| 『竹谷八左ヱ門』 | |
※悲恋+とても消化不良な仕上がりになっています。 読後感が悪くてもすっきりしなくても構わない! と仰ってくださる方だけスクロールをお願いします。 「あー……もう真っ暗じゃんか」 ようやく小屋から出たときには、すでに完全に日が沈んでいた。 今日は定期的な飼育小屋の大掃除で、放課後から生物委員総出で取り掛かったのだが、途中お決まりの脱走騒ぎやいろいろあって、必要以上に時間をとられてしまった。どれも慣れたこととはいえ、さすがに委員全員ぐったりと疲れている。 「悪いなお前ら、こんな時間まで。後は俺がやっとくから、もう帰っていいぞ」 特に疲労困憊の様子の一年生に声をかけると、一年生達は「いえ、さいごまで」「いますー」「せんぱいよりさきにかえるなんて」「できませんー……」と次々に言ってくれるが、その言葉がすでにへろへろだ。 「無理すんな。お前ら明日試験だろ、早く帰って身体休めろ」 もう一度言うと、一年生達はお互いの顔を見合わせてから、「じゃあー」「おさきしつれいします……」「おやすみなさい」「ごめんなさいー……」とこちらに向かって一礼して、ぽてぽてと帰って行く。 「すみません竹谷先輩、僕のせいで……」 「まあ、あいつらが逃げるのはいつものことだからな、お前も気にすんな」 脱走の責任を感じている孫兵の肩を軽く叩いてやってから(脱走したのがいつも通り孫兵の飼ってる毒虫だったからだ)、よし、と孫兵を見下ろす。 「孫兵。飼育小屋の鍵の確認だけして、この鍵束を職員室に返してきてくれるか。そのまま帰っていいから」 「え、ですが竹谷先輩」 「明日の用意が終わったら、俺もすぐ帰る。な?」 すべての小屋の鍵束を手渡すと、孫兵はなにか言いたげな表情をしてから、それから無言で一礼して駆けて行った。たぶん俺が残った仕事を一人でしようとしているのを察して、けれどなにか言っても聞かないと思ったのだろう。その通りだ。 「さて、と」 別に自分だけで委員の仕事を背負い込むつもりは毛頭ないが、それでも上級生の俺が一番働いて当然だ。俺が下級生の頃だって、そうやって先輩達に配慮してもらっていたのだから。 残った仕事を思い浮かべてその順番を決めてから、とりあえず食堂が閉まるまでには帰ろうと気合いを入れた。 思っていたよりは大分早く仕事が終わった。 明日の餌の用意を小屋の前に籠ごと置いて、軽く伸びをする。早く長屋に帰って晩飯を食べようと、飼育小屋に背を向けて歩き出した。 今日は月が明るかった。忍者としては大敵でも、普通に生活する分には月は明るいほうが都合がいい。夜目には慣れているとはいえ、飼育小屋はその特性から共用場から大分離れたところにある。無論灯りなどもないから、今のように少し疲れているときにはそちらのほうが有り難かった。落とし穴の目印も見落とさなくて済むし。 さて今日の晩飯はなんにしようかと考えながらぶらぶら歩いていると、ふとすぐ近くに人の気配を感じた。 足を止めて探ってみても、歩くそれや自主錬中だろう物音はしない。ただ、隠そうとしていない気配だけがある。 不思議に思って気配の元に近づいてその姿を目にしたとき、咄嗟にまた足を止めてしまった。 ──? 通り道ではない、まばらに木が生えた木立の中。一本の木の下で、膝を抱えた女子生徒がいた。抱えた膝に顔を埋めていて、その表情は窺えない。けれど見慣れた小柄な体格と髪の長さで、誰かということはすぐに分かった。 寝ている気配はしない。どうしてこんなところに一人でいるのかと怪訝に思って、次に思いついたことに顔をしかめた。 泣いてるのか? 泣き声は聞こえない。表情も見えないから、ここからではどうなのかは分からない。けれど女子生徒がこんな人気のないところに一人きりで、しかも膝を抱えていることに、俺にはそれ以外の理由が思いつかなかった。 声をかけるべきなのか、それとも見なかったふりをしてやるべきなのか。にとっては、どちらのほうがいいのだろう。 しばらく迷って、俺は結局の元に足を進めた。他の女子ならばどうしたか分からないけど、俺はが好きだ。泣いてるとか気落ちしてるとかそういう理由でなかったとしても、こんなところで一人にするのは抵抗がある。 気配を隠さなかったから、も誰かが近づいていることには気づいたのだろう。ぴくり、と少しだけ反応したけど、顔を上げようとはしなかった。 やっぱり声をかけないほうがいいかとその時また迷ったけど、もしなにか悩んでるとか俺で手伝えることがあればしてやりたい。疎まれたら謝ってすぐ帰ればいいかと決めて、の前で足を止めた。 「……竹谷……?」 さすがにこれほど近づけば無視出来ないのだろう。はゆっくりと顔を上げる。 泣いてはいなかった。眠っていたわけでもなさそうだ。どこかぼんやりとした視線で見上げるの表情に拒絶の色がないのを悟って、その場に腰を下ろして視線を合わせた。 「どうしたの、竹谷」 「どうしたって、それはお前だろ。俺は委員会の帰りだ。飼育小屋あそこだからな」 指差すと、は、そっか、と頷いた。ちょっとだけ作り笑いのようなものを浮かべて、抱えていた足を伸ばす。 惚れた欲目で言うわけじゃないが、は可愛いし性格も良い。いつも明るくて優しく笑ってるから、こんな様子は滅多に見ない。気落ちしたようなというか、覇気がないというか。 そのことに、余計な世話かと思いつつ、心配になる。 「なにしてんだ、こんなとこで一人で」 「ん……、あのね」 問いかけると、は俺から視線を逸らして、じっと違う方向を向いた。その先を追っても、闇中でなにを見ているのか分からない。怪訝に思ったとき、がぽつりと言った。 「ここからだと、運動場がよく見えるから」 「運動場……?」 言われて今一度の視線の先に目を向けると、確かに木々の向こうには運動場が見える。けれどよく見えるという程じゃない、木に登るかそこらの長屋の屋根に上がった方が、よっぽどよく見えるだろうに。 「……そうか」 深く追求していいのか分からずそれだけを答えると、は俺に視線を戻す。 「みんなもういないね」 「ん……運動場か? そりゃそうだろう、もう晩飯の時間だからな」 まあ、もっと夜遅くになれば、自主トレをする生徒が来るかもしれないが。 「そっか。……そうだよね」 は緩慢な動きで一つ頷くと、小さく微笑んだ。 「ごめんね。変なこと言ったね」 「いや……別にいいけど。お前、どうしたんだ。体調でも悪いのか」 一人で、膝を抱えて、運動場がよく見えるって。普段から突拍子もない行動をとるやつならともかく、はそうじゃないから。 は俺の顔をじっと見てから、軽く首を横に振った。 「体調が悪いわけじゃないの。ごめんね、心配してくれたんだね」 「ん……まあ」 そりゃ惚れた女だから当たり前だ。曖昧な俺の返事に、は僅かに考えるような顔になってから、「ねえ」と口を開いた。 「竹谷は、放課後になってから、誰かくのたまに会った?」 「は?」 問われた意味が分からなくて聞き返すと、は無言で俺の答えを待っている。そのままの意味なのかと、記憶を掘り起こして考え始めた。 「いや……すれ違うくらいなら、したかもしれないけど」 「委員会中に、誰かが用があるって来たりしなかった?」 「や、それは全然ない」 即座に否定すると、は一瞬虚をつかれた表情になってから、飼育小屋のある方向に一度視線を向ける。 「そっか……。女子は、飼育小屋苦手な子が多いもんね」 「ええと、悪い、お前がなにを言ってるのかよく分かんないんだけど」 確かに飼育小屋は女子に不人気だ。一番の理由は毒虫とか爬虫類とかあのへんだけど、今の会話でそれがどう繋がるのかさっぱり分からない。 「ああ、ごめんね。……あのね。今四年生以上の女子生徒、実習中なの」 「実習……? ああそうか、期末試験か」 女子の実習は男子から見れば突拍子もないものが多く、試験日以外に突然実施されることもままある。ここにがいることとなにか関係があるのかと思っていると、は一度言い淀むようにしてから、やがて意を決したように俺を見た。 「試験内容ね、誰でもいいから男子生徒に口付けしてくることなの」 「へー。お前らの実習って男子相手の多いよな…………って、え?」 言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。えーと、口付けとか言ったか、今。 「……すごい実習だな、相変わらず」 「ん……まあ、色の試験だから仕方ないの」 は苦笑して、だからね、と言う。 「みんな、男子にお願いしたり脅したり不意をついたりしてるみたいなんだけど」 の言葉に、それが容易に想像できて頬をひきつらせた。たぶん、素直にお願いしている女子生徒なんてほとんどいないだろう。 「竹谷は誰にも頼まれてないの?」 「頼まれるどころか、脅されても不意をつかれてもないぞ。初耳だ」 巻き込まれていないことを喜ぶべきか、それとも男として少しは嘆いた方がいいのか。複雑だなーと思っていると、がそっと手を伸ばして、俺の足に軽く触れた。 「ん? なんだ」 「……私ね、実習まだなんだ」 そーかと反射的に返しそうになる寸前で、の言った意味に気づいて頭に血が上った。え、え、なんだ。え? もしかしてそういう意味か、いや、まさか。でも。 「そう、か。……大変だな」 一人で期待するのはあまりに恥ずかしい。とにかく落ち着けと自分に言い聞かせて、出来る限り平静を装う。いくらなんでもそれはないだろう。意味なんかあるはずない。あるはずが── 「ねえ、竹谷」 は俺の膝に手を乗せて、そのまま少し身を乗り出す。 いつもとはどこか違う、温かみや優しさではない静かな雰囲気の瞳が、俺を捕らえた。 「──してもいい?」 言葉と共に、はさらに身を乗り出してくる。足を詰めて身を寄せて、じっと俺を下から覗き込む。 俺がなにも言えないのを肯定だと思ったのか、はそのままゆっくりと顔を近づけた。 俺は、が好きだ。 可愛いからという分かりやすい魅力もあるけど、それ以上にとても他人に優しくて、いつでも笑顔でいようと努めているところが好きだ。誰だって生きていれば嫌なことや悲しいことがあって当然なのに、は極力他人にそれを見せないように、押しつけないようにする。 簡単な言葉で言ってしまうと、は『すごくいいやつ』なんだ。だからという理由だけじゃない、ほかにもたくさんあるけど、とにかく俺はこいつが好きだ。すごく好きだ。 でも。 の腕が、俺の首に回される。膝が伸ばされて、その整った顔が俺に近づく。 なにも考えていないような静かな瞳。ともすれば諦めたように見える瞳。 躊躇のない動きで、は俺の頭の後ろに手のひらを伸ばす。 その手が少し、……震えていた。 すうっと頭が醒めていく。の静かな気配とさっきの膝を抱えていた様子とが、俺の頭の中で入り交じる。 の唇がほんの僅かに俺のそれの表面に触れたとき、の肩を掴んで押し戻した。 「……竹谷?」 「俺、何人目だ」 「え? ……どういう意味?」 戸惑ったように揺れるの瞳を、俺は至近距離で見下ろす。ああ、俺、こいつのことが好きなんだけどな。 「……お前さ、可愛いじゃん。男なんか選り取り見取りだろ。俺のことが好きなわけでもないだろうし、なんで俺なんかを選ぶんだよ」 の心中は理解出来ないけれど、いつもの様子ではないことだけは分かる。俺はが好きだし、触れたいと思うけど、こんな風にしたいわけじゃない。 「よりどりみどり……?」 はぽつりと呟くように俺の言葉を繰り返すと、僅かに首を傾げた。自嘲気味に小さく微笑みながら。 「そんなことないんだけど」 「お前だって、ここに来るまでに何人かに頼んだんだろ? 運悪く恋仲の相手がいる男に当たって断られたのか?」 「……まだ誰にも頼んでないよ」 「じゃあ、なんで俺なんだ。都合良くここに来たからか? ……それにお前、なら今までなにしてたんだ」 別にを傷つけようとか責めようとか、そういう意図があったわけじゃない。本当に不思議だったからだ。 ただ淡々と迫ろうとするは、俺にはヤケを起こしたようにしか見えなかった。なにがあったのかは知らない。なにを思っているのかは分からない。でも好いた女だからこそ、いくら実習だからとこんな姿は見たくなかった。大体、今だって、の手は震えているのに。 「……嫌って、ことかな」 がゆっくりと瞬きをする。そうだと返事をすればおそらくすぐ引くのだろう。そしてきっと、違う男に同じ瞳で迫る。 「違う。そういうことじゃないんだ。そうじゃなくて……」 どう言えばいいのか。口付けとか嫌とかそうじゃなくて、ただこいつが心配なだけなのに。 「なら、してもいい?」 「……あのな、。お前だって、どうせなら好みの男としたいだろ。俺なんかで手を打つな」 自分で言っていて少し悲しくなったけれど、それが俺の本音だった。たとえばが俺を好きじゃなかったとしても、たくさんの男の中から俺を選んでくれたならそれは嬉しい。けれどこいつでもいいかと投げやりに諦められたのなら、それはむしろ辛いだけだ。 「なにか嫌なことがあったのか? 俺でいいなら聞くし、手伝えることなら──」 「竹谷」 俺を呼んだ声音は、ひどく固かった。今までみたいな希薄なものじゃない、少しの鋭さもある。 はゆっくりと瞳を細める。ああ綺麗だなとその黒い瞳に見入ったとき、腕を回されていたうなじに冷たい感触が走った。 「…………」 身動き出来なくなる。ずっと持っていたのか、それとも今取り出したのか。この感触は、短刀だ。 「竹谷」 は細めていた瞳を元に戻して、俺にまた顔を近づける。唇同士が触れるか触れないかのギリギリの距離で、呟くように言う。 「脅してもいいって言われてるの。……ごめんね、おとなしくしてて」 言葉と同時に、口付けられた。柔らかな感触。瞼を下ろさずじっと俺を見るの瞳を、俺もただ見下ろした。 ──それ以上はなにも言うなということなのだろう。 ただただ押しつけられる唇は、お互いになんの熱も持っていなかった。 すぐ傍にあるの匂いと体温はすごく愛おしいのに、それよりも募る寂しさが襲う。俺はお前のためになんでもしてやりたいのに、お前は俺を求めてない。今までだって好かれていると自惚れていたわけじゃないけど、こうしてはっきりと拒絶されるのは辛かった。 口付けは、恋仲同士でなくとも出来る。感情など伴わなくても出来る。 俺はが好きだ。に触れられることが嬉しい。 でも、お前はそうじゃないから。 の頬に手を伸ばす。唇を重ねたまま目尻を拭ってやると、はそのときようやく気づいたのか、軽く目を見開いて息を飲んだ。 少し赤くなったの目尻から、涙が滲んで滑り落ちる。俺の指に触れたそれは温かくて、触れている唇よりもずっとの心に近い気がした。 唇が離れる。震えるの手から、突きつけられていた短刀が力なく地面の上に落ちた。はくしゃりと顔を歪めて、俺の首に回していた腕を戻す。そのまま縋るように身を寄せるに、俺も自分からの身体に腕を回して抱き締めた。腕の中の小さな身体は、やがて嗚咽を漏らし始める。 「……ん、なさい、……ごめんなさい……」 俺の肩に顔を埋めて、しゃくり上げながらは謝る。俺に迫ったときからずっとあった手の震えはもう体中に広がっていて、小さく震え続けるを抱いて、俺は「いいよ」とただ許し続けた。 なぜが泣いているのかは知らない。許しを求めているのが俺なのかそうでないかも分からない。 けれどが今は俺に縋ってくれるなら、それだけでも嬉しかった。 俺はお前が好きなんだ。 でもお前のすべては知らないし、お前もきっと俺に救いを求めていない。縋る相手が欲しいだけなら、いつでも俺にそうしていいから。 だから一人で泣かないでくれ。誰もいないところで苦しんで、投げやりになんかならないでくれ。 「ごめんなさい」 懇願する声音のに、俺は幾度目かまた「いいよ」と許して、その身体を強く抱き締めた。 好きな女子と口付けしたら、きっと幸せだろうと思っていた。それが相愛でなくてもだ。 けれどそんな感情は一欠片もなくて、俺はただごめんなさいとそれだけを繰り返すが泣きやむまで傍にいて、それからお互いになにも話さずに共に長屋へと戻った。 後日実習の確認をされることはなく、は実習放棄をしたことになっていると、他の女子からそれを聞いた。 終 |