不破雷蔵夢
一話『心配するのは好きだから』





「……あの。ここがどこなのか分かりますか、先輩」
 珍しい、絶望的な顔で滝夜叉丸が尋ねる言葉に、は首を横に振った。
「全然……分かんない」



 つまりは、いつものことだった。
 いけいけどんどんな委員長に連れられて特に意味もないのに体育委員が山登りをさせられていると、唐突に雨が降ってきた。それもただの雨ではない、豪雨と言っていい激しさのそれ。同時に鳴り響いた雷に思わず小平太除く全員が足を止めた隙に、雷雨なんて屁でもないと言わんばかりに、体育委員長はそのままの勢いで走り去って行ったのだ。足を止めた他の委員には気づかずに。
 酷い豪雨で前すら見えにくいのに、加えて雷も鳴っている。ここは裏山や裏々山のように歩き慣れた山ではなかったし、そもそも今までも豪快に走る小平太を目印にして走って来たのだ、その本人がいないとなると──道が全く分からない。



「ど、どうしましょうか、先輩」
 不安そうな顔で見上げてくる金吾の言葉に、は顔に降り注ぐ雨粒を拭い、後輩の体育委員達を見回した。
「……もう焦ってもしょうがないね。とにかくみんな疲れたでしょ、まずは落ち着いて休めるところを探そうか」
 学園を出てからほとんどぶっ続けで走り続けていたせいで、含めて体育委員は皆ズタボロの様子だった。金吾は雷が怖いのかの腕にしがみついているし、四郎兵衛は雷が鳴った瞬間に驚いて滑ったらしく、頭を打って気絶している。それに気づいた三之助が慌てて介抱し、文武両道と普段から豪語している滝夜叉丸も、今は大人しく辺りの様子を窺っている。
 全員酷く疲れ切ってはいたが、委員長に置き去りにされるのはこれが初めてではなかったので、ある意味達観したような落ち着きはあった。それだけが唯一の救いだろうか。
 は一応小平太の去っていた方向を探ろうとしたが、もう日が落ちてしまった今ではそれすらも難しかった。あの委員長の心配は全くいらないだろうが、には後輩を連れて無事に下山する自信はほとんどない。実のところ、道などない山の中を無理矢理に走ってきたのだから、山を下りる方向すらもよく分からないのだ。
先輩、あそこなら少しは休めそうです」
「うん、ありがとう滝夜叉丸」
 さあ行こう、と金吾を連れて立ち上がる。まだ目を覚まさない四郎兵衛を滝夜叉丸が背負って、全員で木々が密集していて雨が防げる場所へと移動した。そこでも小雨程度の水は落ちてきたが、雨の勢いが強すぎて呼吸すら難しかった先ほどと比べれば、大分マシだ。
「四郎兵衛、いい加減に目を覚ませコラ」
「滝夜叉丸先輩、殴ったら起きるんじゃないですかね」
「輪子、出番だ」
「それはもう殴るって程度じゃないですよ……」
 起きない四郎兵衛を巡って滝夜叉丸と三之助がやんやと言い合っているのを聞くとはなしに聞きながら、は今の状況にため息を吐いた。その隣で、ぐったりと金吾が木の幹に身体を預けている。体力的にも精神的にも、最下級生には辛いだろう。とりあえず、自分を含めて失った体力を回復させるのが先だ。その間に、これからのことを考えないと。狼煙を上げるにもこの雨では無理だし、そもそも火種を持っていない。今の居場所も分からないし、連絡を伝える手段もないし、雨は凄いし雷は鳴ってるし、下級生もいるから無茶は出来ない。今の状況を並べてみると、……ああ、絶望的だ。はぐったりと項垂れてから、そういえばと学園を出る前のことを思い出した。



 遡ること、二刻前。
 『体育委員は門の前に集合』という知らせを聞いてが部屋を出たのが、夕食後のことだった。事務の小松田に外出届を提出してから正門に向かっていると、廊下でばったりと同学年の生徒に会った。
「あ、。どうしたの、今からどこか行くの?」
 ふわふわと柔和な笑顔に、こちらもつられて笑顔になった。
「雷蔵、こんばんわ。これから体育委員の集まりがあるの。……多分、自主トレの付き合いだと思うけど。山を登るとかね」
 答えると、「そっか、大変だね」と雷蔵は心配そうな表情になり、ちらりと外の様子を窺った。
「そろそろ雨が降ってきそうだけど、大丈夫かな? 行き先は山かもしれないんだろう?」
「七松先輩に天候は関係ないもの」
「あー……そうだったね」
 笑うに、雷蔵は苦笑する。
「じゃあね、雷蔵。またね」
「あ、
「ん?」
 引き止められて振り返ると、雷蔵はなにかを言おうとして言えないような、そんな仕草を繰り返している。迷い癖が出たかのようだ。
「どうしたの、雷蔵」
「ん……あ、いや。なんでもない、ごめんね。その……気をつけて」
「うん、大丈夫だよ。私体力だけはあるからね」
「でも、気をつけてね。山は天気に左右されやすいし、怪我とかしないように」
「ありがとう。じゃあね雷蔵」
「行ってらっしゃい」
 振られる雷蔵の手に、も同じように手を振り返して、正門へと向かって駆けだした。
 その後ろから雷蔵が心配そうな視線を向けていることを気配で感じて、雷蔵は優しいなぁと思いながら。



 ──ああ。雷蔵の危惧した通りになった。

 雷の響く豪雨の中で山登り。確かに、誰がどう見たって、それこそ忍者が見たって、無謀なことには違いない。
先輩、これからどうしますか?」
 かけられた声に目をやると、いつの間にか滝夜叉丸が隣に来ていた。見ると四郎兵衛はようやく起きたようで、すでに三之助と金吾と三人で頭を抱えて悩んでいる。
「ああ、ごめんね。ぼうっとしてた」
「いえ。しかし、私達もこのままでは遭難してしまいますし」
 それに、あいつら多分限界です。と小さく付け足しながら、滝夜叉丸は下級生の三人を視線で指す。三人はもはやこの状況に対してまともに頭が働かないらしく、よくよく聞いてみると山を下りる方法などではなく「ご飯食べたいなぁ」「走りっぱなしだったからな」「僕、明日抜き打ちテストなんですよ」「なんで抜き打ちなのにそれを知ってるんだ?」「うう、濡れて寒いよう」「雷怖いよう」などとほとんどただの愚痴になっている。無理もないが。
 嘆息しつつ、滝夜叉丸の視線がに戻る。
「七松先輩が、私達を見つけてくださればいいんですが」
「期待はしないほうがいいかもしれないね。七松先輩は、学園に帰るまで私達がいないことにも気づかない気がするし」 
 それに、あの体力だけは百人分の体育委員長とはいえ、この雨の中こちらを見つけることは難しいだろう。
「では……」
「うん、ひとまず方角が分かればいいんだけど……無理だね」
 空を見上げてみても、豪雨のせいで真っ暗に曇っている。星どころか月さえもない。おまけにさほど近くないとはいえ雷がかなり酷いので、時折視界すら曖昧になる。
「滝夜叉丸、走ってきた道、覚えてる?」
「少しでしたら。ですが正直に言って自信はありません」
「私も。それに、疲れたあの子達を連れ回すのは危ないしね」
「あの、先輩方」
 話の途中で、突然に声が割って入った。三之助が、すぐ傍まで来ている。が金吾と四郎兵衛の様子を見ると、二人はお互いに寄りかかるようにして肩を落としていた。喋るのにも疲れたのかもしれない。
「どうしたの、三之助」
「いえ、これからどうなさるのかなと」
「うん、今考えてたところなの。あ、そうだ。みんな怪我とかしてない?」
 今更ながら気づいて見回すが、今のところその心配はないらしい。大丈夫ですと首を横に振る後輩達に、ほっとする。
「おい三之助、お前なにか合図を送れるようなものを持っていないか?」
「いえ。虫獣の類もほとんど置いてきてしまいましたし。ですが滝夜叉丸先輩、ようは方角が分かればいいんでしょう」
「まぁな。それが正確に分かればなんとかなるが」
 ふむ、と三之助は両手を組むと、しばし考えるそぶりをしてから、ある方向を指差した。
「俺の感覚で言えば、学園はこっちだと思うんですけど。滝夜叉丸先輩はどう思います?」
「三之助。黙ってろ」
「え、なんでですか。俺の勘って結構当たるんですよ」
「無自覚の方向音痴は黙ってろ、と言ったんだが」
「は? 誰が方向音痴なんです? おい、誰だか知らないけど足は引っ張るなよ、方向音痴の奴」
「お、ま、え、だ!」
 ごん、と鈍い音と共に、三之助の姿が一瞬の視界から消え失せる。殴られた三之助と殴った滝夜叉丸が「なにするんですか滝夜叉丸先輩ー!」「うるさい、自覚が無いにも程がある、私達を本気で遭難させる気か!」と叫び合っている。
「元気そうだから、まぁいいか……」
「止めるのにも体力いりますしねぇ」
 いつの間にか隣に来ていた……というか巻き込まれぬように逃げてきた金吾と四郎兵衛がうんうんと頷いている。触らぬ神に祟りなし。
「それで……あの、僕たちどうしましょう」
 心配そうな金吾の言葉に、は今一度空を見上げる。
「うーん……」
「朝日が昇るまで待てば、方向は分かると思いますけど……」
 四郎兵衛の言葉に、金吾は「雷の鳴ってる中で一晩過ごすなんて……」とほとんど涙目になっている。その二人の頭をぽんぽんと軽く撫でてから、は座っていた木の根から立ち上がった。
先輩……」
「どうしたんですか?」
「うん、私が行ってくるよ」
 後輩二人に答えて、軽く身体を伸ばす。しばらく座っていたから体力は少し回復したし、疲労からの手足の痛みもそこそこ薄れた。まぁ、後は根性でなんとか、というやつだ。
先輩?」
「どういう意味ですか」
 喧嘩を始めていた滝夜叉丸と三之助も、に視線を寄越す。四人の視線を受けながら、は「うん」と頷いた。
「とりあえず、そこらへんを走ってくるよ。山道が見つかるかもしれないし、駄目でも方角が分かるかもしれないから」
「な……!」
「大丈夫よ、私体力あるからね。滝夜叉丸、みんなをお願いね」

『駄目ですっ!』

 全員からの突然の大声に、はぎょっとする。それだけではなく、金吾と四郎兵衛が両足にしがみついてきた。
「嫌ですー! 先輩行かないでください!」
「こんな雨の中、無理したら怪我しますー!」
 下級生二人に懇願されて、言葉を失う。はっと気づくと、三之助と滝夜叉丸も目前に迫っていた。
「無茶ですよ先輩、視界すら曖昧なのに!」
「それなら私のほうが向いています、先輩! この成績優秀文武両道の滝夜叉丸が!」
「でも、私がこの中で最上級生だし、体力も一番あるし」
「いくら先輩でも無茶ですよー! 僕、先輩が怪我するの嫌ですー!」
 足元からほぼ半泣き状態で訴えられて、言葉に詰まる。心配してくれるのは嬉しいけれど、この状況でいつまでもいるわけには──
 後輩達を説得しようと口を開きかけたは、ふと雷光の響き渡る夜空に視線を向けた。なにか、違和感が、

先輩、やめましょうよー、朝になるまで待つのが一番ですー」
「そうですよ、七松先輩が学園に着いたら僕たちのこと探してくださいますよ!」
「なにを言ってるんだお前達、私が行くと言ってるだろうが! 先輩、私が行きますから、先輩はここでこいつらを見ててください!」
「なら俺も行きますよ! 滝夜叉丸先輩だけに良いかっこして欲しくないですから!」
「三之助、貴様……!」
「なんですか、滝夜叉丸先輩……!」

 すわまた喧嘩が始まる、というその時、はようやく気がついた。雷の音が、近い。──近すぎる。
 咄嗟に、足元の下級生を引き離した。三之助と滝夜叉丸も違和感に気づいたのか、顔を強張らせる。呆然とする下級生二人を抱えこもうとした瞬間、──身の竦むような衝撃が走った。


 轟音。


 たった一瞬のことだったはずだが、その音と光は凄まじい威力で全身を叩いた。すぐ近くの木に落雷があったのだと気づくまでに、数秒かかった。耳が痺れるほどの大音量と、目が焼けるほどの光。焙烙火矢などのそれとは桁の違う破壊衝撃に、本能で恐怖を感じた。辺り一面、くすぶった匂いが鼻につく。ずずず、と辺りの木々が鳴いている。雷に打たれた木が、倒れる。

「ぎゃーーーーーーーーーーー!」
「わあーーーーーーーーーーー!」

 突然、甲高い悲鳴が響く。はっと意識を取り戻すと、金吾と四郎兵衛が固まって悲鳴を上げていた。が金吾を抱え上げると、滝夜叉丸も四郎兵衛を担ぎ上げる。三之助が無事なのを確認してから、一斉に走り出した。
「か、雷、雷怖いです先輩ーー!」
「うわーうわーうわー!」
「遠いからと油断していたな、木の下にいるのは危ない!」
「て言っても、ほとんど木ばっかりですよここ、山ですもんーー!」
 とにかく落雷の影響から少しでも遠ざかろうと駆け続けたが、すぐに限界が来た。今まで走り続けて体力がギリギリだったことに加えて、先ほどよりは弱まったとはいえ、雨もまだ豪雨と呼んで差し支えないものだった。なにより、幼いとはいえ人一人運ぶのは相当の重労働だ。先ほどよりは危険がないと判断して、は足を止めて金吾を下ろす。滝夜叉丸も四郎兵衛を下ろし、また全員で走り出した。
「とりあえず、雷の影響が無いところを探さないと──あ、みんな、転ばないように気をつけて!」
「あ、あんなのがもう一回近くに落ちたら死にますよ!?」
「出来る限り低い木の下……くらいしかありませんね、先輩」
「そうだね。洞窟なんかがあれば一番なんだけど無理だろうし、やっぱり低い木の下に」
「……うわっ!」
 突然に、すぐ傍で間の抜けた声が聞こえた。が咄嗟に足を止めると、ぬかるみで滑ったのかバランスを崩した金吾が地面に突っ伏しそうになっている。ただの地面ではない。岩がごろごろと転がっている、泥沼の地面に、だ。
「金吾!」
 咄嗟に手を差し伸べて金吾の腕を掴んで引っ張ったが、そのせいで今度はこっちが体勢を崩した。無理矢理に身体を捻って、金吾の身体だけは隣にいた三之助に投げ預ける。三之助が金吾を受け止めたのを見て、ホッとした。
 けれどそのせいで、崩れた体勢を持ち直すことは出来なかった。勢いを殺せないまま、思いきり地面に叩きつけられる。
「先輩!」
先輩!」
 後輩の声が響く中で、全身に衝撃が走った。叩きつけられた身体はそれだけでは勢いが止まらず、泥沼に倒れ込んでようやく止まる。
 起き上がろうとして、ずきりと手と足に痛みが走る。それでも骨に異常はないようで、なんとか身体を起こすことは出来た。素早く確認しても、頭・背中・腰・手・足、どこも打撲より酷いものはない。
先輩、大丈夫ですか!? ごめんなさい!」
「……うん、大丈夫。怪我ないよね? 良かった」
 すがりついてくる金吾の背中を二度ほど叩いて落ち着かせ、立ち上がる。途端にあちこちから鈍い痛みが走り、疲労に加えてずっしりと身体が重くなる。打撲以上のものはない、それは確かだったが、正直立っているだけでも体力を消耗する気がした。
「骨とか、折ったりしてないですか?」
先輩、無理しないでください」
「ありがとう、本当に大丈夫だから」
 駆け寄ってきてくれる三之助と四郎兵衛に答えると、その後ろから滝夜叉丸が焦りを帯びた表情で尋ねる。
先輩、歩けますか」
「大丈夫、走れるよ。……でもごめん、無茶は出来ないかも」
 滝夜叉丸に答えながら、は泥に塗れた顔を拭う。見れば、体中、どこもかしこも泥で散々な有様だった。どの体育委員も同じような格好だったから仕方ないのだが、このまま放っておくと、細かな傷でも膿んでしまう。
「日が昇るまで、どこかで休みましょう。これ以上は無理です」
 滝夜叉丸が、固い声で言う。その判断は、多分正しい。これがだけならば下山出来ても、誰かが同じように負傷すれば、それでおしまいだ。最悪の事態になる前に、今のうちに休めるところを探すのが得策だろう。
「……七松先輩は、大丈夫でしょうか」
 ぽつりと、三之助が呟く。あの体力バカ委員長はどんな状況でもまず心配ないと誰もが思っていたが、これほどに悪天候だと話は別だ。この事態を作った張本人とはいえ、別に悪気があったわけじゃないのだから。
「きっと大丈夫だ。だから、私達は私達を守ることを考えなければな。行くぞ三之助、手伝え」
「は、はい!」
先輩、低い木の下で少し休んでいてください。四郎兵衛、金吾、お前達もだ。なにかあったら呼び子を鳴らせ」
「はいっ!」
 滝夜叉丸が指示を出すのに、後輩達が頷いて動き出す。先輩行きましょう、と四郎兵衛と金吾が歩くのを手伝ってくれる。
「ありがとう。二人とも、無茶しないでね!」
先輩も大人しくしててくださいよー!」
「吉報をお待ちください、先輩。なーに、私の手にかかればこんな山は箱庭もいいところです」
 余裕めいた言葉を口にする滝夜叉丸にも、疲労の色が濃い。本当なら行かせたくないが、この状況で下級生を巻き込まないことを考えると、多分一番妥当な判断だった。今は、自分たちの力でなんとかしなければならないのだから。……もう少し自分に力があれば、こんなことにはならなかっただろうに。
 は心配そうに見上げる四郎兵衛と金吾に頷いてみせ、滝夜叉丸と三之助に視線を送る。二人は大丈夫だと言うように軽く笑って、雷の響く雨の中を走り出そうとした。

 ──その時。


、大丈夫!? 怪我してるの!?」


 突然に呼ばれた名前に、驚いて身体の動きを止めた。咄嗟に辺りを見回している間に、声はもう一つ響く。

「感動の場面を邪魔するみたいで申し訳ないけど、隠れてるわけにもいかないしなぁ」

 どちらも聞いたことのある声だ、と思った。その次の瞬間には、唖然とする体育委員達の前に、見慣れたそっくりの影が現れる。
 五年生の装束。全く同じ、双子のような対の二人。
「雷蔵と三郎!?」
 思わず叫ぶと、多分三郎が、ひらひらと手を振って寄越す。
「よう、。大丈夫じゃなさそうだな」
「鉢屋先輩に不破先輩、どうしてここに!?」
 喜ぶ前に二人がここにいることが理解出来なくて、体育委員は驚いて雷蔵と三郎に駆けてくる。
 三郎は雷蔵に目でなにか合図すると、駆け寄ってきた滝夜叉丸と三之助に向き合い、
「先生に言われてきたんだよ、大雨降ってる山でアホなことしてる体育委員を止めて来いってさ。それで、七松先輩はどうしたんだ? お前達、道に迷ってたように見えたけど」
「ええ、それがですね……」
 滝夜叉丸が三郎に今の状況を説明している間に、雷蔵が慌てた様子でに駆け寄る。まだ呆然としているを覗き込んで、
、大丈夫?」
「不破先輩! 先輩、僕を庇って怪我したんです」
先輩は大丈夫だって言うんですけど、全身打ってたし」
 金吾と四郎兵衛が左右から言ってくれるのに、雷蔵は微笑んで二人の頭を撫でた。
「うん、分かった。僕が診るから、君たちは雨がしのげるところで休んでて。今までよく頑張ったね」
「不破先輩……!」
「ありがとうございます!」
 そこでようやく実感が持てたのか、二人は泣き出しそうな顔で雷蔵に礼を言うと、二人揃って近くの木陰へと避難して行った。残されたに雷蔵は「ちょっとごめんね」と言って、の手や足の様子を診始める。
「ああ、酷いね。骨には支障がないと思うけど、歩くのは辛いかも──、どうしたの」
 呆然としたままのに気づいたのか、雷蔵が問うのに、はようやく口を開いた。
「なんで雷蔵、ここにきてくれたの?」
「うんと……さっき三郎が言ってただろ、先生に止めて来いって言われたからだよ。でも本当は、僕が先生に無茶だって言いに行ったから」
「え?」
「なんか嫌な予感がしてさ。もやもやしてたら、すぐに大雨が降ってきたし、小松田さんに行き先聞いたら、険しい山だって言うしさ、さすがに危ないだろうと思って。……その、迷惑じゃなかったかな」
「迷惑だなんて、そんなことない。本当に助かったよ、ありがとう。……いつもなら七松先輩がいるんだけど、はぐれちゃって道も分からなくて、すごく不安だったの」
 思わず本音を漏らすと、雷蔵は「うん」と優しい瞳で受け止めてくれた。手拭いを取り出して、傷が膿まないようにと泥に塗れたの腕を拭いてくれる。
「大丈夫、僕も三郎も道は分かるから。安心して」
 雷蔵の笑顔に、ほっとする。気が抜けたせいで今まで蓄積されていた疲れがどっと出て、打撲の痛みが少し増した。雷蔵が簡単に手当してくれるのを眺めながら、は大きく息を吐いた。
 ──本当に、良かった。



「そうか、じゃあ七松先輩も探したほうがいいか」
 滝夜叉丸から状況を聞いて、三郎が顔をしかめる。この雨の中で一人だけ探し出すというのは困難だろう。
「まぁ、七松先輩は道をご存じのようでしたけど。……そういえば鉢屋先輩、どうして私達の居場所が分かったんですか」
「道を知ってても、こんな雨の中で探すの、大変じゃなかったですか」
 滝夜叉丸に続いて三之助が問うのに、三郎は「ああ」と軽く笑う。
「お前達、雷が鳴った後に悲鳴上げてただろ。それで分かっただけだよ」
「ああ……」
「そういえば……」
「それよりお前達、に感謝しとけよ。あいつが出かけに雷蔵と会っていたおかげで、助かったようなもんだからな」
「え? どういう意味ですか、鉢屋先輩」
「雷蔵がな、こんな雨の中で心配だってわざわざ先生に言いに行ったんだ。顧問の先生もお前達の行き先は知らなかったみたいだけど、小松田さんが知ってたから」
「不破先輩が、私達を心配してくださったんですか」
 滝夜叉丸の言葉に、三郎は頷く。視線での手当をしている雷蔵を指して、
「ま、正確にはお前達のというよりは……だけどな」
 滝夜叉丸と三之助は、三郎の指す方向を確認して、納得したように声を上げた。
『あぁ、なるほど』
「そういうわけだ。さてと、七松先輩が道を知ってるなら、さほど心配しなくてもよさそうだな。とりあえず学園に帰らないとな」



「やっぱり、かなり酷いね。無理はしないほうがいいよ、
 打ち身のせいで紫色に腫れているの二の腕をそっと撫でながら、雷蔵が言う。実のところ、両足からも内出血らしき鈍い痛みが絶えない。けれどこれで助かったのだという安心感のおかげで、そんな怪我はどうでもよくなっていた。
 にとっては、怪我そのものよりもずっと、雷蔵の手当の優しさのほうが気になっていた。痛みがないように、本当に壊れ物を扱うような優しい仕草で手当されていると、なんだか自分がどこかの姫にでもなったような気になってくる。
「足も痛めてるし、下山するのは少し難しいかもしれないね」
「そんなことないよ、大丈夫。骨は折れてないんだし。少しくらい無茶しても、私は頑丈に出来てるから」
「そういう風に言っちゃ駄目だよ」
 雷蔵はの言葉に顔を曇らせて、手当をしていたの腕をゆっくりと離した。そしてしばらく考えるように沈黙してから、 
「やっばり歩くのはやめたほうがいいね。よければ僕が背負って下山するけど──」
 と。そこで雷蔵は突然に固まった。まるで自分が口にした言葉の意味に今気づいた、そんな様子で。
「せ、背負うって……だ、大丈夫、私歩けるから!」
「……それは、駄目だよ。僕じゃ嫌なら三郎に頼むから」
「嫌とかじゃないよ雷蔵、私歩けるから大丈夫っていうだけで──!」
 有事ならともかく、怪我は本当に大したことないのだし、そもそも雷蔵に背負ってもらうなんて、恥ずかしすぎて仕方ない。しかし上手く断る言葉が見つからずにわたわたとしていた時、後ろから弾んだ声がかけられた。
「ああ、そうですねっ。それなら安心ですよ、先輩!」
「不破先輩でしたら、先輩を背負ってても十分下山できますよねー」
 話を聞いていたのか、木陰で休んでいたはずの金吾と四郎兵衛がとてとてと駆け寄ってくる。
「僕が大きかったら、先輩を僕が背負うんですけど、まだ無理そうですし」
「さっき金吾と二人でならどうかなって考えてたんですけど、不破先輩なら安心ですー」
「不破先輩、お願いしますー」
「お願いしますー」
 下級生二人に頭を下げられ、雷蔵が「え?」と驚きの声を上げている。その横で、当のも同じくらいに驚いていた。
 いつの間にか、そういうことになってしまった。
 勿論、雷蔵に背負われるのが嫌だというわけでは決してない。けれどどうしても大した怪我ではないという意識が強いし、それになにより──恥ずかしい。
「……その、僕でいいかな、
 少し照れながら雷蔵に言われて、否定の言葉が喉元で詰まる。言えない。そんな顔で見られたら、嫌なんてもう言えない。
「……お願い、します。あ、あの、私重いから、無理だったら遠慮なく落として行ってね?」
「大丈夫だよ。落としたりしないし、は軽いよ」
 微笑んで、雷蔵がの腕を取る。その仕草がまた優しくて、雷蔵はどうしてこんなに丁寧に扱ってくれるんだろう、と不思議に思った。
 まさにその時。



「おー、お前達、こんなところにいたのかー!」



 唐突に、ばかでかい声と共に木々の間から見慣れた人物が飛び出してきた。

『七松先輩!』

 突然の体育委員長の登場に、全員が驚きに目を見開く。
 小平太は、この雷雨の中を爆走してきたはずなのに、少しも疲労した様子がない。泥まみれなのは他の委員と同じだったが、小平太本人はあっけらかんと普段通りだ。
 体力バカにも程がある……。
 一同が唖然と動きを止める中、小平太はずんずんと足を進め、
「はぐれちゃ駄目だって言っただろう? ほんとお前達は目を離すとすぐいなくなるからなー、あはははは!」
 豪快に笑いながら、体育委員達の頭を殴るに近い勢いで撫で回していく。
「七松先輩、心配したんですよー!」
「あの、いなくなったのは私達ではなく七松せんぱ……」
「雷大丈夫でしたか、七松先輩」
「学園に帰りましょうよ、先輩ー」
 体育委員達の言葉に、そーかそーかと頷きながら、小平太はふと周りを見回し、違和感に気づく。
「ん、なんかいつの間にか二人増えてるな。……ま、いっか! ようし、雨も降ってきたし、学園に帰るか!」
 簡単に存在を無視された三郎と雷蔵は、苦笑して顔を見合わせ、軽く頷き合った。これで体育委員全員、下山出来る。
「あの、七松先輩、お怪我とかしてないですか?」
 が声をかけると、小平太は「おっ」と声を上げての元までやってくる。
「ああ、私は大丈夫だが。、お前怪我をしたのか?」
「いえ、大したことないんです。ただの打ち身で……」
「はは、無理するな、私が学園まで運んでやろう」
「え、ちょ、七松先輩!?」
 抗議の声を上げる前に、まるで荷物のようにひょいっと肩に担ぎ上げられた。すぐ傍にいた雷蔵が、「え!」と慌てた様子で立ち上がる。
「七松先輩、け、結構ですから下ろして──」
「ははは、しっかり掴まってろよ。よーしみんな、学園に帰るぞーーー!」
『は、はいっ!』
 小平太の言葉に反射的に体育委員達が返事をすると、小平太はを担いだまま先陣を切って走り出した。


「……うん、じゃあまあ、俺たちも行こう」
 小平太が走り去ってから、数秒後。やはり置いて行かれた委員達に、三郎が声をかける。
「はーいっ」
「走らなくていいからね。ゆっくり僕と三郎についてきて」
 ふう、と一つため息をついた後で、雷蔵も三郎の言葉に続く。
「一番後ろは滝夜叉丸、頼む。なにかあったらすぐに知らせてくれ」
「はい、分かりました、鉢屋先輩」
「金吾、僕たちは真ん中だってさ」
「はい、時友先輩。ようやく学園に帰れますね」
 ぱたぱたと嬉しそうに並ぶ一年生と二年生に、滝夜叉丸の前を行く三之助が軽く肩をすくめる。
「二人とも、気をつけろよ。はぐれたりしないようにな」
「おい三之助、これを持て」
「ん、縄? なんで滝夜叉丸先輩と繋がってるんです?」
「気にするな。説明しても理解出来んバカだからなお前は」
「なんですか、喧嘩売る気ですか滝夜叉丸先輩ー!」
「ほらほら、二人とも、喧嘩するなよ」
「よし、じゃあ学園に帰ろうか」
「はーーいっ」
 小平太とに遅れをとること、少し。ようやく残りの体育委員も、下山を開始した。
 

「なぁ、雷蔵」
 後輩達を引率中に三郎が近づいてきて、雷蔵に小さく声をかけた。 
「ん、なに三郎」
「不満そうだな?」
 ニヤリと自分の顔で笑われて、雷蔵は軽くむっとする。三郎がなにを言いたいのかが明白だからだ。
「……なにが?」
「そうむくれるなよ。七松先輩にいいとこ取られたからってさ」
「気にしてないよ、そんなの」
「それにしては残念そうだけどな──分かった、睨むなって。ま、いずれまた機会はあるさ」
 ぽん、と肩を一つ叩いて、三郎は雷蔵から離れていく。その意地悪そうな、それも自分と全く同じ顔を見送って、雷蔵はため息を吐く。
 別に、下心があってここに来たわけじゃない。始めとする体育委員達が心配だから来たのだ。
 だから別に気分が落ち込む必要はない。ないはずなんだけど──三郎の言うとおり、ちょっとだけ残念だったかなーと思うのも、確かで。
 そんな自分が少し嫌で、ふう、ともう一つため息をついてから。
 今は──を抱えた七松先輩はどこあたりを走ってるんだろう、と雷蔵は学園までの道を見下ろした。




「ちょ、七松先輩!」
 景色がすごい早さで流れていくのに度肝を抜かれて、は思わず叫ぶ。一人を肩に担いでいるのに、小平太の勢いは凄まじく、正直言って自身が全力疾走したのとあまり変わらぬほどの早さだった。しかもほどほどに急な山を下山しながらだ。いくら小平太がこういう分野で頼もしくとも、いつ転ぶのではないかと不安で仕方ない。なにしろ小平太が転んだら、なし崩し的にだって転ぶのだから。
「なんだー、口閉じてないと舌噛むぞー? ってよく言うけど、あれ本当かな、はどう思う?」
「いやいやいや、そんなことはどうでもいいので、七松先輩、お願いですからもう少しゆっくり走ってください!」
「あははははーー! は無茶を言うなー、あははーーーー!」
 私は足を止めると死んでしまうんだー、とでも続きそうなほど豪快に笑って、小平太は相変わらずの早さで爆走する。
「あああ、七松先輩、危ないですから、もう少しゆっくりーー!」
「大丈夫だ大丈夫だ、私を信じろ、!」
「し、信じてますけど……っぐ!」
 言ってるうちに舌を噛んだ。小平太が「おおっほんとに舌噛むんだな、私一つ賢くなったぞ、あはははは」と笑っているのを聞きながら、は諦めて小平太にしがみつくのに必死になった。振り落とされるだけでも、大怪我をする。小平太だって多分気を使って支えてくれているんだろうけど、この早さは怖すぎて仕方ない。
 ああこんなことなら雷蔵に背負ってもらえばよかったかな、とは思う。けれど実際背負ってもらうことを思ったらとても恥ずかしかったから、やっぱり七松先輩に運んでもらって良かったのかもしれない、とも思い直す。

 雨に打たれて身体が冷えていたせいか、あの時触れた雷蔵の手は温かくて優しくて、とても心地良かった。丁寧に触れてくれたあの仕草は雷蔵が優しいからなのに、それがまるで自分は雷蔵の特別なのだろうかと錯覚してしまうような、それほどに意識させる優しさだった。
 それを思うと、顔が赤くなる。恥ずかしい。なによりも、そんな恥ずかしいことを考えた自分が一番、恥ずかしい。

 熱を持った頬を自覚しながら、は顔を上げた。今まで小平太が駆けてきた山道を見上げて、そのどこかにいるはずの六人を思う。
 金吾も四郎兵衛も三之助も滝夜叉丸も、少しは元気になっただろうか。みんなを引率してくれている三郎と雷蔵は、今はどのあたりを歩いているのだろうか。
 学園には自分が先に着くだろうから、みんなが帰るまで正門で待っていよう。
 そして、みんなにお礼を言おう。

 特に雷蔵には丁寧に、助けてくれてありがとうって。









 あれほど酷かった雨は時間が経つと共に少しずつ弱まり、全員が学園に着いた頃には空は綺麗に晴れていた。
 ようやく辿り着いた体育委員と五年生二人は、正門に人影を見つけて足を止める。
 待ち疲れたのか正門の扉に背中を預けて、が静かに眠っていた。
 満身創痍のその姿で。山で別れた時と同じ、泥だらけのままで。




















 終

 →二話『未来』