| 『七松小平太』後編 | |
「ごちそうさまでした」 「おばちゃん、今日もうまかったぞー!」 一緒に食べ終わったので(こへが私に合わせてくれたからかもしれないけど)、一緒に盆を返しに行って一緒に食堂を出る。今日は月の光が強いなと窓から差し込むそれを見ていたら、隣のこへが「うーん」と今出てきたばかりの食堂を一度振り返る。 「やっぱり仙ちゃんいないなー。仙ちゃんも飯食わないのかな」 「気になるなら探してみたら?」 「いつもならどうでもいいんだけどな、みんないらないって言うから、気になって」 「あー、そうだよね」 文次郎はもう食べたと言っていたから、実習の標的にされなかったのか、それとも単に割り切っているのか。……まだ実習が原因だと決まったわけじゃないけど。 「でもきっとそれなんだろうなぁ……」 「なにがだー? あ、そういえば、さっき心当たりがあるみたいなこと言ってたな?」 「うん、まあね」 きょろきょろと辺りを見回す。食堂のある長屋から出てすでに中庭に出ていたから、辺りに生徒達の気配はほとんどなかった。ここでならいいか。 「ほら、こへも知ってるでしょ? 女子が実習中だから」 「ん?」 きょとん、と。大きな犬みたいな瞳で、こへは聞き返す。 「あれ? こへ知らないの?」 そういえばこへはいつも通りだった……けど、単に慣れてるからそんなことどうでもいいんだろうなと思ってたんだけど。 それに…… 「くの一教室、今実習してるのか?」 「うん。こへは知ってるんだと思ってたんだけど」 「知らないぞー。あ、てことはみんなそれのせいなのか? でも下剤関係じゃないんだろ?」 「そうなんだけどね。えっとね、男子に口付けしてくるのが実習でね」 ざっと説明すると、こへはふんふんと頷く。その様子に本当に知らないんだと悟って、私は仙蔵のとき以上に驚いた。だって、こへは。 ……いや、単に『実習のこと』を知らなかっただけかもしれない。 「そうなのかー。どおりでなんかみんな様子がおかしいと思ったんだ」 「こへ、誰ともしてないの?」 「んー」 聞くと、こへはちょっとだけ楽しそうな顔になった。 「、妬いてくれんのか?」 冗談まじりに笑うこへに、私は少し首を傾げる。 「純粋な興味だよ」 「だろうなー。誰ともしてないぞ」 「ちょっと意外。こへなら誰でも来い来いって言いそうだから、みんな頼みに行きそうなのに」 「私今日ずっと運動場で動きまくってたからなー、それでかな」 ああ、そうかもしれない。すごい速さで走り回るこへに声をかけられる女子生徒は、そうはいないだろう。 でも……。 「……あのね、こへ。私、こへのこと探してる子を見たんだけど、会ってない?」 「知らないぞ。今日の放課後はとしか話してない」 「そう……」 やっぱりあの子は誤解したままで、こへのところには行かなかったのだろうか。そのことに複雑な胸中になる。 「なぁ、」 こへが呼ぶ声で、思考が途切れる。なに、と返そうと顔を上げたとき、こへが何気ない口調で言葉を続けた。 「はもう終わったのか? 実習」 顔を覗き込んでくるこへの表情は、私には珍しく感情がはっきりとは読み取れなかった。 興味深そうに見える。もののついでに聞いた、という風に見える。それだけじゃないなにかが隠れているようにも見える。でもそれは、単に私がそうであればいいと思っているからなのだろう。 答えなければと思いつつ、私は自分がどうしたいのか分からずに、ただこへを見上げるだけで。こへはちょっと不思議そうな顔になってから、「ああ、そうか」と声を上げた。 「さっき言ってた用事ってこのことか。実習だったから私が誘ったの断ったんだな」 「……うん。期末の実習試験だったから」 言いながら、このままだと駄目だなと私は思った。さっき私、言っちゃった。 「、まだ終わってないのか。さっき言ってたもんな」 うん、言っちゃった。用事は終わってないって思いきり言っちゃった。出来る限り平静を装って、頷く。 「そう。夜になってからのがやりやすいと思って、今まで待ってたの。相手、男子だし。合意の上は難しいだろうし」 「ふーん。なら私にしろよ」 「……こへ、軽いよ」 「だって面倒だろ、そんなの。私にするほうが楽じゃないのか」 そう言うこへは本当にいつも通りにしか見えなくて、でもやっぱりなにかが隠れているようにも見える。でもこれもきっと、私がそうであればいいと思っているからなのだろう。 これを断ったら、嘘をついたことがバレてしまう。本当のことを言ってもこへはきっと怒らないだろう。でも、違う。 ただ私が。そうなればいいと望んでいるだけだ。 「こへは、それでいいの」 「?」 なんで? とでも言いたげな不思議そうな顔に、私は心が揺れる。なんて言っていいのか分からなくなる。 「じゃ、早く終わらせて私と自主トレしようぜ」 にこっと満面の笑みで言うこへに、私は最後まで本当のことを言えなかった。 ──そして、私はまたこの人に甘やかされるのだ。 こへの手が、私の頬に触れる。私はもうそのとき、甘えては駄目だとか断らなくちゃとかそういう考えを放棄してこへに全部任せようと思っていたけれど、ふと大事なことに気づいて、慌てて身を引いた。 「ま、待ってこへ。ここは嫌」 さっきの後輩のことを思い出して、咄嗟に言った。こんなところをもし見られたら、本格的に否定出来なくなる。 「なんでだ?」 「するのは、誰も見てないとこじゃなきゃ駄目なの」 「……誰もいないと思うぞ?」 「お願い」 強く言うと、こへはあっさりと「そっか」と頷いてくれる。 「じゃあどうする? 私の部屋にするか?」 「こへの部屋は長次がいるから……。こへがよければ、こっちに来る?」 「ああ、は一人部屋だもんな。分かった、じゃあ私上から入るな」 ぽんぽんとこへは私の頭を軽く撫でて、また後でな、と言い残して先に走っていく。うん、と私も頷いて、その背を追うように歩いていたけど、こへは瞬く間に闇に紛れて見えなくなった。 仙蔵に言われたとおり、私とこへは仲が良い。それはきっと間違いじゃない。 でもあの後輩の誤解を解かなければと思ったように、私とこへは恋仲じゃない。それは、『仲が良い』ということ以上に絶対なことだ。 だから、今から私がこへとしようとしていることは。 ──単に、私の我侭でしかないのだろう。 くのたま長屋にたどり着いて、自分の部屋へと向かう。さすがに少し遅い時間なので、あちこちの部屋から気配がする。それでもいつもより静かだなと思うのは、たぶんまだ実習を完遂していない生徒達が戻って来ていないからだろう。今日は月が明るいから、探し人は多少見つけやすいはずだ。みんな合格出来るといいなと思いながら、私は自分の部屋の前までたどり着く。 私だけの部屋だから、普段は中から他人の気配がすることはまずない。でも今日は気配と共に小さな音がして、ああこへはもう来たのかなと、戸を開いた。 瞬間、目に飛び込んできた光景に、絶句する。 「お、。遅かったなー。私待ちくたびれたぞー」 脳天気なこへの声を無視してとりあえず中に入って戸を閉めてから、私は今一度こへに目を向ける。 見間違いかと思ったけど、違う。 こへが全く悪気のない顔でごそごそと探っているのは、明らかに。 私が使っている箪笥だ。 「って、なにしてんのこへーーー!!!」 「いや、春画でも隠してないかなと思って、探してた。人の部屋入ったらまずやるだろ」 「それは普通男の部屋ですることでしょ!? あ、ちょっと散らかさないでよ、なに広げてんのー!!」 ああそうだ、なんでか忘れてたけど、こへは元々こういう無神経な男だった!! 先に部屋に入れたことを後悔しながら、私は慌ててこへに駆け寄る。 「本当に女って春画持ってないのかー? 男なら大抵こういうとこに隠して……ないなー」 「見つけてどーする気よ、気まずくなるだけでしょ!?」 「そんなことないぞ、見たことないやつなら貸してもらう」 「そういうのは男同士でやってください! いいから離れてよ、もー!」 「いいじゃん別に、いまさらだろー?」 「そんな頻繁に来てるみたいに言わないでよ、入れたのなんて数えるほどしかないはずだよ!! あ、こらやめて、その紅まだ使ってないから!」 引き出しを次々開けて、へーと物珍しそうに覗き込むこへに、さすがに我慢ならずに手を出した。ぐいっと後ろから首に腕を回すと、うお、とこへが動きを止める。 「なんだ、もしかして焦ってるのか? てことはここらへんにあるのか?」 「期待してるのが春画だったら、そんなのないよ!」 「えー、春画なしでどうやって毎晩過ごすんだよ」 「こへと一緒にしないでください……!!」 ちょっと本気で苛立って回した腕に力を入れると、こへもさすがに少し苦しかったのか、慌てた様子で「分かった、もうしない」と言う。 「ほんとに?」 「うん。だからあと押し入れだけ見せてくれ。箪笥にないならまずあそこに」 「こへ」 「ごめんなさい」 喉笛に手をかけて半ば本気で潰そうとすると、あっさりとこへは謝った。ちょっと様子を見て謀るつもりがないことだけ確かめて、こへの首に回していた腕を戻す。 「もー、中ぐちゃぐちゃじゃないの。一応使いやすいように並べてるのに」 「女の人って物多いよなー。これなんに使うんだ?」 「あー、こら触らないで。化粧道具だよ。こへも女装の練習とかしたでしょ?」 「数が多すぎて分かんないんだよなー。色とかいっぱいあるし」 まあそうかもねー、と相づちを打ちながら、私はやれやれとその場に座り込んでこへの散らかした引き出しの中を片付ける。こへは罪悪感の欠片もないけろりとした顔で、興味津々に私の隣でそれを覗き込んでいる。さすがにもう手出しはしなかったけど。 「他にもどこか触ってない?」 「触ってない。その箪笥だけ」 「ほんとに?」 「文次郎に懸けて誓うぞー」 「ものすごく信用ならないなぁ……」 はー、とため息を吐きながら、手早く中を元通りに直す。実際見られて困る物は特にないけど(まぁ下着類は恥ずかしいけど)、なにより散らかされるのが嫌だ。こへは豪快だから、細かい細工の簪とか手荒に扱って壊しちゃいそうだし。 「こへ、他の女の子のところでもこんなことしてないよね?」 「んー」 心配になって聞いたのに、こへは曖昧に笑って答えない。笑ってる場合じゃないでしょうに。言葉を濁すってことは、やったことがあるんだろうか。ちょっと呆れて無言になると、こへはなんだか楽しそうな顔になる。 「、気が済まないなら私の箪笥も探りにきていいぞ?」 「遠慮します。こへはこういうところに春画隠してるんでしょ? それだけでもうなにがあるか分かるじゃない。見ても見なくても一緒」 「あー、そうか。は頭いいなー」 「……どうもありがとうございます」 ていうかほんとにそうなんだ……。 「あ、一応言っとくけど私だけじゃないぞ。長次もたまに借りてくんだからなー」 「こら。人が嫌がるようなことは言っちゃ駄目だよ。今の聞かなかったことにするから」 「だってなんか私だけやらしーみたいだろ。春画持ってないとか言うし」 「だから持つのが当たり前みたいに言うのやめてよー」 中身のない会話を交わしながら手を動かして、ようやくにこへの散らかしたものの片付けが終わる。私はよいしょ、と最後の引き出しを押し込んで、ようやく終わったなと小さく息を吐いた。 そのとき。 「」 突然のことで、不意をつかれたんだと思う。 伸びてきた手が私の頬に触れて、優しい動きでこへのほうに向かせられる。なんの反応も出来ない私にこへの顔が近づいて、ゆっくり、唇が重なった。 月明かりしかない部屋の中で、それでもこへの黒い瞳はよく見えた。唇に触れる柔らかな感触は紛れもなく昔のものと同じで、ああ私は今こへと口付けしてるんだと、遅れてそのことに気がついた。 頬に触れるこへの手は大きい。いつの間にか回されていた、私の肩を抱く腕も長くて大きい。ぼんやりとこへを感じながら、私はさっきこへの首に腕を回したときのことを思い出す。こんなに体格が良いなら、きっとあのときだって簡単に振り払えたはずなのに。 ……こへは私よりずっと大きくなっちゃった。 重なるだけのそれが、ゆっくり離れる。すぐにでもまた触れそうな距離で、こへがじっと私を見てる。私の反応を待つみたいに。 「こへ」 「ん……?」 こへの声は優しかった。それが嬉しいと思いながら、私は少し笑う。 「あのねこへ、実習、私からしなくちゃいけないの」 「…………そうなのか」 「うん。だから私からしてもいい?」 「おう、どっからでもこい」 「……組み手じゃないんだから」 笑いながら、私も手を伸ばす。こへの頬に触れてゆっくり撫でて、今度は私から唇を押しつけた。 表面同士が触れるだけのそれは相手の体温と感触しか伝えないのに、すごく優しいものに思えた。わけもわからず、嬉しいような悲しいような寂しいような、それでも幸せのような、切ない思いでいっぱいになる。 私からの口付けも、さほど時間を置かずにゆっくりと離れた。それでもお互いに触れる手は戻さずに、私とこへは目を合わせる。 なにも言わずにこんな至近距離でただ見つめられているのは、少し恥ずかしい。でもきっと、こへだから私は嫌じゃないんだ。その瞳が、温度が、身体が、こへの全部が傍にあることが、嬉しい。 ゆっくり目を伏せると、こへがそっと私の額に口付けを落とす。労るようなその仕草が、すごく心地良い。 「」 「……なに?」 「深いの、していいか」 「……いいよ」 鼻先同士を軽く触れ合わせて、私は目を閉じる。こへの体温と匂いがすぐ傍にあることに安心して、落ちて行きそうになる。こへの腕が私の腰に回されて、そのまま膝の上に乗せられる。鼻先と鼻先、頬と頬、額と額、……それから、口付け。まるで幼子がお気に入りの人形にするような優しい愛撫の後、口付け。 唇が重なった後、瞬く間に私の中に入り込んでくるこへの舌に絡め取られながら、私はこへにすがるように身を寄せる。 ──三年ぶりのその感触に、涙が出そうになった。 舌同士の絡む、圧倒的に生々しい『深い接触』。決して激しくない、優しすぎるほどにゆっくりとした動き。躊躇いがちなものじゃない、相手の反応を気にするものでもない、ただ相手を愛でるような真綿に似た優しさ。母に頭を撫でられるような、情愛に満ちた行為。 それとも、お互いを慰め合う、手負いの獣が寄り添うような行為だろうか。 どちらにしても、これは決して欲愛じゃない。それを証拠にこへの身体は熱いのに、それ以上は決して私に触れようとしない。私もこへの熱を見ないふりして、ずっとずっと唇を受け続ける。 「」 優しい声。口付けの合間にこへが呼ぶ声は、親が子に向けるものに似ている。庇護欲の対象に与えるそれ。 「横になるか」 いつの間にか滲んでいた涙を掬うように目尻に口付けながら、こへが言う。私は口に出さずに頷く。そっと壊れ物を扱うように畳の上に寝かせられて、こへもその隣に寝て、横向きにお互いの顔が見れるように身体を向けて、また身を寄せて唇を重ねる。 ゆるりと絡み合う舌を、こくんと咽を鳴らして飲み込まれるお互いの体液を、柔らかく響く水音を、私は恥ずかしいとは思わない。これは恥ずかしい行為じゃない、こへが私を労ってくれる証拠だ。それが嬉しいのに、泣きたいほどの罪悪感に頭が染まる。 ──私はこへが好きだよ。 でも、こへは私にそんなこと思ってない。 私とあなたは恋仲じゃない。けれどこへが私を拒絶することなどないのだと知っている。だからこそ私はこへになにも求めてはいけないのに、こうして甘えてしまうから。 もう捨てて。もう忘れて。拒絶して。気遣わないで。 みんなに恋仲だと誤解されてしまうほどに、仲睦まじく見せてくれなくていいから。それで嬉しいのは私だけだから。嬉しいといつまでも思ってしまうから。 「こへ……」 普通では考えられないほどの長い時間、私とこへは唇を重ね合う。優しく吸い合って、戯れに啄んで、ゆっくりお互いの口の中を探って。 私はこへ以外の人の味を知らない。でもこへはきっと、何人も……もしかしたら何十人も、女の人を知っている。 抱き締めてくれる腕は、優しいけど強い。私なんか全部包み込まれてしまうくらい、こへの身体は私よりずっと大きい。この身体で今までに何人の女の人を抱いたんだろう。それを聞くことは怖くて出来ない。けれどこへは私がやめて欲しいと言えば、すぐに女の人と遊ぶのをやめてくれるんだろう。 だからこそ、私はあなたになにも求められない。 「っ……────」 滲んでいただけだった涙が、堰を切ったように溢れ出す。こへは優しく指で拭ってくれる。思いきり泣き出してこへに縋り付きたいのを堪えて、私はただ涙を流し続ける。こへが誰のものでも、誰のものになりたくても構わない。 ただ、今だけは。お願いだから、今だけは私の傍にいて。 「」 優しい声。慰めるような労るような声。こへは一度唇を離して、ちょっとだけ困ったように「泣くな」と言って、私を強く抱き締める。 「お前が泣くとどうすればいいか分からなくなるんだ」 な、とこへの舌が私の涙を舐め取って行く。うん、と私は小さく答えて、泣けずにいられるように幸せなことだけ考える。そうだ、私は今幸せだ。こへが傍にいてくれる。これは私にとって幸せなこと。それは絶対だから。 ようやく少し勢いを失った涙に、こへは笑って私の頭を撫でる。えらいぞ、と。それこそ幼子に対するものみたいに。 「私、子どもじゃないよ」 「私の半分しかないやつは子どもだ」 「こへが大きすぎるんだよ……」 私も、そのときは笑えるようになっていた。笑い合って、また自然に唇を重ねて、私とこへは優しくお互いを奪い合う。奪い合って、返し合って、一つになれるような錯覚に酔う。それがとても心地良かった。 「気持ちいい、こへ」 「ん……私もだ」 身体がじんと熱くなる。抱いてはいけない独占欲が巻き起こりそうになる。こんなことを他の女の人としないでと言いそうで、それが嫌でずっと唇に触れ続けた。 唇だけの睦み合いはどれほどだったのだろう。一刻? 二刻? それすらもよく分からないまま、気づけば真夜中が近くなっていた。 さすがに少し疲れて力を抜く私を、こへは変わらず抱き締めてくれる。時折慈しむように顔や手に唇を落としてくれて、私の思考はゆっくりと薄れかける。 「こへ。このまま寝てもいい?」 「……私もここで寝ていいか」 「うん、いいから」 私から身を寄せると、こへは拒絶せずに好きにさせてくれる。頭を持ち上げられて、こへの腕の上に乗せられる。ああ、腕枕だ。 「……ありがとう」 「うん」 苦しくない程度の抱擁に、全身がこへに包まれている。このまま眠ってしまいたい。ぽんぽんと、枕をしてくれる腕で、こへは私の頭を撫でてくれる。 寝てしまえばいい。このまま寝てしまえば、こへと離れてしまうところを見なくて済む。きっとこへは私の寝ている間に帰るだろうから。 「おやすみ、」 耳元で囁かれた声にゆっくり目を閉じて、私の全部をこへに預けた。 が本当に寝入るまで、さほど時間はかからなかった。泣き疲れたのかもしれない。ただ無理矢理に寝入ったのかもしれない。 どちらにしてもの意識がないことは、私にとっては都合が良かった。好きだと囁くことも、焦がれた瞳で見ることも出来る。 の身体を極力動かさないように少し起き上がり、のうなじに触れる。髪をかき上げると、白いうなじが月明かりに晒される。顔を寄せて、その肌の上に舌を這わせる。いっそ起きても構わないと思いながら、そのまま唇を押しつけて少し強く吸い上げた。 びく、と刺激にが震えるのを、しばらく待つ。は目を覚まさずに、ゆっくりとまた深い眠りに落ちた。白いうなじに浮かび上がる、鬱血した赤。それをそっと撫でてから、また身体を横たえてを抱き締めた。 うなじ。からは『絶対に見えない』場所。 自分でもどうしようもない独占欲が、身体に渦巻いて仕方ない。 許されているのではない、諦められているのだと知っている。 けれど。 ──誰とした? ──私以外の、誰とした? の実習が終わっていただろうことは、食堂での様子を見ればすぐに分かる。極めつけに今、報告に行こうともせず寝てしまっているのだから、間違いないだろう。 知らなければ妬くこともないのに、知ってしまえばドス黒い感情が溢れて止まらなくなる。 他の男に渡したくない。そんなことを思う資格など、私にはきっと一つもないのに。 それでも愛おしくて、欲しくて、けれどそれをすればきっとは、 は、どうするのだろうか。 嫌だと泣くのか、いいよと諦めるのか、抱かなくていい罪悪感に苛まれながらただ微笑んでみせるのか。 理由がなければ、もう触れることすら叶わない。 それを望んだのは、きっと私ではなくだ。けれどそのきっかけを作ったのは、私だ。 ──私は、お前にとって毒なのだろうか、。 すぐ傍にいるを、強く抱き締める。あのときと変わらない、小さな身体。 ──お前はその身を蝕んで行くと分かっているのに、私を受け入れているのだろうか。 いつか全身にその毒が回って、動けなくなる日まで。 それまでに私は、お前を離してやれるだろうか。 終 |