不破雷蔵夢
五話『望まない自覚』前編
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くの一教室五年生の実習が行われたのは、綺麗に晴れた日のことだった。 「あなたたちの今期の中間試験の実習は、それぞれの場所に隠された密書を取りに行く事よ。はい、今から場所の地図を配ります」 若い方の山本シナ先生が、五年生のくのたま一人一人に手渡しで地図を配る。五年生ともなると数えるほどしかいないくのたま達は、配られた地図にざっと目を落として、みな一様に怪訝に思う。 「場所は違うけど、みんな裏々山よ。それぞれ場所が離れてるから会うことはないでしょうし、時間も変えるから他人のことは気にしなくていいわ」 くのたまも上級生になれば、学園外で実習することが当然だ。それなのにすぐ近くの山とはどういうことだろう。そもそも地図自体に暗号すら使われておらず、本当に密書の場所が記されているだけだ。 全員一致で思う。 ──簡単にも程がある。 「ふふ、おかしいでしょう? でも今回の実習は、別にそれ自体が目的じゃないの」 生徒達からの困惑した視線に、山本先生は楽しそうに微笑む。 「今配った地図ね、同じものが一枚ずつあって、そちらは五年の忍たま達にそれぞれ渡してあります。……分かるかしら?」 忍たま? と、誰からともなく戸惑った声が上がる。なぜ男子生徒がこちらの実習に関係あるのか。 「えっと、つまりあっちと争奪戦ってことですか」 一人のくのたまが挙手して問う言葉に、山本先生は人差し指を口元に当てて、魅力的な微笑みでニッコリと笑う。 「そうね、そう思ってもらってもいいでしょう。でも少し違うのは、忍たま達は妨害それのみが目的なの。あなた達の妨害を成功させたら、あちらの勝ち。妨害をはね除けて密書を取って学園に帰ってきたら、あなた達の勝ちよ」 へー、とくのたま達から愉しそうな声が上がる。戸惑いに溢れていた雰囲気はかき消えて、代わりにじわじわとくのたま達に闘争心が湧き起こる。もともと男子を玩具として見ているくの一教室だ。同学年の忍たま達が相手だと、むしろ手加減しなくて良い分、やりやすい。 「それはそれは……腕が鳴ります、先生。見ててください、男共なんかぎちょんぎちょんにしてやりますから」 ふふふふ、と不敵な微笑みを浮かべる生徒あれば、 「えっと、鎖鎌まで持つと重いし……火縄銃と焙烙火矢だけでもいいかな。先生、貸出表に教師印頂けますか?」 物騒な武器を嬉々として使おうとする生徒あり、 「先生! 忍たま達の誰が誰を妨害するのかって、もう分かってますか?」 中でも一体何があったのか、まるで悪鬼が乗り移ったかのような恐ろしい顔で質問するくのたまに、山本先生は「あら」と微笑む。 「誰かタコ殴りにしたい相手がいるのかしら?」 「ええ、以前少しありまして、ここでひとつ落とし前を付けたいと」 それ絶対少しじゃないでしょ、という程に明確な殺意溢れるくのたまに、山本先生は残念そうに顔を曇らせる。 「ごめんなさいね、相手は分からないの。木下先生に適当に配ってくださいってお願いしちゃったから」 「いえ、構いません。誰であろうと叩き潰しますから! つかもう男なんてみんな死ね!」 一体なにがあったんだろう。 「まぁ、やる気が出てくれて先生嬉しいわー。じゃあ実習はもう少ししてから始めますから、なにか準備があるなら今のうちにね」 「あ、先生! いいですか!?」 「はいさん、なにかしら?」 慌てて手を挙げると、山本先生は返しかけた踵を戻して首を傾げる。は手を挙げたまま、あの、と口を開く。 「妨害をはね除けるのって、どのくらいまで手を出していいんですか?」 「いいところに気がついたわね、さん。みんなもよく聞いておいてね」 山本先生の言葉に、くのたま達がしんと静まり返る。今か今かと山本先生の次の言葉を待つくのたま達に、山本先生はにっこりと、 「殺さなければなにをしても構いません」 きゃーー! と悲鳴のような歓声を上げて、くのたま達が一斉に沸く。「ぶっ殺す!」「原型止めないから覚悟しなさい!」と叫んでいるくのたま達を嬉しそうに見やって、山本先生はどこかへと去って行った。 「ねえねえ、の場所はどこ?」 「ん。ここだよ」 隣に駆け寄ってきた親友に、は自分の地図を渡す。「あ、かなり遠いね。残念、共闘出来るかと思ったんだけど」と零す親友は、いつもどちらかと言えばのほほんとしているが、やはりくの一教室の生徒だ。山本先生の『ほとんど手加減無用』発言に気合いが入ったのか、嬉しそうにしている。とて例外ではない、普段は男子生徒と本気でやり合うことなんてほとんどない分、手合わせ出来るのが楽しみだ。 「はどうする? 作戦立てた? ……あ、でもなら接近戦に持ち込めばまず勝てるよね!」 はしゃぎながら、親友が「頑張ろうね!」と微笑む。その言葉にも「うん」と頷きながら、共に手を叩き合った。 「というわけだ。お前ら分かったか?」 木下先生の言葉に、五年生の忍たまは一様に顔をしかめた。中間試験の実習が『くのたまの実習を妨害すること』と聞いた直後だ。 別に実習自体に文句があるわけではない。たとえばそれが忍たま同士ならば別にどうということもないが、くのたまが相手ってどういうことだ、俺達を見捨てる気ですか先生! とほとんどの生徒の顔にそう書いてある。 「ええっと……先生、質問いいでしょうか」 兵助が問う言葉に、木下先生は視線で続きを促す。さすがの兵助も、配られた地図片手に頬をひきつらせている。 「妨害って、どのくらいまで許されるんですか? たとえば、罠を仕掛けるとかはアリなんですか?」 「毒塗った飛び道具とか。あと、毒虫使うとか」 兵助の後に八左ヱ門がそう続けると、木下先生は一言、 「殺さなければなにをしても構わん!」 びく、とその言葉に忍たま全員が引いたのは、そんな過激なことをくのたま相手に出来ない、などという甘ったるい理由ではなく、 「つまりそれは、くのたま達も俺達の妨害をはね除けるためには『殺さなければなにをしても構わない』という認識でかかってくる、ってことですね?」 三郎が纏めた言葉に、木下先生は「その通りだ」と頷く。そしてどこか遠い目で、 「俺から一言お前達に贈る言葉がある。……いいか、死ぬなよ」 「発言が! 発言が矛盾してませんか先生!」 「うわああああ確実に殺される俺! この間怒らせたばっかりだよ!」 「まじかよ面倒くせー、あいつら本気で手段選ばねーもん!」 次々とげんなりとする忍たま達に、木下先生は「じゃあ、名を呼ばれたら出発しろ。早く準備しておけよ」と言い残して去っていく。 「相手が悪いとマジで死ぬぞこれ、どうか、どうかあいつに当たりませんようにー!」 なにか後ろ暗いところでもあるのか、先程から八左ヱ門が頭を抱えて唸っている。三郎だけは一人どこか面白そうな顔でいるが、ほとんどの生徒は絶望的な表情だ。 「くのたまなぁ……今はともかく、昔こっぴどく苛められたのがトラウマになってるんだよな……」 げんなりと、兵助が地図をたたんで懐に仕舞う。 「ま、毒仕込んでいいって先生自ら言うくらいだからな。本気で行かないと死ぬのはこっちだ」 兵助の隣で、三郎が冷静に手持ちの手裏剣を検分している。やれやれと、雷蔵も地図を仕舞いながらどうするべきかと考え始める。 相手は女の子なんだし穏便に……などということはくのたま相手では通用しない。忍たまが実戦では力頼りになることが多いのに比べて、彼女達は的確に頭と技を使ってくる。執念も根性も忍たまのそれを上回ることが多いし、なによりもこれは試験を兼ねた実習なのだ。普段がどうあれ、全員が本気でかかってくるのは間違いない。 「お前、こんなことで悩むなよ、雷蔵。悩んでる間に殺されるぞ」 「大丈夫だよ、三郎。こっちも試験がかかってるしね」 考え込んでいたのを迷い癖が出たと勘違いしたらしく、三郎が声をかけてくる。雷蔵が苦笑しつつ振り返ると、そろそろ嘆いていても仕方ないと理解したのか、忍たま達は真面目な顔つきでそれぞれ作戦を立てたり武具を用意したりしている。 ──相手がだったら、どうしよう。 ふとそれに思い当たって、雷蔵は少し困る。勿論こちらも本気で行くつもりだし、本気じゃなければにだって失礼だろうし、そもそも直接戦ったところでに敵うとは思えない。でも…… 『本気で行かないと死ぬのはこっちだ』 三郎が言った言葉を思い出して小さくため息を吐く。手甲の上から手首を軽く撫でて、雷蔵は「よし」と気合いを入れた。 の番は、真ん中あたりだった。「! 半殺しね! 半殺し!」と満面の笑みで男子生徒をボコれと鼓舞してくる同級生達に、こちらも笑顔で「みんなも頑張って!」と返して、学園を出発した。 すでに地図は置いてきた。覚えた場所へと真っ直ぐに向かう。おそらく、妨害目的の男子はこちらよりも先に出発しているだろう。密書を手にして学園に戻った時点でこちらの勝ちということは、そうでなければ意味がない。密書が隠されている場所か、向かう途中で待機しているはずだ。 こちらが姿を隠す必要はないので、木と木の間を渡るのではなく地面の上を走って前へと進む。相手が誰だか分からないという不安はほとんどなかった。接近戦なら勿論、そうでなくても対等以上に戦い抜ける自信はあった。無論、くのたまより実戦に特化した授業を受けている忍たま達なので、決して油断は出来ないだろうが。 そんな危惧よりも、湧き上がる高揚感のほうがずっと胸を満たしていた。お互いのクセを熟知している同級生達のそれとは違い、組み手すらほとんどしたことのない男子生徒が、どんな手で出てくるか分からないのが面白い。走りつつも辺りを窺い気配を探りながら、はそのことを楽しみに思う。 目的地まであと少し。未だ感じられない気配を訝しげに思い、警戒を強める。相手が隠れているとすれば、こちらの姿と気配はすでに察しているだろう。どこからか飛び道具が襲ってきたり、罠が仕掛けられていたりしても少しもおかしくはない。 少し走る速さを落とす。覚えてきた地図を頭に浮かべる。すでに密書がある場所として示されていた木は、駆ければすぐたどり着ける場所に近づいてきていた。さすがにおかしいと思い始める。罠か、それともまだ相手がたどり着いていないのか。どうしようかと一瞬迷いを見せた時、ざわりと近くの木が揺れた。咄嗟に腰元から大振りの苦無を取り出して構えた瞬間、木の上から人影が飛び降りて来た。 見慣れた男子生徒。少しだけ、困ったような顔。明らかに、顔を借りているもう一人の生徒ではない。 「……雷蔵」 思わずが名を呼んでしまうと、雷蔵は武器すら手にしていない丸腰のまま、「うん」と軽く微笑んだ。いつものように。 その微笑みに、鼓動が跳ねる。雷蔵が、相手だ。そういう可能性もあるはずだと理解していたのに、なぜか僅かに焦燥感が湧き起こり、は手にした苦無を少し強く握り直す。 「。……ここで実習?」 一応確認を取るのは、雷蔵の優しさなのだろうか。は構えを解かぬままに、頷く。 「……うん。ここで実習」 「そっか。じゃあ、僕が相手だから。よろしくね」 まるでこれから組み手を行うような宣告に、は少しだけ笑う。不意を突いたり罠を仕掛けたりしないところが、雷蔵らしい。そして、そのことがなんとなく嬉しいのに、微かに胸も痛む。 「うん。よろしく、雷蔵」 答えて、素早く後ろの木の幹に飛び退る。同時に雷蔵も木々の向こうに消えた。戦闘開始。気配を探りながら、は雷蔵の出方を待つ。 雷蔵。ほんの僅かに動揺した自分の心を不思議に思う。けれど相手に不足はない。雷蔵は文武両道で、忍たま達の中でも成績優秀だ。いつか手合わせしてみたいと、そう思っていた。 まだ微かに残る、わけの分からない焦燥感と痛みを呑み込むように、強い高揚感が再び湧き上がる。 今は、雷蔵は倒すべき相手だ。たかが授業といえどもこれは試験。普段同じ学年の顔なじみとして比較的親しくしてくれていても、仲が良くなりたいと思っていても、雷蔵が優しくても、それとこれとは別問題だ。忍務は非情あれというのが教えだし、この学年になると、この手の実習続きで顔なじみを相手にするのには慣れていた。慣れたはずだ。 ──行こう。 雷蔵もこちらの出方を窺っていると気づいて、木の幹を蹴った。いくら気配を消そうとしても、戦闘中は僅かながらに殺気か緊張感が必ず漏れる。感じる、雷蔵の気配。すぐ傍に! 飛んだと同時に、苦無を握っていない手で棒手裏剣を掴み、気配のする木へと投げつけた。外れた。と同時に、こちらに飛来する幾つかの手裏剣。自由落下のせいで避けることは出来ず、全て苦無で弾き落とした。地面へと足が着いた瞬間、襲いかかる気配。咄嗟に苦無を掲げると、響く重い感触に腕が震えた。 すぐ傍まで近づいてきていた雷蔵が、小刀を振り下ろしていた。さきほどの手裏剣は囮だったのかと今更に気づく。刃が峰側なのは、大きな怪我をしないようにという配慮だろうか。まだ片膝をついたままの姿勢で、その力を受け止めにくい。女子ではあり得ない強い力に、焦りと、それと同等の嬉しさを思う。 苦無の刃を軽く滑らせて、その勢いを受け流した。反転して、苦無を握り直して飛びかかる。焦った様子の雷蔵が、慌てて体勢を立て直して、が突き出す苦無を弾く。はその場に沈み込むと、下から雷蔵の顎を狙って左足で蹴りつけた。ぐ、と伸びた蹴りが、雷蔵の鼻先ぎりぎりで避けられる。続けて肩口を狙って繰り出した右足の蹴りが、雷蔵の腕に阻まれる。足を引き戻して、素早く間合いを取る。 苦無を、片手ではなく両手で握る。すでに構えて迎撃に備えている雷蔵に、躊躇なく飛び込んだ。一度、二度、苦無と小刀が接触して高い音が跳ねる。三度目に小刀を受け止めたその時、腕が僅かに痺れる。迷いなく苦無を捨てると、両手の拳を握り締め、構えた。雷蔵の足が動く。まともに受ければ跳ね飛ばされるだろう体重の乗った蹴りを、左の二の腕で無理矢理に受け止め、防ぐ。即座にがその隙にと蹴りを伸ばすが、の蹴りの距離を悟ったのか、先程よりも容易に避けられた。間髪入れず、小刀を握った雷蔵の腕が動く。ひゅん、と空を切る鋭い音。雷蔵の腕の角度から軌跡を読んで、こちらに飛んでくる小刀の突きをかわす。それと同時に、後ろへと飛び退いて間合いを取り、手首に仕込んだ暗器を手にする。次に仕掛けたのも、雷蔵だった。瞬く間にが取った間合いを詰めて、小刀を躊躇なく振り下ろす。右腕に仕込んだ手甲でそれを防ぎつつ、空いた左腕で握る太い針のような暗器で、雷蔵の脇を狙う。 「っ!」 掠った手応えと共に、雷蔵が顔をしかめて一瞬動きを止めた。それと同時に、は暗器を捨てる。暗器には毒を塗っていない。雷蔵はただ単に僅かな痛みで反応が鈍っただけだろう。 けれど隙を見逃すことはない。素早く一歩半下がり十分な間合いがあることを確認して、雷蔵の手を狙って小刀を蹴り落とした。すぐさま右足を踏み出し、雷蔵の襟元を掴んで引き寄せ、脇元に左腕を差し込み雷蔵の腕を掴んで、一気にその重みを背負って投げる。 受け身を取る暇はなかったはずだ。案の定強かに背中を打った雷蔵に、馬乗りになる。起き上がろうとする雷蔵を肩口を掴んで押し倒す。雷蔵は僅かに身を動かそうとしたが、脇の傷が多少響くのか、すぐに顔をしかめた。先程地面に転がした雷蔵の小刀を掴んで、その刃を雷蔵の首筋に押し当てる。 「────っ」 は、小さな吐息を漏らす。さすがに、先程の立ち回りで少し呼吸が乱れていた。 これで全ての決着がついたとは思っていなかった。たとえば共闘されていてどこからか男子生徒が出てくるか、元々仕掛けられていた罠が発動するかもしれない。無論こちらが油断すれば、雷蔵はすぐに抵抗するだろう。 は身を軽く乗り出し、起き上がれないよう雷蔵の肩口を強く掴む。雷蔵の様子を見ながら、辺りの気配も探る。雷蔵を相手にしたとしては比較的早めに手合わせが済んだという印象があった。まだなにがあるか分からない。最後まで気を抜いては── そこで、はふと気づく。雷蔵が、じっとを見つめている。なにかを待っているのかと思ったが、それにしては、その様子は有り体に言って戦闘中に見せるものではなかった。ぼうっとしているというか、……つまり隙が多すぎる。 不思議に思って、雷蔵を見返す。至近距離。の顔を見上げる雷蔵の瞳にぶつかり、ほんの一瞬、よく分からない衝動に胸がざわめいた。 思い出すのはつい最近のこと。穴に落ちた時に、庇ってくれた雷蔵。あの時も、これくらい近い距離だった。 小刀を握る腕の力が、ほんの一瞬抜けそうになった。慌てて力を入れ直しても、雷蔵はそれに気づいた様子もなく、ただじっとを見上げている。その視線が、……なにかを見透かされている気がして、落ち着かない。 いけない、集中しろ。今は戦闘中なのだ。自分自身を叱咤して、気合いを入れ直す。それで、動揺は少し治まってくれた。 けれど、自分もそうだが、こんな状況にそぐわない雷蔵の様子が気になった。そろそろ、あの手合わせしていた時間よりも長く、雷蔵の上に馬乗りになっている気がする。 「……雷蔵?」 さすがに怪訝に思って尋ねると、雷蔵は途端に身体の力を抜き、まるで今ようやく気づいたとでも言うように、軽く苦笑する。 「うん……僕の負け」 言われて、ようやくもほっと身体の力を抜いた。一瞬どうしようかと迷ったが、結局小刀を引いて雷蔵の上から降りる。 本来ならば、騙すことが当然の忍者だ。負けだと認めたからと言って、それを信じるのは愚の骨頂だろう。それでも、雷蔵がそんな卑怯な真似を簡単にするとは思えない。 あまりに信頼しすぎだろうか。けれど、それで騙されたらそれこそ自分の過失であり、雷蔵のせいではない。 起き上がる雷蔵に向けて、は握っていた小刀を差し出す。 「はい、これ返すね。……ほんとは、くの一教室のみんなと『男子は半殺しね』って約束したんだけど」 「……は、半殺し」 顔をひきつらせつつ、雷蔵が小刀を受け取る。その姿が若干警戒しているものだったので、は思わず微笑んだ。 「大丈夫、なにもしないから。雷蔵がそう約束してくれたらね」 言いながら、は自分が投げ捨てた暗器や苦無を回収する。雷蔵は自分の身体を少し確かめてから、立ち上がる。 「約束するよ。が相手だと、不意を突いても勝てそうにないしね」 はい、と雷蔵が拾って手渡してくれる手裏剣を受け取って、は首を傾げる。 「そうかな。不意を突かれたら、多分私は負けると思うよ。……それこそ、ほんとなら半殺しにして手足縛って転がさないと安心出来ないよね」 そこまで言って、は気づく。ああそうか、私は単に雷蔵を信頼したと言うよりも、それがしたくなかっただけなのか、と。 「……半殺しは、嫌だなぁ……」 雷蔵が苦悩に満ちた表情になっているので、は笑う。 「そうだよね、私も嫌。下手に怪我したら補習も受けられなくなっちゃうし」 はすぐ傍の木に登り、高い幹にくくりつけられた包みを取り上げる。木から降りて中身を取り出し、素早く懐に仕舞う。 それが密書だと無論気づいたのだろう、雷蔵はちらりとほんの少し物欲しそうな顔でそれを見てから、軽く肩をすくめる。「負けちゃったしね……」と軽く呟いているのを聞いて、はまた少し笑う。 「じゃあ、もう一回手合わせしようか。雷蔵がしたかったら、何回でもいいよ」 「え?」 「雷蔵、強いから。私、強い人と戦うのは好きなの」 それは本音だった。先程の手合わせは少しだけ物足りなかった気もするし、雷蔵が望むならそうしてもいい。 「んー」 けれど雷蔵は数瞬悩む素振りを見せた後、首を横に振る。 「僕はちゃんと戦って負けたし、に勝てるとも思えないし、それに……」 「ん?」 「……ううん、なんでもない」 言いかけた言葉を途中で呑み込んで、雷蔵は苦笑する。 「うん、そっか」 別にも強く望んでいたわけじゃないから、すぐにそう頷いた。実際、余計な怪我をしなくて済むなら、それはそれで有り難い。 「じゃあ、帰ろうか。その密書を学園に持って帰った時点で、実習が終わりなんだよね」 学園を指す雷蔵に、「うん」と頷いて自然に雷蔵の隣に並びながら、はこの状態は少しおかしいのだと気づいていた。 本来ならば、それこそ先程言った通りに、雷蔵を半殺しにして手足を縛って身動き取れないように放置した上で、自分はとっとと学園に帰るのが一番効率的だろう。友達も大体そうしているだろうし、忍たま達だってその覚悟は出来てるはずだ。 けれど、その忍たまと並んで仲良く学園に帰るだなんて。 ……でもまぁ、いいか。 雷蔵と仲良くなりたいと思っているのは、今もだ。雷蔵は口が悪くないし、他人を思いやれる人だし、なにより一緒にいても嫌気も緊張もしない。とても簡単に言うと、共にいて心地良い人なのだ。もし雷蔵もそう思っていてくれていたら、良いんだけど。 雷蔵を見上げると、なに? という顔で雷蔵が微笑んだ。も、なんでもないと微笑み返して、二人で帰り道を歩き出す。 「雷蔵、脇の傷大丈夫? 深くは抉ってないと思うんだけど」 「大丈夫だよ。的確に急所だったからびっくりしただけ。あれは暗器?」 「そう。手首に仕込んでるの」 実際に手首から何本から取り出して見せると、雷蔵は「へえ」と興味深そうに覗き込む。 「ん? そんなに珍しくないでしょう?」 「うん。でもくのたまと僕たちの授業は大分違うからね。そういう意味で気にはなるよ」 それについては理解出来るので、は軽く頷いた。が男子と手合わせするのを楽しみにしていたのだって、つまるところ雷蔵の言ったのと同じことだ。 「……みんな、大丈夫かな。くのたまが相手って聞いて、すごく動揺してたから」 心配そうな雷蔵の言葉に、暗器を戻しつつ、は少し驚く。 「そうなの? こっちはむしろ物凄く盛り上がってたけど。男子なら手加減しなくていい、半殺しだーって」 「だからじゃないかな」 苦笑しつつ雷蔵に言われて、は納得する。そうか、だからだ。 「雷蔵も、くのたまを相手にするのは嫌?」 「うーん、そうだね……」 と、そこではっと気づいた顔になり、雷蔵は慌てた様子で付け足す。 「と手合わせするのが嫌ってわけじゃないよ。ただ、……くのたまは、その、どう対処していいのか分からないから不安っていうのが大きくて」 少し困ったように答える雷蔵に、はなるほどと妙に納得する。雷蔵はやんわりと言ってくれているが、つまり『くのたまはどんな手を使うか分からないから嫌だ』ということだ。実際その通りなので、なにも言えない。 そもそもくの一はそれが本領だし、それは雷蔵も理解しているだろうから、構わないけれど。けれど……雷蔵が先程手合わせを断ったのはそういうことだったのだろうか。それを思うとほんの少し……仕方ないけど、寂しい。 「……? ごめん、気を悪くした?」 雷蔵は、人の心の機微に聡い。慌てて、は首を横に振る。雷蔵の言うことはよく分かるし、自分が寂しく思うのは、少なくとも雷蔵のせいじゃない。 「ううん、むしろくのたまとしては光栄だと思うよ。舐められてるより怖がられてる方が」 それも本当のことだったのでそう答えると、雷蔵はほっとした顔になり、そういえば、と苦笑した。 「兵助が言ってたよ、くのたまに昔こっぴどく苛められたのがトラウマになってるって」 「池に突き落としたり、釣り天井の部屋に誘い込ませたり、毒団子食べさせたりね」 昔のことを思い出して懐かしさに微笑むと、雷蔵は対照的に顔をひきつらせた。当たり前だ。 「よく考えたらすごいことしてるね、私達。でもあれ授業の一環だから」 「うん……分かってるんだけどね」 やっぱりくのたまは怖い……とぽつりと漏らす雷蔵に、は笑ってしまう。 「懐かしいな、あれ一年生の時だよね。忍たまをこっちの教室に招待して、おもてなしするの。恒例なんだって」 「そうか。と初めて会ったのは、あの時だね」 思い出したのか、雷蔵も懐かしそうな顔になる。同じことを思い出していることが嬉しくて、は少し心が浮き立つ。 「うん、そうだね。……雷蔵にとっては、いい思い出じゃないかもしれないけど」 「……そんなことないよ」 雷蔵はそう言って、少し押し黙る。じっとなにかを考え込んでいるようで、やっぱり思い出したくないことだったかな、とが反省しかけたとき、雷蔵が口を開く。 「ねぇ、。あの、話は変わるんだけど」 「ん? なに、雷蔵」 雷蔵の声が少し真面目ものだったので、は首を傾げる。歩きながらも隣の雷蔵を窺うと、雷蔵はほんの少しだけから視線を逸らして、続けた。 「……その、この間くれた組紐、ありがとう」 ああ、とは声を上げる。手伝ってくれたお礼にと、この間贈ったあれのことだ。 「ごめんね、大したものじゃなくて」 「そんなことない。すごく嬉しいよ、本当に」 雷蔵はを見て、微笑んでくれる。渡した時も十分にありがとうと言ってくれたのに、今も雷蔵は本当に嬉しそうにしてくれている。そのことに、は心が躍り、そしてほんの少しだけ切なさを感じる。 「……雷蔵は、優しいね」 思わず漏らした言葉に、なぜかずきりと自分が傷ついた。 「優しい?」 「よく言われない? 私もそう思う」 雷蔵はほんの少し考える素振りをしてから、柔く苦笑した。 「……僕は、そんなに優しくなんかないよ」 その声音が、どこか会話を続けるのをやんわりと拒絶しているように思えて、は口にしたことを後悔する。今までに何度他人からそう言われていようとも、自分からそれを肯定するなんて、雷蔵がするはずないのに。困らせることを聞いてしまった。 「……ごめんね」 「なんでが謝るの?」 不思議そうな視線を向ける雷蔵に、は曖昧に微笑んだ。 雷蔵は優しい。他人のことをいつも考えていて、親しくしてくれて、気遣ってくれて。 それは、雷蔵が、優しいからで。 ……胸が、痛む。 この間、穴に落ちるのを庇ってくれた時に感じたものと同じ、意味の分からない胸の痛み。 分からない。雷蔵と一緒にいるのは心地良いのに、どうして胸が痛むのか。 どうして── →五話『望まない自覚』後編 |