鉢屋三郎夢
二話『木陰』





 部屋を出ようと戸を開いた瞬間、目の前の庭で信じたくないものを見て顔をひきつらせた。いっそこのまま戸を閉めて見なかったことにしたかったが、放置したところでどうにかなるものでもない。
「三郎、どうしたの?」
 後ろから俺を追い越して、雷蔵が先に廊下に出て不思議そうな顔をする。仕方ない。俺も廊下に出て、後ろ手に戸を閉めた。
「あれだ」
 顎で指してやると、雷蔵は視線を向けて、「あー……」とのんきそうな声を上げた。柔く微笑んで、頷く。
ちゃんだね」
「……なにやってんだ、あいつ」
「お昼寝じゃないかな。今日もいい天気だもんね、気持ちよさそう」
 にこやかに言う雷蔵とは対照的に、俺は気分がささくれる。なにを考えてるんだ、あのアホは!
「雷蔵」
 持っていた荷物を差し出すと、雷蔵はどこか面白がるような瞳で受け取った。笑い事じゃないんだけどな。
「悪い、先行っててくれ。あのバカをどうにかしてくる」
「うん、でもあんまり怒らないであげてね。きっと悪気はないんだし」
「あのバカ次第だな」
 ため息をついて、庭へと降りる。雷蔵が後ろから「五日かぁ……」とよく分からないことを呟いていた。





 食べることと眠ること、我慢するならどちらかと問われたら、私はすごく迷うと思う。
 だってどちらも私にとっては本当に大切で、すでに『生きるのに必要なこと』という枠を越えて、毎日の生き甲斐にまでなっているからだ。もともと私は普通の人よりも睡眠過多なところがあって、夜早く寝て、朝もギリギリまで布団から出ないことが多い。休みの日に友達と約束しているのに熟睡していて、叩き起こされたこともあるくらいだ。ご飯を食べるのも大好きだ。長く食べてないと、すごくひもじくなってしまう。
 他のことなら大抵我慢出来る自信があるけど、この二つだけは譲れない。友達にも家族にもよく呆れられるけど、本当のことだから仕方ない。
 今はお昼ご飯を食べてお腹は満たされているから、次はちょっとお昼寝が出来たらすごく幸せ。
 今日もぽかぽか温かいお天気だし、湿気が多くも少なくもなくて、下草は寝心地がいいし地面は適度に柔らかい。絶好のお昼寝日和に感謝しながら、私は地面に身体を預ける。気持ちいい。

「……おい、こら」

 お昼ご飯を出来る限りの早さで食べて作った昼休みは、まだ半分以上もある。昼休みの終わりを告げる鐘が響くまでは、ここでこうして眠っていよう。ああ、素晴らしいお昼寝の時間。

「こら、聞け。お前まだ起きてるだろう」

 ……なんだけど。その時間を邪魔する声。
 仕方なしに、無言で起き上がる。途端に冷たい気配。傍の人影を見上げると、一人の男子生徒が冷ややかな視線で私のことを見下ろしていた。その顔には見覚えが二人分あるけど、こんな目をする相手に心当たりは一人分しかない。
「……三郎。私ね、まだ起きてるけど、今から寝るところなの」
 時間がもったいないので手短に説明して、さあ寝ようともう一度寝転がろうとすると、ぱしん、と三郎の手のひらが私の頭に押しつけられる。三郎は私の隣にしゃがみ込んで、ぎゅうっと聞き分けのない子にするみたいに指に力を込めた。
「あたたた! な、なに!?」
 痛む頭に驚いて三郎を見上げても、三郎はさっきと同じで冷たい視線を向けるだけだった。
「さ、三郎、今寝るのに忙しいから、今度にしてよ……!」
「あいにく、俺は今すぐお前に用があるんだ。お前、ここでなにしてるんだ」
 睨み付けてくる三郎に、私は軽く首を傾げた。
「言ったでしょ、お昼寝するの。……それ以外のなにに見えるの?」
 逆に問うと、三郎は顔をひきつらせた。なんだか怒りを押さえつけるように、低い声で。
「いいか、ここは忍たま長屋の敷地の庭だ。つまり女子禁制だ!」
 言い切って、三郎はようやく私の頭からぺしっと手を離す。
「し、知ってるよ? でもね三郎、今の季節はここが一番温かくて風通しもいいの! 一年生のしんべヱ君に教えてもらったんだけど、ほんと最適な場所でね!」
「なにが『でも』だ! 分かってるなら遠慮しろバカ!」
「そんな、少しくらいならいいじゃない」
「よくねーよ。ほら出て行け今すぐ出て行け」
 ほとんど有無を言わさぬ勢いで、三郎がぐいぐいと私の背中を押して促す。私はさすがに危機感を抱いて、三郎の顔を見上げる。
「え、本気? 三郎、本気で出て行けって言ってるの?」
「誰が冗談でそんなこと言うか。いいか、もう一度言うがここは女子禁制なんだ。禁制って意味分かるよな?」
「お、お目こぼしを一つ」
「俺がしたところで、すぐに他の奴に見つかるだろう! なに考えてんだおま……いや、悪かった。なにも考えてないんだよなお前!」
 怒鳴られたと同時に、軽く頭もはたかれた。痛みはないけどその軽い衝撃に驚いて、「あたっ」と声を上げてしまう。
「さ、三郎横暴……」
「言って分からない奴相手だったら、手を出すしかないだろう。……ほら、出て行けって」
 今度は少し優しく……というか、単に怒鳴り疲れたような様子で、三郎が私に立つように促す。間近で見ても雷蔵そっくりの顔なのに、性格は雷蔵みたいに優しくない。雷蔵なら『いいよいいよ、いつまででも寝てなよ』と言ってくれるのに。三郎のいじわる。
「なんか腹立つこと考えてるだろう、お前」
 どうして気づいたのか、三郎は今まで以上に私を睨み付ける。それを不思議に思っていると、三郎はさらに険しい顔つきになった。慌ててぶんぶんと無言で首を横に振ると、今度は諦めたように一つため息を吐かれる。
「いいから、とっとと出て行ってくれ。これでも一応委員長なんだ、不審な奴を追い出すのも俺の役目の一つだ」
 ぽんぽん、と今度は言い含めるように軽く肩を叩かれて促されて、私はしゅんと気持ちが沈んでいく。勿論ここが女子禁制だとは分かっていたけれど、今は昼間だし、長屋に直接入ってるわけでもない。それも普段結構いい加減な三郎にこれほどに拒否されると、怒るより先に寂しくなった。
「……不審なんて、言わなくても」
「不審だ。お前らだって、くのたま長屋の庭で寝っ転がってる男子生徒を見つけたら追い出すだろう」
「う……わ、分かりました。それが三郎なら見逃します」
「違う」
「それが夜中でも見逃します」
「い、行かねーよ!」
 なんだか焦るように否定してから、三郎は頭痛が響くのかこめかみに手を当てる。
 さすがに駄目かもしれない。でも、今日はここで昼寝がしたいのだ。私は両手を叩き合わせて、三郎を拝むように頭を下げた。
「ね、お願い。鐘が鳴る前には出て行くから」
「……あのな」
「お願い、今日だけでいいから。一度ここで寝てみたいなって思ってたの。ちょっとだけでも眠れたらそれでいいから、お願い!」
 もう一度、お願い、と繰り返して、頭を下げたまま三郎の反応を待つ。
 なんだかとても長い長いため息が響いて、やっぱり無理だったかなと諦めかけた時、
「……本当に今日だけだからな」
 渋々と出た許可に、私は小さく歓声を上げた。




「それでは、お昼寝させて頂きます!」
 妙に気合いを入れて言った後、「ありがとうっ」と嬉しそうに微笑んで、は素早く木陰に丸くなる。
「鐘が鳴る前には起こすからな」
「はい! お手数おかけしてすみません!」
 寝転がりながらそう言って、はもう一度「ありがとう、三郎」と微笑んだ。視線を逸らす。やばい。僅かに顔が赤くなる。これほど感謝されると、まるで先程の自分が悪者みたいに思える。つかお前は単純すぎるんだよ!
 視線を戻すと、はまさにその瞬間、すう、と眠りに落ちるところだった。さっきまで結構やかましくしていたのに、よくこんなに簡単に寝付けるものだ。
「……どこまで寝るのが好きなんだよ」
 一応呟いたが、もはやには聞こえてないだろう。すーすーと眠りに落ちるの横に腰を下ろして、俺は木の幹に身を預けた。
 ほとんど幼児のように寝入っているの姿は、正直五年生にはとても思えない。そもそも寝ることと食うことが一番好きなんて嗜好、女らしさの欠片もない。……それでも、他人にこの姿を見せてもいいとは思えないのは、惚れているからだ。本気で頼まれると、断れないところも含めて。
 確かに、昼間っから長屋の庭でぐーすか眠ってるくのたまがいても、下級生が怯える以外に特に害は無いだろう。
 なのに無性に腹が立つのは、多分本気でまったくちっとも全然、こいつがその手の危機感を持っていないからだ。たとえば今俺がこいつの寝てる間になにかするとか、絶対に考えていない。考えていたらこんなところで眠らない。……まぁ、色気の欠片もない寝姿を見ても本気でそれを実行しようかと考えるのは、もしかしたら俺だけかもしれないが。
 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴るまでは、まだかなり時間があった。
 今一度に目をやると、先ほどと変わらない、とても気持ちよさそうに眠っている。
 その寝顔は本当に幸せそうな色だけで占められていて、その中に俺が入る余地などないようで、複雑な気分になる。
 多分こいつは俺の胸中なんかまったく理解していなくて、ただ本当に眠りたいから寝ているだけなのだろう。その、ともすれば無邪気すぎる気質に振り回されているのに、それすらもどこか可愛らしいとか思っている俺はもう本当に、自分でも呆れるくらい重症だった。

 ──おやすみ。

 声に出さずに呟いて、から視線を逸らした。静かな寝息と、同じくらい静かなの気配。それを近くに感じているだけで、あぁなんだかもう全部、まあいいか、と。そう思った。







 それから少し時間が経ち、そろそろを起こそうかと思った頃、慣れた気配が近づいてきた。
「よう、三郎。あ、だ。なにしてるの、こんなところで二人で」
「兵助」
 駆け寄ってくる兵助に、俺は背を預けていた木の幹から身体を起こす。ちらりとの様子を見たが、兵助の気配に全く気づかずにぐーすか熟睡していた。本気で危機感ゼロかお前。
「二人でお昼寝? 仲良いなぁ、てかこんなところで大胆だなぁ」
 あははははは、と笑う兵助を睨み付ける。お前はこっちの苦労を知らないだろうが、この脳天気豆腐。
「違う、ただの子守だ。このバカがこんなところで昼寝したいとかバカを言うから、さらにバカなことをしないように見張ってるだけだ」
 早口で言い切ると、兵助は、ああ、となにかに思い当たったように納得した顔になる。
「そっか、そういえばそんなこと言ってたな。三郎に見つかったら怒られるよって言ったのに」
 ……は? 固まる俺を余所に、兵助はどこか楽しそうに続ける。
「八左ヱ門なんか、『何日目でバレるか賭けようか』とか言っててさ、でも雷蔵が止めるから」
「おい、兵助」
 遮ると、兵助はきょとんとした。「なに?」と問うので、隣で眠るを指差して、
「こいつ、前もここで寝てたのか?」
「前っていうか……ここ五日くらいずっとだよ。三郎は最近委員長の仕事で忙しかっただろ、だからいつ見つかるか賭けようって──」
「おいこら起きろ、このバカ!」
「わっ! な、なに? あ、久々知だー。……おやすみなさいー……」
「寝るなバカ! お前、ここで昼寝するのは今日だけじゃないのかよ、昨日も来てたのか!?」
「……はっ! く、久々知!? バラしたの久々知!?」
、おはよー。ごめんな、口が滑った」
「うわーーっ! ごめん三郎! でも別に嘘ついてないよ、今日でやめるから! だから今日だけいいよね、今日だけ!」
「一度だけって言うから折れたんだろうが! お前今日で五度目だろう、今すぐ出て行け!」
「あとちょっと、あとちょっとだけだからーー! 三郎お願いー!」
「うるさい、黙れ、とっとと出て行けーーーーーーーー!」

 五日目ってなんだ、俺がいないところで四度も寝顔晒してたのかこのバカアホマヌケ、俺以外全員知ってるじゃねーか、少しくらい警戒心持てよお前それでもくの一のたまごか、つか俺が一番お前の寝顔見てないんじゃねーのかよ、なんだそれ!

 そう叫びたいのを必死で堪えて、俺はとにかく出て行けとに迫る。俺の怒声にこれは無理だと察したのか、は「ごめんね三郎ーー!」と叫びながら、塀を乗り越えて素早く退散していった。

「ああああのアホ……! なにがごめんだ嘘吐きやがって!」
「三郎、そんなに怒らなくてもいいだろ。ただ寝てただけじゃないか」
 不思議そうに言う兵助に、俺は返事をしなかった。
 うるさい、お前俺よりあいつの寝顔見てるんだろうが。返せ!

「なぁ、三郎ってば。そんなに怒ったら可哀想だよ。、女の子だし」
「うるさいな! 一番可哀想なのは俺だ! 大体、あいつのどこが女だ!」

 叫び返すと、兵助はわけが分からないと言わんばかりにきょとんとした。
 とにかく頭が怒りでいっぱいで、もういっそ兵助殴ろうかなこいつ俺の敵だしそうだ雷蔵も殴ろう八左ヱ門は二倍殴ろうと思い始めた頃、




 ──────。





 ようやくに、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。




















 終

 →三話『失った想い』