうもやっと気づいたらしい。たまに一人で仕事をしている先輩を後ろからじっと見ていたり、先輩が隣にいると妙に挙動不審になったりするからだ。
 一年生達があれもこれもとねだるのを、「腹壊すなよ」と言いながらも、食満先輩は本当になんでも買ってやっている。きっとものすごーーく機嫌がいいのだ、と俺には分かる。そしてその理由は間違いなく、先輩のあのお菓子だろう。
 たぶん、本当に艶めいた理由ではないと思う。時折先輩は申し訳なさそうにしていたから。
 でもまぁ、理由がなんであれ、好きな女から手作りのお菓子なんてもらったら、嬉しいに決まってるよな。

「これでいいか、
「……え、本当になんでもよかったのに」
「礼だって言っただろう。それでいいならもらってくれ」
「うん、ありがとう。すごく可愛い」

 一年生達が団子やなにやらに夢中になってるうちに、食満先輩が小物問屋でなにか買って、先輩に手渡しているのに気づく。見えたのは一瞬だからよく分からなかったけど、たぶん……うさぎの形の文鎮だ。女の人が喜びそうな可愛い形。実際、受け取った先輩はとても嬉しそうだった。

「ごめんね、食満。あとでみんなに使ったお金返すから」
「いいって言ってるだろ。それも含めて礼にしとけ」
「ん……じゃあ、食満の誕生日のときに一緒に返すね」

 先輩が微笑んで、食満先輩が言葉に詰まる。あー、委員長が照れてる。

 その様子にちょっと面白くなって、からかいに行こうかなと思ったけど。
 ……たぶん今邪魔したら本気で殺されるなと、寸前で思いとどまった。








 終