『田村三木ヱ門』後編


 私は、先輩といっしょにいられるなら、それが居残りでもなんでも構わなかった。
 先輩とは基本的に委員会でしか接点がないから、その時間が延びるのは私にとってとても嬉しいことだった。しかも今は二人きり。先輩が私のことをなんとも思っていないのは重々承知の上でも、好きな人と一緒にいられるのは幸せだ。いつもは先輩と仲が良いからと潮江先輩に嫉妬しているけれど、今日ばかりはこの場を作ってくれたことに感謝した。
「あー、三年前のことなんて覚えてるわけないじゃん。結局計算し直しだわ。委員長のばか……。あ、三木、用具委員の年度末決算の帳簿取ってくれる?」
「はい、どうぞ」
「ありがと。悪いけど、全学年の学級費の収支だけ埋めてくれる? 帳簿書き写すだけでいいから」
「はい、分かりました」
 先輩の指示に従って、二人で作業を進めていく。ほとんどが軽く計算し直すか書き写すだけだったから、さほど難しい仕事じゃない。その分他愛ない会話も出来て(大半が潮江先輩に対する愚痴だったけど)、それが私は嬉しかった。
「あーもう、潮江先輩いないのにクソ重いソロバンなんて使ってられるかー。確かここに普通のソロバンが……あ、あった」
 独り言を言いながら、先輩がごそごそと委員会の行李を探っている。
 片手間に帳簿を埋めながら、私は先輩に視線を向ける。もう一つないかなー、と行李の奥を探っている横顔にふいに胸が高鳴って、慌てて手元の帳簿に視線を戻した。
 二人で作業してからさほど時間は経っていないけど、それでもすでに終わりが見え始めてきていた。先輩と二人きりで一緒にいられるのは、たぶんあと少しだけだ。……先輩にとっては、早く帰れるのは嬉しいことなんだろうけど。今更だなと分かっていても、こんな想いを抱いているのは私だけだと思うと、少し寂しくなる。
「はい三木、これソロバン。使う?」
「あ、……はい、ありがとうございます」
 先輩が私の隣に戻ってきて、行李の奥底に隠していた普通のソロバンを手渡してくれる。これだと計算がさらに速く終わってしまうので一瞬躊躇ったけど、先輩の顔を見ているとどうしても嫌だと言えなくなる。昔からそうだ。先輩の言葉を否定することは、反射的に身体が拒絶してしまう。たぶん、嫌われたくないからだ。
 それから、ちょっとの間沈黙が続く。先輩はなにかを考えているようで、作業中に時折手が止まった。私はその先輩の様子をちょっと気にしながらも、仕事を進めていく。お互いあとこれで終わりだ、というところまで来たとき、ふいに先輩が私の名前を呼んだ。
「ねぇ、三木」
「はい?」
 顔を上げて返事をすると、先輩は今までソロバンを弾いていた手を止め、帳簿に最後の計算の答えを書き込んでから、私に視線を向けた。
「三木にお願いがあるんだけど」
「あ、はい。なんですか?」
「あのね、──五秒だけ大人しくしてて」
 え? と疑問の声を上げる暇すらもなかった。その次の瞬間視界に映ったものに、唖然とする。
 先輩が私の頬を掴んで、膝を伸ばして顔を寄せる。目を見開いたその時、私と先輩の唇が重なった。

 ──────。

 突然の感触に、身体が硬直する。
 今なにが起こっているのかよく分からない。唇に感じる圧倒的に柔らかな感触と、鼻腔をくすぐる先輩の匂い。先輩は私の頬を掴んだまま、唇をさらに押し付ける。密着するところを探すように少し動かしてから、ちゅ、と音を立てて啄ばんで、唇を離した。

「ごめんね」

 悪気のない顔で微笑んで、先輩は私の頬から手を離して身を引く。
 すぐ傍にあった柔らかさも匂いも遠ざかってから、ようやくに私の頭がまともに動き出す。

「い、今、なにしました!?」

 今更ながらに、瞬時に顔に血が集まっていく。物凄い速さで鳴り響く鼓動を感じながら詰め寄ると、先輩は「あー」と少し照れたように笑って、身を乗り出す私の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「口付けだよ」
「それは見てたから知ってます! そうじゃなくてですね!」
「あ、ごめん、初めてだった? でもいいよね、別に減るもんじゃないし」
「ち、違……、いえ、初めては初めてですけど、そうでもなくてですね……!」
 動揺のあまりに、ひどく頭が混乱していた。そうだ、さっきのは明らかに口付けだ。恋仲同士でやるものだ。思った瞬間にさっきの柔らかな唇の感触とすごく近かった先輩の体温を思い出して、さらに混乱する。身体が火照りを帯びてくる。まずい。
「うん、ごめん。実習だったの」
「じ、実習……ですか」
「そう。男子生徒に口付けしてこいって。不意ついても脅してもいいって言われたから」
 やっぱり悪気のない顔で、先輩はあっさりと言う。私は火照った頬に手を当てて、先輩から視線を逸らした。そうしないと、否応がなしにさっきの行為を思い出すからだ。
 けれど、一応は納得する。あのくの一教室ならそれくらいの実習はやりそうだし、先輩はこういうことにさほど抵抗があるように見えないし。だからあんな風に直接行動に出たんだろうと理解は出来る。でも。
「……ごめん……三木、怒った?」
 私が視線を逸らして黙っていることを勘違いしたのか、先輩が珍しく心配そうな顔で私を見上げてくる。その顔を見て、私は言葉を詰まらせる。先輩の表情だけで焦ってしまうのは、やっぱりこの人のことが好きだからなんだろう。
「いえ……怒ってないですよ」
 実際、本当に怒ってるわけじゃない。ただすごく動揺してるだけだ。
「ほんと? ……よかった! ありがとね、三木!」
 にこっと嬉しそうに微笑んで、先輩が私の頭を撫でる。子ども扱いに少し落ち込みそうになったけど、よくよく考えてみれば、つまり先輩は私と口付けしたって構わないと思ってるんだと気づいて、そのことにはすごく嬉しくなる。……自分ごとながら単純すぎて呆れてしまう。
 先輩は私と違って全然動揺してない様子で、さっさと文机の上を片付け始める。私のやりかけの帳簿を覗いて、あとほんの少し残っていた計算を手早く処理して、終わらせてしまう。
 すみませんと言おうとして、隣にいる先輩の横顔をまともに見てしまい、また慌てて視線を逸らした。ついさっきまで私に触れていた先輩の唇に、どうしても目が行ってしまう。というか意識するなというほうが無理だ。あーもう。
 なんとか平静にと努めても、さっきの感触が忘れられない。どうしようかと思ったとき、手早く帳簿を回収しながら、先輩が私に向かって微笑んだ。
「三木は優しいよね」
「え? な、なにがですか」
 やっぱりまだまともに顔が見れなくて、僅かに視線を逸らして答えると、先輩は「うん」と頷く。
「だってさ、潮江先輩なんて『お前みたいな好みの対極にいる女は絶対にお断りだ』とか『お前を殺してでも抵抗してやる』とか言うんだもん。ほんと、いくら無理強いだったからって、他にも言い方があるだろうに」
 呆れたように軽く肩をすくめてから、先輩は立ち上がって帳簿を棚に戻しに行く。





 ──ああ、そうか。


 先輩の後姿に目を向けながら、私は委員室に来たときのことを思い出す。
 潮江先輩の上に馬乗りになっていた先輩と、その先輩を突き飛ばしていた潮江先輩。
 私はあれをいつもの喧嘩とばかり思っていたけれど、そうじゃなくて、口付けを迫っていただけなのか。

 つまり。

 ……先輩は、潮江先輩に断られたから、私に口付けしたのか。


 それを理解した瞬間、すうっと頭が冷えた。














 私は機嫌良く、三木が資料として持ってきてくれた帳簿を棚に戻していた。気になってた実習もこれで終わったし、三木も最初は驚いてたけど許してくれたみたいだし。さすがに口付けはちょっと恥ずかしかったけど、それでも別に嫌じゃなかった。ま、ああいうのは吹っ切れたら握手とかと変わらないしね。
 これで潮江先輩に押し付けられた仕事も終わりだし、あとは山本先生に報告に行くだけだ。居残りに付き合わせた挙句実習の相手にまでして、三木にちょっと悪かったなぁと思いながら、最後の帳簿を棚に戻そうと手を伸ばした。

「────?」

 ゆっくり、振り向く。いつの間にか、三木が私の後ろに来ていた。なんでこんな部屋の中で気配を消す必要があるんだろう。不思議に思いつつ、とりあえず棚に帳簿を戻してから、三木に向き直る。
「三木? どうしたの」
先輩」
「ん?」
 三木の顔を見上げると、三木も私を見下ろして、ゆっくりと口を開いた。
「お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。さっきの実習のことなんですけど」
「うん……。どうかした?」
 いつもより少し硬く聞こえる三木の声に、ありゃもしかして怒ってるのかなと不安になったとき、三木が言葉を続けた。
「私に、なにか礼をしてください」
「え?」
 言われた内容にきょとんとしてから、私はすぐにほっとした。なんだ、そんなことか。
「うん、手伝ってもらったもんね。潮江先輩にもお礼におにぎり握ってあげるって言ったんだけど、嫌がられたんだよね」
 笑い話のつもりで言ったのに、三木はちょっと眉をひそめた。ああ、おにぎりは嫌なのかな。そりゃそうか。
「おにぎりなんて言わないよ、なにがいい? ……あー、あんまり高いものは無理かもしれないけど、ご飯奢るとかなら今日でも──」
先輩」
 言いかけた言葉を遮って、三木が私の腕を引いて身を寄せる。いきなりの行動に驚く私の顔を、三木の瞳が覗きこむ。そして、

「私からもさせてください」

 直後聞こえた言葉に、一瞬かちんと思考が止まった。
「……え、なに、を」
先輩が私にしたことです」
 意味を悟って、かあっと顔に血が集まった。
「く、口付けのこと? ……そうなの?」
「いけませんか」
「え、いやでも、三木」
 頭が混乱してくる。なんで、そんなこと。
先輩も私にしたじゃないですか」
 珍しく強い口調の三木に戸惑いながら、私は勢いに呑まれるような形で「うん……」と頷いた。確かに、私からやっといて三木からは駄目なんて、おかしい。でもまさか、そんなことを言われるとは思わなかった。
 もしかして、三木はやっぱり怒ってるんだろうか。そうは見えなかったのに。
「いい、けど……。三木、そんなのでいいの」
「……はい」
 あまり感情のない三木の声は、なにを考えているのかよく分からない。さっき口付けしたときは、あんなに焦った様子だったのに。
先輩、座ってもらえますか」
 腕を引いて促されて、私は戸惑いながらもその場に腰を下ろす。三木も目の前に膝をついて、私のすぐ傍まで身を寄せる。
 その近すぎる距離に、今更ながらにちょっと焦る。
 嫌とかじゃないけど、私より大きな三木の身体が確かに男の子なんだと意識させられて、なんだかすごく恥ずかしくなる。そんなの、ずっと前から知ってたはずなのに。
 三木の手が、私の頬に伸びる。私だって同じことをしたのに、恥ずかしくてまともに三木の顔が見れずに俯いてしまう。
「目、閉じてもらえますか」
「うん……」
 言われるままに、私は目を閉じる。
 そうだよね。三木は男の子だもんね。こういうことに興味がないわけないよね。
 緊張に身体が少し強張ってしまう。まさか、こんなことになるなんて思わなかった。奪うことなら出来ても、奪われるのは性に合わないというかなんというか、しかもそれが三木だから、余計に。

先輩」

 囁くように、三木が私の名を呼ぶ。咄嗟に、緊張のあまりに身を引いてしまいそうになるのを必死で堪える。すぐ傍にある三木の気配が、もっと近づくのを感じる。頬に当てられた三木の指先に力が込められる。お互いの鼻先が微かに掠めた次に、ゆっくり、三木の唇が私のそれに触れた。
 背にもう片方の手を回されて、身体を引き寄せられる。ただ感触を確かめるように、浅く重なる口付け。最初は躊躇する様子だったそれは、少しずつ角度を変えて啄まれるようになる。頭にのぼった血のせいで、ぼうっとしてくる。

 三木は男の子だから、こういうことに興味があるからなんだと、何度も自分に言い聞かせる。
 言い聞かせていないと、誤解してしまいそうだった。

 三木の唇は、私の唇の上を掠めて柔く吸うことだけを繰り返す。私を抱き締めてる三木の身体が熱くて、その熱を与えられたように、私の身体も少しずつ熱くなる。口付けのせいで少し苦しい呼吸。自分からしたときとは圧倒的に違う感覚に僅かな不安を抱いて、私は両手を三木の背に回して縋るように身を寄せた。
 唇を重ねたそのまま、三木が鋭く息を吐く。頬に当てられていた三木の手が下りて、顎を掴んで唇が強く押しつけられる。ゆるりと中に入ってくる、三木の舌。身体に震えが走る。
 舌先だけ絡む生温かな感触に、正直、……とても心地良いと思ってしまった。
 濡れた舌同士が触れ合って、それだけなのにますます身体が熱くなる。三木の動きは決して激しくない、探るような柔らかい仕草なのに、私はそれに翻弄される。

 ──駄目だ、と。僅かに残った理性が言う。
 もう拒め、と。

 私は三木が嫌いじゃない。むしろここまでしても嫌だと思わないのだから、異性としても嫌悪がないのだ。けれど私と三木は恋仲じゃない。三木が男女の行為に興味があるだけなら、なおさらに煽ることはしてはいけない。私がよくても、三木は駄目だ。好きな子がいるかもしれないのに。
 ゆっくり目を開くと、すごく近い三木の瞳に吸い込まれる。私が今まで見たことのない、熱に揺らめく三木の瞳に、軽い痺れが身体に走る。
 駄目だ。拒まなくては。
 力の入りにくい身体を必死で動かして、三木の背に回していた手を戻して三木の肩に触れる。三木との口付けに頭を溶かされながらも、軽くその肩を叩く。離してと言ったつもりだったのに、三木は逆に私をさらに引き寄せる。すでに密着していたから、抱擁が強くなっただけで少し苦しい。
「……ん、……、や」
 軽く肩を押し戻そうとして意思を伝えるのに、三木の手は緩んでくれない。口付けと強い抱擁のせいで呼吸が苦しくて、私は三木の肩を少し強めに突き放した。絡んでいた舌を、身を引いて無理矢理に解く。途中咄嗟だったからか三木の歯にぶつかって、滲むような痛みが走った。
 口付けが離れた瞬間、身体の力が抜けそうになって、三木の腕が私を支えて引き寄せた。呼吸が苦しくて涙目になっていて、私はそれを落ち着けるために、三木の肩に顔を埋める。
「……すみません」
 耳元の三木の声に、すごく動揺する。熱のある、紛れもない蜜色の声。聞いたことのない『男』の声。呼吸を繰り返して息を整えてから、私は微かに震える手で三木の身体を軽く押す。それまで離してくれなかった三木が、今度は素直に身を引いてくれた。支えを失って崩れ落ちそうになって、私は慌ててその場に手をついて座り直す。
「すみません」
 さっきと同じ謝罪。私は顔を上げられなくて、三木がどんな表情をしているのか分からない。固くて、でもまだ熱さが残っているような『男』の声に、どうしようもなく恥ずかしくなる。
 ああ、駄目だ。三木が悪いわけじゃないけど。
「ううん……ごめん。もともと私が悪いから」
 年下の後輩相手に、考えなしにあんなことをした、私が悪かった。
 潮江先輩みたいに後腐れない相手ならよかったんだろうけど、三木は。
 震える自分の手を握り締めて、意を決して顔を上げる。
 三木は私を見下ろしてる。口付けの最中に見た、少し熱を持った視線。けれど今は、それよりも気まずそうな色のほうが濃い。
「……すみません」
 視線を合わせるのが嫌なのか、目を伏せて、三木はまた謝る。三木が悪いんじゃない。……私が悪い。
「なんで謝るの。三木は悪くないでしょう?」
 こんなことで、三木との間に変な禍根を残したくなかった。だから私はことさら明るい声を出そうと、必死に笑う。
「ね、ごめんね三木」
「……先輩だって悪くないでしょう」
 ぽつりと三木が言う言葉に、ちょっとほっとした。ようやく三木が、謝罪以外のことを口にしてくれたから。
「どう考えても私が悪いでしょ。実習の相手になんかしちゃったから」
 そうだ。もうちょっと考えて行動すればよかった。そうすれば、三木に謝らせてしまうことも、気まずくなることもなかったのに。
「……ごめんね、私、」
 謝ることしか思いつかなかった。三木がゆっくり私に視線を向けるのを見ながら、言葉を続けた。
「三木にあんなこと、しなきゃよかったね。……嫌な気分にさせて、ごめんね」
 そう口にした瞬間、ぎりっと三木の眉間に皺が寄る。
 三木の手が私の肩を掴む。それから視界が反転して、

「…………え?」

 私はその場に押し倒された。畳に思い切り叩きつけられた背が痛む。でもその痛みを感じる余裕もなく、私はただ唖然と三木の顔を見上げていた。今起こってることの意味が分からなくて。

「三木……?」
「違います」
「……み、き」

 すぐ近くの三木の顔は、酷く歪んでる。泣き出す一歩手前のような、苦渋に満ちた痛みの顔。
 ぞくりと、背筋に悪寒が走った。私? 私のせいで、そんな顔してるの、三木。

 どうして?

「三木……ごめ」
「違います!」

 思わず口にした謝罪が、三木の声でかき消される。私がびくりと震えて言葉を呑むと、三木はほんの少し躊躇する様子を見せて、それから、……じっと、ただ私を見下ろした。
 さっきみたいな激情に歪んだ顔じゃない、すぐ近くの私を見てるのに、どこか遠いものを見るような悲しそうな目。思わず、手を伸ばして三木の頬に触れる。

「……どうしたの、三木。私のせい……?」
「────っ」
「……三木?」

 声をかけても、三木は答えない。向けられる視線に込められたものが受け止められなくて、私はなんて言えばいいのか分からなくて困惑する。
 辛そうな三木の様子に胸が痛んで、無意識に抱き締めようと両腕を伸ばしたとき、三木がそれを拒絶するように素早く身を起こす。伸ばした私の腕を、震える手で押しのけて。

「三木」
「すみませんでした」

 慌てて身を起こす私に、三木はもう視線を向けない。そのまま立ち上がって、委員室を出て行く。私はその後を追おうと立ち上がろうとして、足に力が入らずにまた腰を下ろしてしまう。
 しんと静まり返った委員室の中で、私はただ三木が出て行った戸を見つめ続けていた。

「……ごめんね、三木」

 ぽつりと呟いたその声が届いていたら、三木は怒っただろうか。それともあの泣きそうな顔をしただろうか。
 分からない。
 私が三木を傷つけたのか。怒らせたのか。そのことに、全身が不安に包まれる。

 三木。

 ……ごめんね。























 謝らないでください。

 ごめんね、と繰り返す先輩の声が、鋭く胸に突き刺さる。
 謝って欲しくなんかないんです。悔やんで欲しくなんかないんです。

 先輩が目を向けるものに嫉妬ばかりして。
 どうか私を意識して欲しいと望んでばかりで。
 なのに私からは、一言だって本音を伝えられなくて。

 ただあの人に、戸惑いと不安だけを与えてる。


 誰かの代わりは嫌です。
 誰よりも先に、私を見てください。





 ──あなたが好きなんです、先輩。










 終