潮江文次郎夢
『不器用恋絵巻』中編
なにしてんだ、と思うものの、結局その後謝罪に行くことも出来ずに、あっという間に夕方になっていた。 このままじゃ見限られるんじゃないかと悩んでいた相手にさらにあの冷たい態度、どう考えてもあからさまに俺が悪い。 と恋仲になるまでにも、散々鈍感だ間抜けだ不器用通り越してただの阿呆だと仙蔵に言われてきたが、まさか恋仲になってからも自分がここまで阿呆だとは思わなかった。色恋沙汰が不得手だという自覚はあるが、自覚があったところで言い訳にはならない。 俺ではない、あいつらならばまだ上手く立ち回るのだろうと同年のやつらを思い浮かべて、げんなりとする。仙蔵と伊作は言うに及ばず、長次と留三郎は女にマメだろうし、小平太も物言いがはっきりしているから相手を不安にさせないだろう。……と恋仲であるのが俺でなければ、と思ってしまってさらに気が重くなる。……自分で自分を追い詰めてどうする。 とにかく、だ。 恋仲らしくないだのなんだの悩んでいたのはこの際置いておくとしても、朝のことはきちんと謝るべきだ。それすらも出来ないようなら、単に男として最低だ。謝罪をして、それから上手く話しが出来そうならば、気になっていたことも切り出してみればいい。 そうようやくに腹をくくって、俺は授業終了と共にの姿を探し始めた。 今日は教職員会議のために委員会活動がない日で、も委員会にいないことは確かだった。とはいえそれだけが分かったところで、忍術学園は広い。のいそうなところは……と考えて、それがなにも思い浮かばないことに気づいて舌打ちした。俺は、あいつのことをほとんど知らない。 が好きか嫌いかと問われたら、間違いなく好きだと即答できる。欲しいと思う女も、可愛いと思う女も、隣にいると安心する女もあいつだけだ。けれどきっと、俺はあいつの好意に甘えて歩み寄る努力をしなかったのだろう。先に好きだと言われたから、それだけで満足していたのかもしれない。 ──本気の阿呆だな、俺は。 なぜその場ですぐに謝れないのか。そもそも傷つける前にどうしてそのことに気づけないのか。数日前から膨れ上がるばかりの焦りは、今もその量を増す一方だ。俺がもしの立場ならば、こんな男はとっとと捨てているだろう。……そして今、もまさにそうしようと思っているのかもしれない。 いくつも共用場を回り、そのたびにの姿がないことにさらに焦った。けれど幸いにも、最終手段だと残しておいたくの一教室の敷地に足を踏み入れるまでには、を見つけることが出来た。 少し離れた廊下の先に、女子生徒が二人、おそらく職員室へと向かうために歩いている。と、もう一人は五年の女子生徒だ。どちらも後ろ手に持っているものは日誌で、それを教師に提出しに行こうとしているのだろう。 俺はを見つけられたことにひとまず安堵して、それまで駆け続けていた足を一度止めた。息を吐き、声をかけようとの背を改めて見た、そのときだった。 「じゃあ先輩は、潮江先輩と町に出掛けたりしないんですか?」 突然耳に入った自分の名前に、身体が強張る。後輩の女子生徒が、の顔を不思議そうに覗き込んでいる。ゆっくりとした足取りの二人の声は遠ざかることなく、易々と俺の耳まで届いた。 「……そうだね、あんまりしないね」 「えー。逢い引きしないなんて、恋仲らしくないですよ。先輩、それでいいんですか?」 う。 吐かれた言葉に、あまりに時機が良すぎて顔をひきつらせた。 会話の内容が内容なだけに、呼び止めようとした気合いが失われてしまう。 「……ん、恋仲になったら、みんな逢い引きするものかな?」 「みんなとは言いませんけど……でも、逢い引きだけじゃなくて、いろんなことを一緒にするほうが楽しいですよ、好きな相手となら」 少し弾んだ様子の後輩の声に、ああそれが普通だろうなと俺も思う。 が同意するならば、今度こそ頭を下げてでも仙蔵に教えを請うて、望む形でやり直したいと。 けれどはすぐに返事をしようとせず、後輩がそれを促すようにまた声をかける。 「ね? 先輩だって、潮江先輩といろんなことしたいでしょう? ……まぁ、なんであのフケ顔がいいのか、さっぱり理解出来ませんけどね」 最後の言葉にかちんと来たが、とりあえず今は甘んじて受け止めていると、はぽつりとした声音で言葉を漏らす。 「私はね、別にいいの。文次郎と逢い引きなんかしなくても。……恋仲らしくなくても」 息が詰まりそうになった。 どういう意味なのかと戸惑う俺と同じように、後輩の女子生徒も動揺した表情で足を止める。 「恋仲らしくなくてもいいって……なんでですか? だって先輩、潮江先輩と恋仲でしょう?」 「……うん、そうだね。でもね──」 躊躇いなく。まるで当たり前の事実のように落とされたの次の言葉に、今度こそ本気で息が詰まった。 「──私は、文次郎とは長く続かないと思ってるから、いいの」 好きなのだと。 が最初に俺に告げた言葉は、おそらく嘘ではなかったのだろう。 俺もに惹かれていて、共にいて欲しいと告げ、そしてそれを許された。 想い、想われる関係だったのだ。少なくとも、俺はそうだと自惚れていた。そしてずっとそうなのだと、きっと勝手に自惚れていた。 今の今までは。 瞬時に頭に血が昇った。 全身に巡る感情が怒りなのか焦りなのか悲しみなのか分からないまま、気づけば駆け寄っての腕を掴み、強引に振り向かせていた。は俺を見ると、唖然としたように目を見開く。 「文次郎」 呼ばれた名前に、さらに頭に血が昇る。 も今の会話が聞かれていたことを理解したのだろう、さっと顔色を変える。 「ち、違う、文次郎」 「来い」 「ね、待って──」 「いいから来いっつってんだろうが!」 腹立ちのままに叫んでしまい、はびくりとして口を閉じた。気遣う余裕などほとんどなかった。の身体も、声音も、怯むように震えている。そこに好意はきっとない。俺がこいつに甘え続けた結果だ。 「潮江先輩!」 後ろから投げられた後輩の声に、無言での手から日誌を奪って投げつけた。顔を強張らせてそれを受け止める後輩がさらになにか言おうとするのを待たず、の腕を強く掴んだまま、無理矢理に引きずって歩き出す。 「……文次郎、お願い。痛いから」 「うるさい、黙ってろ」 鋭く切り捨てると、はそれ以上なにも言わなかった。 くそ。これだからがますます俺を見限るのだと分かっているのに! それでも、酷い苛立ちと不安が入り交じったような黒い感情が止められない。 怯えるの気配を感じながら、いっそ握り潰す気での腕を掴む。 一度でも離してしまったら、きっとは俺から逃げる。必死でだ。 ──逃がして、たまるか。 強く握られていた腕がようやく離された直後に、乱暴に突き飛ばされた。壁に背をぶつけてその場に崩れ落ちると、体勢を整える前に文次郎が迫る。 連れて来られたのは、委員室が並んでいる長屋の空き部屋だった。今日は委員会がないから、辺りに人の気配は全然ない。 痛む二の腕を反射的にもう片方の手で庇いながら、私は恐る恐る文次郎を見上げる。 文次郎から漏れ出ているのは、ほとんど殺気に近い怒気だ。恋仲になる前もなった後も、ここまで強烈な文次郎の気配を感じたことはない。それがきっと純粋な怒りなのだろうと悟って、私は怯える。文次郎の怒気にじゃない、自分が口にした言葉にだ。 「俺と長く続かないってどういう意味だ」 文次郎は壁際に追い詰められた形の私を睨み付けながら、さっき私が言ってしまった言葉を鋭くぶつける。声音に込められている隠そうともしていない苛立ちに、血の気が引いた。 「答えろよ。……どういう意味かって聞いてんだ」 「ち……がう。違うの」 「なにが」 「あれは、ただ」 「ただ、なんだよ」 低い文次郎の声と共に、砕けるかと思うほどに強く肩を掴まれて、その痛みに顔を歪めた。 ……ああ、なんで。あんなことを言ったんだろう。 後輩に言ったことは、全部本音だ。こんな幸せは長く続かない。きっと文次郎は私みたいな面白みのない女にはいつか飽きてしまうのだろうと、来るかどうかも分からない別れを漠然と諦めていた。 でも、それがしたかったわけじゃない! 長く続かないだろうと勝手に決めつけていただけで、別れたかったわけじゃない。文次郎の負担になりたくないからなにも望まなかったし、傍にいられることだけで満足していた。ぜんぶ、文次郎が好きだから! だけど。私がそう思っていたと知ってしまったら、文次郎が怒るのは当たり前だ。長く続かないと勝手に決めつけている情の薄い女なんて、誰も恋仲にしたくないに決まってる。私のことをもしかしたら少しでも好いてくれていたのかもしれないのに、全部終わってしまう。 ……私があんなことを言ったから。 違う。文次郎と別れたくなんてない。文次郎といられるなら、恋仲という名の性欲処理だって構わなかった。気遣ってくれる素振りを見せてくれるだけで嬉しかった。 私は、文次郎が好きなのに。 「…………っ……」 絶望的な思いに、視界が歪む。滲んだ涙が頬を伝って落ちていく。 なにも言わずに泣く女、なんて。文次郎は一番嫌いに違いないのに。弁解したいのに、声を出そうとすると全部嗚咽になってしまう。 早くなにか言わなくちゃと焦る私をじっと見て、文次郎は掴んでいた私の肩から手を離す。さっきよりは落ち着いた声音で、 「俺が嫌いか?」 「……え?」 問われた言葉に、一瞬泣くのを忘れて唖然とした。それから、勘違いさせていることに気づく。長く続かないと言ったから。それできっと。 「ち、違う。嫌いなんかじゃないの」 「……乱暴にしたのは悪かった。だから答えてくれ。俺のことが嫌いなんだろう?」 「違う。好き。……好きなの」 「なら、俺のどこが気に入らないんだ」 間を置かずに続けて問われた言葉に、今度は返事に詰まった。気に入らないところ、なんて。 「……ないよ、そんなの」 「嘘吐くなよ。ならあんなこと言うはずないだろ」 「ほんとに、違うの。嫌いとか、気に入らないとか、そんなんじゃ……」 「」 名を呼んで、文次郎は私に腕を伸ばす。さっき肩を強く掴まれたことを思い出して反射的に身を固くすると、それが分かったのか、触れる寸前で文次郎の動きが止まる。 「……」 二度呼ばれて、私は身体の力を抜いた。どうすればいいのか分からなかった。必死で縋り付いて許しを請うたら、文次郎はきっとますます私に嫌気が差す。惨めで無様な女だとその目に映ったら、もう絶対に私の傍にいてくれない。 身体も、頭も、酷く重くて仕方なかった。文次郎の手が私の背の後ろに回って、引き寄せられる。抱き締められる行為ですら、最後の抱擁に思えてとても怖い。 ──こんな最後なんて、嫌なのに。 自己嫌悪に軋む胸に、また頬に涙が零れた、そのとき。 「俺が悪かった」 耳元で囁かれた言葉に、目を見開いた。なにを言われたのかすぐには理解出来ない私の耳に、文次郎の声がまた届く。少し惑うような声が。 「俺は、こういうのに慣れてないんだ。恋仲だとか、女の扱いだとか」 「……文次郎……?」 「自分でも分かってるんだ。俺は、お前を大切に扱ってなかったんだろう。大切じゃなかったわけじゃない、ただどうすればいいのか分からなかったんだ」 懇願するような真摯な言葉に、身動きが取れなくなる。 「気に入らないところがあるなら、なんでもいいから言ってくれ。……頼むから」 強く抱き締められる。痛みを感じるほどの抱擁のあとに、頭に直に響くような近い距離で、文次郎の声が。 「頼むから、俺の傍にいてくれ」 さっきとは違う意味で、涙が零れそうになった。 思わず息を吐くと、苦しいと思ったのか文次郎は慌てて腕を緩めてくれた。少しだけ離れて、ゆっくり、躊躇う動きで文次郎の手が私の頬に触れる。 「」 やっぱり躊躇いがちなその声音に、私は顔を上げて文次郎と目を合わせた。 恋仲になったとき、文次郎に名字じゃなくて名前で呼んでもらうことでさえ、私はとても嬉しかった。特別だと言える間柄になれたことも、文次郎に触れる理由と意味が出来たことも、幸せで仕方なかった。 私が好きだと告げたから、文次郎がそれに応えてくれたのだと思っていた。嫌われていなくても、愛されているとは思わなかった。だからこそ、文次郎の迷惑にならないよう、疎まれないようにと、ただそれだけを考えてきた。 でも私はきっと、ずっと文次郎に愛されたかったのだ。 文次郎の瞳が、すごく近くにある。私の反応を見てくれている少し困ったような顔に、私は今一度、文次郎が好きなのだと改めて思う。 私が傍にいたいと思うのは、触れて欲しいと思うのは、愛して欲しいと思うのは、このひとだけだ。 「……本当に、違うの。文次郎」 自分の声は、思ったよりは震えていなかった。無言で言葉の続きを促す文次郎に、私はゆっくりと続ける。視線を逸らさないように。 「長く……続かないと思うって言ったのはね、文次郎が嫌いとか、不満があるとかじゃ、ないの」 「……じゃあ、なんだ」 肩に回されたままの文次郎の手に、少しだけ力が込められる。同時に文次郎の目が細められるのを見ながら、私は本当のことを言った。 「幸せだったから」 「……は?」 「文次郎と恋仲になれて、幸せだったから。……だからこんなに嬉しいことは、きっと長く続かないと思って」 「…………なに言ってんだ、お前」 不可解な表情になる文次郎に、手を伸ばした。その頬にそっと触れると、文次郎は戸惑った瞳で私を見る。 「文次郎が好きだから。幸せだから。……怖いの」 「……悪い。お前がなにを言ってるのかさっぱり分からん」 「うん……ごめんね」 戸惑いが過ぎて訝しげな文次郎の顔に、私はほんの少しだけ笑った。文次郎に分かってもらえるとは思わない。これは、私が文次郎をずっと前から好きだったことが理由だから。 「……本当に、俺のことが嫌いじゃないのか。別れたいわけじゃ……」 「違う。一緒にいたいの。……ごめんね」 文次郎の言葉に答えた次の瞬間、少し強い動きで壁に背を押しつけられた。咄嗟のことに驚く私に、最初にこの部屋に連れ込まれたときみたいに、文次郎が私に迫る。鋭い目で。 「ならどうしてお前は、俺と恋仲らしいことをしたくないんだ」 「…………あ」 「お前がなにも望まないことに甘えて、俺からなにもしようとしなかったのはすまないと思ってる。……けどな、」 「じゃあ文次郎は、私と恋仲らしいことがしたいの?」 遮って言った言葉に、文次郎は虚を突かれた顔になった。それから少し不満そうに、 「俺がお前に聞いてるんだろうが」 「同じだよ。どっちにしても、私は文次郎が嫌ならしたくない」 「……俺は、お前に聞いてるんだ。嫌なのか?」 曖昧な答えを許さないような少し強い問いに、私は一瞬だけ迷って、それから首を横に振った。文次郎は「そうか」とだけ言って、考えるように目を伏せる。 文次郎と恋仲でいられるなら、私は本当にこのままでいいと思っていた。逢い引きなんかしなくても。恋仲らしくないと周囲に言われても。 「……お前も分かってるんだろう。俺はこの手のことが本当に苦手なんだ。経験だってない、興味もなかった」 伏せていた視線を上げて、文次郎が口を開く。途切れ途切れに、言葉を選ぶように。 「なにをすればお前が喜ぶのか、どう言えば不安にさせないのか、分からないんだ。だから望むことがあれば、なんでもいいから口にしてくれ」 「……文次郎」 「お前に嫌われたくないんだ。……頼む」 ……その言葉だけですごくすごく嬉しいのだと伝えたら、文次郎は逆に怒ってしまうだろうか。 こみ上げる熱にまた泣いてしまいそうなのを、必死に堪える。文次郎がじっと私の答えを待っているのに気づいて、微笑んだ。もう望むことなんてないから。 「文次郎が一緒にいてくれたらそれでいいから。だからそんなのなにも──」 ないよ、と言おうとすると、文次郎が苛立ったように眉をひそめる。ぎろりと至近距離で睨まれて、続けるはずの言葉を飲み込んだ。 「おい。人が似合わないの承知の上でここまで言ってんだ、恥かかすな」 「え? でも」 「でもじゃねーよ、いいから言え、とっとと言え」 「だ、だって本当にないの。それなら文次郎も言ってよ。私だけなんて不公平だし」 「うっせ。お前、いっつもはいはいはいはい頷くだけで、俺になにも言わねーじゃねーか! あれがしたいとかこれがしたいとか普通あるだろうが! 言われないと不安になるんだよ、分かれよ!」 「…………っ」 なんだか、いきなりむかっときた。 「文次郎だってなにも言わないじゃない! 怒ってるのか嫌がってるのか眠いのか分からないときばっかりじゃない! 機嫌いいときなんて全然ないし! 笑ってもくれないし!」 「男がアホみたいにニヤニヤ出来るか! 大体、お前だって昔から俺には笑わないし喋らないだろうが! ガキ相手にいつもニヤケ面晒してべらべら話してるくせに、この馬鹿女!」 「っ! 文次郎が! うるさい女が嫌いだって言うから、その通りにしたんじゃない!」 「はぁ!? 人のせいにすんな、誰がいつどこで言った!」 「下級生のとき! 女子同士で騒いでるの見て、『ぎゃーぎゃーうるさい女は嫌いだ』って言ったから!」 「何年前の話しだこら、そんなもんいちいち覚えてんじゃねーよ!」 「今だってそう思ってるんでしょう!? うるさくて煩わしくて面倒くさい女は嫌いでしょう!?」 「やかましいわ! そんなもん恋仲なら別だろうが、頭使って考えろ!」 「やかましいとかうるさいとか、そのものずばり言ってるじゃない! 私は文次郎に嫌われたくなかったから!」 「俺だってお前に嫌われたくねえよ! いい加減分かれよ! お前だけが好きなんじゃねえんだよ、俺もお前が好きなんだよ!」 ぽた、と。 視界が急に歪んで、涙が落ちた。今まであれだけ懸命に堪えていたのが、堰を切ったように溢れ出す。 ついさっきまで口を突いて出た勢いはもうなくて、ただどう処理していいのか分からない感情が身体全部を支配していた。 「っ……う……」 「……あーもう、泣くなよ……なんでお前すぐ泣くんだよ」 「泣かせてる人に……言われたくない」 「……そうだな、俺が悪かった」 落ち着かせるように背を柔く撫でてくれながら、文次郎が謝る。柄でもないと思ってるのか、ちょっとやれやれとした諦めた顔で。 「なぁ。頼むから、これからもそうやって思ってること言ってくれ。言われないと分からないんだよ、俺は」 「……嫌わない?」 「まだそんなこと言ってんのか、お前」 「迷惑だと思わない? やかましい女嫌いでしょう?」 「ふりだしに戻るし。……あーちくしょう、仙蔵の阿呆」 仙蔵? 突然の他人の名にどういう意味かと思っていると、文次郎はすごく嫌そうに顔を歪めながら、吐き捨てるように言う。 「仙蔵に相談したときに言われたんだよ。俺とお前は、互いに口下手で上手く伝えられないだけのお子様的恋路だってな」 「…………」 驚いた。仙蔵の言葉にじゃなくて、文次郎が仙蔵に相談した、ということにだ。 「くそ、あいつに見透かされてると思うと腹が立つ」 言葉通りにむかむかした様子の文次郎に、私は思わず笑ってしまう。それを見て、文次郎も安堵したように微笑んだ。 溶けるように、胸中の重みが消えていく。不安とか焦りとかじゃなくて、文次郎が好きすぎて動悸が速くなる。……そうだ、これが恋だ。 「ほんとに、なんでも言ってもいいの?」 「ああ。言いたいこと言い合って、必要なら喧嘩しようぜ。……俺は、もっとお前のことを知りたいんだ」 文次郎の手が、私の額の髪をそっとかき上げる。剥き出しになった私の額に文次郎のそれが触れて、温かな心地良さに目を細めた。 望んでいいのなら、私にも文次郎としたいことくらいはある。あの後輩が言っていたように、恋仲らしいことをだ。 「じゃあ、今度の休みに暇だったら、私と逢い引きしてくれる?」 「……そんなことでいいのかよ、もっと言え」 「とりあえず、それからでいいの」 「ああ、分かった。それから、な」 目を合わせて、笑う。それが本当にすごくすごく幸せで、私は自然に文次郎の頬に手を伸ばして、その唇に軽く口付けた。少しだけの接触で離すと、今度は文次郎から口付けてくれる。同じように、与えて返すのを繰り返す内に、少しずつ繋がりが深いものになる。 「ん……文次郎……」 自分からしておいてなんだけど、情愛の意を示すものだとばかり思っていた口付けが、だんだんと快感を誘うものになっているのに気づく。 ちょっと困って文次郎を見上げると、文次郎も少し困ったような顔で私に視線を向ける。 「文次郎?」 「悪い、やりてえ」 「……今?」 「今」 簡潔な答えと共に、また唇が重なる。ぬるりと舌先同士が一瞬だけ絡んで、思った以上にびくりと身体が震えた。 「嫌か?」 「嫌じゃないよ」 拒絶してないのに、文次郎が口付けを解いて律儀に聞いてくる。いつもはそんなこと聞かないのにと不思議に思ってると、文次郎が不信そうに顔をしかめた。 「お前、いつも嫌じゃないって言うだろ」 「……本当に出来ないときは出来ないって言ってるよ」 文次郎に求められるのは好きだ。私が必要だと言われてる気がするから。月のものとか酷く疲れているときは別だけど、そう口にさえすれば文次郎は絶対に引いてくれるし、無理強いされたことは一度もない。 だから構わないのに、文次郎は躊躇った顔をしている。 「俺がやりたいって言っても、その気じゃないときは無理にしなくていい」 「無理じゃないよ。私は、文次郎と寝るのが好きだから」 「寝るだけが恋仲じゃねえだろ」 はあ、と文次郎は自嘲するようにため息を吐いた。まだなにか迷ってる様子の文次郎に、私は自分から身を寄せる。 「文次郎。私は、文次郎が寝る相手が欲しいから私と付き合ってるなんて思ってないよ」 文次郎はきっと、そう誤解されるのが嫌なんだろう。さっきの今だから。 身体だけでも、私は構わないけれど。 「だから、抱いてくれる?」 「…………そうか」 文次郎はちょっと複雑そうな顔で、啄むように幾度か軽く唇を重ねる。その瞳が欲の色に濡れてきているのを感じて、私も身体に熱が生まれる。求められていると分かる、そのことに。 「甘えていいか」 「うん、好き」 答えると同時に壁に身体を押しつけられて、強く唇を奪われた。 →後編 |