鉢屋三郎夢
五話『小さな予兆』





 昼休みが終わって教室に戻ると、「午後の授業は急な職員会議で自習になった」と学級委員長が伝えに来た。
 なんでも、学園長先生の突然の思いつきが関係しているらしい。それ自体はちょっと不安だけど、急な自習ほど楽しいものはない。くの一教室の生徒はみんな歓声を上げて手を叩き合い、急に出来た空き時間をどう過ごそうかと騒ぎ出す。
「こら、自習って言ってるでしょ。教室か自室でおとなしく予習復習してなきゃ駄目よ」
 委員長が注意すると、みんなとりあえずはにこにこと「分かってるよ」と微笑む。もちろん委員長だって、みんなが言うとおりにしないのくらい理解してるんだろう。ちょっと諦めたように嘆息してから、「万が一見つかった時は、私がちゃんと止めたって言ってよ?」と投げやり気味に言って、教室から出て行く。他の子も嬉しそうに立ち上がり、「今、小物問屋が安売りしてるんだって。こっそり抜け出して行っちゃおうよ」とか誘い合いながら去って行く。
「ねぇ、はどうする?」
 隣からの親友の声。覗き込む親友の顔を見つめ返して、私は即答した。
「昼寝」
「あ、そうか。、昨日寝てないもんね」
 納得した顔になる親友に、うん、と頷く。
 私は昨日の夕方、いきなり学園長先生にお使いを頼まれて(そういえばこれも学園長先生絡みだった)、帰ってきたらもう朝方だったのだ。もちろん眠る時間なんて全然なくて、午前中の授業はほとんど寝ながら聞いていた。こんなの忍務では当然のことだと思うけれど、それはそれとして、眠いものはやっぱり眠い。
「私は部屋で委員会の資料整理するつもりなんだけど、部屋で寝る? いないほうがよければ委員室に行くけど」
「ううん、いい。外で寝るから」
 今日はとてもよい天気で、暖かい。こんな日に外で寝ないなんてもったいない。
「そっか。じゃあね、。また後で」
「うん、ご飯の時にね」
 私も立ち上がり、親友に手を振って教室を後にする。他の学年もみんな自習だからだろう、くの一教室の長屋は楽しそうな雰囲気で騒がしかった。私はふうっと身体の力を一度抜いてから、よし、と気合を入れる。
 寝る時間が出来た。しかも今日は天気が良い。とてもいい機会だから、寝る場所も一番いいところにしたい。
 私はきょろきょろと辺りを見回して人影がないのを確認すると、誰かに見つからないように、足音を極力消して走り出した。

 絶好のお昼寝場所、男子寮の長屋の庭へと。




「……よくよく考えたら、男子だって自習のはずなんだよね」
 なのに、この長屋の静けさはなんだろう。こっそり忍び込んだ忍たま長屋は、もしかして誰もいないんじゃないかと思うくらいに気配がない。それとも、男子は教室で課題でも与えられているのかなと思った瞬間、「小平太てめぇ、バレーするならもっと他所でやれ! 鍛錬の邪魔だ!」「えー、せっかくの自習じゃんか、思いっきりやんないとつまんないだろー」と遠くから騒がしい声が聞こえてきた。納得する。そうか、男子の大半はきっと外で遊んでいて、長屋に戻ってきてないだけだ。
 結局みんな自習を楽しんでるんだなと思いながら、私はこっそりとお気に入りの木陰に急ぐ。とその時、長屋の廊下を歩いている下級生に気づいて、慌てて近くの木に隠れた。なにしろここは男子寮、女子禁制。少し前に三郎にこっ酷く怒られてから半ば諦めていたけど、この機会を逃す手はない。良いお昼寝には、天気と場所がとても大切。下級生が去ったのを確認してから、私はまた目的地へと急ぐ。五年生の長屋の庭の端、地面が柔らかくて温かい、絶好のお昼寝場所。

「────あ」

 に。今一番会っちゃいけない相手がいた。三郎。読書をしてるのか、木陰に座って、本に目を落としている。
「わっ!」
「ん?」
 思わず声を上げてしまって、気づかれた。まずい。反射的に謝罪の言葉が口から飛び出す。
「ごめんなさい三郎! すぐ戻るから怒らな──…………あ」
「……ちゃん、どうしたの」
 言いながら気づいたけど、私のお気に入りの木の下で読書をしていたのは、三郎じゃなくて雷蔵だった。いつもならこんな近くで見間違えることはほとんどないはずだけど、慌てていて動揺していたらしい。うん、姿形はほんとに似てるけど、この気配は三郎じゃない。
 三郎じゃないことに安心して、私は雷蔵の隣まで足を進めた。
「ごめんね雷蔵、三郎かと思ってびっくりしちゃった」
「ううん、気にしてないよ。……それでちゃん、どうしたの」
「男子は自習だよね、女子もなんだ」
「……もしかして、お昼寝しに来たの?」
「うん」
 苦笑する雷蔵に、私は頷く。雷蔵は今までに何度か私が昼寝しに来ているのを知っているし、いつも見ないふりをしてくれた。だから今日も見逃してくれるかな、と淡い期待に胸が躍る。でも読書中なら、邪魔かもしれない。
 雷蔵に視線で問うと、雷蔵は私が許可を待っているのに気づいて、軽く頷いてくれた。
「うん、いいよ。僕は構わないから」
「ありがとう! ……それと、あの、三郎は?」
「ああ、見つかったらまた怒られるもんね」
 おそるおそる聞くと、雷蔵はちょっとおかしそうに笑った。
「三郎は、部屋の中で自習してるよ。集中してるみたいだから、邪魔しないように出てきたんだ。静かにしてればきっとバレないよ」
 同室の雷蔵の言うことだ、私は一も二もなく信じた。もともと悪いのは私だし、三郎に申し訳がないとは思うんだけど、お昼寝の魅力には敵わない。ごめんね三郎。部屋に向けて、ちょっとだけ頭を下げる。
「大丈夫、僕が見ててあげるよ。三郎に見つかりそうになったら起こしてあげる」
「ほんと!? ありがとう雷蔵!」
「うん、だから安心して寝てていいよ。僕、読書してるからちょっとうるさいかもしれないけど」
「そんなことないよ、私うるさくても眠れるし! ありがとう!」
 最後の難関である『三郎に見つからない』を乗り越えられそうで、すごく嬉しくなる。三郎、いつもは口は良くなくても結構優しいのに、私がここで寝るのはすごく怒るから。
 では早速、と雷蔵の隣で丸くなる。土と草の匂い。全身を包んでくれる柔らかい地面の感触が心地よくて、思わず顔が緩みそうになる。ここで寝るのはほんとに久しぶりだ。昨日眠れなくて午前中辛かったけど、こんなにいいことがあったのだから、これでぜんぶ帳消しだ。今日はいい日だ。
「おやすみなさい、雷蔵」
「うん。おやすみ、ちゃん」
 声をかけると、雷蔵は柔らかく微笑んでくれる。そのいつもの笑顔に、ほっとする。顔は本当に三郎と同じなのに、三郎とは決定的になにかが違う、その笑顔。
 三郎は、私にはあんまりちゃんと笑ってくれない。からかうような顔なら、よく見せてくれるんだけど。
 ゆっくり、目を閉じる。瞼の裏にまだ残っている雷蔵の笑顔。優しい、笑顔。
 ふと思う。三郎も、雷蔵みたいなあんな笑顔を、誰かにすることはあるんだろうか。三郎と仲の良い人なら、もしかしたら見たことがあるのかもしれない。たとえばもちろん雷蔵とか、三郎の家族とか、それから──

 三郎の、好きな人、とか。

「………………っ」
 何気なく思ったその瞬間、ぞくりと眠気が引いた。ゆっくりと目を開く。すぐ目の前にいる、もう本に視線を落としている雷蔵が視界に入る。
 自分が今動揺したことに気づいて、でもどうして動揺したのか分からなくて、軽く混乱する。
 それから、少し前のことを思い出す。三郎と一緒に、倉庫にいたときのこと。三郎が言っていた言葉。


『俺のことを好きになってくれたら、それだけでいい。……それ以上望まない』


 そうだ。三郎の好きな人。どんな人だろうかと悩んでいたから、それで、そんなことを思ったのかもしれない。

 一応自分の動揺した意味が分かって納得して、私はホッとする。
 それから、気づく。

 雷蔵と三郎は、仲が良いから。
 ……もしかしたら、雷蔵は知っているのかもしれない。









 がたまにこっちの長屋に忍び込んできていることは、僕を含めて何人もの男子生徒が知っている。そしてみんな、さほど気にしていない。その理由が単に昼寝だからだ。
 僕も他の女子生徒がここにいたら慌てるけど、は別だ。こんな風に言うのは悪いかもしれないけど、はほとんどの男子生徒に「女子生徒にしては無害」という認識で捉えられている。学園内でたまに見かけても、大抵どこかで今のように丸くなっているか、もしくはお菓子を食べているかで、つまりは嬉々として男子生徒を追い回すような過激なことはしないということだ。
 実際僕は昔からのことをよく知っているけど、は人の話を聞ける性格だし、素直だし、なんというか近くにいて嫌じゃないというか、つまりはいい子だと思う。
 だから昼寝くらいで怒らなくてもいいと思うんだけど、三郎はがここで寝ているとすぐに追い出そうとする。他の場所ならそこまで怒らないのに。
 なんでだろうなと思った時、ふと視線を感じてを見た。まだ寝ていなかったのか、のぼんやりとした視線とぶつかる。
「……どうしたの? 眠れないの?」
 あいつはいつでもどこでも犬猫みたいに眠れるやつだ、と三郎が言ってたのを思い出す。はどこか曖昧な瞳で僕を見つめ返してから、「ん……」とどちらとも取れない返事をした。
 やっぱり僕が傍にいたら眠りにくいのかな。そう問おうとしたとき、がぽつりと呟くように言った。
「読書の邪魔だよね、ごめんね」
「そんなことないけど……どうかしたの」
 その声音がいつもより覇気がないように思えて、戸惑った。身体をに向けると、はしばらく考えるようにしてから、また同じ声音でぽつりと洩らす。
「変なこと、聞いてもいい?」
「変なこと……って、なに」
「三郎って、どんな女の子が好きなのか、知ってる?」
「……三郎?」
 なんで三郎。きょとんとしていると、は「うん」と頷く。
「そう、好みの女の子とか。……知ってる?」
「……ん」
 がなにを聞きたいのかよく分からず、僕は即答を避ける。質問がそのままの意味ならば、少しは知っている。そりゃ、どんな女が好みなのか、くらいのことは。……でも、そういう意味でいいんだろうか。
「そうだね、たまにはそういう話をすることもあるけど。……でもちゃん、どうしてそんなことが気になるの?」
 聞き返すと、はちょっと言葉を詰まらせた。少し躊躇する素振りを見せてから、ゆっくりと話し出す。
「三郎がね、この間、片恋の相手がいるって言ってたの。すごく真剣に。……三郎がそんな風に言うのは珍しいなって思って。それで……」
 なるほど。僕は読んでいた本を閉じて、隣に置いた。
「……そっか。三郎の好きな人、ね」
 どう言えばいいのかと迷っていると、はなにかに気づいたようにハッとした。起き上がって僕の手を軽く引いて、ごめんね、と謝る。
「どんな人なのか、ちょっと気になっただけなの。ただの興味本位だから、……今の話は忘れてくれる?」
 は僕の手を離すと、反省するように目を伏せた。三郎のいない場所でそういう話をするのは不謹慎だと、そう思ったのかもしれない。
 ……そういう、意味じゃないけど。
「そうだね。僕も、ちゃんにあいつの好きな人は言えないかな。三郎に怒られるし」
「うん、そうだよね。……もう聞かないから。ごめんなさい」
 はもう一度謝って、それから苦笑を浮かべた。また同じ場所にくるりと横になって、僕を見上げる。今の会話で吹っ切れたのか、それとも考えるのを止めたのか、さっきよりは落ち着いて見えた。
「私、寝るね。ごめんね雷蔵、ありがとう」
「うん……おやすみ、ちゃん」
「……おやすみなさい」
 はゆっくり目を閉じて、丸めた手足をますます縮めた。一つ深呼吸をしてから、身体の力を抜く。それからしばらくして、眠りに落ちた気配がを包む。
「ほんとに早いんだね」
 三郎から聞いていたけれど、確かに眠ろうと思えればすぐ眠れるらしい。すごいなと素直に感心してから、僕は先ほどのの言葉を思い出す。

 三郎の好きな人、ねぇ。

 正直に言うと、僕も今の今まで知らなかった。
 三郎から好きな女がいると聞いたことは、一度もない。三郎は他人に弱みを見せるのを嫌うから、誰にも気づかれないようにしていたんだろう。
 けれど、それならなぜ、はそのことを知っていたんだろうか。僕にすら言ってないのに、三郎はどうしてには『片恋の相手がいる』と告げたんだろうか。

 ──三郎はきっと、に考えて欲しかったんだ。三郎の片恋の相手が誰なのかを。
 つまり、それが答えなんだろう。

 前々からもしかしたらと疑ってもいたけれど、本当にそうだったのか。
 今はもう眠っているに、今一度視線を向ける。静かな気配と寝息。優しくて素直な、小動物みたいな女の子。
 三郎は昔から、あいつをからかうと面白いってしょっちゅうにちょっかいを出してたし、寝ることと食うことだけが趣味の女らしくないやつだと悪口を叩くのに、僕がそんなことないよと否定したら、それ以上なにも言わなかった。そうだ、ここで寝るのをあんなにも怒ってたのも、男だらけの場所で寝かせたくなかったからだ。今思えば、他にもたくさん。ああ、あれはこういうことだったのかと納得出来ることがたくさんある。

 そっか。

 はずっと眠ってる。静かな寝顔で、ぎゅっと身を縮めて、なんだか不安そうな子どもみたいに見えてしまう。
 はたぶん、気づいていないと思う。さっきの様子を見ると、気にはしているみたいだけど。
 でもね、三郎はずっと前から君が好きだったんだよ。
 今すぐには無理だろう。三郎だって頑固だし、捻くれているけど。

 いつかは、気づいてあげてね。

 僕は本を抱えると、その場から立ち上がる。
 三郎に見つかりそうになったら起こしてあげる、って約束したけど。

「ごめんね、ちゃん」







 部屋に戻って戸を開くと、部屋を出る前と変わらぬ真剣さで、三郎が文机に向かっていた。たぶん僕のことに気づいてるんだろうけど、僕だと気づいているからこそ、意に介していないんだろう。僕もいつもなら邪魔しないように離れるか、同じように自習をするんだけど、今日に限ってはそれは出来ない。
「ねぇ、三郎」
「ん……なんだ」
 教科書から顔を上げて、三郎が僕を振り向く。怪訝そうなその顔に、軽く外を指差す。
ちゃん、またお昼寝に来てるよ」
 ばん、と三郎が文机を叩く。三郎はなんとか怒りを鎮めるように数秒沈黙してから、苦々しげな顔で文机の前から立ち上がる。
「……油断した。そうか、女子も自習だったな」
「うん、今日は天気もいいしね」
「いつ来た」
「ん……ちょっと前かな。もう眠っちゃったから」
「あのアホ、あれだけ注意したのにまだ懲りてないのかよ! 学習能力がないのか!」
 怒りと呆れが入り混じったような複雑な顔で、三郎は部屋を出て行こうとする。戸に手をかけたとき、僕は後ろから声をかけた。

「三郎は、ちゃんのことが好きなんだね」

 さすがに、動揺くらいはすると思った。
 けれど三郎は一つ舌打ちすると、僕を鋭く睨みつけて、吐き捨てるように言った。

「分かってんなら、次からはもっと早く呼びに来い」

 ぴしゃりと、叩きつけられるように戸が閉められる。
 僕はしばし唖然としてから、改めて、ほんとに好きなんだなと納得した。

「恋、か」

 耳を澄ませても、三郎の怒号は聞こえない。
 今ならば、三郎が怒りたい気持ちも分かる。
 でも出来れば、優しく起こしてあげてるといいんだけど。









 俺が、あれほどやめろと言っているのに。
 はものすごく素直かと思えば、全然懲りないところもあって、しかもそれは大抵俺にとって都合の悪いことだ。俺に対しての嫌がらせだろうかと本気で思う。
 ため息を吐きつつ、俺はが寝こけている木陰へと足を進める。前に昼休みに忍び込んできたのと同じ場所で、はくるりと丸まって眠りに落ちている。
「……お前はほんとに犬猫同然か」
 一番心地良い場所を探して、そこで眠りこけて。いや、動物だって危機感くらい抱くだろう。ということは、お前は動物以下か。
「飼うぞ、おい」
 軽く、その額に拳をぶつける。は少しだけ顔をしかめて、それからすぐにまた静かな寝顔に戻る。
 手を戻して、どうしたものかと考える。いつもならば叩き起こして無理矢理追い出すところだが、実を言うと、今日はこいつが疲れているのを知っている。
 早朝、生物委員の仕事をしていた八左ヱ門が、眠そうにとぼとぼ帰ってきたと会ったと言っていたからだ。誰かが学園長先生からのお使いを頼まれたということを知っていたから、それがだという見当はすぐについた。普段あれほど寝るのが好きな女だ、眠れないのは相当辛かっただろう。
 が。
 だから静かに寝かせてやりたいと思う反面、だからどーした、ここで寝るなって前から言ってんじゃねーかこのやろー、という思いもある。どちらにせよ、ここで寝かせておくのには抵抗がある。
 以前のように昼休みだけというなら隣にいてもいいが、丸一日寝ていない女がどれほどここで寝こけるか分からない。まったくもって面倒な女だと思いながら、仕方なしに手を伸ばす。
 起きるなよと念じながら、静かにの身体を抱き上げる。出来る限りそっと立ち上がって、身体を揺らさないように抱え直した。
 自分でやっておきながらなんだが、これでも起きないってお前大丈夫か。腕の中で相変わらず眠りこけてるに、本気で今更だと思いつつも俺は呆れる。
 こんなところを誰かに見つかったらさすがに言い訳出来ないが、大抵の生徒は長屋に帰ってきていないので、今は人気が少ない。さっさと戻してこようと、を抱えたまま歩き出す。
 ……それにしても、軽い。
 普段組み手だの人馬だので同級の男子の重さを知っている分、の体重はその半分以下しかないんじゃないかと思うほどに軽い。それに、男みたいに固くないしごつくないし、なにより抱えやすい。そんな性差は百も承知のはずだったが、実際こうして抱えていると、改めてこいつは女なのだと強く意識させられて、それに言いようもない不安と苛立ちが襲う。
 伝わる体温も、の匂いも、柔らかな肌も、こうして抱えてしまえるほどの華奢な身体も。
 ──奪ってしまおうと思えば、すぐに実行出来るのだと。
 アホかそんなこと出来るかと思いつつも、好いた女が腕の中にいると改めて思えば、意識せざるを得ない。
「…………ばかだよな、お前」
 だから、あんなところで寝るなって言ってるんだ。俺みたいに考える奴が、俺以外に絶対いないって保証なんかないだろうが。
 だんだん、また腹が立ってきた。くの一教室の生徒のくせに。男にどういう手が一番有効かくらい、俺達よりもよほど熟知しているだろうに。

 ──嫌われたくないんだ。

 焦燥感に、を抱える力が強くなる。嫌われたくない。だから、しない。それだけで踏み止まっているのすら、こいつは全然理解していない。
 たまに、どうしようもなく苛立つことがある。こっちを見ろと、を無理矢理に振り向かせたい衝動に駆られる。
 今は俺の腕の中にいる女。でもこれは、が望んだことじゃない。

 女子寮の長屋の近くまで着く。ここもお気に入りの昼寝場所だと、以前聞いてもいないのにが教えてくれた草の上。抱えた時と同じようにそっと下ろすと、は結局最後まで目を覚まそうとせずに、ずっと眠りに落ちていた。



 そっと、その頬に手を触れる。柔らかくて心地良い、女の肌。もしこの女が俺のものだったら、それ以上に望むことなどなにもないのに。

「おやすみ」

 どうせなら、いい夢をみればいい。
 そこに俺がいなくても。













 夢であることは分かっていた。なにもかもが曖昧で、靄がかかったようにぼんやりとした世界。
 私は、夢の中で三郎を探していた。
 先輩に片恋していた時、先輩を見ているだけで、私は先輩の好きな人が分かった。だから三郎を見ていれば、同じように三郎の好きな人が分かるかもしれないと思ったのだ。
 一生懸命探しているのに、私の夢の世界に三郎はいない。時々見つかったと思ったら、すぐにゆるりと消えてしまう。

 どこにいるの。三郎は誰を見てるの。誰が好きなの。

 探しても探しても、三郎はいない。夢の中の私は、心細くなる。
 三郎。三郎。三郎。
 声に出して呼んでみる。でも三郎はやっぱりいない。私はどんどん不安になる。
 なんでいないの。いつも簡単に会えるのに。
 なんで出てきてくれないの。いつも呼べば振り向いてくれるのに。

 三郎。
 もう、好きな人なんて、どうでもいいから。
 

 お願いだから、私の前からいなくならないで。















……? ねえ、
「……ん」
 ゆさゆさと身体を揺らされる感覚に、私は目を覚ます。途端に今まで見ていた夢の世界がかき消えて、どんな夢だったかも忘れてしまう。ぼんやりした頭を一度振って、私は身体を起こす。
「起きた?」
 じっと私を覗き込んでくる、それは見慣れた同級生の顔。まだぼうっとしている私に、苦笑して「起きて」と頭を撫でてくれる。
「こんなところで寝てたら風邪引くよ、
「うん……あれ?」
 呆れたように笑う友達に頷いてから、ようやくおかしいことに気づく。
 辺りを見回す。ここは女子寮の前だ。
 なんでだろう。私、男子寮の庭で寝ていたはずなのに。
「どうしたの、
「ん……、なんでもない」
 不思議そうな友達の声に、首を横に振る。もしかしたら、遅くなったからって、雷蔵が送ってくれたんだろうか。すごくありそう、きっとそうだ。今度会ったらお礼を言わないと。
「じゃあ、長屋に戻ろう?」
 友達は微笑んで、ほら、と私に手を差し出した。私も手を伸ばす。重ねて、引かれる。立ち上がる。
 日もそろそろ暮れそうで、夕日の赤い光が包んでる。大分長い間眠っていたみたいだ。頭もかなりすっきりしていて、昼前よりもずっと身体が楽になっていた。
 長屋へと一緒に歩いていると、ふと友達が気づいたように私を振り返った。
「そういえば、さっきの横に誰かいた気がしたんだけど、誰かと一緒だったの?」
「え? ……まさか、私寝てたのに」
「……そーだよね。なんか忍たまに見えたんだけど、確かに寝てたんだし、こんなとこにいるわけないし、おかしいよね」
 うん、と頷きつつ、私はなんとなくもやもやと引っかかるものを感じていた。なんだか夢の中で、三郎がいた、気が。
「……三郎?」
「ん? 鉢屋がどうかした?」
 私の顔を覗き込んでくる、友達の顔。
 その顔を見て、ちょっと心が揺れる。
 愛らしい顔つき。魅力的な微笑み。この友達は、くの一教室の中でもとても可愛くて女の子らしくて優しい子で、私はその子の顔をじっと見つめてしまう。
「……?」
 綺麗に整った顔。抱き締めたくなるような可愛らしさ。それは絶対に私にはないもので、

 ──三郎は、きっとこんな子が好きなんだろうな、となんとなく思う。

? どうしたの?」
「ん……可愛いって思って」
「誰が? ……え、え、私? なに言ってんの!」
 びっくりしたように目を見開いて、友達は私が指す指を慌てて押し戻す。その仕草自体がすごく可愛い。
「そんなお世辞言ってもなにもあげないよ。今日はお菓子持ってないもん」
 照れるようにそう言う友達に、私は微笑む。いいな、と純粋に憧れた。
「ほら、よく分かんないこと言ってないで早く戻ろう。身体冷えてるよ、お風呂入ってご飯食べよう」
「うん」
 腕を引かれるままに、私も長屋へと足を進める。







 結局、私は三郎がどんな女の子が好きなのか、全然知らない。
 でもきっと可愛くて、女らしい子が好きに決まってる。女だって、かっこよくて男らしい人が好きなんだから。

 もしかしたら、三郎はこの子のことが好きなのかもしれない。
 私はぼんやりとそう思って。

 どうしてか、そのことに少し胸が痛んだ。




















 終

 →六話『夜明け』前編