食満留三郎夢
二話『炎天下』後編
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医務室に入った途端に、新野先生がすれ違いに外へ出た。「水が足りないのでもらってきます」と退出する先生に一礼して、俺は医務室の中に入り戸を閉める。 「食満」 布団に寝ているが身体を起こしそうになっているのに気づいて、「寝てろ」と声をかける。は数瞬迷ったようだったが、軽く頷いて横になった。 に近づきながら、そういえばさっき保健委員のくのたまに『着物を脱がせるから出て行って』と言われたことが頭に過ぎる。無論は裸なんかではなくて、いや、それで当たり前なのだが、とにかくそんなことを考えてしまった自分に気恥ずかしくなって、慌ててその思考を打ち消した。ガキか俺は。 「大丈夫か」 の傍に座りながら、顔を覗き込む。顔色はまだ少し悪かったが、蒼白だった先ほどと比べると段違いに血色は良くなっていて、ホッとする。はゆっくりと瞬きをしながら、俺の顔を見上げた。 「……うん。大丈夫。迷惑かけてごめんね、食満」 の言葉に、ほんの僅かに怯えのようなものが混じっていた。それがなんだか分からず困惑したまま、俺は嘆息する。 「あほ、なにが迷惑だ。……悪かったな、一人で仕事をさせて」 お前が倒れたのは俺が原因なんだ、とまでは言えなかったのは、単に嫌われたくないというだけの卑怯な考えからだった。はきょとんとして、軽く首を横に振る。 「食満はなにも悪くないでしょう。私が頼まれた仕事だったし、食満は手伝ってくれようとしたし……」 だからそれは俺が悪いんだ。けれど口から出てこない。嫌われたくない、ただそれだけの子どもじみた理由で。 「……悪かった」 再度謝ると、は口ごもった。いつもはあまり表情を変えないが、今は複雑な感情が浮かんでいる。少しの間思案するように押し黙ってから、はゆっくりと口を開く。絞り出すように、微かな声で。 「食満は、委員長だもんね。委員が倒れたら、自分のせいだと思うよね」 そういう意味じゃない。けれど俺がなにも言えないでいると、は一瞬だけ間を置いて、最後にぽつりと続けた。 「……ごめんね、食満」 の瞳が揺れていた。ぞくりと俺の身体に悪寒が走る。泣かせる、そう直感した。 「違う! ……俺のせいだ、お前のせいじゃない」 思わず出した大声に、はびくりとしてから、先程のようにきょとんとした。なにを言われているか分からず困惑しているに、俺は覚悟を決める。泣かせるくらいなら、まだ嫌われたほうがいい。 「……あのな。本当は、あの仕事は俺が吉野先生から頼まれていたんだ」 不思議そうなの視線を僅かに避けて、俺は口を開く。もうどうにでもなれ。 「俺もあの場所を直さなければならないのは昨日から知っていた。でも俺は朝から外に出ていたから、吉野先生がお前に頼んだんだ」 「………………」 は、口を挟むことも表情を変えることもなく、静かに俺の話を聞いてくれる。 「だから……本当は俺がやるはずだったんだ。俺がすぐに帰ってくれば、お前が修理することもなかった。だから、お前が倒れたのは……俺のせいだ」 「どうして?」 結構な勇気を振り絞って言った告白に、は不思議そうなままだった。心の底から意味が分からないと思っているようで、枕に頭を乗せたまま軽く首を傾げた。 「それがどうして食満のせいになるの? 私も食満も同じ委員だから、屋根の修理は食満だけの仕事じゃないはずだよ」 「……それはそうだが、もともと俺が頼まれていた仕事だったんだ」 「私は吉野先生に頼まれて、分かりましたって引き受けたの。だから私の仕事だし、不注意で倒れたのは私のせい。……違う?」 「…………」 は、力を込めて言葉を紡いでいる。たとえば逆の立場だったら、俺は無論を責めることなどしない。でなくても、それが作兵衛でも下級生でも同じで……ようはは正論を述べていた。 それでも俺がこんなにもこだわっているのは、きっとが好きだからだ。もとはといえば俺の仕事だから、誰が倒れようとも多少の後悔はあって当然だ。その後悔がこんなにも強いのは、ただに嫌われたくないという、それだけの理由だ。それを今一度自覚して、俺は嘆息した。 「……そうだな。そうかもしれないな」 「うん」 ようやく俺が認めたことで、はホッとした様子を見せた。間髪入れずに、それを遮る。 「だがな、やはり俺の考えが足りなかったことも原因だ。お前だって逆の立場だったら多少は責任を感じるだろう」 「……うん、それはそうだね」 少し複雑そうに、は頷く。俺も頷いて、意図して強い口調で続けた。 「だから、謝らせろ。結局は俺の自己満足だが。……悪かったな」 「……そっか。うん、私も心配かけてごめんね」 ようやくに、は嬉しそうに笑った。その微笑みを見て、俺もこれまでとは違う、本当の意味で安堵する。嫌われていない。そのことと、との間に変なわだかまりを残さずに済んだということと。 もそう感じているのか、先程よりも柔らかい表情になった。 「あ……それと、運んでくれてありがとう。……重くなかった?」 「お前なんか重いわけないだろ、普段の実習のほうがよっぽど重いもん持ってるぞ」 実際、はどこが重いんだというくらいに軽かった。そんな華奢な身体に無理をさせたことを、今一度悔やむ。 「ほんと?」 「ああ。だから、気にすんな」 「……そっか。うん、ありがとう」 俺はの柔い笑顔に今一度ほっとしてから、ふと、先程保健委員のくのたまに、あまり長く話さないようにと釘を刺されたことを思い出した。 「……悪い。長く話しすぎたな。具合はどうだ。大丈夫か」 「うん、大丈夫。ちょっとだけまだダルいけど、一日寝てれば治るって新野先生が仰ってたし」 「……暑いか? 氷でももらってくるか……ああいや、寒いのか?」 日射病になどなったことがないから、どちらか分からずに少し迷っていると、がゆっくりと手を伸ばしてきた。その手が俺の手を掴もうとしているのに気づいて、ほとんど反射的にこちらからも手を伸ばした。掴んだひんやりと冷たい指先に、鼓動が跳ね上がる。柔らかくて細くて小さくて白くて、武具の手入れのせいか少し荒れた手が、俺の手に触れている。その事実に、動揺した。 「……お前の手、冷たいな」 「うん。食満は温かくて気持ちいいね」 軽く微笑んで、はゆっくりと手を離した。咄嗟にその手を引き止めそうになって、慌てて堪えた。はただ俺の質問に答えただけだ。ともすれば顔すら赤くなりそうなのを、必死で堪える。はそんな俺には気づいていないらしく、そういえばと何かを思い出す顔になる。 「ごめん、忘れてたことがあったんだけど、食満に頼んでもいい?」 「あ、ああ、勿論。なんだ?」 「さっき修理したところ、多分道具を放り出してるから、片付けだけお願いしてもいい?」 言われて俺も気がついた。確かに、慌ててを医務室に運んできたから、修理道具はあの場に置いてきたままだ。 「分かった、片付けておく」 「うん、ありがとう」 それじゃあそろそろ帰るかと腰を浮かしかけたとき、丁度良く新野先生が戻ってきた。新野先生はなぜか怪訝そうな顔をしながら、医務室に入ってくる。 「すみません、今帰りますから」 俺は慌てて立ち上がる。新野先生はすぐに笑顔になって「いえ、大丈夫ですよ」と仰ったけれど、長い間話してしまったし、本当にもう帰ったほうがいいだろう。 「じゃあな、。その、無理するなよ」 「うん。食満、本当にありがとう」 ゆっくりと身を起こして、は俺に微笑んだ。……やばい可愛い。顔がまた赤くなりそうなのを慌てて平静にと努めて、軽く会釈して戸に向かった。そして戸を開けようと手をかけた瞬間、 ──嫌な予感がして思い切り戸を引き開けた。 「わっ!」 「……よう、留三郎」 その途端に響いたのは伊作の悲鳴だった。戸にぴったりくっついていたのか、俺が戸を開けたことで慌てて身を引いて廊下に転がっている。そして素早く避けたらしい仙蔵は、ぬけぬけとあの嫌な笑顔でひらひらと手を振っていた。 「……伊作、仙蔵……」 新野先生が怪訝そうな顔をしていた意味がようやく分かった。俺はひとまず医務室の戸を閉めると、二人に向き直った。こいつらがなにをしていたかは火を見るより明らかだ。 「……お前ら、いったい何をしていた」 「立ち聞きだ」 堂々と言う仙蔵の隣、まだ廊下に転がったままの伊作を睨み付けると、伊作はびくっと震えてから、苦笑を浮かべた。 「僕は座り聞き、かな。あははは」 「貴様ら……!!」 「おい留三郎、先ほどは一応落ち込んでいたようだから追求はやめてやったが、やはりお前に懸想してるんじゃないのか? ただ同じ委員会というだけにしては仲が良すぎるぞ、手まで繋いで」 最後の言葉に、かっと頭に血が上る。 「お、お前ら、覗きまでしてやがったのか……!」 さすがに分が悪い。言葉に詰まった俺に、伊作がようやく立ち上がりながら、軽く顔をしかめた。 「仲が良いのは悪いことじゃないけど、医務室でいかがわしい行為はさすがに委員長として注意しなきゃいけないかな。今後は控えてね、留三郎」 「手ぇ触っただけだアホ! 見てたんなら知ってるだろうが!」 「むしろを抱えたのもわざとじゃないのか、留三郎は助平だからな」 「仙蔵、あの状況じゃ仕方ないんだから、さすがにその言葉は良くないよ。……まぁでも助平なのは確かだよね、仕方ないよね」 ようしこいつら殺そう、と決意したその時、仙蔵がいつのまにかすぐ隣に立ち、ぽんと俺の肩を叩いた。 「こら、落ち着け留三郎。落ち着いて……私と今から裏々山に自主トレに行かないか。いくらでも詳しい話を聞いてやるぞ。なんなら相談に乗ってもいい」 「貴様なんかと話すことなどなにもない! そもそも違うと言ってるだろうが!」 「しかし仲が良いのは事実だろうが、勘繰るなと言われてもな」 「だよねぇ。留三郎、さんも元気になったみたいだし、もういいんじゃないかな? 認めちゃっても」 「……死ね、お前ら」 さすがにぶち切れて、二人に殴りかかった。 「認めてしまえば楽になるというのに。私が手を貸してやってもいいんだぞ、助平留三郎」 「生きて帰さんから覚悟しろ仙蔵! さっさと死ね!」 「ちょ、留三郎、もしかして本気出してない!? なに取り出してんの、その手裏剣って毒塗ってるやつだよね!? ちょっと、仙蔵も焙烙火矢なんかどうするの、せめて外でやってよ!」 「今更なに言ってやがんだ阿呆、お前も死ね伊作! 仙蔵はもっと死にやがれ!」 「ほほう、望むところだ留三郎、来い!」 「二人ともやめ──うわーーー!」 「………………」 外が騒がしい。というか丸聞こえだ。三人が廊下で物凄い騒ぎを繰り広げているのを、私は横になったまま聞いていた。 新野先生が小さく「うるさければ諫めましょうか?」と聞いてくれるのに、首を横に振る。食満は怒ってるみたいだったけれど、私にはその三人のやりとりを聞いているのが楽しかった。食満が私を好いてくれているのだと誤解しているのではなくて、まるで下級生みたいにからかわれている食満が……本人には悪いけれど少し可笑しかったからだ。 私は、『委員会の場』での食満しかほとんど知らない。今の食満は、いつも委員会で後輩に囲まれている面倒見の良い食満からは少しも想像出来ない姿で、それが新鮮で嬉しかった。食満は嫌がってるのに、私は楽しい。そのことにごめんねと心の中で謝って、私はゆっくり瞼を閉じた。 身体の辛さは大分楽になっていたけれど、まだ頭にぼうっとする重みがあった。新野先生の仰った通り、身体を休めたほうがいいんだろう。でも、今はもう少し、珍しい食満の怒鳴り声を聞いていたかった。 屋根の上で倒れて食満に医務室まで運んでもらったことを知った時、一番初めに頭を過ぎったのは、食満に迷惑をかけて嫌われたらどうしよう、という思いだけだった。 私は、食満に用具委員に入るようにと誘われる前から、食満のことが好きだった。ずっと、好きだった。もちろん、今も好きで。 ──本当は。 本当は、私だけが食満を好き、なんだけど。 頭の中の重さが、解けるように引いていく。ゆっくりゆっくり、外の喧噪が遠ざかる。 相変わらず食満の怒鳴り声を聞きながら、私はそのまま眠りに落ちた。 「……ふむ。なかなかやるな、留三郎。それほどの熱意があれば告白くらい容易だろう? どれ、私がに伝えてきてやるから感謝しろ」 「言動が最後まで一致してねぇぞ仙蔵! てめぇふざけんな、いいから大人しく死んどけ!」 「素直じゃない男は嫌われるぞ。どこまで往生際が悪いんだお前は」 「それはお前だろうが! いい加減にそのくだらねぇ口閉じやがれ!」 「二人とも、ねぇ、もうやめようよ……! からかったのは謝るからさ留三郎! 仙蔵もそろそろやめなよ、さん休めないよ」 「ざけんな、この期に及んで自分だけ善人面なんて認めんぞ、伊作!」 「そうだ伊作、お前ももっとからかってやれ、盛大に」 「仙蔵、お前本気で死にたいらしいな……?」 「死ぬ? 馬鹿を言うな、私はお前との婚姻を見届けるまでは死なん」 「死ね、いますぐ死ね!」 飽きずにからかい続ける仙蔵をとうとう追い詰め、今だ! というところで新野先生にうるさすぎると諫められた。流れ弾に当たって気絶している伊作はどうでもいいが、そこでようやく今までのやりとりがに筒抜けだっただろうことに気づいて、瞬時に頭に血が昇った。 新野先生に諫められた事よりも自分が子どものようなアホなやりとりをしていたことよりも、なによりあの仙蔵との会話がにどう思われていたかのほうが気になった。告白だの婚姻だの助平だの! 「あなたたちは最上級生なんですから、もう少し立場を考えて行動しなければいけませんよ」 新野先生のお叱りの言葉をもっともだと思いつつ右から左に聞き流してしまいながら、俺はまた新たな問題に頭を抱えた。この暑さの中本気で動いたせいで、蒸される不快感に焦る感情が増幅される。これもそれも全部仙蔵と伊作のせいだ、どうしてくれる! 新野先生から説教を受けながらも、俺はにどう言い訳するべきかと悶々と考え続ける。そして、 「おい助平、お前新野先生の話をちゃんと聞いているか? 助平はどうしようもないが、真面目に先生の話を聞くことすらも出来ないのか」 懲りずにまた口にした仙蔵を、新野先生の前で、お叱りを受けている最中だというのに、思い切り殴った。 終 →三話『整理・整頓・修理・告白』 |