笹山兵太夫夢
『触るな危険、恋とカラクリ』中編
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それからしばらくの間、二人は他愛もない会話を交わしながらそれぞれの作業を進めていく。 とんとん、と控え目に釘を打つ音や、やすりをかける音や、紙擦れの音と共に。 程々に時間が過ぎ、そろそろ就寝時間を一刻ほど過ぎただろうかというところで、兵太夫は違和感に気づいて顔を上げた。 先ほどから返事が少なくておかしいとは思っていたが、は手に部品を握ったままこくりこくりと舟を漕いでいた。それをじっと眺めていると、は時折かくんと首を落として慌てて目を開き、作業を続けようとして……またすぐに数秒も経たないうちに瞼を落とす。 これはもう駄目だ。 「、そんなんで作業してたら怪我するよ」 「はっ! ……あ、兵ちゃん……ごめん……」 「無理せずに寝たら? どうせ三治郎もすぐには戻ってこないから」 「ん……うん……」 こくこく、と緩慢な動きで頷いて、は辺りに散らばったカラクリの部品や三治郎の大工道具をまとめて押しやり、そのままころんとその場に丸くなる。 「……、ここで寝るの」 「え……? 駄目……?」 「…………別に」 諦めて、兵太夫は机の向かいに置いてあった用の座布団を軽く投げた。ぽふんと頭の上に落ちるそれを、は「ありがとー……」と礼を言いながら頭の下に敷いて、一層身体を丸める。 そのまま寝てしまいそうなの様子に、兵太夫は立ち上がり、布団が入っている押し入れへと向かう。 この部屋に来た日は、は半分ほどの確率で泊まっていく。もう半分は、単に徹夜して作業をしているというだけだ。だから今更もなんの躊躇いもなく寝ようとするし、兵太夫も自分の部屋に帰って寝ろと強く言うことも出来ない。 押し入れから、もはや専用になった予備の敷布を取り出して、の上にばさりと落とす。なにが楽しいのかはわーっと子どもみたいな笑顔でそれを広げ、にこにこと自分の身体に巻き付ける。 この様子では、すぐに寝入ってしまうだろう。兵太夫が机に戻り筆を取ると、がやはり子どものような声で「あったかくてきもちいいー……」と幸せそうに呟く。 手に取った筆を下ろし、兵太夫はすぐ側で丸くなっているに目を向ける。カラクリの部品と大工道具に囲まれて、危機感なく当たり前のように寝転がるの姿。なんとなく、口から自然に言葉が落ちた。 「、お前ほんとにそこで寝ていいの」 「んー……?」 兵太夫の声に、はぼんやりと目を開ける。けれど、もう焦点が曖昧になっている。頭も半分寝ているのだろう、は兵太夫の言葉を周囲の部品のことだと思ったのか、嬉しそうに頷いた。 「いいの。カラクリ、好きだから」 「………………」 半眼になる兵太夫の視線にも、はまったく気づかない。また嬉しそうに、言葉を続ける。 「カラクリ作ってるのも、見てるのも、すごく楽しいから」 「…………あ、そ」 兵太夫が再び筆を取りかけたとき、はゆっくりと兵太夫に目を向ける。眠気が混じった、曖昧な視線。けれどの声は、それまでと違って少し躊躇いがちだった。 「……兵ちゃん、迷惑?」 不安そうな声音に、兵太夫はしばし沈黙する。やがて「別に」と簡潔に答えると、はもぞもぞと身体を縮め、今度は幸せそうに微笑んだ。 「…………よかった」 その言葉を最後に、はすうっと吸い込まれるように眠りに落ちる。規則正しい小さな寝息が、もう周囲の部屋も騒がしくないこともあって、静かに響く。 「ほんとさ、はバカだよね」 兵太夫はの風呂敷の中から先ほど見せられた設計図を取り出し、机の上に広げる。 「カラクリとかそういうんじゃなくて、男の隣でそんな無防備に眠ってていいのかって聞いてんの」 無論返事はない。返事がないと理解しているからこそ、言えること。 今更仕方ないのだとは分かっている。下級生の頃から当たり前に続けていたことを、突然にやめるのは難しい。兵太夫本人も、本心ではそれを望んでいない。 けれど。 「ほんと、バカだよね」 と、そして自分とに呟きながら、兵太夫は今度こそ筆を取り上げ、の設計図に改良点を書き加え始めた。 うっすらと夜が明けだした頃、忍びらしいというよりも周囲を起こさぬよう気遣った微かな足音が、部屋の前で静かに止まった。さらにほぼ無音で戸が開き、そこから三治郎が顔を見せる。 三治郎は机に向かっていた兵太夫と目を合わせて、ただいま、と小声で言う。そして、またそっと戸を閉めて中に入ってきた。 「おかえり三治郎。また脱走?」 「うん。さすがにちょっと疲れちゃった。……ああ、ちゃん、今日もお泊まりなんだね」 寝入っているを見て眠気を思い出したように、三治郎はふわっと欠伸をしながら押し入れへと向かう。 そして自分の布団を抱えて戻ってきたかと思うと、兵太夫ととに視線を向けて意味ありげににっこりと微笑んだ。その含みのある笑顔に、兵太夫は露骨に顔をしかめる。 「……なに、三治郎」 「いやー。うっかり徹夜しちゃうくらい意識してるのに、ちゃんのこと子どもっぽいなんてよく言えたもんだなーと思って」 兵太夫が無言で書き損じの紙を丸めて投げつけると、三治郎は布団を抱えたままそれを避け、「素直じゃないなあ」とにこにこ微笑みながらの隣に布団を敷く。そのまま夜着に着替えることもなく、上衣だけ脱いでさっさと布団に潜り込んでしまう。 「あ。ちゃん寒そうだし、僕の布団に入れてあげようか?」 「寝言言ってると金槌投げるよ」 「そんな怖い顔するくらいなら、普段から優しくしてあげればいいのに」 おかしそうに笑いながら最後まで兵太夫をからかって、一言「おやすみ」と言い残して三治郎はすぐに寝てしまった。 「………………」 思わず、深いため息が漏れる。 見透かされていることにも、そしてなにも言い返せないことにも腹が立つ。の隣でもなんとも思わず熟睡出来る三治郎を睨み付け、次に脳天気に眠っているにも半眼を向ける。 起きているとき、二人はいつもにこにこと笑みを浮かべている。のそれは素で、三治郎のそれは含みがあるときが多いけれど。 「似た顔しやがってうるさいんだよ、もう」 腹いせに二人の鼻でもつまんでやろうかと立ち上がりかけて、やはり止めて座り直す。 外はもう、随分明るくなっていた。 「兵ちゃん、三ちゃん、おはよう」 それから二日後の食堂。いつものように兵太夫と三治郎が並んで朝食をとっていると、二人の姿を見つけたが足早に駆け寄ってきた。定食の盆を持ったままで。 「ああ、おはよう。……味噌汁こぼすよそれ」 「おはよう、ちゃん。どうしたの?」 なんせ盆を持ったままだ、ただの挨拶ではないだろう。の友達らしき女子生徒が「どうしたのー?」と遠くの席から声をかけるのに、は一度そちらを振り返り「ごめんね、すぐに行くから先に食べてて!」と返事をして、二人に向き直る。 「ごめんね兵ちゃん三ちゃん。あのね、私この間二人のお部屋に行ったときに、忘れ物しちゃったの」 申し訳なさそうに言うに、三治郎が食事の手を止めて「あっ」と声を上げた。 「もしかして、道具箱に入ってた部品かな。このくらいの」 指で小石ほどの大きさを示してみせる三治郎に、はぱっと顔を輝かせて頷く。 「そう、それ! ちょっと急いで使うことになったから、放課後に取りに行ってもいい?」 「急いでるんなら、昼休みでもいいけど?」 兵太夫が言うと、は困ったように眉を下げる。 「お昼休みね、委員会の集まりがあって時間が空いてないの。放課後だったらお邪魔かな?」 「僕は委員会だから……兵太夫は?」 「俺も」 二人の言葉に、がしゅんと肩を落とす。兵太夫は箸を置いて、「あのさ」と首を傾げた。 「俺も三治郎もいないけど、それでいいなら勝手に入れば?」 「え……いいの?」 「今更でしょ。こっちでぐーすか寝るくらいよく来てるのに」 「兵太夫の言うとおりだよ。今更遠慮することないでしょ? 道具箱の中に入ったままになってるから、勝手に取ってね」 兵太夫が少し呆れたように、三治郎がにこにこと言うと、は一瞬だけ迷う表情を見せた後、それから柔く微笑んだ。 「……ありがとう。じゃあ、放課後になったら行かせてもらうね。他のところには触らないから」 「いつものことだけど、罠には気をつけてよね」 「うん、ありがとう! またね二人とも!」 は嬉しそうに二人に頭を下げて、ぱたぱたと先ほどの友達の元へと戻って行った。兵太夫と三治郎はなんとなくが少し離れた席に座るまで見送って、それから食事を再開させる。 「ねえ兵太夫、昼休みに部屋戻るでしょ?」 箸を動かしながら、三治郎が兵太夫のほうを見もせずに言う。一応質問の形は取っているが答えは決まり切っていると思っているのか、兵太夫が返事をしなくてもそのまま言葉を続けてくる。 「道具箱は押し入れの下の段に入ってるから、ちゃんが分かりやすいように机の上に移動しといてね。あ、あと庄左ヱ門に借りた本置いて来ちゃったから、ついでに取ってきてくれる? 赤い表紙のやつ」 「………………」 さも当然のように言われて、なにか言い返そうと反射的に口を開きかけた兵太夫は、けれど結局沈黙を持つことしか出来ず、渋々と諦めて息を吐いた。 「…………分かった。赤い表紙ね」 「うん、僕の行李の中に入ってるからね」 ああそれから、と三治郎は付け足すようににこにこと笑う。明らかにからかう色のそれで。 「罠には気をつけてよね、兵太夫」 「………………」 さすがに我慢出来ず、机の下の三治郎の足を無言で蹴りつけた。 言われた通りに行動するのは多少癪だと思いつつも、結局兵太夫は昼休みにまた部屋へと戻った。まず三治郎の道具箱を確認すると、なるほど小石ほどの木材が道具の中に紛れ込んでいる。あの夜が熱心に磨いていた部品の一つだろう。それを文机の上に置き、次にざっと部屋の中に仕掛けられたカラクリを確認する。 兵太夫と三治郎の部屋は罠だらけだ、という事実を知らない生徒はまずいない。その数多い罠の中でも、特に対侵入者用の危険性の高いものから、順番に手を入れて外していく。入り口のものを残して全て作業し終えて部屋を出ようとすると、そこで三治郎の言っていたことを思い出し、行李の中から庄左ヱ門に借りたとかいう赤い表紙の本を取り出した。 最後にもう一度部屋を見回して、それから戸を開けて廊下へと出る。戸を開け放したまま入り口に仕掛けていた罠を素早く外し、本を抱えて立ち上がった。 「あれ、兵太夫なにしてるの? カラクリの調整?」 後ろからかけられた声に兵太夫が振り向くと、素振りでもしてきた後なのか、木刀を手にした金吾が部屋を覗き込んでいた。「まあね」と答えて、兵太夫は戸を閉める。 「ちょっと罠外してた。時々は手を入れないと、上手く動かなくなるからね」 金吾はふうんと首を傾げて、感心したような呆れたような表情で、戸の閉まった部屋の中に視線を向ける。 「いっつも思うけど、よく兵太夫も三治郎も罠だらけの部屋で生活出来るよね。たまには引っ掛かったりしないの?」 「自分の仕掛けた罠に掛かるなんて、バカもいいとこでしょ。……金吾、腕に痣出来てるよ。医務室行ってきたら?」 「んー、これくらいなら慣れてるから大丈夫」 「乱太郎に見つかったら怒られるよ」 金吾と他愛もない会話を交わしている途中、兵太夫はふと自分に注がれる視線に気づいて目を向けた。昼休みだということもあって、長屋にはまばらだが人影がある。ばたばたと廊下を走って上級生に注意されている一年生、図書室の蔵書らしき本を大量に抱えている五年生、この寒いのにと零しながら、次の授業なのだろう水練の用意をしている二年生。そして、縁側に腰掛けて教科書を開き、自習をしている三年生。 「……兵太夫、どうしたの?」 その一人一人をじっと見ている兵太夫に、金吾が怪訝そうな目を向ける。兵太夫が「なんでもない」と首を横に振ると、金吾もそれ以上追求することなく「そう」と頷く。教室に戻ろうかと言う金吾と共に並び、兵太夫も歩き出した。 ──後ろから、まだ視線が背に突き刺さっているのを感じながら。 ※※※ 思ったよりも長引かずに委員会が終わったので、兵太夫は自室へと帰る道を足早に歩いていた。 日はもう沈みかけていて、辺りは一面ぼんやりとした赤色で染まっている。風呂や食堂に向かう生徒達とすれ違いながら、兵太夫は部屋の前までたどり着いた。 染みついた習慣で、戸を開けるよりも先に、今日はどの罠を入り口に仕掛けただろうかと記憶を探る。けれどすぐに、今はそれを全て解除してあるのだと思い出した。 程々に時間も経っているから、さすがにももう来た後だろう。のことだから、忘れ物を取りに来てさらに忘れ物をしていきそうだと思いながら、兵太夫は戸に手をかけて開こうとして、 ……ふと、違和感に気がついた。 部屋の中に、人の気配がある。もちろんそれは先に帰ってきた三治郎なのかもしれないし、なのかもしれない。 けれど違う。これはそんな予想出来る違和感ではなく、漠然とした焦燥感。 不安を誘発させるそれを振り払うように、勢いよく戸を開けた。 「…………兵、ちゃん……?」 開いた戸の先。見慣れた自分の部屋。焦燥感の意味を、すぐに理解した。 ──血の臭い。嗅ぎ慣れたそれに、目を見開く。 薄暗い部屋の真ん中で、が倒れていた。この間ここで寝ていたときと似た体勢、横向きに小さく身体を丸めて、両手で右足を庇うように抱えている。 部屋に足を踏み入れると、血の臭いはさらに濃くなった。畳の上には、痛みで身をよじったのか移動しようとしたのか、引きずった赤い跡が残っている。 「兵ちゃん……ごめんなさい」 の右足。そこから、血の赤がじわりと滲んでしたたり落ちていく。 「っ、!」 「ごめ、ごめんなさい兵ちゃん、私」 兵太夫を見て無理に起き上がろうとするに駆け寄り、足を覆うの手を乱暴に引き剥がす。血でべとべとになったの右足のすね辺りに、抉ったような傷口があった。骨まで届くような深い傷ではないが、肌の広い範囲を削られているために出血が多い。兵太夫は咄嗟に手拭いを取り出して、傷口の上で縛り上げて止血した。痛むのだろう、は顔を歪めて、涙の滲む瞳で縋るように兵太夫の腕に手を伸ばす。赤く染まった手で。 「兵ちゃん、ごめん、ごめんね。いつも気をつけろって言われてたのに、ぼうっとしてて気づかなくて、それで」 「…………んなわけないでしょ」 兵太夫も、このの傷は天井裏に仕掛けていた侵入者用の罠によるものだろうということは分かっていた。けれどおかしい。が来るときには、危険すぎる罠はいつも事前に外していた。そう、今日も昼休みにこの手で、解除したはずだったのに。 「ごめんなさい……ごめん、なさい」 幼子のような泣き声。なぜか謝罪を繰り返すは、自分の手が血で汚れていることに気づいて、慌てて身を引こうとする。それを強引に引き寄せて、足の傷に触らないように一気に抱え上げた。突然のことに驚いたのか、は「えっ!?」と声を上げる。 「兵ちゃん!? な、なんで!?」 「あーもう、耳元で大声出さないでよ。……ちょっと静かにしててよね」 それだけをに告げると、腕の中の身体を強く支えて、部屋を飛び出した。 →後編 |