不破雷蔵夢
二話『未来』
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「じゃあ、次はと……よし、三之助、行け!」 「はい! よろしくお願いします、先輩!」 突然聞こえてきた想い人の名前に、雷蔵は思わず足を止めた。隣で共に廊下を歩いていた三郎が、どうした、と視線で聞いてくる。それに答えずに声の主を探すと、近くの運動場の片隅に何人かが集まっているのを見つけた。下級生と上級生が混在した六人。三郎も雷蔵が見ているものに気づいたのか、「ああ、体育委員だな」と小さく呟く。 「うん、三之助。こちらこそよろしく」 委員長の小平太、滝夜叉丸に三之助に四郎兵衛に金吾と、これにくのたまのを加えた、体育委員。放課後に一体なにをしているんだろうと見ていると、と三之助が進み出て相対したことでようやくに察した。ああ、組み手の稽古か、と。 二人は慣れた様子で相手に一礼すると、素早く構えを取った。途端に、ぴん、と空気が張り詰める。 は、考えを読ませない無表情で三之助の出方を窺っていた。その構えには、雷蔵から見ても一分の隙も見あたらない。実家が有名な道場とかで、は武芸に関しては群を抜いて優秀だった。徒手空拳の接近戦では実技教師でないと互角に戦えないだろう、とまで言われている程だ。 「……はぁっ!」 に全く隙が無いことを理解したのか、三之助は早々に間合いを詰めた。仕掛けることによって隙を作ろうとしたのか、それとも他に策があるのか、とにかくの寸前まで近づき腹を右足で蹴りつけようとしたが、はその三之助の勢いを受け流すかのように、一歩下がる行為だけで避けてみせた。かすりもしない攻撃に動揺して、三之助は体勢を立て直さないままに、握った拳を勢い良く叩きつける。は狙いの甘いそれを正面から手のひらで受け止め、外側へと弾く。弾かれた勢いで、三之助が少し身体を引く。は素早く腰を落とし、自分の足を地面に滑らせて三之助のそれに勢い良く掛けた。三之助が体勢を崩して地面に叩きつけられる。起き上がる暇を与えず、は仰向けに倒れた三之助に馬乗りになり、手刀を作って、三之助の額に触れるか触れないかの位置で止めた。 額を取られた。これで、呆気なく勝敗が決まる。 「ま……参りました」 三之助が唖然とした様子で言うと、はすっと手を引いた。その瞬間、 「今だ金吾、やれ!」 「先輩、覚悟してくださーーい!」 竹刀を振りかざした金吾が、瞬く間にへと駆け寄ってくる。は三之助の上から素早く降りると、後ろからまともに突き出されたそれを振り向きもせずにギリギリの位置で避けた。そのまま身体を反転させて、再び突進してきた金吾に向けて掌を伸ばす。端からは軽く触れられただけにしか見えない掌底打ちが、金吾の身体を吹き飛ばす。まともに衝撃を受けた金吾は、「わーー!」と叫びながら地面をころころと転がっていった。 「あ。……金吾!」 攻撃してから相手に気づいたのか、は慌てて立ち上がり、自分が転がした金吾に駆け寄った。おおー、と感心した様子の小平太に、声を上げる。 「七松先輩酷いですよ、騙し討ちじゃないですか!」 「ははは、すまんすまん。ふいをつけばなんとかなるかと思ったんだが、やっぱり駄目だったな。お前本当に強いなぁ、ははは!」 目を回した金吾を片腕で抱き上げながら、小平太はもう片方の手でばしばしとの背中を叩く。その後ろから、「ほんとですよー」とこちらも起き上がった三之助が同意する。 「先輩、隙がなさすぎるんですよ。全然勝てる気がしません」 「そりゃそうだ。私だって先輩から一本も取ったことがないんだぞ、三之助」 「滝夜叉丸先輩も武芸は得意なのに、敵わないんですか」 「そーだ四郎兵衛、この成績優秀な私をもってしても、正攻法で先輩の隙をつくのはまず無理だろう」 「つまり、口だけなんですね、滝夜叉丸先輩」 「……今なにか言ったか、三之助」 いいえなにも、と真顔で答える三之助に、「聞こえなかったとでも思っているのか!」と滝夜叉丸が激昂する。「大体、お前だって先輩に全く敵わないだろうが!」「つまり、滝夜叉丸先輩は僕程度だってことですよね?」「な、なんだと三之助、お前ごときと私を一緒にするなーー!」と罵り合う口喧嘩が、取っ組み合いに移行するまではさほど時間はかからなかった。慣れた様子の他の体育委員は、そちらには目もくれずに金吾の介抱を続けている。 「相変わらず凄いな、あいつは」 三郎の声で、雷蔵は自分が見入っていたことに気づく。金吾の頭を心配そうに撫でているからようやく視線を外して、三郎を振り向いた。 三郎は珍しく真面目な顔つきだった。先ほどのの動きを再現しているのか、時折上に視線を向けながら、 「あいつ、接近戦だけじゃなくて飛び道具も苦手じゃないんだろう。小さいし細っこいのに体力あるし身は軽いし……それでいて見た目は普通の女にしか見えないからな。ああいうのが一番潜入役に適してるんだろう」 淡々と言う三郎の声音には、少し複雑そうな響きがあった。普段おちゃらけた雰囲気が強くとも、三郎はなかなか頑固で負けず嫌いだ。幼い頃から武芸を叩き込まれ、他の生徒と明らかな差があるに、嫉妬のような感情を抱いているのかもしれない。 「……そうだね、凄いよね」 相槌を打ちながら、雷蔵の視線はまたに戻る。金吾に「僕、先輩みたいに強くなりたいです」と言われて、は「ありがとう。じゃあ頑張らないとね」と微笑んでいる。その微笑みだけを見ていたら、本当にどこにでもいそうな女の子で、とてもあれほどの力量があるようには見えないのに。綺麗な髪は簪がよく似合いそうだし、優しい笑顔は見ていると安心する。多分五年生のくのたまの中でも実技の成績は首位だろうに、全然奢ったところもない。 「……凄いよね、本当に」 凄い。それは、本当にそう思う。雷蔵も忍びの道を歩む者として純粋に強くなりたいと思っているから、若いながらほとんど完成されているの武術には美しささえ感じられる。けれど、雷蔵にとってはどうしても、そうではなくて── 「おい、雷蔵」 肩に手をかけられて、「え」と慌てて振り向いた。呆れた顔で、三郎が肩をすくめている。 「お前、さすがにそんなに見てると気づかれるぞ」 「あ、ああ……そうだね」 「行こう、遅れると先生に怒られる」 言って歩き出す三郎に、雷蔵も慌ててその後に続く。まだちらちらと運動場を振り返る雷蔵に、三郎は歩きながら雷蔵の頭を軽く叩いた。 「いたっ」 なにするの、と視線で問うと、三郎は可笑しそうに笑う。 「お前、ほんっとに分かりやすいな」 どういう意味かとは問えなかった。自分の顔が赤くなっているのを感じながら、雷蔵は沈黙する。別にこっちからそうだと言ったわけではないのだが、三郎にはいつの間にかバレていた。 ──好きなんだから、仕方ないだろ。 思いはするが、それを口に出すことはしない。人をからかうのが趣味のような三郎のことだ、どれほどの反撃があるのか分かったもんじゃないから。 「あれ、不破先輩と鉢屋先輩ですね」 四郎兵衛の言葉に、は指された方向に視線を向けた。廊下を渡っている二人の忍たま。後ろ姿すらそっくりな二人。確かに、よく知った同学年の二人組。 「あ、ほんとだね」 「先輩、お二人と仲良いんですよね?」 ひょい、と身を乗り出して、金吾がを見上げる。はしばし考えて、「うーん」と首を傾げた。 「仲が悪くはないと思うけど、別に仲良いわけでもないと思うよ?」 「そうなんですか?」 「そうなんですか?」 金吾と四郎兵衛に不思議そうに同じ角度で首を傾げられて、はきょとんとする。自分で言ったとおり、仲が悪くはないと思うけど、良いと言うほどでもないと思う。 「どうして? そんなに二人と仲良いかな、私」 「ええと……というか、特に不破先輩と」 「特に雷蔵と? そうかなー……?」 本格的に考え始めたに、四郎兵衛と金吾が顔を見合わせて頬をひきつらせる。「もしや先輩気づいてないんじゃ」「みたいですねー」と囁き合う言葉は、には聞こえていない。 「大っ体、お前は生意気なんだ! なにかと言うと私に突っかかってくるだろうが!」 「違いますー! 滝夜叉丸先輩がウザいからいけないんですーー!」 「ウ、ウザいだと……!? 年長者に向かって、言って良いことと悪いことがあるだろうがー!」 「本当のことは言ってもいいんですー!」 悩むの後ろでは、まだ滝夜叉丸と三之助が飽きもせず取っ組み合いの喧嘩を続けている。それを見ている小平太がそわそわしているのに気づいて、金吾と四郎兵衛はをつついた。も気づいて、慌てて二人の手を取って立ち上がる。 「七松先輩! 私達もう帰ってもいいですか?」 「おー、いいぞー!」 ぶんぶんと手を振る小平太に「失礼しますー」と声をかけて、三人は小平太と喧嘩中の二人から距離を取った。 小平太は肩を鳴らしながら滝夜叉丸と三之助に近づき、 「お前達、本当に飽きないなー……私もまぜろ!!」 「な、七松先輩!?」 「うわーー! 七松先輩痛い、痛いですってーー!」 「わはははは、喧嘩するほど仲が良いっていうからなー!」 「ぎゃーーー!」 「七松先輩、顔はやめてください、顔はーーー!」 小平太の乱入で勢いを増した乱闘に、含む三人はとっとと逃げ出す。医務室に予約しなきゃですね、と四郎兵衛が走り出すのに頷きながら、はまだ先ほどのことを考えていた。 私と雷蔵はそんなに仲が良く見えるのだろうか、と。 「ただいま」 「、おかえりー。……ねえねえ、体育委員が原因で乱闘が始まったって聞いたけど、ほんと?」 食事を終えて部屋に戻ると、同室のくのたまが自習していたらしい教科書から顔を上げた。は後ろ手で戸を閉めながら、うん、と頷く。 「いつものことなんだけどね。滝夜叉丸と三之助が喧嘩を始めて、そこに七松先輩が乱入したの」 「あれ? 私が聞いたのは、そこに通りがかった潮江先輩がさらに乱入して、とばっちりで流れ弾に当たった立花先輩がキレて焙烙火矢投げ込んで、潮江先輩がたまたま近くにいた三木ヱ門君引き込んで、立花先輩が作法委員呼び出して、あやうく委員会対抗戦が始まりそうだったって」 「…………」 さほど時間は経ってないはずなのだが、そこまで進展していたとは思わなかった。そういえば夕食を食べていた時に外がとても騒がしかったり、先生方が焦ったように走り回ったりしていたが、日常茶飯事だったので気にも留めなかった。さすがに責任の一端を感じて、頭が痛くなる。逃げるのではなく、止めておけば良かった。 「そんなことになってたの……」 「うん。さっき廊下で三郎に会って聞いたの。三郎、『後始末するのは委員長委員会なんだぞ』って嫌そうにしてた」 もう静かになったから終わったんだと思うけどね、と笑う親友の言葉に、はふと気づいて思い出す。 「そういえば……三郎というか、雷蔵のことなんだけど」 「ん? 雷蔵がどうかしたの?」 「私と雷蔵、仲良いかな?」 「悪くはないと思うよ」 即答された言葉に、うん、とは頷く。 「そうだよね、悪くはないよね」 「それがどうかしたの。……喧嘩でもした? 雷蔵と?」 まさかねと笑う親友に、まさかとも苦笑する。むしろあの温厚な雷蔵とどうやったら喧嘩出来るのか知りたいくらいだ。 「体育委員の後輩に言われたの。仲良いですよねって」 「ふーん。……それが気になるの?」 「うん、ちょっとね。別に仲良いのが嫌だってわけじゃないんだけど。なんだかね……」 「?」 不思議そうにしている親友に「ごめんね」と苦笑して、は会話を打ち切った。自分でもなにが引っかかっているのかよく分からないから、説明のしようも無かった。 仲悪いですね、と言われて気にするならともかく、仲良いですね、と言われてこんなに気になるのはなんでだろう。 布団に入っても、悶々と考え込んでしまう。すでに眠っている親友の静かな寝息を感じながら、は布団の中で丸まり、今一度考えていた。 雷蔵のことは嫌いじゃない。むしろ嫌いか好きかでいえば好きだろうが、同学年という以上の接点はないし、一緒に遊びに行くほど親しいわけでもない。そもそも雷蔵は優しいから、大体どんな時でも親しく接してくれるし。 昔のことを思い出しても、実習時にどっちの方角に行くのか迷い続けている雷蔵とか、後輩の面倒を見ている雷蔵とか、三郎のやらかした後始末をしている雷蔵とか、でも三郎ととても仲の良い雷蔵とか、そんなことばかりが思い浮かぶ。と一緒にいる時も、昔からいつもこちらを気遣ってくれるし、とにかく優しい。 ……嫌いではない。迷い癖は忍者として弱点だが、雷蔵は良いところをたくさん持っている。 ……嫌いではない。どちらかといえばやはり好きだ。 少し前にが山で怪我をしたときも、わざわざ助けに来てくれた。とても丁寧に手当をしてくれて、歩くのが辛いだろうから背負うとまで言ってくれた。 それが雷蔵の優しさだとは理解している。理解しているのに、どうしてあんなに優しいんだろう、と不思議に思う時もある。 誰に対してもああなのだろうか、とか。それとも雷蔵が同学年の私に少しは親しみを感じてくれているからこそ、あんなに優しくしてくれるのだろうか、とか。 もしかしたら、とはふと気がついた。 私は、雷蔵と仲が良いかどうかで悩んでいるというよりは、 ──雷蔵と、本当に仲良くなりたいだけかもしれない。 「あー、くそ、酷い目に遭った……」 騒動をようやく収めて帰ってきて、ぐったりと布団に突っ伏している三郎を、部屋に遊びに来ていた八左ヱ門が物珍しそうに覗き込む。 「三郎が疲れてるなんて久しぶりに見るなぁ。それで、どうなったんだ?」 「どうなったもこうなったも、委員長委員会じゃどうしようもないから、先生方に無理矢理止めてもらったよ。最後までこれは遊びだと思ってた七松先輩が一番厄介だった……」 とばっちりでいろいろ巻き込まれたらしい。要領の良い三郎がこれだと、共に呼び出されていたはずの学級委員長委員会委員(ややこしい)の一年生達はもっと酷い目に遭ったのだろう。可哀想だな、と雷蔵は一年生に同情する。 「今は全員医務室で手当を受けてから、先生方に説教を受けてる筈だ。……おい生物委員、今回は毒虫逃がしたりしてないだろうな。これ以上の面倒はごめんだぞ」 「に、睨むなよ三郎。俺たち、逃がしたらちゃんと自分で捕まえてるじゃないか」 「つかそもそも逃がすなよ、毎度毎度大変なんだからな!」 「悪かったって! 俺たちだって好きで逃がしてるわけじゃないんだからさ!」 「好きで逃がしててたまるかー!」 「おい三郎、いくらなんでも八左ヱ門に当たるなよ、落ち着けって」 同じく遊びに来ていた兵助が三郎を宥めている。三郎は大きなため息をつくと、もう一度布団に突っ伏した。よほど疲れたのか、「もうここから動かないからな」と布団にしがみついている。 「あ」 その時ようやく気づいて、雷蔵は読んでいた本を閉じた。「ん?」と視線を向ける三人に、慌てて駆け寄る。 「三郎、確かその騒動って、体育委員が始めたんだよね」 「ああ、そうだけど。お前も見てただろ、滝夜叉丸と三之助の喧嘩が始まりで──」 「じゃあ、は!? 彼女も一緒にいただろ、巻き込まれてたり、怪我したり、怒られてたり」 どうして今まで気づかなかったのだろう、身を乗り出して三郎に問いかけると、三郎は一瞬沈黙してから、ぷっと噴き出した。 「すごい顔だな、雷蔵」 言ってまた噴き出す三郎に続いて、左右からも抑えた笑い声が聞こえる。視線を向けると、兵助と八左ヱ門が必死で笑い声を堪えようと口元に手を当てていた。 「な、なに!?」 「いやいや、落ち着けって雷蔵。は無事だよ。七松先輩が乱入する前に察して、金吾と四郎兵衛連れて逃げたらしいから。さっき新野先生に手当をお願いしたとき、が『多分後で怪我した体育委員が来るからお願いします』って言ってたって仰ってたしな」 根回しいいよな、と言いながら、三郎はまた笑い出す。雷蔵はとりあえずホッとしてから、ぶふふふふ、と笑い続ける三人を見回した。 「……みんな、なんで笑ってるの?」 しかもなにか気に食わない笑い方だ。馬鹿にしているというか、からかっているというか、そんな類の。 さすがに雷蔵が気分を害しているのが分かったのか、兵助がようやく笑うのを止めて、ごめんごめんと雷蔵に向けて手を合わせる。 「悪かったよ。……いや、ほんと雷蔵はのことになると顔色変わるなと思ってさ」 「え」 言われた言葉に、雷蔵の動きが止まる。固まってる雷蔵を余所に、八左ヱ門もようやく笑いをおさめて雷蔵に向き直った。 「ごめんな、雷蔵。でも良かったじゃん、無事だったみたいだしさ、そんなに心配しなくても」 「え……えっ!?」 まさかこれはなんだ、もしかすると自分がを好きだということが八左ヱ門と兵助にもバレているのではないだろうか。いや確かにが心配だという発言をしたのは自分なのだがそんなもしやずっと前からバレていたのだろうか、と雷蔵が動揺し始めた頃、三郎がにやにやしながら顔を覗き込んできた。 「だから言っただろ、雷蔵。お前分かりやすすぎるんだよ」 「え、もしかして雷蔵、気づかれてないと思ってたのか?」 「いっつも見てるじゃないか、雷蔵」 むしろ驚いたように八左ヱ門と兵助に言われて、雷蔵は無言で畳の上に突っ伏した。 なにそれなにそれなにそれなにそれ、三郎だけだと思ってたのに、八左ヱ門と兵助にまでバレてるなんて! 羞恥と混乱に苦悩している雷蔵の上で、三人の話は続く。 「雷蔵はほんと一途だよな、なんでまだが気づいてないのか不思議なくらいだ」 「すんげー鈍いんだろ、きっと」 「この間も、帰ってこないのが心配だからって山にまで探しに行ったんだろ」 「愛だよな、愛」 「じゅんこに対する孫兵くらいの愛だよな」 もはや回復不可能な雷蔵を余所に、三人は好き勝手に話しまくる。 「しかも昔からずっとだろ。……何年前だ? 三郎、覚えてるか」 「さあ。一目惚れなんじゃねーの、気づいたら言ってたぞ、雷蔵」 「愛だなぁ」 「愛だねぇ」 もはや雷蔵をからかう目的でしか話していない三人の下で、雷蔵は「うう」と呻き声を上げるしかない。 「……うーん、でもさ。ってさ、なんていうか、付き合うとか夫婦になるとか考えたら、ちょっと悩まないか?」 兵助の言葉に、「そうか?」と八左ヱ門が首を傾げる。 「、後輩の面倒もよく見るし、雷蔵と似合いだと思うけどな」 くのたまにしては口も悪くないし、と続ける八左ヱ門に、兵助は苦笑する。 「いや、俺も別にの性格とかがどうって言いたいわけじゃないよ、はいい奴だと思うし。ただなぁ……その」 「ああ、分かった。無茶苦茶強いもんな、あいつ」 さらりと言う三郎の言葉に、そうそれ、と兵助は頷き、雷蔵はぴくりと反応する。 「いくらなんでも強すぎるっていうか、ほとんど武人の域だろあれ。同業者を目指してる身としてはすごく尊敬するけどさ、その、ずっと一緒にいるって考えるとさ……」 「あー」 「まぁなー」 三人はうんうんと頷き合い、一つの結論を口にする。 『絶対に尻に敷かれるよな』 「別に構わないよ」 と、突っ伏したままの雷蔵が呟く。うお、と八左ヱ門と兵助が驚いて身を引くが、逆に三郎は面白そうに雷蔵を見下ろす。 「お前、浮気も絶対出来ないぞ」 「する気ないよそんなの」 「主導権握られっぱなしでも?」 「構わないよ、がそうしたいなら」 そしてむくり、と雷蔵は身体を起こす。身を引いていた八左ヱ門と兵助が、おおーと感嘆の声を上げる。 「愛だ」 「愛だなぁ」 心底感心したように呟く二人の声が届いているのかいないのか、雷蔵は長い長いため息を吐いた。 そして、ぽつりと。 「……でも、が僕のことを好きになってくれたらの話だけどね」 しん、と部屋の中が静まり返る。はー、とまたため息を吐いている雷蔵の肩を、三郎が叩く。 「……なに? 三郎」 「いや、からかって悪かったな、雷蔵」 「へ? なに、突然」 「俺もごめん、雷蔵。あ、あのさ、俺ほんとに、雷蔵とは似合いだと思うぞ!?」 「そうそう! それにさ、さっきはああ言ったけど、は絶対力ずくで我を通す奴じゃないしさ! 尻に敷かれたりしないって!」 「どうしたの、みんな」 きょとんとしている雷蔵に、三人はいやいやなんでもない、と首を横に振りながらも、励ましの言葉を続ける。 「雷蔵、いい男だし大丈夫だって、自信持てよ!」 「が誰かを好きだって噂も聞かないしな、行けるって!」 さきほどまでからかわれていたのに急に掌を返されて、雷蔵は戸惑ったように三人を見る。だがそれを追求するのも面倒だと思い、雷蔵は何度目か、長い長いため息を吐いた。 片恋は苦しいけれど、ふられることを考えたら、今のままでも十分だと思う。 尻に敷かれる? 上等だ。浮気? するくらいなら自殺してやる。だってその時には、前提としてが僕の想いを受け入れてくれているのだから。 惚れた相手が、自分のことを好きになってくれる。今の雷蔵にとって、それ以上の幸運は考えられない。 もしもが自分の傍にいてくれる、そんな未来を望むなら。 その経緯としてに想いを伝えることは、きっといずれ成すべきことで。 けれど、拒絶されるのは怖い。今までのようにさえ付き合えないのは、辛すぎる。 だけどそれ以上に、もしかしたらあったかもしれない未来を潰すことは、もっと嫌で。 「頑張れ、雷蔵!」 「俺応援してるからさ、雷蔵!」 「……おい雷蔵、普通の人間だって色恋で悩みまくるんだ、程々にしないと悩みすぎてハゲるぞ」 次々とかけられる友の励ましやら忠告やらに、雷蔵は「うん」とため息混じりに頷く。 に好きだと伝えることが、望む未来に繋がるのならば。 迷うことはなにもないのだろう。 でも、 「いや、やっぱり無理だ無理だ無理だもしふられたら立ち直れない……」 「ちょ、雷蔵、なにヘコんでんだよ、潔く当たって砕けろよ!」 「八左ヱ門……砕ける前提はどうかと思うぞ」 「あー、これじゃ当分は無理だろうなぁ、雷蔵」 うん、多分そうだろう。 三郎の言葉に同意して、雷蔵は再び頭を抱え始める。 好きだと一言伝えるだけが、どうしてこんなに怖いのだろう。 「……どうしたの、」 悩みすぎて、うーとかあーとか言っていたので起こしてしまったのだろうか。親友が眠そうに目をこすりながら、こちらの様子を窺っている。 「ああ、起こしちゃってごめんね」 「もしかしてまだ悩んでるの? は一度悩みだすと長いよね、雷蔵みたい」 あははは、と小さく笑われて、思わず鼓動が跳ね上がる。親友は「じゃあ、おやすみ」ともぞもぞと布団に潜り込んで、すぐにまた寝息をたてだした。 真っ暗な部屋の中、響く親友の寝息と風の音を聞きながら、は小さく「おやすみ」と返して、自分も布団を被り直した。 雷蔵のことばかり考えていたら、頭から離れなくなってしまった。 ──雷蔵は、もう寝てるんだろうな。 そう思って、は目を閉じる。 やっぱり私は、雷蔵と仲良くなりたいんだと思う。それがどうしてかは分からなくても、きっとそれで間違いない。 今は、それが分かっただけでも良しとしよう。 悩む二人の上に、夜の静寂が下りてくる。 想いが同じと気づくまで、多分、あと少し。 終 →三話『気づきへの第一歩』 |