中在家長次夢
『二度目の鼓動』


一話
「前日」その一





 のんびりとした昼下がりだった。
 定期的な職員会議で全学年が自習になった午後、学園内はその時間を楽しむ生徒達で賑わっていた。
 用事のない生徒達は誘い合って遊びに出掛け、仕事の溜まっている委員会は今が機会とばかりに活動に励む。無理矢理に委員会活動に駆り出された下級生達以外は、みんなにこにこと楽しそうだ。
 私の所属している委員会も今は余裕があったから、招集されることなくこの自由時間を満喫出来る。昼食後に食堂に残ってしばらく同級生達と雑談をした後、一度部屋に戻ろうかと廊下を歩いていたときだった。

「あら、様」

 後ろから呼ばれた声に足を止めて振り向くと、少し離れたところからぱたぱたと軽い足音を響かせて小さな人影が駆けてきた。それが誰なのかを知って、私は顔をほころばせる。
「カメ子ちゃんじゃない。お久しぶりだね」
「はい。ご無沙汰しておりました、様」
 礼儀正しくぺこりと頭を下げる少女に、私もそれに倣って頭を下げる。同時に顔を上げて、微笑み合った。
 しんべヱの妹であるカメ子ちゃんには、私も今までに何度か顔を合わせている。たぶん、これで三度目くらいだ。
「カメ子ちゃん、今日はどうしたの? しんべヱに会いに来たのかな?」
「はい。今日はお父様に言いつかって、お兄様を迎えに来たんですの。あの、様。お忙しいところ申し訳ないのですが、お聞きしたいことがありまして……」
「なになに? 大丈夫だよ、私今は暇なんだ」
 その場に軽く屈んで、カメ子ちゃんと視線を合わせる。カメ子ちゃんは私の仕草に礼を言うように微笑んで、それから少し困ったように眉を下げた。
「わたくしお兄様をお探ししているのですが、皆様お兄様がどこにいらっしゃるのかご存じないみたいで……。様、どこかでお兄様とお会いになりませんでしたか?」
「あ、そっか。今日はみんな自習だから、どこかで遊んでるのかもしれないね。私は今日はまだ見てないけど……しんべヱの部屋にはもう行ったのかな?」
「はい。お兄様のお部屋と教室には足を運んだのですが、そこにはお姿がなくて……委員会ではないかと教えて頂いたのですが、所属する委員会も今日は活動がないとお聞きしました」
 しゅん、とカメ子ちゃんは気落ちしたように肩を落とす。確かに、慣れぬ場所で人探しをするのは大変だろう。
「部屋と教室と用具委員会にはいないってことだね。じゃあカメ子ちゃん、他の場所を一緒に探しに行こうか」
「え? よ、よろしいのですか? 様、なにかご用事などおありでは……」
「大丈夫。これからどうやって暇を潰そうかなって思ってたところだから。私でよければお手伝いさせて?」
 ね、と手を差し出すと、カメ子ちゃんは少しの間もじもじとしていたけど、はにかむようにふわっと微笑んで、「それではお願いします」と私の手を取ってくれた。手が重なった瞬間、カメ子ちゃんの小さな手がぎゅっと私の手を握り返してくれる。うわ、可愛い。その愛らしさに、ほんわかと心が温かくなった。
 学園には十歳以上の生徒しかいないから、学園内でカメ子ちゃんみたいに小さな子と接する機会はほとんどない。妹がいたらこんな感じかなと思うと、なんだかとても幸せな気分になる。とはいえカメ子ちゃんは私よりもずっと教養があるし頭もいいから、姉妹とはとても言えないだろうけど。
「それじゃあ、とりあえず運動場にでも行こうか。しんべヱの友達を見付けて聞いたほうが早いだろうしね」
「はい、お願いします様」
 手を繋いだまま、私とカメ子ちゃんは運動場へと向かう。カメ子ちゃんはしんべヱを探しているのか物珍しいのかその両方か、きょろきょろとあちこちに視線を向け、小首を傾げている。
様。あちらの庭の隅にある、大きな穴はなんですか?」
「ん? あれは生徒の誰かが掘った落とし穴だよ。学園内はどこでも罠を仕掛けていいことになってるから」
 正確には、落とし穴に誰かが引っ掛かった跡、だけど。
「まぁ、さすが忍術を教える学園ですのね。普段からそうやって訓練されてるなんて」
「そうだね、そのための競合地域だから。カメ子ちゃんも、あんまり人がいないところまで一人で歩かないほうがいいよ。中には結構洒落にならない罠もあるからね」
 穴掘り小僧やカラクリ好きな生徒達も、さすがに来客がよく通る場所にはあまり仕掛けないけれど、それでも皆無というわけじゃないから。
「お兄様もたまにお話ししてくださいますわ。乱太郎様がよく罠にかかってしまわれるのだとか」
「そうなんだよね、特に保健委員の子がよく…………あ」
様?」
 突然に足を止めた私を、カメ子ちゃんがきょとんと見上げる。ほら、と私が前方へと視線を促すと、丁度そのときすぐ先の曲がり角を曲がって、二人の一年生が私達の前に姿を見せた。その顔を見て、カメ子ちゃんがぱっと顔を輝かせる。
「あれっカメ子ちゃん! どうしたの、こんなところで」
「カメ子ちゃん、お久しぶり! 先輩も、どうしたんすか二人で」
「私はカメ子ちゃんの案内だよ」
「乱太郎様、きり丸様!」
 カメ子ちゃんに気づいてすぐに駆け寄ってくる二人に、カメ子ちゃんは嬉しそうに微笑む。私にそうしてくれたように、丁寧にぺこりと頭を下げて。
「お二人ともお久しぶりです。いつも兄が本当にお世話になっております」
「あはは、いーよそんな、お互い様だし」
「そーだな、確かによく世話してるかもな。だからカメ子ちゃん、礼と言っちゃなんだけど、今度福富屋で余った二級品の小物とかあったら、俺に安く譲って──」
「こらきりちゃん、駄目だよ! ……それで、カメ子ちゃんはどうしてここにいるの? あ、しんべヱを迎えにきたのかな」
「はい。お二人とも、お兄様がどこにいらっしゃるかご存じですか?」
 カメ子ちゃんの不安そうな問いに、乱太郎はすぐに「うん!」と頷く。
「しんべヱなら図書室にいるよ。なんか帰る前にやることがあるって言ってたね」
「しばらく会えないんだから遊ぼうぜって誘ったんだけどな。しんべヱが図書室に用事なんて、珍しいこともあるもんだなぁ」
「きりちゃんの遊ぼうはアルバイトじゃない。ほら早く行こうよ、今日は犬の散歩だっけ」
「おう! ほんと自習様々だよな、昼間から金儲け出来るなんてラッキー! じゃあカメ子ちゃん、先輩、俺らバイトがあるんで失礼しまーす!」
「カメ子ちゃん、またね! 先輩、それじゃ!」
「うん、二人とも頑張ってね!」
「お二人とも、ありがとうございました」
 カメ子ちゃんがまた丁寧に頭を下げるのに大きく手を振りながら、二人は校門へと足早に駆けていった。
「よかったねカメ子ちゃん、図書室に行こうか」
「はい! ……あ、ですが様」
「ん? どうしたの?」
 一度にこやかに頷いてくれたカメ子ちゃんが、ふとなにかに気づいたように声を上げ、私の顔を見る。
「あの、わたくし図書室の場所でしたら存じておりますので……」
「でも、そこにしんべヱがいなかったら二度手間でしょう? どうせ暇だから付き合わせてくれると嬉しいな」
 遠慮してくれているようなカメ子ちゃんの言葉に、私は小さく笑って首を傾げた。言ってから、もしかして逆に邪魔なのかなと不安になったけど、カメ子ちゃんはまたすぐにほわっと嬉しそうに笑ってくれた。あああ、ほんとに可愛い。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。様、本当にありがとうございます」
「お礼はしんべヱが見つかってからでいいよ」
「はい、ではそのときに改めて」
「うん、じゃあ行こうか」
 頷いて、私はまたカメ子ちゃんの手を引いて歩き出した。


 図書室の場所でしたら存じております、と言ったカメ子ちゃんの言葉は本当で、私が先導しなくてもカメ子ちゃんの足は正確に図書室へと向かっている。私が入学したばかりのときは広すぎる学園の構造になかなか慣れなかったんだけど、やっぱりカメ子ちゃんは頭がいい。
 すんなりと図書室にたどり着いて、その戸を開く。
「失礼します」
「失礼致します」
 図書室の中にはあまり人の気配がなかった。さすが、せっかくの自習時間に図書室で勉強している生徒はほとんどいない。……なんだか矛盾してるけど。
「あ、お兄様っ」
 図書室に入った途端に小さく弾んだ声を上げて、カメ子ちゃんがずらりと並んだ文机の一つへと足早に駆け寄っていく。カメ子ちゃんが向かっている図書室の奥では、確かにしんべヱが、何冊もの本に囲まれてなんだか困った顔をしていた。
 私もその後について行きながら、ざっと図書室の中を見回す。しんべヱ以外に自習机を使っている生徒はいない。今日の当番は雷蔵らしく、いつものように本棚の前で、なにかを悩みながら本を出したり戻したりしている。
「お兄様!」
「あれ、カメ子。もうそんな時間? 着くのは夕方って手紙に書いてなかった?」
 カメ子ちゃんに気づいて、しんべヱがきょとんと顔を上げる。カメ子ちゃんはしんべヱの隣にちょこんと座り、にこにこと嬉しそうに微笑む。
「お久しぶりです、お兄様。少し早めに着いてしまったので、お兄様をお探ししていたんです。夕方になったら、弥次郎が迎えに来てくれることになっていますから」
「あ、そっか。ごめん、どこにいるか言ってなかったから……」
「いいえ。様が一緒に探してくださいましたから。ありがとうございました、様」
「乱太郎ときり丸が教えてくれたから。私はただ付いてきただけだよ」
 カメ子がお世話になりました、と微笑むしんべヱに微笑み返しながら、私も二人が座っている文机の前に腰を下ろす。
「それでお兄様、こちらでなにをなさってるのですか?」
「なにって……ぼ、ぼくも忍たまだからねっ。自習なんだからしっかり勉強をと思って……」
「乱太郎様ときり丸様のお二人が、お兄様が図書室にご用事があるのは珍しいことだと仰ってました」
 カメ子ちゃんの手前、いいお兄ちゃんをしようとしたらしいしんべヱは、その一言でぱたりと糸が切れたように文机の上に倒れ込んだ。そして、「んもー」と眉を下げながら顔を上げる。
「たまにいいかっこしようとすると失敗するんだから……」
「はいしんべヱ、これでいいかな。たぶん分かりやすいと思うよ」
 はあ、とため息を吐くしんべヱの前に、三冊ほどの本が置かれた。さっき本棚の前で迷い癖を出していた雷蔵だ。たぶんこれを選んで悩んでいたんだろう。
「不破先輩、ありがとうございます! 全部お借りしても大丈夫ですか?」
「うん、いいと思うよ。貸し出し禁止のものはないからね。……こんにちは、カメ子ちゃん」
「不破様、お久しぶりです。いつも兄がお世話になっております」
「こちらこそ。先輩は、本を借りに来られたんですか?」
 カメ子ちゃんの挨拶に穏やかに頷いて、雷蔵は次に私に目を向ける。
「ううん、私はカメ子ちゃんにくっついてきただけなの。雷蔵、今日当番なの?」
「はい。本当はきり丸だったんですけど、アルバイトがあるから当番を代わってほしいと言われまして」
「ああ、さっきアルバイトに行くところを見たよ」
「ええっと……これであと何冊だろう……」
 私と雷蔵の前で、ひいふうみい、と数えながら、しんべヱが本を揃えて行く。積まれているその数は、すでに十冊ほどの量だ。
「しんべヱ、そんなにたくさんの本どうするの?」
「ぼく、少しの間学園をお休みするんです。それで、その間に出た宿題の参考書を借りて行こうと思って……」
 しんべヱの手には、宿題一覧が書かれているらしい紙が握られている。ぱっと見えた限りでは、読書感想文とか、食べられる雑草についてのまとめだとか、そんな文字が並んでいた。
 カメ子ちゃんが迎えに来るということは、おうちの事情なんだろうか。なんとなくカメ子ちゃんに目を向けると、カメ子ちゃんは私の視線に気づいてにっこり微笑んだ。
「もうすぐ、福富屋で大事なお客様をお迎えするんです。お父様が、将来の参考に私達も同席するようにと仰って」
「そうなんだ」
 私は直接そのお店を見たことはないけれど、しんべヱのおうちが有名な商家だということは聞いたことがある。素直に、すごいなと感心した。
「教育熱心なお父様なんだね」
 何気なく言った私の言葉に、しんべヱがぶうっと顔をしかめる。
「もー。パパそんなこと言って、絶対ぼくに会いたいだけなんだよ。わがままなんだから」
「お兄様ったら、またそんなこと仰って。お父様、おうちではお兄様のことばかりお話しされてるんですよ」
「パパもそろそろ子離れしたらいいんだよ、もうっ」
 ぷりぷりしているしんべヱを、カメ子ちゃんが困ったように見つめている。その様子がなんだかすごく微笑ましくて、思わず口元が緩んでしまう。
 隣の雷蔵に目を向けると、雷蔵もほのぼのと二人を見やった後、私に一礼して委員の仕事に戻って行った。小さい子って可愛いなあ。
「お父様は、お兄様のことを心配なさってるんですわ」
「それは分かってるけど、パパしょっちゅうそういうこと言って家に帰ってこさせるんだもの……。ええっと、あとは忍者文字の本があれば終わりかな……」
 宿題一覧と本を照らし合わせているしんべヱに、カメ子ちゃんが「あの」と首を傾げる。
「お兄様、学園の御本を家に持ち帰ってもよろしいのですか?」
「え? カメ子、なんで?」
「学園の御本は、学園内でお読みになるものではないのかと……」
「生徒の勉学を助けるための蔵書だ。規定の貸出期間を守れば問題ない」
 ぽつりと答えた声の主は、いつの間にか私の隣にいた。それに気づいたカメ子ちゃんが、まぁっと顔をほころばせる。
「長次」
 長次は私の隣に腰を下ろすと、しんべヱに一冊の本を手渡した。しんべヱが探していた最後の参考書なのだろう。「わあ、ありがとうございますー!」としんべヱは嬉しそうに本を受け取り、長次は無言で、しんべヱの貸し出しカードと貸し出し帳に、本の題名と返却期限を記入し始める。
「いつもお世話になっております、中在家様。先日も南蛮書の買い付けを手伝ってくださって、本当にありがとうございました」
 カメ子ちゃんが立ち上がって頭を下げると、長次も軽く頷く。そのカメ子ちゃんの瞳には、私や乱太郎達に向けていたものとは少し違い、憧憬が含まれている。恥ずかしそうな嬉しそうなその様子は本当に可愛らしいけど、長次はそれに気づいているのかいないのか、視線を返すこともしない。私が長次の立場だったら、きっと抱き上げてほっぺにすりすりしちゃうだろうなと思うくらい、愛らしいのに。
 ぽーーーーっと長次に見惚れているカメ子ちゃんの隣で、しんべヱは本一冊一冊を最後に確認して、文机の上を片付け始める。
「……帰省が延びた場合のみ例外的に延長を許可するが、学園に戻り次第返却するように」
「はい、わかりました!」
 長次が貸し出し作業を終えて本を返すと、しんべヱは風呂敷を取り出して広げ、それを包む。よいしょっと背負ったところで、カメ子ちゃんがきらきらした瞳で長次を見ているのに気づいて、しんべヱは不機嫌そうにむっと顔をしかめた。
「ほらカメ子、もう行くよっ」
「え? あ、あらお兄様、まだ時間では……」
「帰る用意とかいろいろあるのっ。委員会の先輩にも、しばらくぼくがいないことを言いに行かなくちゃいけないし」
「まあ、そうですわ。わたくしも学園長先生とお兄様の先生方にご挨拶しなくては。お兄様のお荷物もまとめなくてはいけませんし」
 しんべヱの言葉にハッと気づいた顔になり、カメ子ちゃんも慌ててしんべヱに続いて立ち上がる。
「二人とも、もう行っちゃうの?」
「はい、これで失礼致します。中在家様、様、本当にありがとうございました」
 カメ子ちゃんがちらちらと名残惜しそうに長次に視線を向けるけれど、長次はやっぱり顔も上げずに無言で頷いただけだった。
「中在家先輩、先輩、ありがとうございました!」
 カメ子ちゃんが深々と頭を下げると、しんべヱもぺこりと一礼する。私も立ち上がって、戸のところまで二人を送った。
「しんべヱ、その本重くない? 私部屋まで手伝おうか」
「大丈夫です! ぼく、重いのは結構平気なんです」
 ふふんと胸を張るしんべヱに、「まぁ、お兄様かっこいいですわ」とカメ子ちゃんがはしゃいだ声を上げる。なるほど。
「そっか、なら大丈夫だね。二人とも、おうちに帰る途中気をつけてね」
「はい。様もお体には気をつけてくださいね」
 二人はにこにこと、よく似た可愛い笑顔を向けてくれる。つい頭をなでなでしたくなる愛らしさだ。
「じゃあね、二人とも」
 戸の前まで送り、二人に微笑む。はい、と二人が手を振ってくれたとき、カメ子ちゃんがふと気づいたように、ぱたぱたと私の前まで足を運んで顔を見上げた。そして、その両手で私の手をぎゅっと握る。
「ん? カメ子ちゃん?」
様。お忙しいところ、お兄様を探してくださって本当にありがとうございました」
 まっすぐに私を見つめる瞳。改めて礼を言われて、なんだか不意打ちできゅんときた。一瞬惚けて返事に詰まり、慌てて首を横に振った。
「ううん、ほんとに暇だったし。またなにかあったらいつでも言ってね」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼致しますね、様」
先輩、それじゃまた!」
「うん。またね、二人とも」
 すごくほんわかした気分で、私は二人に手を振る。二人がにこにことなにかを話しながら廊下の先に消えるまで見送って、図書室の戸を閉めて長次の元に戻った。















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